「私の歴史と近況」
熊本学園大学 教授 井上勝子

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★[私の出身]



山梨県甲府市出身です。18歳まで甲府市に住んでいました。高校は甲府第一高等学校です。大学は東京教育大学(現在筑波大学)で、学部は体育学部です。研究室は体育心理学研究室でした。専門の競技はバレーボールで、もちろん関東リーグ1部でした。でもずっと2位をキープしていて残念ながら優勝したことはありませんでした体育学部にはスキー実習や水泳合宿などきついけれども、楽しいことがいっぱいあって素晴らしい青春時代を過ごしたと思っています。


★「職場」


はじめての職場は、山梨県立身延高等学校でしたが1年で退職し、結婚したので熊本に来ました。熊本でははじめ玉名女子高等学校に1年勤務し、その後熊本商科大学、短期大学に勤務することになりました。


★[大学での授業とダンス]


大学では、一般学生の体育実技と短期大学の中学校教員養成課程[保健体育]でダンスの授業を担当しました。ダンスを自分で踊ることは好きですが、授業で学生に教える創作ダンスはとても難しく、毎日教案を書いて悪戦苦闘しました。その後、ダンスの研修の必要を感じ御茶ノ水女子大学の文教育学部表現体育学科(現在舞踊教育学科)に内地留学しました。そこで大学の恩師であり、日本の舞踊教育の第一人者である松本千代栄先生の指導を再び受け、ダンス教育の重要さと面白さについて改めて学ぶことが出来ました。内地留学から帰学してそれまで大学の体育館で行っていたダンス発表会を外の劇場で行い、第1回目は、郵便貯金会館で短期大学の保健体育コースの学生を中心に、自らも舞台に立って学生と一緒に踊りました。第3回から舞踊家河野潤さんの協力を得る事ができ以来、20年間県立劇場で発表会を続けてきました。しかし大学の改変により短期大学がなくなり、生涯スポーツ専攻、保育科が廃止され発表会も続けることができなくなり本当に残念な思いでした。ダンス教育を通して多くの学生が表現力豊かに逞しく社会に出て行き、今もいろいろな所で活躍している事はたいへん嬉しいことです。





秋に想う(熊本県立劇場にて)



★[バレーボール]


大学に来てすぐ女子バレーボール部の監督に就任し、、部員と一緒に毎日練習に励み九州では長崎短期大学や福岡教育大学についで上位の成績をおさめるようになりました。その頃の厳しいワンマンレシーブは今でも卒業生の語りぐさになっています。その後九州大学バレーボール連盟は男女とも部制によるリーグ形式になり、熊本短期大学は、2部に位置することになってしまいました。短大である事や部員不足により2部と3部を行ったり来たりする状況がしばらく続きましたが、4年制大学になりスポーツ推薦制度もでき、平成13年春のリーグ戦ではやっと念願の1部にあがる事が出来ました。しかしスカウト合戦から頑張らなければならない1部残留はたいへん難しく、14年春のリーグ戦では最下位になりさらに入れ替え戦でも負けてしまいました。秋にはもう一度1部復帰を目指してなって頑張っています。





現在のバレー部です(西日本インカレ:広島にて)



★[幼稚園]


大学の中での授業以外の仕事は1984年熊本学園大学総合体育館館長を皮切りに熊本短期大学保育科科長、熊本短期大学付属敬愛幼稚園園長、学校法人熊本学園理事及び評議員と続きました。この頃はたいへん多忙でしたが、保育科の所属になり、幼児教育について本格的に勉強を始めていた私にとって敬愛幼稚園の仕事はたいへんやり甲斐があり、日本一素晴らしい幼稚園にいしたいと頑張っていました。しかし園の経営は悪化していて経営努力をしないと数年後には1億円 もの赤字がでてしまう状態でした。人件費の節減や園児を確保する新しい方針が必要で、余剰人員の削減、ひよこ組(3歳前の子どものクラス)の設定など改革を行い2年目には赤字をかなり解消することができました。これは、理事会の方針でもあり、一つ一つ理事会に諮りながら実行し、、新しい園舎が建つかもしれないという見通しまで持てるまでになりました。しかし、この時大学は大きな改変の時期にあり、社会福祉学部と外国語学部の申請に加え、短期大学保育科を短期大学部とし5学部体制に入る準備に取り掛かっており問題は山積いていました。様々な軋轢の中で園長を続けることが出来なくなり、自ら辞任しました。せめて3年保育の子ども達が卒園まで幼稚園にいて見守りたいという気持ちでいっぱいだったのですが、本当に残念な思いでした。毎年,赤やピンクのおしろい花が咲く季節になると色水を作って無邪気にあそんでいた敬愛幼稚園の子ども達を思い出してしまいます。





<敬愛幼稚園卒園式>




<敬愛幼稚園のおいもほり>



MSU Jan.-Aug. 1996


1996年1月から7月まで"Montana State University"へ交換教員として派遣され1セメスター日本語クラスを担当しました。日本語クラスはたいへん人気があり、25名の定員に30名ほどの学生が来ました。熊本学園大学の交換留学生や、語学学校に来ている日本人学生がクラスを手伝ってくれたので、本当に助かりました。学園大に交換教員で、来ていたRobert Smith, Jarn Hootonもクラスに参加してくれたり、Gerald Sullivan, Cliff Montagne, Richard Rocheの各先生方もホームパーテイに招待してくれたり、何かとお世話をして下さり感謝、感謝でした。また、日本語クラスに参加した学生3名がその後1年間本学に留学して来てくれた事も嬉しいことでした。広大なアメリカの自然に恵まれた美しい町、ボーズマンで暮らし、アメリカの大学で学生を教えることができ、本当に良い経験ができたと思っている。





MSU Japanese class




Cross Country Skiing on the MSU Campus



UCLA 2000-2001


2000年8月から2001年8月までUCLA (University of California at Los Angeles) の World Arts and Cultures Department に留学しました。研究テーマは 「Dance Therapy の理論と方法について」 であり、AMERICAN DANCE THERAPY ASSOCIATION の会長もつとめた事がある Irma Dosamantes Beaudry (Ph.D..T.R..,Professor) に師事して研究を行うことができた。 Los Angeles は日本人も多く暮らしやすく、いろいろなEvent がいっぱいあり、Dance の公演も毎週見ることが出来、本当に恵まれた1年間であった。イラン、インドパキスタン、フランス、韓国、ブラジル、アルゼンチ,イタリヤなど多くの国の人々と友達になる事が出来たことも素晴らしい経験であった。 UCLA の広い活気あるキャンパスが本当に懐かしく想い出されます。





Janss Steps lead up to the plaza where UCLA's four original
buildings are located. Royce Hall is the building with two
towers on the left in the picture.





UCLA Dance Class




Sitting in front of Royce Hall. This beautiful building is one of the
oldest and perhaps the most famous on the UCLA campus.