+ VELOTAXI顛末記1(私の研究室と大学院生とVELOTAXI)

 2006.5.6

       

 日は朝早くから机に座っているものの、なかなか仕事がはかどらない。
卒業生から連絡があったので大学で会うことにした。
11時から3時頃まであれこれととりとめのない話をして別れ、せっかく大学にきたので、足の踏み場のない研究室の掃除に取りかかることにした。
司馬遼太郎が、『坂の上の雲』で正岡子規が書斎を「獺祭書室」と名づけていたことを書いていたが、いまの研究室はまさにそのような状況で、整理に取りかかるものの、これまでの放置が短時間で片付くようなものでないために、適当なところで切り上げることにした。

 帰宅して、机に座るものの仕事のはかどりが悪いので、ブログVELOTAXI運行までの顛末を少しづつ書くことにした。
そもそも発端は人間都市研究所の冨士川さん(本学非常勤講師)からのメールと電話であった。
熊本市の仕事で熊本駅と中心市街を結ぶプロジェクトを引き受けるようになったので、大学院生をワークショップに参加させて欲しいという内容であった。
長期的に参加する学生が欲しいとのことだったけれど、ちょうど私のゼミ生は大学院生が卒業した直後でいなく、また学部生にもその話をしたが参加者がいなかったので、一応お断りをした。
その後、大学院の私の講義に宇野先生のゼミの東さんと白石先生のゼミの草野君が受けていて、東さんが「商店街の活性化とまちづくり」を研究テーマとしていたことに気がついてこの話をしたところ、二つ返事で承諾し、草野君も参加したいといって、二人が決まった。
それで冨士川さんの方に伝えた。
担当教授であるゼミの各先生に承諾の上でという条件を付けての参加であった。

 ークショップは商業者や地域の人と一緒に行うので基本的には夜に行われた。
いくかのワークショップに別れて議論されたが、そのうちの一つに彼らは入ってあれこれとアイデアや意見を述べたりしながら、何回か参加しているうちに、冨士川さんの方からVELOTAXIのことが紹介された。

 ワークショップで古町界隈を歩き、地域や商店街の人たちと交流する中かで、この地区にVELOTAXIを住民の生活の足として活用すればまちおこしに一役貢献するのではないかと考えはじめ、VELOTAXIの運行を提案する。
ワークショップで「VELOTAXIによる回遊研究」というテーマで提案し快諾をえる。

 ここから本格的に彼らがVELOTAXIにめり込み始める。
そんなこととはつゆ知らず、私は冨士川さんから大学院生ががんばっていますということだけの報告をうけ、学生にあったときもVELOTAXIの話は聞いていたものの、採算がとれそうもない感じがして、まあ研究テーマとしてはいいが実現は無理だろうと軽く考えていた。

 しばらくしてほんとうに彼らがのめり込んでいることがわかった。
インターネットで調べるだけでなく、実際にアルバイトをしたお金で旅費を調達し、9月に京都にいき、VELOTAXIに乗って感激しVELOTAXI日本本部の森田さんにあって、自分たちの構想を語り、自分たちの作った事業計画書・試算表を提示した。
全国でVELOTAXIが運行しているが、その中で一番若く、しかもNPO法人設立による大学生と地域との連携によるまちおこしということもあって、めずらしく、そこから森田さんは興味をもたれたようで、とてもいい感触で彼らは帰ってきた。

 このことが一層彼らをVELOTAXIにのめり込ませることになった。
地元に帰ってこの計画を披露し、地域や商店街の人の幾人かに賛同を得るようになり、協力者をえる。
冨士川さんも前向きで推し進めるようになり、方向性が打ち出された結果、次第に彼らの間で気運が高まり始めた。

 そのあとはもうあれよあれよという間にことは進行し、ワークショップから発案されたものであるがゆえに、地域や商店街の人たちの理解が得られはじめ、また大学と地域の連携という形でのまちおこしということや、熊本市の方も新幹線開通をにらんで熊本駅と中心市街地・熊本
城を連携すると同時に、これらの中間地域に位置する古町界隈を活性化するという意味で効果が考えられると認識するようになって、バックアップする体制ができあがってきた。大学ー地域ー行政という連携の構図が知らず知らずのうちにできあがった。

 もちろん、実現についてはまだ超えなければならないハードルが多くあり、危ぶむ意見も多く指摘された。
その指摘が的はずれではないだけに、また彼らも十分わかっているだけに、高まった感情が一挙に落ち込んで意気消沈したりして、感情の起伏も大きく、時には二人が対立することもあって、精神的に不安定な状況に陥ることがしばしばあった。
そしてこれまでの疲れが拍車をかけた。
しかしそのような状況に陥りつつも、ただ一点、VELOTAXIを走らせるということに関しては二人とも揺らぎはなかった。
ゆえにそのような苦しい精神的な状況も乗り越えることができた。それを冨士川さんが支え、まちの人が支えた。

 してとりあえず熊本でVELOTAXIを走らせてみようと彼らは主張し、11月に開催される古町地区の祭りである「風流ロマンフェスタ」で試走会を開くことをきめ、その準備にとりかかった。
試走するにあたって宮崎のVELOTAXIの木脇さんに当日借りるように交渉し、当日必要なコスト約10万円を、自分たちのアルバイト費用と商店街や地域の人のカンパによって集め、多くの人の協力によって試走会が実現する。

 当日、報道各社から取材にきていただき、祭り自体のイベントとしても好評を得た。
また熊本市内や古町地区でVELOTAXIを知っていただくことができ、学園大学の大学院生ということもあって、熊本学園大学とVELOTAXIという関係が広く世間に伝わることになる。

 VELOTAXIでまちおこしをするという目的、大学と地域の連携という構図も示すことができ、自分たちの「社会的」役割を明確にすることができた。
その点で彼らはこの試走会の成功をとても喜んだ。

 それと並行してNPO設立のために準備が彼らによって進められた。
NPO法人について勉強をし、県民パレアにいって多くのアドバイスを受けた。
そしてNPO法人の理事メンバーとして二人以外に誰が加わるかということになった。
文句なしに冨士川さんが決まった。言い出しっぺであるから当然のことであるかのように決まった。
そして二人を送り込込んだ張本人として私に白羽の矢が立った。
二人のゼミの担当教授でもないのに、二人のVELOTAXIと関わり、担ぎ上げられてきたのはこのような事情からである。



+ VELOTAXI奮闘記2(最近のVEROTAXの状況)

 2006.5.15

 

 5月2日に熊本にVELOTAXIが到着し、お披露目を5月13日の世界女性スポーツ会議熊本大会にあわせて作業を開始。
まず広告を車体に張る作業から開始。
熊本学園大学より広告費をいただき、車体の図柄の打ち合わせや印刷会社に発注をする。
そのシールが火曜日にできあがり、講義の合間を縫って作業を水曜日、木曜日と作業。
当日に準備も含めて、結局13日当日金曜日の朝4時までかかる。
彼らの睡眠時間はきわめて少ない。

 やっとの思いで準備はできたものの、ただ天気が心配。金曜日は雨のち曇り。
VELOTAXIは雨に弱い。走るところはダイエーの裏の市役所駐車場界隈。
城見町・三年坂の通りで行われるウェルカムストリートに連動する形で参加。
この日は長崎県立大学に出講のため初陣をみることができず。
後で聞いたところによれば乗客は少なかったものの、テレビのニュースで放映され、翌日の新聞にのり、結果的にはアピールには成功したとのこと。
翌日も同会場で走る。
私は学会で熊本不在。
朝から雨で今日は走らないと思っていたら、午後から雨が上がったので走るという連絡がある。
約60名近くがテレビや新聞を見てきてくれたとのこと。盛況のうちに幕を閉じた。
ウェルカムストリートで参加を提案してくれ、いろいろとお世話をしていただいた南さん、どうもありがとうございました。

 明日15日は11時から古町でオープニングセレモニーをして、この地区で走ることを正式に宣言。

 て、これまでタイトルがVELOTAXI運行までの「顛末記」であったが、彼らのひたむきな努力を記録するために「奮闘記」に変更する。

 までの話は古町のお祭りの風流ロマンフェスタで宮崎のVELOTAXIの協力で試走会を行ったことまで書いた。
その後、彼らはNPO法人設立に向けて作業に入った。
NPOの研究をはじめ、県民パレアでその指導を受け、NPO法人設立総会に向けて、規約・定款・組織を作る。
そしてまちの人やVELOTAXI運行の賛同者を募る作業をした。

 NPO法人名は「熊本ホスピタリティネットワーク」とする。
さらに「熊本でVELOTAXIを走らせる会ー異風者の会」と命名し、その準備にかかる。
とりあえず設立準備委員会は私の研究室におく。

 その結果私の研究室は騒がしいモノとなる。
いつも2人が私の研究室でパソコンに向かったりプリンターで原稿を打ち出したり、携帯電話で打ち合わせ相手と話をしたり、場合によっては相談をされて、イベントやらプレゼンの前などは戦場のようになる。
相談されるモノは自分たちで片付くようなモノでないやっかいなことなので、これまた処理に立ち会うため時間が消費される。
彼らも修士論文の準備、講義のあいまにその作業をするために二人の疲労はピークになり、些細なことで意見に食い違いが言い合いになったりして、最悪の状況が私の目の前で続く。
これまたなだめすかしながらの作業も私の日課となった。
二人の睡眠時間は3-4時間くらいでともに体調不良を生じる始末。
一時、このような二人の仲違いの状況をみてNPO組織ができても維持できるとはとても思えないのでこのような状態では「やめるべき」と進言する。
しかし彼らはどんなに意見が違ってけんかをしてもVELOTAXIを走らすという情熱は変わらないので、そのような心配はいりませんと言い切っ た。
それを目の前で見る人間のつらさが彼らには若いからか、あるいは当事者ということからか、わかっていない。
ほとほと疲れるので、それ以降は内輪のけんかとみなして、何も言わないことにした。

 しかしともあれ二人のこのような大変な思いとひたむきの努力が実を結んで、多くのまちの人の理解者をえて、NPO法人の設立準備委員会を開く見透しがついた。
古町・新町・桜町・まちなみトラストの人たちに感謝。

 12月に入って5日に設立総会にための会議を開き、全体の概要を固めて、18日にNPO法人の設立総会を開き、多くの賛同のもとで無事成立する。
写真はそのときのもの。
後は県に申請をするのみとなる。



+ VELOTAXI奮闘記3

 2006.5.15

     

 NPOの設立が終わった後、資金調達の問題が最大の案件となる。
車両を何台買うか、買うとすればその資金をどこから調達するか。
運営資金を調達するためには広告主を募集せねばならない。
古町の界隈を走るために事務所をどこに構えるかも問題となる。
またVELOTAXIは地域密着型を志向し、観光客もさらにその射程に入れて、とにかくまちおこしに貢献するというのがスタンスである。
とすればまちのひとに知ってもらって利用してもらわねばならない。
地域の人にどのように知らせるか、この問題もクリアーさせねばならない。
さらにドライバーの確保と養成をしなくてはならない。
二人ではとても無理な話である。
とまあ、やることは山積みで、箇条書きにだしたものを眺めるだけで気が遠くなるほどの作業がまっていた。

 そのような作業を一つ一つクリアーさせていかなければならないとして、活動を開始。
資金調達のために企業回りを開始したが、海のものとも山のものとも思えないような印象からか返事はよくなく、失望感のみ残る。
熊本のある大手企業に紹介でいったものの、費用対効果から色よい返事なし。
資金集めの悪戦苦闘が始まる。
並行して補助金申請作業を行う。
約2ヶ月で600万円近くの補助金申請を行う。
果たしてどれくらいが認可してくれるやら。
会員獲得、会費集めに奔走する。
まちなみトラストから寄付が行われる。

 のようなときに、県のまちづくり団体に対して行われる「まちづくり夢大賞」コンテストが行われる話を聞き、彼らに伝えた。
昨年、学園大から大学部門にでて、「ファッション」を軸としたまちづくりで好評をえ、その後一年間組織化して上通商店街と協力しながらまちづくりの実践を行った実績があった。
そのようなことを彼らに話して参加を要請し、大学部門ではなく一般部門にVELOTAXIで参加することを決める。
最優秀賞には40万円ということで一同とても張り切る。
このころになるとVELOTAXIに興味を持つ学生が増え、メンバーは二人から五人に拡大。
彼らの昼夜を問わない準備の結果、当日の熊本市まちづくり課の応援演説をえて、さらに小出さんのおばあちゃんの演技もうまくできて、優秀賞の栄冠を勝ち取る。

 お金のない状況でとてもうれしい結果となる。
これでひょっとすれば中古を一台買える可能性がみえるようになる。
写真中央はそのときのもの。
開催場所は熊本学園大学721号教室。

 新聞にこの結果がのり、大学の広報誌「銀杏並木」も大きく扱ってくれる。
一同、涙が出るほど喜ぶ。
まちのひとも喜んでくれて、その日は大騒ぎ。
お金のない彼らを祝ってくれて、喜び溢れる一日であった。
学生たちはこれまでの苦労が一変に報われたと、涙を流して喜んだ。
ただ、まちづくり大賞の後の懇親会に出席しなかったことに対してちょっとした話が耳に入る。
会費制で、ちょうど彼らはこのためにお金を使い果たしていて、お金が無かったために参加できなかったのであって、そのあたりを理解してほしかった。

 もあれ、この結果によって、VELOTAXIは新幹線をにらんだ熊本駅ー古町・新町界隈ー熊本城・中心市街地を結ぶ「まちづくり」の一翼を担う具体性が高いということで、熊本市、熊本県からも高い評価をえる。
とくに大学生が地域のまちづくりに貢献するという点も高い評価となる。
熊本学園大学の宣伝効果に一役をかう。

 その後、会員獲得に奮闘。
事務所は人間都市研究所の隣のまちなみトラストが使っていた「泰泰」を事務所とすることで決定。
格安の家賃で決着。
VELOTAXIの駐車場はその駐車場に決定。
地域の人への情宣は、地域の社会福祉協議会や自治会の総会に出席して行い、地域の病院回りも検討する。
地域のまちの事情を知るために古町を徹底的に歩いて何がどこにあるかを確認し、地図に落とす作業をする。
「古町」なのに意外と古い歴史のある店や歴史的建造物が少ないことに驚く。
このような活動を行って少しづつ準備が進行していった。
相変わらず二人の寝食の時間を割いた行動が続く。



+ VELOTAXI顛末記4(水面下から浮上したブログ)

 2006.5.17

 

 ログの文字の小さい点については意見もあり、これを作っていただいた堤先生に最初のころのブログをみていただいたときに大きくした方がいいのではというアドバイスをもらったので、ちょっと前に立ち話で暇なときでいいですからといって文字の拡大をお願いをした。
 
 ところが、昨日ブログを開いたところすぐに対応されたようで、ブログの画面に大きな変化があった。
このブログは、堤先生に無理にお願いをしたので、体裁などは無視してよく簡素なものでいいですよといって作ってもらった。
だから当初はきわめて簡素なものであった。
商学部NEWSのように当初は日付のタイトルには色がついていなかった。
ところが文字を大きくするついでによくしていただいた。
緑色のタイトル日付けができていた。
その結果、少し見やすくなっていたことにまず驚いた。
またさらに全体のトーンが、商学部NEWSのように茶色であったものから、緑に変わった。
思わず違ったブログを開いたのではと思ってしまった。
またこれまでブログの一番上は学園大学の校舎の写真であったのが、このブログで使った「絵」に変わったていた。
これにも驚いた。
この挿絵はそっと使っていたゆえに「著作権の問題」が少し気になった。

 さらに決定的な驚きは商学部のNEWSにリンクしていただいたことである。
いままで陸の孤島の状態でブログは関係者だけに伝えて、関係者だけがみてくれた。
それはいわば水面下のネットワークだった。
それがリンクされることによって突然水面上に現れるネットワークに変質したことだった。
関係者だけがみるということで気楽な状態で書いていたものが、そのようには行かなくなった。
早速あわてて、日本語の表現のひどさや、ワープロ転換ミスなどを、気がつく限り発見して修正し、更新した。
さらにちょっとまずいと思われるところも変えた(それほどまずいというわけではないが)。
まだミスがありそうだけれども、気がついたときにお修正をするつもりである。

 今日、早速、ブログをみましたといわれて、公開しているにもかかわらず、恥ずかしい思いをした。
関係者のみの状態から不特定多数の状態になったとき、ちょっと予想とは違った状況におかれたので、恥ずかしい思いが先に立ったのだと思う。
不特定多数という状況におかれていることを念頭に置いて、これから書くことにしたい。

 て最近のVELOTAXIの情報から。
昨日VELOTAXIは11時から古町でのオープニングセレモニーを終えて一日走った。
案内の広告チラシを配りながら。
まさに走りながら事を進めていくという感じ。
泥縄状態。
金ー土曜日の世界女性スポーツ会議での試走、日曜日はドライバーの講習と熊本城周辺の坂をどの程度VELOTAXIが上れるかを検証し、月曜日は本格的な運行ということで、5日間自転車をこぎっぱなし。
予想とは違って思ったほど足腰に負担がきて、彼らに疲労がたまっている。
ゆえに、初日なのに肉体的精神的な疲労感が強く、終わったときには、うれしさよりも「つかれたー」という感じで、満足感は少なかった模様。
セレモニーについての写真を後日掲載。

 きょうは朝から雨。
前に書いたようにVELOTAXIは雨に弱い。
連絡はないけれどおそらく今日は運休でしょう。
最近研究室から事務所に移って、「ほうれんそう」(報告、連絡、相談)がとみになくて、進行状況がわからず。
逆に研究室が静かになったという点では、うれしく、これまでの状況とは違って研究室の環境が格段と良くなり、もとの静粛な状況になった。
彼らには悪いがすこし喜んでいる。
二人の諍いを目の前でみることもなくなったし、精神衛生上、とても良くなった。
落ち着いて仕事ができるようになった。
たまった仕事が少しずつ処理できるようになった。

 このくらいにして早くVELOTAXIの話をすすめていくことにする。
NPOの設立総会が12月16日に開催され、多くの参加がみられて成立したことはすでに書いた。
目的や定款・組織等についてはスムーズに議論されて進んでいったが、やはり財政的な面では心配な状況を鑑みて、果たして大丈夫かという、行く末を案じるような議論が出された。
多くの会員が現状では実現が難しいと判断していた。
それはその時点では正しい判断だった。
もっとも重要な財政基盤がきわめて弱かったからである。
意気込みのみ高かった。
理事会としては身の丈にあった事業をし、無理をしないということで了解を求めた。
今後、助成金と会員の費用によって無理をしないで運営を行うとし、財政的に無理をしない範囲内で事業をすることで合意し、会員に今後とも協力をお願いすることで終了した。

 NPOの総会と並行して、申請作業をしていたので年内に県庁に申請することができた。
何度も書き直しを繰り返しながら、県民パレアの人に指導をしていただいて、やっとのことで、12月22日に提出をした。
写真はそのときのものである。
順調にいけば翌年の3月頃に認可がおりるといわれる。
一同、えー3ヶ月もかかるのと絶句してしまう。



+ VELOTAXI顛末記5(危機的状況と災い転じて福となす)

 2006.5.17

       

 度末にNPO法人の申請も終わり、あとはとりあえず目標である「夢大賞」に向かって準備を進めるだけであった。
そしてすでに書いたようにそこで「優秀賞」を獲得して、あとはNPOの認可まちであった。
資金調達においてもNPOの認可は大きな条件であった。
認可されない状況では海のものとも山のものともわからない組織として、まず「信用」がえられなかった。
一応受け付けられていて、認可の裁定をまつだけですといっても、企業社会では必ずしも信じてもらえなかった。
厳しいといえば厳しい。

 助成金申請においても、3月までには間違いなく認可されますといわねばならないものもあり、いくつかの点で認可の遅れは資金調達問題で支障をきたした。

 でも、もともと財政状況が厳しいのは承知の上であり、ゆえにぼつぼつ始めようということで理事会サイドは一致していた。
2月から3月にかけて企業回りをして少しずつでもいいから資金を調達しようということや、顧客の獲得のために病院回りをする必要があり、そのためには誰にまずコンタクトをとった方が早く進むかなどの検討、学生は街を知るために歩こう、またこのまちの歴史を勉強しよう、さら
には学生組織を4月から作り上げていこうということなど、これらをぼつぼつ着実に準備をしていこうというのんびりとした状況にあった。
 
 そして助成金の認可が5月頃からだろうと想定し、結果次第でVELOTAXIを購入し、早くても6月から運行しようと目標を定めた。

 ころが、そこに降ってわいたような状況が生じて、一転して危機的な状況に追い込まれることになる。
それは3月中旬頃に古町の商店街の人から情報がもたらされた。
熊本市内のある事業家がVELOTAXIをしたいといって実行に移しはじめている、4月29日を目標にして行動していると。
寝耳に水で一同、大騒動となる。

 確認作業をして事実がしだいに明らかになっていった。
その事業家のブログによればすでに4年前から運行しようと思っていたらしく、どうも私がみるには採算面で躊躇していたのではないかと思われた。
その事業家は学園大が11月に試走会をしたので、おしりに火がつき、するつもりになったという。

 VELOTAXIはフランチャイズ制で、熊本の人口規模に合わせて5台がひとつの目安で、5台を一括して購入する形で契約をするとエリアのフランチャイズ権がえられる方式である。
その事業家の資金は業種からみて潤沢なようなので、ひょっとすればまるまる5台買われて、フランチャイズ権までも向こうに移ってしまうのではないかという、危機的な状況が発生した。
もしそうなればこれまでの努力が水の泡となる。
JAPAN本部に問い合わせたところ、そのような話はあるといわれ、本部としては早い者勝ちであるといわれる。
そこで急遽資金をどうするかということになり、新車1台が100万円と高価であるだけに、苦慮することになる。
5台のうち1台でも買うことができればフランチャイズ権の喪失は免れるということになり、学生のNPOであるから一挙に数台も購入できないので、まずは1台からはじめて、近いうちに数台に拡大するということで交渉を開始する。
とりあえず、1台(新車ではなく中古)からでもよいということになり、あとは資金の問題となる。
「夢大賞」の賞金や、まちなみトラストからの寄付など、資金集めに奔走し、学園大学からの広告費もきまり、何とか短期間のうちに対応ができて、4月の中旬に契約するところまでにこぎ着けることになる。
誰もが予想することのできない結果となった。

 4月15日、福岡経由で東京にいく。
草野、東両君と私の3名。
出発前にうまくいくことを願って乾杯。
ちょっと早すぎたかも。
乗り物に弱い草野君は到着後、ちょっと体調を崩す。
とりあえず品川のホテルに荷物を置くことにする。

 予定より時間を食って、4時30分に事務所ということであったが間に合いそうにないので急ぐ。
そして 4時45分頃、何とか代々木のVelotaxi Japanの本部に着く。

 ちょっと遅くなったけれど、森田氏が出迎えてくれる。
彼らはすでに会っており、私のみが初めて会う。
簡単な挨拶の後、早速、契約内容の説明に入る。
両者合意の上サインをして、契約終了。
写真はそのときのもの。

 うしてあっという間に車体を購入するところまでこぎ着けていったのである。
その結果、世界女性スポーツ会議が熊本であり、各国からお見えになるのでここで試走会をしてはいかがかという話まで飛び込んでくる。
また健軍商店街からもまちの活性化に協力していただけないかという話が、さらに光の森の方からも同じような話がきて、一度に忙しくなる。
またこれより前に熊本ファミリー銀行の商談会に出展の話がきていて、その時にVELOTAXIを展示して広告主を募集してはいかがかという話もあったが、その時点では購入の見込みがなかったので断った。
しかし購入可能ということで急遽展示する事に変更された。
事態はめまぐるしく変化し始めた。

 これまで新聞などで4月を目標に運行する予定ですと行ってきたが、すでに述べたように資金難から事実上無理で、6月に運行できれば上出来という状況であった。
それだけに運行のめどが一挙についたことは「奇跡」であった。
とりあえず5月12日の世界女性スポーツ会議のウェルカムストリートで初走行をする事を目標に動き始めることになる。

 契約後、入金をすませ、東京からVELOTAXIを運ぶ段階になって、そのコストの高さにアタマが痛くなる。
あれこれと安く配送できる方法を捜しているうちに、バイクの配送便がみつかる。
時間がややかかるという難点はあったが、安く、5月上旬には熊本に着くということでこれに決める。
あとは学園大学と広告契約をしたので、その車体シールの図案のツメをして印刷に回す作業、さらにシール貼りのノウハウがないので福岡のVELOTAXI関係に尋ね、アドバイスをもらい、さらに広告の取り方や扱い方を教えてもらって、何とかできる体制にまでもって行ったのが4月の下旬。

 到着を報道関係に連絡しようということになり、すでに書いたように、連休の前半でその作業。
大津までVELOTAXIはきて、熊本市内までは連休明けの8日になるということで、急遽こちらから取りにいくことになり、レンタカー手配と取りに行くのに手伝う学生を決める。
このように実にばたばたした事態が進行した。

 くして6月頃運行すればと思っていたことが、5月に実現して、会員の誰もが早急には無理であろうと思っていただけに信じられないといった表情をみせた。
一番驚いているのが彼ら二人、さらに私と冨士川さんであった。
世の中、わからないものである。
諦めないことを実感した次第。
そのすべてを彼らの熱意が動かしたといえばいいすぎであろうか。



+ VELOTAXI顛末記6(今日のVELOTAXIの状況)

 2006.5.18

       

 VELOTAXIはしばらく運休です。
雨が続くからというわけではありません。
たしかに雨には弱いので、雨が降れば運休です。
今日も朝から雨なので、本来ならば運休です。
しばらく運休ということは雨に関係なく運休なのです。
明日から土曜日にかけて、グランメッセで熊本ファミリー銀行の商談会、インフォネットが開かれます。
それに参加のため運休です。

 この話は「夢大賞」で優秀賞を勝ち取ったころに、話がありました。
熊本学園大学の展示ブースに加わって出してはどうかと。
新聞やテレビなどで熊本学園大学の大学院生によるVELOTAXIと報道されたり、書かれたりしていたので、これに出たらどうかという話でした。
  熊本ファミリー銀行に助成金を申請していたので、もし助成金が決まればインフォネットの会場で状呈式とVELOTAXIの宣伝と広告主を見つけることができるという一石三丁の可能性があるということで、その話に乗って参加ということになりました。

 そのときに熊本ファミリー銀行サイドから、効果が高いので実物を展示してはどうかという提案がありました。
その時点では、すでに書いてきたように、購入するめどが立っていませんでした。
購入する予定が立たないという返事をしたところ、よそから借りてきて展示したらどうかという提案がされました。
彼らはいま資金が少ないのでVELOTAXIを買うためにはそのような支出をすべきでないという考えと、長い目で見ていい印象を与えて広告の顧客をえるためには借りてくるべきだという意見に分かれたのですが、最終的には前者の考え方でまとまり、展示のみで参加するということ
になりました。

 ころが、すでに書いたように、ひょんなことでとんとん拍子に購入の目途が立ち、5月のはじめには熊本にもってくることができるようになった結果、会場にVELOTAXIを持ち込むことになりました。
そういうことで運休なのです。

 今日はその搬入日で、朝から大騒ぎをしながら(いつものことで何をするにしても大騒ぎなのです)、屋根とリフト付きのレンタカーを借りてグランメッセに持ち込んだのですが、私は講義と演習がありましたので立ち会いませんでした。
後で聞いた話ではちょっとした騒動があったそうです(まあ、これもいつものことですが)。

 運ぶに当たって、トラックに乗せてVELOTAXIを固定する段階で縄をかけるときに、車体のシールに傷が付くから毛布か何かをあてる必要があるのではと誰かがいったのですが、毛布をあてると縄でしめることが難しいし、大丈夫ですよといって、そのまま縄をかけて
いったとのこと。
その結果、車体のシールがはがれてしまって大騒ぎになり、その修復にずいぶん時間がかかったらしい。
さらに与えられた展示ブースの境界が明確でなかったことや、配線コードが設置されていなかったり、ついたても何もない状況だったので展示物を掛けたり貼ったりすることもできず、持ち込んだプロジェクターが作動になかったり、プレゼンテーション用のDVDが仕上がってい
なかったり、持ち込んだVELOTAXIを止めたままで乗せたときに動くので車止めが必要になったりと、スムーズに事が運ばなくて、ばたばたとかけずり回りながら展示作業をしたらしい。
ほんとうにいつものことながら、スマートに事がすすんだことがない。
また明日早く行って残りの作業をするということのようです。

 しかし、朗報は、このような作業をしている過程で、展示に参加している企業の人たちが興味を持って多く集まったとのこと。
熊本ファミリー銀行の今年の商談会の目玉になりそうな予感が準備段階でみられた。
明日からの展示会でいい結果が出そうな予感と手応えを彼らは感じています。
いい結果であることを祈っています。

 残念ながら、私は前回の世界女性スポーツ会議の時と同様に、明日は出講で長崎県立大学へ、あさっては研究会でともに熊本不在なので、 立ち会えません。
彼ら曰く、最近はいつも肝心なときにいないと。これまた怒られてばかり。
今週のVELOTAXIはそのような状況です。インフォメーションでした。

 ンフォメーションはそのくらいにして契約後のVELOTAXIの熊本上陸について少し述べることにします。
この前までは契約がすんだあたりまで書きました。
その後の話です。

 契約後にVELOTAXIをどのように運ぶかが問題になった。
陸送では20万円近くかかるという。
とてもそのような金額では資金面から行って無理なので別の方法を捜すことになった。
JRのコンテナで運ぶということがつぎに思いつき電話をする。
東京から運ぶので東京のJRに電話をしたところ10万円近くで運べるという。
それでそれに飛びついた。
しかし、具体的な話をしをはじめたところ、向こうは運ぶ荷物であるVELOTAXIのイメージがつかめず、一体どんなものを運んで欲しいといっ ているのか理解できない。
しだいに運ぶことができるというトーンが落ちて、運ぶのか運ばないのかはっきりしない返事となる。
さすがにこの対応に東さんは切れる。しばらくやりとりの結果、時間の無駄と判断し、諦める。

 途方に暮れているときにバイク便の話を聞きつける。
それで早速、電話をしたところJRよりさらに半額で運ぶことができることがわかり、それに決める。
東京のVelotaxi Japanと打ち合わせをして最終的に輸送の段取りがきまる。
ただこの難点は東京から直に熊本へ配送してくれないこと。
バイク便は各地域によりながら荷物を下ろして来るので若干日数がかかるとのこと。
まあ安いので我慢することにする。

 かしその後、問題が生じたのは熊本到着が5月2日で、しかもホンダのある大津町であるという。
熊本の指定した事務所には連休明けの8日だという連絡が入る。
これだとシール貼り作業や試運転などの準備で、12日の世界女性スポーツ会議の試走に間に合わない。
それで熊本着が早くならないかと交渉したところダメ。
ただし、大津で取りに来るのなら、2日に渡すことができるという。
仕方ないので大津町まで取りに行くことにする。

 取りに行くために屋根とリフト付きのレンタカーを借りて2日に行くことになった。
報道各社に12時に着くことを連絡して準備万端の状態で当日を迎えた。
ところが当日、早速トラブルが発生する。
どういう話になっていたのかわからないが、リフト付きでないレンタカーを予約してしまっていた。
報道関係との時間の関係もあり、見切り発車で、リフト付きでないトラックで大津にいく。
到着してVELOTAXIを積み込もうとしたときふたたびトラブル。
なんと屋根付きのトラックが少し小さすぎてVELOTAXIが入らない。
リフトがないので何人かで前後をもってもちあげるものの、屋根の部分が引っかかってうまく入らない。
仕方がないのでVELOTAXIの屋根についているVELOTAXIのマークをねじ回しではずしてなんとか入れる始末。
そのようなばたばたさわぎでやっとのこと熊本の古町の事務所まで運んだという。
これらはすべて彼らから聞いた話。
写真は着いたときにおろす作業をしているの時のもの。
広告のシールが貼られていないので、白い車体むき出しのVELOTAXI
屋根のVELOTAXIのマークがはずれている。