江津湖の環境


江津湖について

・熊本市の南東部に位置する、加勢川の一部が拡大した河川膨張湖。
・長さ2.5km、周囲6km、水面の面積50ha、最深部2.6m、中洲も発達している。
・形はひょうたん形で、57号線の北側が上江津湖、南側がその3倍の面積を持つ下江津湖。
・湧水量は、6月が最も少なく、10月が最も多い。毎秒6〜10トン、加勢川水系の直接流域降水量の約4倍とされる。
・江津塘(えづども)は加藤清正公によって構築された。この堤防で、西南方面に流出していた豊富な湧水が堰きとめられ、かつての湖の面積より大幅に拡大され、現在の広さとなった。




特徴

都心部に近い場所に位置しながら、随所で豊かな湧水が見られる。
四季を通じて水温の変化が小さい
→湧水の多さから、年平均18℃前後を保っている場所が多いため。


地下水の水温は一定である

地下水の水温は、年間を通じて、ほぼその土地の平均気温に近い値を示します。それは地下水の入れ物である地層が、内部の温度を一定に保つ容器(恒温槽)の役目を果たしているからです。
江津湖には多くの動植物が生息する
→流水と止水をあわせもつと共に、湖底は岩、砂礫、泥と変化に富んだ環境であるため。




上江津湖について

下江津湖について




1.江津湖はどうやってできたの?
*縄文時代
江津湖はまだ湖とはなっていませんでした。もともと湧水の豊富な沼状の低湿地であったらしく、下江津湖北岸の健軍水源地、庄口川にそった上ノ原・健軍神社・鳥井原で、約3000年前とされる大きな集落遺跡が発掘され、湖岸の湧水が縄文人にも利用されていたことが知られています。特に上ノ原遺跡では炭化した米が発見され、日本の稲作文化のはじまりとして注目されています。
*弥生時代・古墳時代
約2300年前、水田稲作が日本に伝来して、弥生文化の時代となりました。熊本地方では、初期の稲作を身につけた人々が、託麻台地端の湧水地帯をいちはやく水田として利用するようになりました。後に、その遺跡は江津塘を築くことによって湖水面下に沈みましたが、江津湖の発掘調査や浚渫で、弥生時代初期の土器や石器が発見され、下江津湖湖底遺跡(苗代津遺跡)とよばれています。古墳時代の遺跡は、下江津湖の北岸の水源地から広木にかけて、周溝墓と呼ばれる墓が発見されています。
*奈良時代
江津湖の近くに、肥後の国の国府が置かれました。人々が、湧水または手掘りの井戸で得られる浅層地下水を利用していたためであると考えられています。
*江津塘の構築と江津湖の形成
江津塘は加藤清正によって造られたと言われています。この堤防によって、西南方向に流れていた湧き水は、堰きとめられて湖となりました。その後、たびたび堤防は損傷を受けましたが、人々の努力によって、今日のような姿をとどめています。
*現在の江津湖
今日、江津湖は市街地にあることから、市民の恰好の憩いの場、自然学習の場となっています。しかし、最近では江津湖の自然も大きく変貌し、昔日の面影は急速に失われつつあります。熊本市が、将来も緑と水にかがやく環境保全都市でいられるかどうかは、江津湖が守れるかどうかにかかっているといっても過言ではないでしょう。




2.名前の由来 ―江津(えづ)―
画図とも書き、上江津湖の西側を指します。国府から有明海への交通には加勢川が利用され、この地に津が設けられていたことが地名の起源といわれています。


3.水の民間信仰 ―水をつかさどる神々を祀るー
日本人は古くから水源地や川をつかさどる神々を信仰してきました。水神は、今も川や井戸、湧水地に祀られています。
熊本市では、西山の麓の湧水地や江津湖畔に多く祀られています。江津湖畔にある上無田の水神は、黄金桧に祀られ、しめ縄が張られています。下無田町大江の水神は加勢川沿いの松の木に祀られています。



4.加藤清正によって開発された人工の地下水流

熊本市周辺には、水前寺・江津湖・浮島などの湧泉が数多く点在しています。驚くことに、この地下の水源は、加藤清正によって開田された、市より遠く離れた白川中流域(大津町・菊陽町)にある約1500ヘクタールの水田です。地下水100%でまかなわれている熊本の飲料・生活用水は、そこから浸透してきている水であることがわかってきました。

これらの水田は、ザルのように水が漏りやすいためにザル田と呼ばれ、大量の地下水を下流に送り出しています。その水が、熊本市周辺の一大湧水地帯の源となっているのです。さらに、水田の土壌を通過する過程で、水質がとてもきれいになります。自然と人々とが作り上げた素晴らしい浄化施設と言えます。

もし中流域のザル田がつくられなかったとしても、ある程度の地下水バイパスの流れができたであろうとは考えられます。しかし、それはあくまでも、調査・研究が進んだ現在だからこそいえることです。加藤清正が事前に地下水バイパスが生まれることを計算して中流域の開田を行っていたとは思えません。ザル田が作られたことで、偶然に地下水バイパスができた可能性が高いでしょう。

 それを裏付ける次のような言い伝えがあります。もともと江津湖の一帯には湖はありませんでした。湿地に過ぎなかったのです。ただ、この湿地には水が溜まることが多く、農民たちは田んぼ作業のために、舟を使わないといけないこともあったということです。この言い伝えは、地下水バイパスができたことで、江津湖周辺の湿地帯の湧水量が増えてしまったとみることもできるでしょう。

ところが今から400年前の慶長(1596〜1615)年間に、この湿地帯に加藤清正が堤防を作りました。軍用のための新田開発と、洪水を防ぐためです。この堤防は江津塘(えづども)と呼ばれ、延長12キロもの長さにわたって、営々と築かれました。また、加勢川に流れ込んでいた御船川を、緑川に注ぎ替える工事も行いました。これによって、今の江津湖の形が整えられたというわけです。

熊本市の水環境は、自然の力だけで出来たのではありません。清正公と農民の多くの努力の賜(たまもの)として、今、熊本市に暮らしている私たちは、清らかで豊かな生活用水を使うことが出来るのです。つまり、熊本市の水環境と、そして江津湖の存在自体が、水田や川や湧水の持つ様々な仕組みをとても上手に生かすことで得られた、「自然と人間の共生のシステム」なのです。



5.熊本水遺産

[水循環・水道]
―熊本地域の水循環系―

【登録理由】
熊本の土壌は、気の遠くなるような長い年月にわたる阿蘇の噴火活動で出来ました。火山性の土は、地下水の養成にはもってこいです。また、加藤清正公や農民などの努力によって、白川に井堰をつくり、多くの水田(ザル田など)を拓いたことで、沢山の水が地面に吸い込まれます。自然と人間の共生システムによって、独特の熊本地域の水循環系が生まれました。それは今にいたるまで、市民の暮らしを支えているのです。


[場所]熊本市含む熊本地域

―健軍水源地―
 


【登録理由】
熊本市は、現在1日に平均23万m3の水道水を供給していて、このうちのおよそ4分の1にあたる6万m3を健軍水源地で賄っています。この配水池は、水使用が集中する時間帯でも水の出が悪くならないように、常に多量の水を蓄えています。
[場所]熊本市水源1丁目1番1号

[湧水・川等]
―江津湖―
                                        【登録理由】
江津湖は、熊本市で一番大きな湖です。毎日、約40万立方メートルもの水がこんこんと湧き出しています。そこに息づいている動植物も、約600種類を数えます。環境省の「日本の重要湿地」にも選ばれました。熊本市の環境のシンボル的な存在で、自然と人間の共生する場所です。ただ、湧水量が減少しつつあり、江津湖を守っていくことは熊本市に暮らすみんなで考えていかなければならない課題です。


6.〜問題点〜


ウォーターレタス
江津湖では、ウォーターレタス(正式名称ボタン浮き草)という水草が湖面いっぱいに異常繁殖したため、江津湖を守るために、多くの人たちによってそれを取り除く作業が行われました。

―ウォーターレタスについてー
・レタスの仲間ではない。サトイモ科。花は地味。アフリカや南米に多い、熱帯地方原産。観賞用植物。沖縄→熊本→お店で販売→江津湖に繁殖。
・食べても害ではないが美味しくはない。


―ウォーターレタスの異常繁殖の原因―
・ウォーターレタスの栄養となるリン・窒素などを含む家庭排水が江津湖に流れ込むため。
・観賞用として育てていたウォーターレタスを、増大・増殖したという理由で用水路や湖に棄てる人がいるため


―なぜ、ウォーターレタスを除去するのか―
湖面いっぱいにウォーターレタスが広がる→水中に光が届かない→酸素も行き届かない→水中植物は光合成ができない→水中植物が枯れる→水中の酸素を吸って、植物を餌としている魚などの生き物は死んでしまう→江津湖の生態系が壊れてしまうかもしれない。
一度、生態系が壊れてしまうと、もとどおりにするには何十年もの月日がいる。




江津湖の在来種を守ろう!

釣った外来魚は持ち帰り加熱調理又は処分するか、宮本ボートに届けてもらうようにお願いしている看板がいくつか見受けられます。ブラックバス・ブルーギル等(外来魚)のキャッチ&リリース(採捕し、再び放流すること)は違法ではありませんが、江津湖の在来種を保護するために、このような協力を求めているのです。
熊本県内水面漁協調整規則では、ブラックバス・ブルーギルの移植(密放流)を禁止しています。





7.国指定天然記念物「スイゼンジノリ」

・大正13年、国の天然記念物に指定されたスイゼンジノリは、水の流れがゆるやかな清流しか生育できない。その当時、上江津湖全域にわたって自生していたといわれる。現在は保存区に細々と生育しているに過ぎない。



8.上江津湖のスイゼンジもやし

水前寺の町にちなんだスイゼンジもやしは、上江津湖一帯の豊富な湧水の常温水(18〜19℃)を利用して栽培され、正月用の雑煮などに欠かせない「長寿もやし」として知られている。
江戸時代から盛んに栽培されていたが、現在は、上江津湖の野鳥の森と芭蕉林の2ヵ所の湧水地で栽培している。
スイゼンジもやしの栽培は、まず湧水の砂泥地に床づくりをして秋大豆の種をまき、「むしろ」と「わら」で覆う。 3〜4日程で芽を出し、約2週間で真っ白な茎に黄色の子葉をつけて、長さ30センチから40センチのもやしに成長する。
 手のひら一杯約100グラムのスイゼンジもやしの成分要素としてビタミンC30ミリグラム、タンパク質3グラム、ビタミンB1が0.20ミリグラム含まれている。


スイゼンジもやし


―成分―

1.もやしは芽の意味を表す。
2.アミノ酸を含み、食物繊維で湧水から十分なカルシウムを補給している。
3.また、成分的にはマグネシウムや特に大豆の成分の30%がビタミンCである。


―効果―

1.血圧が下がる。
2.コレステロールが減る。


―生育条件―

1.根が先端まで白く、みずみずしく生育させるため、日光があたらないことが大事であるが、「わら」に陽があたり、乾燥させることによって根が真っすぐに伸びるようにすることも大切である。
2.発芽の際、もやしは約60℃の熱を出すが、その熱を保温することによって生育を早める。
3.伸び方を高めさせるため、豆に十分水分を与える。
4.みずみずしさを保つため清潔であること(水と環境)。
5.水量にあわせて床の高さを決めるが、適度の“水ハケ”と覆った「わら」等の乾燥のため日光が当たる場所であること。




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