姜信子さんからのお手紙


このお手紙は姜さんが、学生からの質問(ゲスト講義の際に配った紙に書いたもの)への返事として、わざわざ電子メールで送ってくださったものです。姜さん、ご丁寧に、ありがとうございました。

学生たちからもらった感想にも質問や問合せがありました。 それにもきちんと答えたいと思いますので、だいぶ長くなりますが、学生たちにお伝 えいただけますか。

まずは、皆さんが渡してくれた言葉の一つ一つが、語り手に対する励ましになるのだということを言い添えて、“わたしの話にさまざまなコメントや感想を寄せてくれて、ありがとう”と、学生たちにお伝えください。

それでは、いくつかの質問や印象的だった感想に対する私のコメントを記してみます。

@ 韓国文化情報・ソフトの入手方法

  • 「POP ASIA」という音楽雑誌があります。熊本でも紀伊国屋なら手に入ると思います。それを読めば、今の韓国の音楽状況はある程度つかめると思います。

  • CDは熊本のタワーレコードにもないこともないですが、非常に数が少ないのが難点です。今、日本で簡単に手に入るのはダンス系なら「CLONE(クローン)」、 アイドル系なら「S.E.S」、「Circle(サークル)」。あと、もう解散していましたが、韓国の大衆歌謡界に新しい時代を開いたとされている「Taiji B oys(テジボーイズ)」。彼らのCDはソニーの「キューン」というレーベルから日本でも発売されました。それと講義でも紹介した「リーチェ」。「リーチェ」の場 合は、東芝EMIから洋楽として出ています。それにしてもこれは、韓国のポップス の氷山の一角に過ぎません。

  • 映画についてはインターネット上の「アジア映画」のサイトに韓国映画の項目があ ります。興味のある向きは、

    http://www.infomatics.tuad.ac.jp/net-expo/asian-cinema/korea/ja/index.html

    にアクセスしてみてください。

A感想、質問に対する私のコメント

1.「『音楽は国境を越えると思います。リーチェも「売れる」ことを前提にしたから 英語で歌うことになったんだと思います。韓国じゃないけど、私は広東語で歌ってい る歌も結構きいているからです」

    確かに音楽は国境を越えます。しかし、それにはある条件が必要です。 言われるとおり、リーチェも「売れる」ことを前提に英語で歌うことになりました。 同じメロディを、同じ歌手が、韓国語で歌えば売れない。でも、英語なら売れる。そういうことです。韓国の匂いや響きを削ぎ落として、洋楽の香りを付ければ日本の音楽市場に受け入れられる。そのことの意味を考えていただければと思います。

    広東語の歌が今、なぜ、日本に入ってきているのか。それを考える上で重要なのは、アジアという大きな塊があるわけではなく、アジアにもさまざまな地域や文化があり、それに対して日本人が持つイメージや距離感も、それぞれに違うということです。広東語の歌が日本である程度のファンを持ちはじめたのは、1990年代に入ってからのことです。それは香港ノワールという映画のジャンル(いわゆる暗黒街モノ)が 日本で一定のファンを獲得したのと同時に起こった現象です。

    また、1997年問題をきっかけとした日本での数多くの香港報道が、香港をより身近 なものとしました。 さらにファンの数を増やしたのが、ウォン・カーワイ監督の「恋する惑星」の日本での大ヒットです。香港映画のトップスターたちは、ほとんどが人気歌手です。彼らの出演する映画は、彼らの歌のミュージックビデオの役割も果たし、私たちは広東語 の響きを耳にした時に、都会的で洗練された、アジアでありつつ欧米的な香港のイ メージを思い浮かべることができる。それが現在の日本人にとっての、香港と韓国の大きな違いです。

2.「韓国の生活で得たものは何ですか?」

    日本で生まれ育つなかで身につけた世界の見方とはまた別の見方があることを、生活の中で痛いほどに感じました。また、日本で生まれ育った私が、いかに狭い世界にいたのか、どれだけ外のこと(特にアジアのこと)を知らなかったのか、日本はアジアのなかでどれだけ孤立しているかということも知りました。自分を取り巻く世界に対 する見方が変わりました。

3.「在日韓国人として日本に住んでいて、今、幸せですか?」

    難しい問いです。確かに日本で生まれ育ち、日本を生活の場としながらも、国籍が違 うというただ一点をもって、社会においてさまざまな制約を受けるという現実はあります。(これは在日韓国人に限らず、日本で外国籍を持って生きるすべての人に共通する現実です)。そして、それは日本という国の作られ方、国民というものについての考え方に深く根差した問題でもあります。 ごくごく簡単に言えば、まず国というものがあって、国が決めた日本国民のあるべき姿、国民としてするべきことがあり、その枠の中で日本国民と呼ばれる人々は幸せな生活を作り上げていくという、そういう発想でこの国は作られてきました。となれば、日本的な発想で行けば、日本に暮らしながら日本国民でない人々は幸せな生活を作り上げる基盤を最初から与えられていないということになるでしょう。 でも、そういう発想を持たないとすれば?

    日本に暮らすひとりひとりの幸せな生活の追求が、逆に日本という国のあり方を決めるという発想を私たちは持つこともできます。国によって割り当てられ、保証される幸せではなく、自分たちの手で国の考え方とは違う幸せを創ってゆく、それがさまざまな人々が暮らす日本という国をより良いものに変えていく力になるのだという発想 もありうるわけです。日本も韓国もその点では同じなのですが、まず国家ありきで、 それから国民の役割が決められていくという近代化のプロセスをたどりました。何が 幸せなのかということも、国が国民に教えてきました。でも、そろそろ、何が幸せなのかという基準を私たちが自分自身の中にきちんともって、それを国に教えていくという逆の流れを作っていく必要があるのかもしれません。 日本人として日本に住んでいて、今、あなたは幸せですか?

4.「韓国人の対日感情は?」

    実際に植民地時代を経験した世代、独立後に激しい反日教育を受けた世代、海外にも 自由に出かけ、より多くの外の世界の情報を持っている若い世代、それぞれに日本に対する感情は違います。が、基本的には日本に対してはあまりいい印象は持ってはいないといえるでしょう。ただ、日本から学ぶべきものは学ぼう、取り入れるべき物は 取り入れようという前向きな姿勢はあります。現代の韓国人の心を最も傷付けるのは、“民族文化を奪おうとした日本”という植民地時代の記憶を思い起こさせるような、現代の日本人の韓国文化に対する関心と敬意の欠如です。それには過剰に反応し、反発します。その意味で、これは韓国人に対してのみ言えることではありませんが、異文化に対するリスペクトを失わずに付き合うという姿勢がもっとも大切なのだ と思います。

以上.

HOME