ルーブル合意(1987年2月22日)

1985年9月22日のプラザ合意でG5は高金利・ドル高から低金利・ドル安へ方針転換したが、その後の急激なドル安の進展により、その目標が十分達成された。これ以上のドル安は好ましくないとしてドル安誘導を打ち切ったのが1987年2月22日フランスのルーブル宮で取り決められたルーブル合意である。ルーブル合意以後は協調利下げの方針が変更。米国はドル安を防ぐために利上げを行い、黒字国には利下げを要求する形に変質。プラザ合意(Plaza Accord)とルーブル合意(Louvre Accord)はセットになっている。なお、当時のフランス大蔵省はルーブル宮の一遇にあった。


熊本学園大学公開講座 2003年11月12日(水)


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