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2026.07.26
高の面白い話(47)

 7月17日(金)の夜、私は蘇州から緑皮車(昔ながらの長距離普通列車。走行スピードによると、鈍行:緑;Z:白色直達特急;K:赤色、快速列車がある)に乗りまして、約1400キロ離れた山西省大同市まで、20時間をかけて行きました。
 夏休みで子供たちは、それぞれ主人の実家と私の実家に行きました。主人は残業や接待で相変わらず忙しいです。私にとって、長い間待っていた自由な時間が来ました。普段は朝食作り、出社、退社、夕食作り、洗濯、掃除、子供の世話といった規則な生活リズムで過ごしていますが、子供がそばにいないと、家はきれいなままで、食事も簡単に済ませられます。ベトナムへの出張と足指のけがのため、暫く続いていたスケート、水泳とギターも全部中断してしまいました。急にできた空白の時間を埋める意義のあることが見つからなくなり、暇ですが疲れやすく感じます。言い訳をして家事を先延ばしてし、ベッドに横になって抖音(TikTok)のショート動画を見たり、淘宝(タオバオ)のライブショッピングを見たりしました。時間を忘れて過ごしますが、後から空虚な気持ちを感じます。普段、生活における良いスケジュールが立てなくて、確固たる趣味も持てない、外部からの制約がないため、あれこれ手を出しても物事を持続的に取り組むことが難しいと感じます。

 最近、私は映画を2本見に行きました。一つは「功夫女足」で、もう一つは「八仙」です。80年代生まれの中国人にとって、周星馳(チャウシンチー)は青春を代表する存在であり、ぜひ応援したいと思い、上映2日目に鑑賞に行きました。もう一方、「八仙」の映画は、私の故郷の煙台と縁の深い”八仙過海”の伝説と関係がある作品です。二つの映画は、現代の実写映画と古代アニメ映画で作風が全く異なりますが、どれも、ストーリーも映像特技も非常に素晴らしいです。そして、どちらも、困難に立ち向かう奮闘、諦めない精神、団結して困難を克服できる大切さを伝えており、ポジティブなメッセージが心に響きました。特に、作品が固定観念を打ち破り、想像力にあふれているところに心を打たれました。改めて自分を振り返ると、仕事と家庭の日々の繰り返しに閉じ込められ、思考が硬くなりつつで、脳も体も活力を欠けているように感じます。

 映画に善人と悪人がいるように、私の意識の中に時間の過ごし方を”価値がある”と”無駄”に分けています。平日の夜の細切れの時間はともかく、丸一日の休日時間をどう過ごせば有意義になるのか、色々考えたました。考えれば考えるほど、旅行に行きたい気持ちが強くなりました。
 最近、抖音アプリで旅行関係のショートビデオを検索してから、アプリを開くたびに観光関連内容が続々推薦されてくれます。見ようと思えばきりがなく、どれだけ下にスクロールし続けても、目を引く新しいコンテンツが出てきます。近年、中国の国内観光が急発展しています。どんな景色をみたいか、どのような体験をしたいか、予算をいくらにするかなど、本人の気分次第で沢山の選択肢があります。目的地が定まらず、できるだけ費用を抑えながら最高の体験を得たい私にとっては、非常に迷いました。
 旅行先について、いくつか場所を考えましたが、近くの観光地では満足できません。とにかく遠くへ行きたいです。旅行先の選択以外に、交通手段にも迷います。観光シーズンとオフシーズンで飛行機代が大きく変わります。往復1000元以内の安いチケットもたくさんあります。海南、三亜、潮汕、厦門など、昔から行きたかった場所を、今回は行きたいと思いませんでした。なんとなく、異なる文化がたくさんある場所に行きたいです。

 7月16日(木)の夜、たまたまアプリから大同市(だいどうし)の旅行動画が推されてきて、市長の施策によって街が急速に発展し、観光地としての知名度も大きく高まった”大同”のことを興味を持ち始めました。大同という土地は小中学校の教科書に登場したことがあります。大同は農牧境界地帯に位置し、千年にわたって中原の農耕文明と北方遊牧民族が衝突し、融合してきた場所らしいです。漢民族は当地に根ついていますが、拓跋鮮卑、契丹、女真、モンゴル、匈奴、突厥など歴史上各遊牧民族とも深い繋がりがあります。大同の古称は平城で、北魏の都城であり、世界的に有名な雲崗石窟があり、石炭産業が盛んな都市です。大同を訪ねることは私にとって、遼、金時代の歴史文化を肌で感じられる点以外に、緑皮車に乗れる点も大きな魅力です。
 学生夏休みの時期は長距離列車の切符がすぐ売り切れることを存じます。私が翌日の夜に出発したい一心で、早速に乗車入場券を購入しました。車内で乗り越し清算できますので、20時間立ったまま移動する覚悟をしました。同時に、試してみようという気持ちを持って、複数のアプリで検索したり、有料で“抢票”(チケット争奪サービス)を利用したりしましたが、”硬座”(座席)、”硬卧”(硬い寝台:下段/中段/上段がある)、”軟卧”(特別寝台:下段/上段がある)、どれも完売していました。
 出発当日の7月17日(金)は顧客訪問と現場サンプル試作などでおお忙しいです。仕事が全て終了後、一度家に戻ってパソコンを置き、身分証明書と着替え服一式を持って駅へ向かいました。駅の小売り店で水とインスタントラーメンを買う時、18元の馬扎(折りたたみ椅子)を見かけて、ついでに購入しました。

 私は緑皮車の長旅が好きです。私にとって一番良い時間帯は夜に出発し、翌朝早く到着する便です。運賃はそれほど高くない上、一晩の宿泊費を節約できます。それに、緑皮車の中は安全で安心です。車内では温かい出会いや、新鮮な出来事にたくさん巡りあえます。昨年と一昨年の夏休みに、私は緑皮車でいくつもの都市へ旅に出ました。今年の学生夏休みでは、大同が旅の一個目の目的地となります。
 緑皮車によく乗っているので、私も多くの経験を積みました。最初の数駅の切符しか購入できなかったため、指定車両から乗車する必要はありません。早速に”餐車”(食堂車両)へ向かって席を確保することが一番です。当然、もし餐車がなければ、人が少ない場所を探して床に座るしかありません。
 今回の列車に、餐車があります。しかも、広くてきれいです。私が餐車に入る時、乗客はそれほど多くありませんでした。スタッフが私が乗り込んだのを見て、食事しますかと尋ねてきました。私は「大同まで座らせてもらえますか?席さえ確保できれば、終点までここで食べて過ごしたいです」と答えました。するとスタッフは餐車の中で泊するセットメニューを紹介してくれました。

 当日の夕食、夜食、翌日の朝食と昼食の4食セットで約150元を購入すれば、終点まで餐車の席を利用できると案内されました。私にとって、夜の過ごし方を最優先に確保しなければならないです。少なくとも翌朝までここに座わる必要があります。夜間は寝台券の空き枠が基本的に放出されません。ここに座っているのは、きっと普通座席より快適です。翌朝以降に寝台に空きが出る可能性を考え、車内スタッフと相談した上で、三食分を購入することにしました。計108元で三食を買えば、翌日の昼まで席を利用できます。もしそのまま乗り続ける必要があれば、さらに昼食を追加購入することで終点まで過ごせます。もし寝台券の空きが出たら、乗車券を変更して寝台へ移ることも可能です。こうすることで、自分に選択の余地があります。
寝台は眠るには快適だと思いますが、目覚めた後座たり寝たり過ごすにはあまり心地よくありません。しかし、餐車は違います。一つのテーブルに四人が囲んで座れます。皆積極的に会話を交わす傾向があり、出会う見知らぬ人たちとの何気ない会話から、世の中の様々な姿を見つめ、視野を広げます。今回の旅でも、一節の餐車で心温まる出会いがたくさんありました。

 車に乗ってから、隣に座っているおじさんが親切に話しかけてきました。私が明るい様子でスタッフと相談しているのを見たので、彼は私が学校の先生かどうか聞きました。私は、多くの方に先生だと思われていますが、実は違うと言いました。彼が若い頃はプロジェクトマネジメントの仕事をしていたそうです。定年退職したため、上海で住む息子一家に会いに行って、孫を連れて船や高速列車に乗せ、早い段階から様々な新しい体験をさせているそうです。また息子や孫に生活費を渡すこともよくあるとのことでした。私が乗車した当初、スタッフはこのおじさんが無錫駅で下車後、私が彼の席に座るように案内しました。実際に、他にも空席はありましたが、後から乗車する人に臨機応変に対応するため、空き席を集中に確保しておいたのだと思います。おじさんが降車する際は親切に席を譲ってくれたが、新しい乗客が続々乗り込んだため、席は再び割り振られました。
 私は一人なので、どこに座っても構いません。スタッフは複数人の乗客の席をまとめて手配する必要があり、席の調整以外にも車内の秩序維持、餐車の接客、ゴミ回収、乗客の問い合わせ対応など、長時間立ちっぱなしで仕事をこなしています。餐車の利用方法について、私みたい席を確保するためにここで食べる客以外に、席がある乗客が食事の時間に餐車に来ることがあり、席に座ったままQRコードで注文し、スタッフが料理を届けるスタイルもあります。後者二つのケースの乗客は、ほとんど単品で注文しています。

 その頃、食事を求める乗客で賑わい始め、スタッフが次々と皆に料理を提供くれました。私はセットメニューで、鶏もも肉、二種類の小皿惣菜とご飯が付いており、味も悪くなくお腹いっぱいになりました。単品注文の乗客は出来立ての炒め物を頼むことが多く、器も異なっています。また、家族や友人一連がお酒を注文する人も多く、車内は穏やかで温かい雰囲気に包まれていました。食事が済むと、スタッフがテーブルをきれいに片付けてくれます。

 席を移ってから、隣に座ったのは上海浦東で働く若い女性で、常州に行って友達と合流してから青島へ旅行に行く予定です。彼女のカバンに付いた”拼豆”(アイロンビーズ)がきっかけで、最近アイロンビーズが若い者の中で大変人気であることや、青島の観光スポットについて話し合いました。私が一人旅だと聞いて、彼女は私を感心していました。「私は一人で出かける勇気がなく、旅行には必ず同行者を探す」と言ってくれました。私はもう一人旅に慣れています。同年代は殆ど子供がいるため、お互いの予定と育児の都合を一致するのが難しいのです。友人は言うまでもなく、夫婦でさえ予定を合わせるのは簡単ではありません。一人旅であれば時間、費用、旅の内容がすべて自由で、現在は旅行環境も安全で、色々な理由があります。向かいのおじいさんがずっと私たちの会話を聞きながら見ていました。

 若い女の子が下車してから、私の隣には新しい乗客が来ませんでした。向かいのおじいさんがずっと優しく私を見ていました。話しかけたいお様子です。彼も元の席から移動させられて、座席を変ってもスタッフからもらった空の紙コップをずっと握っていました。実は以前から、おじいさんが持っている紙コップが気になっていました。今回通路側に座っていたので、お湯が欲しいか尋ねてみました。おじいさんは欲しいと答えたので、私が別の車両に行ってお湯を汲んできて渡しました。おじいさんは身だしなみが整っており、私は自分の姥爺(祖父、母の父)のことを思い出しました。
 私はおじいさんの行き先を聞いてみました。南京まで行くとお話し、一人で上海へ遊びに行きました。駅には出迎える人がいますが、旅行や乗車がお一人と分かりました。年齢を尋ねると80歳だと答えました。お体は丈夫で肌も白く、経済的に余裕がある方だと見受けられました。

 その直後、男性の乗客がおじいさんの隣は空席のテーブルに座り、食事を注文しました。料理が運ばれてくると、おじいさんが男性に値段を尋ねました。彼が69元とお答えしました。私とおじいさんは二人で男性は美味しそうに食べていた様子を眺めていました。おじいさんはピーマンと豚肉の炒め物を見つめて、独り言をつぶやきました。「辛いものは食べられないから、スープくらいしか飲めないかもしれない。食事を注文しようとしたが、彼女に断られた」。私はその様子を見ていました。スタッフは、おじいさんがまもなく南京駅で下車することを考慮し、家に着けば温かい食事が待っているから発想し、出費を抑えてあげようと配慮したと思います。
 男性は食事をしながら話してくれました。彼は東北出身で、上海で働いているそうです。家に帰っても料理を作ってくれる人がいないため、高鐵(新幹線)の費用を節約し、この車内で楽しく食事をする方が良いと言っていました。また、若い頃から南の都市に来ましたので、東北料理が恋しいと語っていました。私が鍋包肉が美味しいと話すと、彼は同意し、殺豚菜”(東北地方地元の鍋料理)も絶品だと言っていました。私はまだ東北を訪れたことはありませんが、実家は東北の米を食べます。あの黒土地には豊かな食材が育まれているに違いないと思っています。男性が、具厚い柔らかいインゲン、500グラムで100元以上にする新鮮な高級魚の美味しいさなど言いつづけて、私も東北旅行に行きたくなりました。お勧めの観光地に聞いたら、彼は吉林をおすすめしました。理由としては、ハルビンは観光地として大変人気を集めていますが、目玉はスキーや氷彫りといった商業的なイベントが多くて、観光が賑わう地域はどうしても物価が高くなりがちです。観光が盛りんだ地域以外に、地元の暮らしは昔と変わらないです。それこそ、地元の日常を体験できて、昔ながらの風情を感じ、伝統的な味を味わうことができます。おじいさんは男性が夢中で食べる様子を見ながら、生き生きと語られる東北の風物の話を静かに興味深く聞いていました。

 三人で東北の話が一段落すると、男性は食事を済ませ、自身の席へ戻っていきました。おじいさんはお腹が空いているだろうと思い、私が持っていたりんごを一つ渡しました。それ以外に、酸辣味のインスタントラメンーを持ちます。おじいさんは辛いものが食べられないことを聞いたが、それでもお腹を空かせているのが心配だったので尋ねてみました。おじいさんはりんごを受け取り、麺の方は遠慮しました。
 その後、私の隣に山西省出身の若者が座ってきました。青年も単品で料理を注文していました。料理が届くと、おじいさんはまた値段を尋ね、強い好奇心を見せていました。今度はおじいさんの一人旅について語り合いました。おじいさんによると、彼が高齢者として一人旅が好きですが、多くの高齢者は外出時の事故を恐れて遠出を避けているようです。理由を聞いたら、人は年を取ると、死が怖くなるお話をしてくれました。高齢者が外出せず家にいる時、普段どのように暇をつぶしているのでしょうかに興味が湧きました。答えはシニア向けSNSで知らない人同士が毎日雑談しています。その話を聞いて、驚きました。
 私の観察では、実家の村に75歳以上の方がほっとんどスマートフォンがないです。両親は1960年に生まれて、十年前から、私が使わなくなった古いスマホを使い始めました。今になっても、基本的にウィチャットで親族、隣人、養殖グループ、同級生といった知り合いと交流し、ショット動画を閲覧し、転送して、いいねを押すくらいです。ネットで見知らぬ人と盛んにチャットし、実際に会おうとしない新しい高齢者の暮らし方に感心しました。私がリスクや金銭トラブルの有無を尋ねると、おじいさんは大丈夫だと言いました。皆金銭のやり取りはなく、ただ気軽におしゃべりして楽しんでいるだけだと言ってくれました。おじいさんが降りる時、私が少し名残惜しかったです。おじいさんも明るく皆に挨拶をしていました。

 隣に座っていた若い男性が続けて私と話しかけてきました。彼の目が大きく、新疆ウイグルの方のような風貌です。彼は日焼けして肌が黒いです。故郷を離れて三年、一度しか帰らないと言いました。若いですが、”保安”(警備員、守衛)として多くの都市で働いたことがあったそうです。その中に、北京天安門広場で保安として働いていたと聞いて、私は強く好奇心を覚えました。私が昆山から来たことを知ると、彼も昆山の電子工場で保安として勤めたことがあると話してくれました。
 以前は保安といえば、“看大門”(門番)とばかり思い、保安という仕事は高齢者向けだとずっと思っていました。今回、保安の仕事に専念するこの若い男性と長時間話をして、彼の経験や物事に対する見方は、私にとって非常に意外でした。立哨業務を続けていると消耗的な仕事に陥りやすく、個人の成長によくないですが、保安にも資格取得やスキルアップの道があり、技術職や管理職へキャリアアップすることも可能と分かりました。二人は話が合い、彼が食事が終わった後も席を離れたくなかったです。夜食の時間が迫り、これから車内で一夜を過ごす乗客が多くなるため、スタッフが二度席へ戻るよう促しに来って、彼はやっと席に戻っていきました。

 夜食を終えたあと、餐車の人は少し減り、私の隣の席は空いたままでした。多くの乗客が椅子に横になって休んでいるのを見て、私も真似して椅子の上で横になろうとしました。暫くすると、車内スタッフが干渉や制限をしなかったため、私は着替えの服を体にかけ、帽子で顔を覆い、カバンを枕代わり、馬扎を足元に置き、ぐっすり眠れました。夜は車内のエアコンが心地よかったです。トイレへ行った際、多くの人がスマートフォンをいじっている光景を見かけました。節約のため床で休む若者も多く、大変苦労している様子です。私も何度もそういう経験がありますけれど、彼らは餐車で夜を過ごす方法を知らないのだろうかと考えました。ミルクティー2杯分の値段で、広く座り心地の良い席を確保できることは価値があると思います。また、硬座席には空きスペースが多く、横になって休む乗客もいました。なぜ自分は切符を購入できなかったのか不思議に思いました。

 翌日は席に余裕ができたのか、餐車にいる人は多くありませんでした。大半は一晩過ごした乗客たちで、徹夜の疲れから談笑する気力も薄れていました。七時過ぎ、目を覚ますと外はすっかり明るくなっていました。向かいに学生模様の男の子が二人座っていました。二人は知り合いだと思っていましたが、列車の中で知り合ったばかりだと聞きました。朝食はおかゆ、饅頭、卵と小皿の漬物のセットメニューです。饅頭とおかゆはおかわり可能です。通路に座る青年はセットを一つ食べました。お隣の青年は饅頭を一個なら足りたくて、通路の方を取ってきてもらおうとしました。私は手持ちの饅頭を渡しました。彼は2個食べた後、さらに1個を取りに行きました。私も窓口へ行って、一つもらてきました。それを半分分けて渡し、残りの半分を自分で食べました。
 私の故郷は麺食文化の地域なので、この饅頭はおそらく100グラム前後だと思います。体力労働をする人なら三つ半食べるのは普通のことです。彼は学歴がなく早く学校を辞めて外地で働きに出たそうです。通路側の少年は今年大学入試を受けると話していました。本科に合格できない、専門学校になります。彼自身が進学を諦めて出稼ぎに行くつもりだそうです。ご両親はどう考えているのか尋ねましたが、彼はただ笑うだけでした。若者はまだ幼さが残る一方、先を見通す視点に欠けているように見受けられました。二人ともとても内気な性格で、その後、私はまた眠りにつきました。
 11時頃、スタッフが昼食の人数確認を始めました。私は車長に寝台券の追加手続きを問い合わせ、料金を支払って寝台へ移りました。朝お腹いっぱい食べたので昼食は摂らず、暫く眠り続けました。寝台車内は静かで、誰も会話をしていません。スマホを見たり、目を閉じて休んだりするだけです。午後五時過ぎ、大同駅に到着しました。

 大同駅の目の前にバス停がありました。この時間では観光スポットはもう閉まっているだろうと思い、適当にバスに乗りました。車内で隣に座っていたおじいさんに地元の方かどうか尋ねると、そうだと答えました。私は初めて大同を訪れて、”雲崗石窟”、”悬空寺”、”応県木塔”、”大同博物館”、”華厳寺”といった行きたい場所を挙げました。滞在できる時間は一日しかないため、時間的に間に合うかどうか不安だと伝えました。私の計画を聞いて、おじいさんと他の乗客も行程がかなりタイトだと言ってくれました。
 会話しているうちに、そのおじいさんが華厳寺ならまだ開いているかもしれないと思い出しました。私がすぐ調べてみると、確かに18時30分まで入場可能とわかりました。おじいさんから降りるバス停を教えてもらい、急いで降りる準備をしました。私が持っている馬扎は今のところ使わないので、おじいさんに必要か尋ねました。おじいさんは私が不要ならもらうと言ったので渡しました。ささやかなお礼の気持ちです。

 私は大同古城和陽門で降りました。バスの車窓から眺めた現代の市街の景色と違い、青い空の下に分厚いレンガの城壁、新旧の楼閣、道沿いに立ち並び店舗が目に入り、古城と新しい観光要素が調和する風情が広がります。華厳寺は古城内にあります。古城は無料通行ですが、華厳寺は50元の入場券が必要です。門前には、昔ながらの“老冰棍”(アイスキャンディ)を売る人がたくさんいました。早速に、この土地の名産であるサジ(沙棘)味のアイスを一本買いました。正門付近では京劇を歌っている方もいて、アイスを食べながら少し鑑賞した後、寺に入りました。
 時間の都合で解説ガイドを頼めなかったですが、華厳寺に入ってからネット上で紹介するショットビデオを探して学習しました。華厳寺は遼重熙7年(1038年)に建立され、遼代の皇家寺院です。契丹族が太陽を崇拝する習慣から、寺院は東に向かって西を正面とし、上華厳寺と下華厳寺に分かれています。寺内で薄伽教蔵殿(遼代)と大雄宝殿(金代)のみが古代の建造物で、遼代の彩塑や金代の鴟吻は国宝級文化財です。私行ったのが上華厳寺です。大雄宝建物本体は金代天眷3年に再建され、国内に現存する遼、金時代の仏殿の中で最大規模です。五体の金箔仏像は明代の五方仏造像で、後世に彩色と金箔の補修が行われたのみです。殿の両側に並ぶ立像は二十諸天で、明代の泥塑です。華厳宝塔、千仏地宮、山門などは現代の復元建築であり、地宮は百トン超の黄銅で鋳造され、元代の慧明法師の舎利が祀られています。ここで、千年の古建築と復元された楼閣が共存します。復元された堂内の仏像はすべて当代の作品で、芸術的価値は遼金、明清時代の古い塑像には及ばないですが、それでも私は誠心を込めて礼拝し、家族全員の幸福と無事を願いました。

 観覧終わったのは19時過ぎでした。門から出ると、アイス売りの価格が3元から1元に値下げされていました。でも、私はお腹を空かせておいて、現地の名物料理を味わいたいです。食事の前に、今夜の宿を予約しなければならないです。実は出発前に携程(Trip.com)でホテルを予約していました。古城が非常に賑やかなので、近辺に宿泊した方が便利だと考え、別の宿を探してみることにしました。
 携程で航空カプセルホテルをたまたま見つけ、今まで利用したことがなかったので泊まってみることにしました。一泊34元非常に安いため、自転車をレンタルし、まずその様子を確認をしました。宿泊先は古城の繁華街から直線距離でわずか600メートルですが、廃れた細い道を通らなければならないです。幸いまだ完全に暗くなってなくて、前方にスーツケースを引いている女性もいました。
 宿に到着するとてオーナーがとても親切でした。先ほどの女性もこちらでチェックインしていました。この宿は男性エリアと女性エリアが分かれています。女性は8名まで宿泊可能です。洗面とトイレは共同です。私は真ん中のベッドを選んだところ、残る空きスペースはあと一つだけになりました。自転車を返したあと飲食店へ行き、ウサギ頭と涼粉を注文しました。山西大同の刀削麺は非常に有名ですが、その時お腹がいっぱいで食べられませんでした。

 足にけがをしていたため、遠くまで歩くことはできません。歩行者天国に沿って観光しました。古城の建物は古風に溢れて、雑貨が豊富に揃えって、お酢、サジ(沙棘)、石炭工芸品、杏脯(アンズプルーン)などの特産品が見られます。大同の気温は崑山よりずっと低く、夜の風がとても心地よかったです。多くの観光客が漢服を身にまとい、古風な建築の夜景と調和し、時空を超えてさまよっているかのような感覚になりました。街を散策していると一つの壁が目に入り、後で調べてみると九龍壁だと分かりました。営業時間は21時まで、入場料は10元です。現存する中国最大かつ最古の九龍壁と聞き、中に入って写真を撮りました。

 続いて、通りかかったミュージックバスを見つけ、思いがけず乗車して体験しました。車内ではノリの良い曲を流していました。司会者が前に座っていた女の子にマイクを渡し、彼女が少し歌った後、私にもマイクが回ってきて、私は続けて二曲歌いました。それまでミュージックバスというものがあることを知りませんでしたので、主人にもこの体験を早く共有しました。主人は私を褒めて、彼自分も歌っていると話しました。そして彼は、目にする雄大な景色は全部私がシェアしてくれたものだと語りました。その夜、小さな達成感を覚えて、気分がとても良くなりました。
 降車した場所の向こうは登れる阁楼がありました。入場料は9.9元と聞き、QRコードを読み取って入場しました。階段の入り口には銅鑼が置かれ、作業員の方が”歩歩高昇”(昇進、順調に)を言いながら銅鑼を鳴らしてくれました。階段を上って屋上から景色を眺めてみると、夜のライトアップがとても美しかったで、観光客で賑わっています。下りる際、作業員には”幸せを家に持ち帰りましょう”と声をかけてくれて、気持ちがとても良かったです。私もついロビーで9.9元のお守りみたいなお土産を購入しました。一日がとても順調で、心から楽しかったです

 周辺の夜景を散策してから、本来は刀削麺を食べようと思っていましたが、人気の有名店は受付が終了していました。そのため、地元で有名な涼粉を食べました。夜10時半頃、私は一台のタクシーを呼び、ホテルに戻りました。
 当日、カプセルホテルは女性スペースが満室でした。夜は男性スオーナーが当直しました。彼はお話し好きな方で、私が翌日の観光計画を伝え、複数のスポットを回る予定が時間的に間に合うために良い移動手段はあるか尋ねました。彼は知り合いの相乗り運転手を紹介してくれました。
 同宿している女子たちは若い方ばかりです。誰かが翌日雲崗石窟へ行くか聞いてみましたが、誰も予定がありませんでした。その中の一人が山西旅行専用のアプリを教えてくれ、アプリにはたくさん観光ルートと巡回バスの情報が載っていたことを聞いて、すぐに確認しました。観光スポットの間の距離が遠いため、相乗りタクシーにしてもかなり費用がかかります。でも、このアプリなら料金がとても安くて、現地観光局のプロジェクトなので安心できます。深夜1時前までに、入場券とバスのルートを予約きちんと計画しました。
 初めてカプセルホテルに泊まるため、扉が閉まったら中から出られないのではと不安でした。思い切って試してみたところ、扉が閉まった瞬間息苦しさを覚え、慌ててスイッチを探しました。無事ボタンを見つけて扉を開け、やっと安心しました。一泊34元の狭い空間ですが、ベットが乾燥で、シャワーの水圧が強く、共有スベースもきれいでした。意外と快適に過ごせました。

 翌朝6時半の目覚まし時計をセットしましたが、6時頃には宿の人たちが次々と起きて、私も眠れなくなり、早めにシャワーを浴びて着替えました。7時発のバスに乗り、最初の目的地である雲崗石窟へ向かう予定です。
 バス乗り場は古城の周辺です。宿から近いため徒歩で行けると思いました。途中、あの400~500メートルほどの通路を通る必要があり、壁が崩れ落ちて、地面には石が散らばり、少しびくびくしていました。通路の出口に犬が三匹いたため、前に進むことが恐れました。足にけがを抱えたため大通りに戻りたくないですので、小型バイクに乗った地元の男性が通りかかることを見て、犬が怖いのでお金を払って乗せてほしいと相談しました。男性は目的地付近まで送ってくれました。降りる際に代金を渡そうとしましたが、彼がいらないとおしゃって去りました。
 ところがそこは指定バス乗り場ではなかったため、結局タクシーで移動することになりました。それでも発車する20分前には到着できそうです。本日の行程がタイトで昼食を取れる時間がないかもしれませんので、朝食を確保したいと考え、運転手に頼んで近くの地元朝食店へ寄ってもらいました。店には出来立ての羊雑スープと揚げ麺菓子(麻葉)がありました。慌ててテイクアウトしてバス乗り場に戻ると、出発の10分前でした。バスの外で待ちきれずに朝食をいただきました。羊雑スープはピリ辛で、麻葉はふっくらサクサクに揚がり、油条に似た食感で少しあまみがあって、どれも大変美味しかったです。朝食を食べている間、次々と乗客がバス乗り場に集まってきました。隣のジャンビン(煎餅果子)の屋代も客が増えました。
 そこへ野良犬が一匹やって来ました。バスの女性スタッフはこの犬と馴染みがあるらしく、この犬は他の食べ物に興味がなくて、ソーセージが大好物だと話していました。彼女と同僚たちは出勤のたびにソーセージを持参して与え、多い時にはその犬が三四十本も食べると言いました。私の隣の少女がその話を聞いて、買った煎餅果子に入ったソーセージを速取り出して犬に与えました。実家には犬を飼っていますが、私は小さい頃から犬が怖いです。今、住んでいるマンションと会社の別荘エリアには放し飼いの犬が多く、人に向かって吠える場面をよく見かけて、とても危険だと感じています。野良猫や犬をとても可愛がっている気持ちに共感出来ません。

 7:30頃バスが雲崗石窟に到着しました。入場料は120元です。入り口で添乗ガイドから現地解説の案内を受け、50元で約2時間の解説を購入しました。昔のガイドは声が大きく、拡声器を使う人もいたため、ガイドの解説を横からただで聞けます。今はガイドがイヤホンマイクで話し、参加者全員がイヤホンをつけて聞きます。私の団体は臨時に集まった約20名の客で、十数組の家族で構成されています。ガイドは、雲崗石窟の歴史背景、大同市の都市再開発、遼金文化などを紹介した後、各石窟を案内しました。石彫りや壁画、岩の風化状況、文化財保護の取り組みなどの話は大変興味深かったです

 2018年7月私が緑皮車を乗って敦煌莫高窟へ行ったことがあり、2025年7月緑皮車を乗って洛陽竜門石窟を訪れたことがあります。今回、雲崗石窟を訪れたことで、私は中国三大石窟を巡り終えました。あと一か所、麦積山石窟だけが残っています。三大石窟には共通点もあれば、それぞれ特色もあります。
 共通点といえば、いずれも仏教信仰によって崖を開削した石窟遺跡で、各時代の文化や美術などを石や壁画に刻まれていることです。敦煌莫高窟は壁画が最大の魅力です。当時の日常生活、神話、異国の文化が壁画や彩塑に鮮やかに描かれています。砂漠の中に広がる雰囲気が特徴的です。龍門石窟にいくと、唐代の穏やかで洗練された仏像の彫刻で魅力的です。雲崗石窟は雄大で力強い石彫りが見どころで、異国風の雰囲気も色濃く感じられました。ガイドの解説より、石窟には官営で造られたものと民間で造営されたものがあり、官営は国の計画のもと造営され、統一さがあれ、規模が大きく彫刻も精巧で立派です。民造の場合、全体の計画がないため大きさがバラバラです。多くの洞窟の彫刻は非常に密集しており、写真では全貌を撮りきることができません。私はずっとも頭を上げ、あたりを見回し、この美しさを目に焼き付けようとしたため、頭が痛いぐらいになりました。世俗的な願いを込め、私が多くの仏様にご加護を願いしました。私たちが訪れた時間帯は観光客が少なく、各洞窟でゆっくり鑑賞できました。これから観光シーズンに入ると長時間の待機が必要だと聞いて、幸運だったと思います。
 ガイドの話によると、石像の表面には沢山の穴が開いているものもあります。後世の人々が改めて塑像を覆う加工を施そうとした跡で、これは石像に一定の損傷を与えてしまいました。また、多くの彫像は自然な風化や降雨、炭鉱の採掘と石炭輸送などの影響を受け、少しずつ損なわれてきました。どの石窟を訪れても、こうした残念で惜しまれる話を耳にします。それでも、この壮観な姿を自分の目で見ることができたのは幸運でした。

 雲崗石窟の観覧が終わった後、懸空寺へ向かうバスを事前予約していました。しかしガイドの解説が長引き、バスの出発時間に間に合わなくなったため、予約をキャンセルせざるを得ませんでした。その後、出口で現地のドライバーに声をかけて、相乗りできる人を探してもらいましたが、30分ほど待っても同行者は見つかりませんでした。私は前日カプセルホテルのオーナーから紹介してもらった相乗りドライバーに連絡を取りました。ドライバーは3番バスに乗って終点まで来るよう指示し、そこで待ち合わせることになりました。40分後順調にドライバーと合流できて、車には私を含め計4人が乗り、懸空寺まで一時間以上かかりました。
 大同を訪ねるとほとんどの人が懸空寺に行くと思いましたが、相乗りが空労したことについて、ドライバーによると、懸空寺を訪れる観光客は早朝に集中し、今の時間帯は人が比較的少ないとのことです。また、懸空寺は断崖の上に立つ木造建築で、世界十大奇険建築の一つとされています。建物保護のため登臨券は一日限定枚数が設けられ、入手が非常に困難です。限られた人だけが寺の内部へ上がることができます。外から遠くから建築を眺めると、動画で見るのとあまり変わらない言われました。私は登臨券を購入できませんが、せっかく大同まで来たので、足を運んで遠くから眺めるだけでも十分価値があると思いました。

 道沿いの景色がきれいです。たまに、トラックをみえます。運転手さんの話によると、これらは石炭運搬トラックです。昔の大同では一日に一万台以上ものトラックが行き来し、石炭を運んでいましたが、今では環境治理と観光業を発展して、多くの炭鉱が閉鎖され、昔のようにトラックが行き来することも禁止されました。これは、元市長の貢献です。大同の環境も大同人の生活にもだいぶ良くなったとのことです。
 懸空寺は中国の五岳の一つ、北岳恒山のエリア内です。懸空寺の観光スッポトに入る時も出る時もシャトルバスに乗る必要があります。やっと懸空寺に入ったばかりのところ、予約しておいたバス会社から電話がかかってきました。時間が間に合わなくなってしまったので、やむを得ずキャンセルしました。
 遠くから見ると崖に並ぶ建物が見えるだけで、内部の構造や内部の施設などが見えません。ここは儒教、仏教、道教が共存する三教融合のお寺だと聞きました。崖面を舞台にした大型光影ショー「何以懸空寺」は、最大の崖壁投影としてギネス世界記録に認定され、夜の人気な節目です。しかし、時間の都合で、私は次のバスに乗って応県木塔へ行くしかないです。
 次のバスにもギリギリの状況で、走って向かう途中水たまりに足を踏み入れ、靴がびしょ濡れになりました。その時は違和感を気にせず、濡れた靴のまま1時間半バスに乗り、応県木塔へ到着しました。

 応県木塔の正式名称は仏宮寺釈迦塔で、遼代に建造され、建築学者の梁思成が調査したことで国内外に広く知られるようになりました。これは世界に現存する最古、かつ完全な榫卯構造の木造塔で、釘を一本も使わず組み上げられています。内部には昔多くの仏像が安置されていましたが、構造物保護の観点から現在は一階のみ公開されています。長年の地盤変動や風雨の影響で、塔体は少しずつ傾き続けています。外観と一階しか見られないので、私は木塔の隣の広場で風を浴びながら景色を眺めて、木塔の関連説明を調べながら、木塔から古城行きのバスが発車するのを待っていました。

 応県木塔を出たのがもう5時近かったです。元々4時半に古城近くの大同博物館に行く予定だったんですけど、帰り路はまた1時間半かかりますので、全然時間が足りません。古城に着いてから善化寺を回ることにしました。
 善化寺は大同古城の南側にあり、南寺と呼ばれています。唐代に創建され、遼、金時代に再建された、中国で最も完全な遼金時代の寺院建築群です。山門、三聖殿は金代、大雄宝殿は遼代の建物で、貴重な木造遺構が残っています。私には古建築の専門知識や文化知識の深さがなくても、荘重な雰囲気を感じられます。
 山門の四大天王のうち、西方広目天王は明代の彩色塑像で、手でOKサインのようなポーズをし、威厳の中にユーモラスな表情が魅力です。ネットで”显眼包”と呼ばれて、多くの観光客が記念撮影をしに来ます。

 善化寺を観覧後、私は疲労と空腹に感じました。善化寺の門の前には古城壁があり、上って景色を眺めると非常に壮観で、多くの人がレンタサイクルで走っていました。とても気持ちよさそうですが、私がもう一刻待たれなくて、刀削麺を食べに行きたいです。有名な人気店を探し向かいましたが、前日に訪れた店と同じで、整理券が終了しました。がっかりしましたが、向かいにある刀削麺屋へ入りました。40年近く続く老舗だそうで、味はとても美味しかったです。店内は古風な雰囲気で、地元の粟もち、乾燥豆腐、サジ果汁飲料も注文し、満足に食事を楽しみました。
 店に入った時は晴れていましたが、出る頃に激しい雨が降り始めました。雨が弱くまでお店で待って、古楼の前へ行きました。雨上がりの空は青く、建物の明かりが映え、空気も清々しく、景色が絶品でした。多くの観光客が漢服を着て撮影し、ライブ配信を行う旅行者も見かけました。雨が降っていましたが、露店の数は減らなく、地元の人々は雨に慣れているようです。
 素晴らしい景色でしたが、飛行機の時間が迫っていたため、子供へのお土産と主人への二つウサギを購入してから、タクシーで空港へ向かうことにしました。

 タクシーの運転手は地元の方で話し好きでした。私が一日間巡った名所や食べた料理について話すと、彼から私が大同の主要観光地をほぼ制覇したと言ってくれました。この度、日程がタイトで市内をあまり散策できなかったので、メーター料金のまま古城壁沿いを一周してもらえないかと運転手に頼みました。彼は快諾し、景色の良い場所では速度を落とし、撮影の時間を確保くれて、各地の見どころも解説してくれました。
 護城河を通りかかった時、彼が前市長の耿彦波氏の都市改革について話してくれました。彼は「一軸二城」という構想で、河を境に西側で古城を修復、東側に近代的な新都市を建設する政策を推進しました。大同は昔、炭鉱都市として発展し、街中は常に粉塵に覆われていたそうで、建築物もぼろのようでした。現在は観光産業を重点的に育成し、環境は大きく改善されました。まさに一人の人物が一つの都市の運命を変えた、感動的な物語だと語ってくれました。

 帰りは元々7月20日(月)の緑皮車の切符を買っていました。調べたら、7月19日(日)の航空券が600元だったので、20数時間の移動時間を節約できるため妥当な価格だと思い航空券も買いました。切符の払い戻し手数料が発車の24時間以内は一律運賃の20%ので、発車直前にキャンセル予定でしたが、思わないことに、天候によるその緑皮車自体が運休になって、システムが自動で全額返金してくれました。その一方、天候の原因で、上海行きの航空券は遅延になっただけで、最初夜10時になって、その後に深夜12時に変更され、さらに翌朝2時に変わりました。
 待機中、浦東空港から蘇州へ直行する長距離商務車を見つけました。運賃は160元、午前4時発の便もあります。以前浦東空港に着いたらタクシー以外の手段を考えつかなかったのですが、安全で利便性の高い移動方法を知ることができ、経費精算にも適しているため嬉しく思いました。

 飛行機の中、私がずっと眠っていました。飛行機を降りた瞬間、足がほとんど動かなくなっていました。靴を脱いでみると、靴下はびしょ濡れ、足全体が靴と濡れた靴下に浸かって白くふやけていました。約6時半、商務車が無事に蘇州に着きました。私が地下鉄に乗り換えて、午前7時頃家に到着しました。家でシャワーを浴びて着替え、そのまま会社へ出勤しました。ずっと旅行に行きたいと思っていた気持ちも、大同の旅の終わりに連れて落ち着きました。今回の週末旅行は短いし、色々変動があり、とても慌ただしかったですが、いろいろな体験ができました。古い遺跡を見ても、私は歴史や文化の知識も芸術のセンスもあまりないですが、旅から帰った後、文章を書き始めるきっかけで、色々調べて、私の日々もより充実しました。改めて実感したのは、モチベーションと方向性があれば、人は疲れにくくなるのです。
 8月頭頃、子供達が昆山に戻ってきます。私もまた規則な生活リズムに戻ります。なんと、今の私はこの日をすごく楽しみにしています。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています.

2026.07.21
函館で開催の官民共創モビリティシンポジウムに参加しました.

 7月21日(火)に函館市の金森ホールで開催された株式会社未来シェア主催の「官民共創モビリティシンポジウム ~10年間の感謝をこめて~」に,共同研究者の森さん(ゴダイベスト代表社員・熊本大学特任助教)と一緒に参加しました.

 函館という遠いところで開催されるたった半日の企業主催のシンポジウムにわざわざ参加するのは何故?っと思われるでしょうね.実は,この10年間ほど,未来シェアのリアルタイムオンデマンド最適配車システムSAVS(Smart Access Vehicle System)をライセンス契約し,SAVSと我々の開発したアクティビティ交通シミュレーションモデルMAUMS(Multi-Agent based Urban Mobility Simulator)を連携させた統合システムで,カーシェアリングや乗合タクシーサービスの需要予測や社会的価値評価などの研究を行っており,これまでのお礼と今後の連携研究の相談,それに東日本以南は酷暑の中,北海道函館での開催,雲丹やイクラやボタンエビなどの豊富な海鮮もあって,参加した次第です.

 シンポジウムは15:00からでしたが,10:00~14:45には最新版SAVSによるオンデマンド乗合タクシーを体験できるということもあり,前日の海の日には函館入りしました.熊本-羽田,羽田-函館は乗り換え待ちも含めて4時間以上かかりますが,乗り換えや機内で寝たり読書をしたりするとあっという間でした.熊本-羽田間は小型のB737ですが,羽田-函館間は大型のB767で,共に満席でした.函館を訪問する人は多いようです.  函館は38年前の新婚旅行以来です.その時にも行ったはずの五稜郭へは函館空港から路線バスで15分ほど.107mのタワーから見下ろした五稜郭は美しい.当時(5月末)の思い出は青紫のライラックの花.タワーは在ったっけ?現在のタワーは2006年4月1日に開業した2台目タワーで,初代タワーは今の約半分の60m高さだったので,登らなかったのかも.鎖国政策の終焉,開港,箱館御所の内陸への移設,武田斐三郎による築城,榎本武揚を頭とする政府脱走軍による占拠から開戦,軍艦開陽と神速の座礁沈没,土方歳三絶命,箱館戦争終結と,明治初期の最後の内戦の歴史は劇的で感慨深い.

 それから,市電に乗ってチェックインのため一旦,ホテルへ.それから夕食のため函館駅近くのうに専門店へ.非常に珍しい北海道周辺の7種の雲丹の食べ比べは7,000円,その他は全て○○丼.アラカルトで色々なものを食したかった私としては,ちょっと残念でしたが,5,000円の雲丹,いくら,ボタンエビ,マグロの載った海鮮丼はさすがに旨かった.それから函館駅前から市電に乗って十字街で下車.そこから箱館山ロープーウェイへ急な坂道を10分ほど.5分間隔で運行しているロープーウェイ前には大勢の人.2便後に乗って山頂に上がると,それ以上に大勢の人人人.まるで上野動物園のパンダの観覧のように,人数を区切った一団で展望台に上がるようなオペレーション.しかし,両側が海岸線で方取られたまるで写真のような函館の夜景は本当に素晴らしかった.確か38年前も来たはずだが,全く記憶にないのは何故?

 翌日は早朝から函館朝市を体験.能登のような通りだけでなく,那覇牧志市場のような建物の中にも100軒以上はあるだろう,市が立っており,客引きの活力な溢れた声が飛び交っている.どれも新鮮で美味しそうだが,違いがどこにあるのか,同じものでも値段は違うのかは全く分からない.たまたま立ち寄った店の奥さんが丁寧に,かつ宅配料は店持ちという甘い言葉に載せられて,翌日,買いに来ることを約束した.

   

 その後,SAVSシステムを利用して赤煉瓦倉庫群エリア,日本最古のコンクリート製電柱,ロシア正教会とカトリック協会などを回りました.こぢんまりしているものの,貴重な観光資源や歴史を持った函館は良い街です.その後,15:00から金森ホールで開催のシンポジウム本番に参加.前橋市,紫波町,久米南でのSAVSやその他のオンデマンド交通サービスの紹介,東急バスと日本工営の事業の紹介があった,最後は,未来シェアの技術・開発者による新システムの開発動向の説明があった.飲み過ぎと移動しすぎと外の暑さのため,かなり眠かった.

 その後は懇親会.5,000円の会費を遙かに上回る充実したコース料理とSAPPORO CLASIC,函館ワイン,日本酒五稜を満喫した.そこではIBSの石神さん,室蘭工大の有村先生,DECの大井さんにもお目にかかれました.さらに,未来シェアの創設者の中島先生,野田先生,松原先生,松舘さんをはじめ,これまではリモートやメールでしかお会いしていなかった平田さん,赤木さん,佐々木さんとも酒を酌み交わして話ができたのは良かったです.

 実は,函館に来る前の18日のとても暑い昼間にテニスに行ったのが原因か,その後から20日の夕方まで身体が熱かったり軽い頭痛がしたりしていたのですが,函館の2日目からはすっかり持ち直しました.涼しさと良い酒のお陰かもしれません.
 22日は朝から雨.早めに帰熊する森さんと7時には朝市に行ってお土産探し.私は約束した店に行って,お盆に帰省する予定の子供達のために,貴重な択捉産雲丹,生のいくら,蟹2杯,北海道産冷凍ホッケ,松前漬け,合計○万円分の大盤振る舞いをしてしまいました.ホテルの11時のチェックアウトのため,空港に4時間半も前に到着.空港内の元祖函館ラーメン店おんじき庭本で有名な?塩ラーメンを味わった後,函館-羽田,羽田-熊本で帰熊.身体にも頭にも精神にも栄養を与えた2泊3日の函館出張でした.