自由民権の重要さを説いた宮崎八郎は、民権党の同士たちと西南の役で協同隊を組織し戦いますが、八代萩原堤において27歳で戦死しました。土地復権を生涯の使命とした民蔵は「平均地権」の思想を同じくする孫文の新生中国の誕生に土地復権実現を託して、大陸へ渡りましたが、かなわず64歳で永眠しました。 宮崎弥蔵は中国を本拠地とした革命によって理想の国を築くことを願いました。その弥蔵の説く「革命的アジア主義」に共感する宮崎寅蔵(滔天)は孫文を助け辛亥革命に身を投じました。近代日本の中で先進的な思想を育んだ宮崎兄弟の生家であり、孫文をかくまった家としても有名です。隣接して資料館があります。(ガイドあり)