本論では、世界の政治経済力や文化力を占めている英国および米国に結びついているかぎり、今日の英語のグローバル役割は将来危険であることを議論する。国際語のままに残るため、英語はまず国Xまたは国Yの母国語であることよりも「非文化的」にならざるをえない。また、世界中のさまざまな文化的概念を表現できるように「多文化的」になる必要性もある。この二つの目的は、言語学者のあいだではインド、シンガポール、ナイジェリアなどの新Englishesの認識によってすでにある程度進んでいる。

しかしながら、英語は単一言語である特定の文化にかかわっているという一般概念は未だに教育や一般社会に続いている。世界のもっとも有力な国々が変わっても、英語が世界語として生き残るため、この実態は変わらざるをえない。特に、英語が外国語や第二言語として教えている教室だけではなく、母国語として扱う教室の中でも、寛容や多言語・文化への配慮も含むべきである。