熊本製糸工場大煙突跡とは?
製糸産業を

「支えたといえる長野濬平氏が建策し建てた養蚕試験場にあった煙突の一部です。
明治時代に

立てられたもので、当時は市内の至る所から眺めることが出来るほど高かった煙突でしたが、時の流れとともにこの地が中心部となったため、明治55年に工場が移転されてしまいました。
その際

この煙突も解体されたのですが、往時の偉業を偲ぶ意味もこめ、煙突の一部をここにのこすこととなったようです。
当時の

煙突は実に62メートル、現在残るのはその1割に当たる6.2メートルの煙突です。つまり、当時はこの10倍にあたる煙突が聳えていたのです。
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