西海道駅路跡
さいかいどうえきろあと











遺跡名
大江遺跡群
調査期間
平成18年(2006)2月〜5月
調査機関
熊本市教育委員会文化財課
電話 096-328-2741
クセス

住所:熊本市大江2丁目5番1号 熊本学園大学内(14号館)
電話:096-364-5161(代表)
バス:交通センターより約15分(12番、14番のり場)
バス:子飼橋、大江渡鹿経由「大江渡鹿」下車
バス:NTT病院、託麻原通り経由「大江渡鹿」下車
文から抜粋…

(前略)
今回検出された西海道跡はほぼ南北に延びており幅約9m、当時の地表から約90cm掘り下げられています。中央の地面を人工的に突き固めた幅約3mが実際の通行部分に当たり、両脇には側溝や、人・土の侵入を防ぐための柵や杭が打たれた跡が存在します。通行部分の下部には路面補修の後と見られる穴が連続して整然と並んでいます。また、当時の人が使っていた土師器・須恵器と呼ばれる土器や瓦が出土しています。これだけ大規模で保存の良い状態で駅路が検出されたのは極めて貴重な例えです。
大江、新屋敷一帯は古墳時代後期〜平安時代前期における肥後最大の集落として、政治的・経済的な中心地として栄えてきましたが、集落規模が縮小する九世紀後半には西海道も維持管理を放棄し、埋没したようです。

硬化面(通行部分)、補修跡
ート

大宰府から筑前国(福岡)、筑後国(福岡)、豊前国(大分)、豊後国(大分)、肥前国(佐賀・長崎)、肥後国(熊本)、日向国(宮崎)、大隅国(鹿児島)、薩摩国(鹿児島)、壱岐・対馬(長崎)を結んでいます。
本州(山陽道)から九州に入ってから太宰府への大きな道を太宰府官道(大路)といい、そこから各国々へのルートが存在しました。(小路)

側溝、杭穴
西海道とは…

奈良・平安時代における五畿七道(都周辺の畿内五国とそれ以外の地域七道)の一つで、西海道は九州諸国の国府と都とを結ぶ官道の名前でもあり、西海道は七道の中でも小路でした。
七道とは都から各国々を結ぶ道路網です。(西海道は大宰府と各国国府とを結んでいます。)
主に納税品の運搬や軍事目的で整備された道路だと考えられています。

不定形土坑