是法神社境内の92体目の地蔵 |
放牛とは僧侶の名である。彼についての逸話は以下の通り。 300年以上昔、現在の熊本市鍛冶屋町に七左衛門という鍛冶屋がいた。酒飲みの彼は酒を買えと息子に命じるが、孝行息子の放牛が買ってやりたいと思っても金が無いのでどうしようもない。業を煮やした七左衛門が火吹き竹を投げると(投げた物については諸説有り)運悪く通りがかりの武士に当たってしまう。怒った武士に息子は許しを請い、言われた通り共に謝ろうと引っ張り出した七左衛門を武士に斬られてしまった。己を責めた息子は七左衛門の霊を慰める為に出家し、名を放牛と改め、修行の後に10年で100体の地蔵を建立しようと決意する。 <参考図書> 肥後の伝説 牛島盛光編著 第一法規 熊本市内祭り・郷土芸能調査報告書1981 熊本市民族調査委員会編著 |
善行寺の29体目の地蔵 |
大江にはこの放牛地蔵が2体あり、第29体目にあたるものが善行寺に、そして第92体目にあたるものが是法神社にあります。 第92体目の地蔵のアクセスポイントは是法神社の項目を参照してください。 第29体目がある善行寺のアクセスポイントは熊本市大江1丁目10となっています。詳細は下記の地図からどうぞ |