「民族」や「日本人」について

姜信子さんの『ごく普通の在日韓国人』から


「民族」について

I. 姜さんは「民族」という概念に対しては懐疑的である

「民族」と書き、繰り返し「わからない」と言う。

「民族」にあまりにこだわるのは、問題解決に向けて、どれほどの効果があるのかと、考え込んでしまう。 (p. 119)

II.「民族」は「他者」を作る
「『民族』が恋愛を遠ざける」(p. 26)

「民族」という壁 (p. 30)

III.「民族」は「我々」を従わせる
「『民族』と誰かが口にする時、それは水戸の御老公の印篭のようにウムを言わせぬ力で迫ってくる。」(p. 116)
IV. 「民族」は差別に対する反動
「『民族性』という太い柱をよりどころにしている在日韓国人」 (p. 75)

「居場所がない . . . そうして『民族』へと傾斜していく」(p. 96)

「日本人の単一民族観の向こうを張って、朝鮮民族はこうあるべきと頑張っている」(p. 97)

V. 姜さんの「民族観」
「私が感覚的に捉える『民族』とは、私の祖先が朝鮮半島にいたという事実。それだけで十分である。」 (p. 175)

「日本人を装うのでもなく、民族性を強調するのでもない。在日韓国人として普通に、日本で暮らしていきたい。」(p. 198)

「<民族意識>

. . . 中略 . . .

『生まれは熊本だけど、もともとウチは鹿児島だった』と日本人が口にするように、「生まれは横浜だけど、もともとは韓国で、私は在日韓国人なのよ」と、私は自然に口にする。ある意味では牙の失った . . . 私にとってまったく自然な民族意識のありようである。」 (p. 210)


「日本人とは何か」について

I. 帰化することと「日本人」の意味

「韓国系日本人」となぜ言わないのか?
II. 「我々」と「彼ら」
「彼ら」に対する態度は「我々は同一民族」という観念と関係があるのでは?

「彼ら」を管理する理由は犯罪の恐れがあるからではなく、「我々」との「区別」をするためでは?

III. 「日本人」は国籍なのか?「日本人」に慣れるのか?「日本人」という概念は作られたものでは?

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