『時代思潮』
この雑誌は横井時雄と姉崎正治が明治三七年二月から三九年四月まで毎月一冊、二七号まで発行された総合雑誌であった。姉崎は仏教学者にして愛国者であったが横井はキリスト教の立場と仏教の立場の相乗効果において明治日本の言論の世界に新風を吹き込もうとした。横井に関しては三四歳から三六歳にかけての充実した頃の雑誌刊行であった。創刊号の序文は横井が書いているが、当時日本の「富国強兵」の理由、「教育学術」の目的、「文芸宗教」の理想の在り方を問いかける。時代は西洋化の進む日露戦争の頃にして日本人として流入する西洋の思想文明に対して取るべき日本の態度を問うのである。横井小楠の長男として、ジェーンズ先生の薫陶を受けた熊本洋学校の卒業生として、一時東京開成学校にいたものの同志社に学んだ者として、卒業後今治教会で六年間伝道生活を営んだ者として、そして後に同志社社長を務めた人物としてキリスト教的理想主義は身に付いたものであった。この立場から時代や社会に向かって発言することは自然のことであった。横井は姉崎と組んでこの『時代思潮』を発行する中で自らの主張を世に問うていったのであった。辻崎三郎()によればこの雑誌によって横井が発表した評論は<政治・国家論><戦争論><植民地経営論><国民精神・国民文化論>に分類され、深く政治の世界にコミットしていく。事実横井は衆議院議員に二度まで当選するがその後いわゆる日糖事件で失脚する。
この雑誌は壮年以後の横井の姿を伝えているものではあるが、キリスト教精神にもとづく彼の人格尊重にもとづく精神主義の傾向はこの雑誌においても、また彼の政治家としての姿勢の中にも貫かれている。
[参考文献]
辻橋三郎 「横井時雄と『時代思潮』―政治家横井のプロフィール―」、『熊本バンド研究』(みすず書房) 一九九七(新装版第一刷)