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創刊準備

200212

 

日本郭沫若研究会(設立準備委員会)事務局

福岡市中央区六本松4-2-1

九州大学教育研究センター武継平研究室会

(092)726-4651  E-mailyanzipin@rc.kyushu-u.ac.jp 

 

 

目  次

 

入会の呼びかけ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話の弾み―日本郭沫若研究会」の設立覚え書き・・・・

呼びかけ人のプロフィール ・・・・・・・・・・・・・・

    日本郭沫若研究会設立のよびかけ

 

    郭 沫若は中国現代の文学と史学の2分野で大きな足跡を残した詩人・作家・歴史学者である。日本の戦後の一時期、特に1960年代までは彼の文学は多くの読者 を持ち、その歴史学の業績はその分野の研究者の学習の対象であった。だが文革期に入り、彼の」「自己批判」が伝えられるに及び、わが国の郭沫若研究は次第 に衰退していった。その理由はさまざまであろうが、中国の政治社会における彼の選択が“潔癖”を重んずる日本人の感性に受け入れられなかった、という側面 を見逃すことはできまい。彼の文学や、彼の研究業績が問題とされたわけではなく、彼の「人間」的側面に不快感を持った人々が彼を研究対象としなくなった、 という点が大きいのである。文革が終わってすでに25年、21世紀を迎えたわが国の現在、郭沫若はほとんど顧みられることのない「忘れられた文学者、忘れ られた歴史学者」と化しつつあるようにみえる。

  だが、私たちは郭沫若の残した仕事にはまださまざまな研究の余地が残っていると考える。同様に彼の足跡にも日本人として多くの学ぶべき点が含まれていると 考える。彼は中国の現代文学者のうち、誰よりも長く日本に住み、日本人を妻とし、しかし日本を敵として戦ってきた人物である。彼の書き残した膨大な著作と 彼の生き方、考え方には、日中関係の将来像を描くとき、中国知識人を理解しようとするとき、多くの汲み取るべき知恵が含まれているであろう。だが私たちは それをまだ十分に研究し尽くしていない。私たちはこの忘れられようとしている文学者、歴史学者を、21世 紀を生きる日本人、および日本に暮らす中国人の視点であらためて見つめなおしたいと思う。彼を「偉大な文学者と歴史学者」に祭り上げるためではない。先人 の研究に学びながら、郭沫若の業績を今日の視点から再評価し、きちんと腑分けし、意味づけし、彼を歴史の中に正しく位置づけたいからである。

  以上のような考えから、私たちは「日本郭沫若研究会」を設立し、郭沫若を対象とした研究活動に取り組むこととした。趣旨にご賛同いただける方方にご入会をよびかける次第である。

                20021224

呼びかけ人

        岩 佐 昌 ワ (九州大学教授)

        武   継 平 (九州大学助教授)

        藤 田 梨 那 (国士舘大学助教授)

話の弾み

  

―「日本郭沫若研究会」の設立覚え書き

 

 20021120日から22日まで北京で「郭沫若與百年中国学術文化国際論壇」というシンポジュウムが開かれた。「国際」とはいうものの中国人研究者以外では日本5、韓国1、アメリカ1の計7人が参加したにすぎなかった。それも私の見るところでは郭沫若研究の専門家と言い得るのは日本の2人(武継平九大助教授と藤田梨那国士舘大助教授)だけだった。しかし国内の参加者はいずれも郭沫若研究に実績のある各方面の専門家で、発表はなかなか熱のこもったものだった。4日 間の会議日程には中国の学会の常で研究発表のほかに「郭沫若・于立群書法展」や郭沫若旧居の参観などが含まれており、私個人としてはそれはそれで楽しんだ が、こういう学会の一番の楽しみは、会場で旧知の誰彼に再会したり、その友人たちの紹介で新しい知人ができたりすることである。それが論文や著書で名前は 知っているがまだお目にかかったことのない人だったりするとよけい嬉しい。また中国の学会では、期間中は参加者が同じ宿舎で寝泊りするから、食事の際や食 後に自由な交流ができる。今回も同じで、何人か新しい友人ができた。そのうちの一人が藤田梨那さんだった。藤田さんは私の発表の後の休憩時間に、あなたの 発表は国文学の芭蕉研究の方法からヒントを得ているのではないか、と聞いてきた。これは私には思いがけない指摘で、私は即座に否定したものの、この人は比 較文学研究者なのかと思ったりした。藤田さんの発表は比較文学的な手法を使ったもので、私には大変ユニークな面白い研究に思えた。後で知ったことだが彼女は郭沫若にゆかりの人で、もともとは魯迅研究をやっていたのが、最近は郭沫若研究に本気で取り組み始めた研究者だった。

さ て、話が横道に逸れたが、この学会に国外の専門家として参加したもう一人が武継平助教授である。彼は私の同僚(だから新しい友人ではない)で、郭沫若を テーマとする研究で学位を取った。彼の発表は北伐時期の郭沫若の動向を『民国広州日報』という新聞を資料に細かく追っかけたもので、会場の注目を集めた。 この二人に、郭沫若研究は素人ながら、発表原稿のための準備で半玄人ぐらいにはなりかけていた私が加わり、何かの話の弾みで、帰国したら「日本郭沫若研究 会」を立ち上げよう、ということになった。いつその話が出たか、ということになると余りはっきりしない。はっきりしないのは酒を飲んでいたからだろう。と いうことになると、1121日 夜、郭沫若記念館が私たち外国からの参加者を招いて宴会を開いてくれたときである。どういう話の弾みからだったか、これがまた記憶にない。ただそういう話 になったのは、私がかねがね郭沫若の母校に職を奉ずる者として、本気で彼の研究をやってみたいと思っていたことと無関係ではない。まるっきりの思いつき、 という訳ではないのである。この数年九大には郭沫若・陶晶孫、郁達夫、馮乃超など創造社の作家を研究しようという院生が絶えない。そうした事情も、私が郭 沫若に本気で取り組もうという気になった理由でもあった。そうしたいろんな事情が作用して、私が「日本郭沫若研究会」をつくろうと言い出すきっかけになっ たのだと思う。

 以上、はなはだ心許ない話だが、この研究会結成の経緯を、覚え書き的に記した。

 

                   岩佐 昌ワ