1998年度の「比較文化論」の評価・感想

 授業時間が後10分しかない段階で、「授業に関する感想、特に良かった点や悪かった点を紙に書いて、匿名の形で帰るときに出してください」とお願いしました。ばたばたしていて、30枚程度しかもらえなかったが、ここでその主な内容を整理して紹介しています。慌ただしい情況のなかでわざわざ急いで書いてもらったものなので、授業に興味を持たなかった人の意見はあまり出ていないのではないかと思います。それでも、問題提起もあって、私にとって参考になりました。皆さん、ご協力ありがとうございました。

 それぞれの項目のはじめに、もらった感想に対する私のコメントなどを書いています。「なるほど」と思う意見がほとんどですが、反論・弁解しているところもあります。学生からの感想を引用符で囲んでいますが、必ずしも文字通りの引用ではなく、私なりに要約している場合もあります。

 なお、ホームページにこの感想を掲載する主な理由は、1999年以降、受講しようかと考える人の参考になるのではないかと思うからです。「自画自賛」と受け取られても仕方がない面もありますし、私自身が照れ臭いと感じる部分もありますが、「どんな授業か」を知る上で役に立つだろうと思い、あえて掲載することにしました。

  • 内容の面白さ・有益さ

     下記のコメントを読んで非常にうれしく思いました。それは受講生が「面白い」と評価してくれたからというよりも、講義で私が伝えようとしていることがかなり理解されたと思ったからです。

    • 「私はこの講義を受ける前は、おそらく日本とアメリカを比較するものだと思っていた。が、全て受け終わって、よく思い返してみると、何か人間が仲良く生きていく為に必要な、基本的な事を学んだという気がする。」
    • 「比較だけではなかった。こころに残る授業だった。」
    • 「日米で違うところを上げていくだけでなく、共通している部分などもたくさんあることに気付くことができた。」
    • 「どんな姿勢で異文化と接していくべきか . . . すごく勉強になった」
    • 「物事にはいろいろな視点から見ることができるものが多い、又、そうしなければならない時があるということを知った。」
    • 差別に胸が痛くなった。考えさせられた。
    • 「この授業は履修する時、シラバスを見てむずかしい授業たと思って、迷ったが、高校の時アメリカに行って、アメリカにとても興味を持っていたので、とても楽しみにしていた。授業の内容は期待どおりで、おもしろかったし、考えさせられることも多かった。」
    • 「大学に入って初めて、興味をもって休みたくないと思える授業だった。」
    • 「後期だけの授業はみじかいと感じるくらい知りたいことや考えたいことが増えた。」

  • わりやすさ

     わかりやすい授業を目指していますので、「わかりやすい」との評価が多く、ほっとしました。しかし、難解なところもあったようなので、今年は講義内容を更に整理して、一層わかりやすく説明できるようにしたいと思います。また、OHPのスライドの内容をホームページに載せて、講義中にノートに書き写すことに神経質にならなくてもいいようにもしたいと考えています。授業でOHPの内容を全部写す必要がなく、要点だけでいいと説明していますが、やはり写したくなる気持ちも理解できますので、「講義ノート」の充実に務めたい思います。

    • 「細かい説明があってわかりやすかった」
    • 「OHPを使っての講義はとてもわかりやすかった。」
    • 「OHP に書かれている事が少なくて、先生の話をきちんと聞いてないと理解が難しいと思う。遅れてきた人なんかはとくにそうだと思う。」
    • 「たまにOHPの進むペースが速くて、ノートに書き写すことができなかった」
    • 「他にはもっと深く追究しても良いのではないかと思う内容もあった。」
    • 「わかりにくい部分があった」

  • ビデオの質

     ほぼ毎回、授業と関連のある短いビデオ(5分から20分程度)を見せることにしています。それには三つの理由があります。1つ目は90分間集中し続けることがむずかしいが、ビデオで気分転換すれば、新たな気持ちで授業を続けることができるからです。2つ目は、「いいビデオ」が多いからです。授業で取り上げている社会問題や時事問題を非常に要領よく紹介しているニュース番組の特集などが多いので、私が口頭で説明するよりも、皆さんにその特集などを見てもらってからコメントした方が効果的だからです。3つ目は、外国の文化などをゆがんだ形で紹介する報道が残念ながらたくさんあるので、メディアを分析しながら見ることができるようになってほしいと考えているからです。ビデオを鵜呑みにするのではなく、授業を通してメディアの在り方について考えてほしいと思っています。ビデオの利用について次のコメントがありました。

    • 「ちょっと聞くのがつかれた時に、ビデオを見るので受けやすかった。」
    • 「ビデオなどでリフレッシュできて、集中することにつながった。
    • 「ビデオとヒデオに関するコメントは良かった。」
    • 「いつも楽しみに授業を受けに来た。ビデオは特によかった。」

  • 私語など

     私の授業には私語はまずありません。それにはいくつかの理由があります。まず、私語を無視して講義を続けることはしません。私は私語が迷惑だと思っている大多数の受講者を代弁して、かならずだれがしゃべっているかを探しだして皆の前で注意します。また、授業を聞きたくない人が多ければ多いほど私語が起こりますので、出席を重視せず、授業の途中でも静かに出入りする学生を注意しません。次のコメントはそのやり方のメリットとデメリットを示していると思います。

    • 「私語がなく、静かな中で授業が受けられてよかった。」(二人)
    • 「遅刻をあまりみとめてほしくない。集中して講義がきけない。」

    「遅刻者対策」は極端な管理型授業にしない限り、むずかしいのではないかと思います。受講者の良心に訴えるしかないでしょう。

  • 受講者とのコミュニケーション

     第1回目の授業で説明するように、一方通行の授業にせず、受講者にとって充実した授業にするために、受講者とのコミュニケーションが欠かせないと考えています。一番いいのは、授業中に質問や反論を受けることだと思っていますので、毎回授業の途中に「質問はありませんか?」などと訪ねます。去年は一回も挙手して質問する人がいなかったことについて、こんな感想がありました。

    • 「授業に対する意見を求めて、異論・反論を聞こうとしているが、誰も手を上げて意見を述べようとしない。それでもあえて聞くのはなぜかがわからない。. . . 正解は一つと教えられてきている。」

    「あえて聞く」理由の一つは、実際に質問したりする人が過去にいたからです。もう一つは、「質問しないのが当たり前」という雰囲気を認めたくないからです。反論・意見を求めるのは正に「正解は一つ」とは思っていなく、皆さんと議論することを通じて私自身も認識を深めていきたいからです。

     ちなみに、なかなか挙手して質問したり意見を述べたりする受講者が少ないので、出席カードを配って、その裏に意見や質問を書いてもらいます。さらに、できるなら今年からこのホームページをinteractiveなものにして、ホームページ上の議論などに皆さんに参加してもらえるようにしたい。

  • ゲスト講義

     去年、熊本在住の姜信子さんにゲスト講義をしていただきました。(その講義の内容などに関する要約を読むにはここにクリックしてください。)姜さんはテキストの一つである『ごく普通の在日韓国人』の著者です。姜さんの講義は非常に好評でしたので、できることなら今年も来ていただきたいと考えています。

    • 「姜信子さんの話を聞けてとてもよかった」
    • 「ゲスト講義はいいことだなと思った。やはり専門かの一言は説得力がある。」

  • 差別

     「異文化理解」を考えるネタとして「異文化不理解」、つまり差別や文化的な摩擦・誤解を多く取り上げることにしています。そのような事実を直視したくない人は必ずいます。考えすぎ」という批判は残念ながら毎年受けますが、それはむしろ本人が差別について考えたくないことを物語っている場合が多いと思います。しかし、同時に納得してもらえなかったということは私の力不足の結果でもあります。より多くの人に納得してもらえるように頑張ります。そのかわりに「考えすぎ」という漠然とした批判だけはやめていただきたい。「筋が通らない」とか「説得力がない」「説明不足」などのような批判は良いが、差別を「考えすぎ」という反射的な表現で片付けようとする行為は自分がいかに考えていないことを露にしているでけではないでしょうか。

    • 「ときどき授業の内容が重くて辛かった。差別をよく取り上げているが、考えすぎだと思う時があった。」
    • 「チビクロサンボなどですごく否定的だったが、反対によい点などを持った本などもいろいろとこまかく授業で見ていきたい」

    二人目の人のコメントには一理あると思います。肯定的なネタを増やしたいと思います。

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