カーク・マスデン
『教育』1999年11月号
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今年の8月に、アメリカのカンザス州の教育委員会が進化論を州のカリキュラムから排除することを決めた。可能であれば、委員会のキリスト教原理主義勢力は進化論の代わりに神が7日間をかけて世の中とその全ての生物を創造したという「創造論」をカリキュラムの入れたかったようだ。しかし、1987年に連邦最高裁がルイジアナ州で制定された創造論の教授を義務づける法律を違憲とする判決を下している。原理主義勢力は創造論をカリキュラムに導入させることをあきらめ、進化論の排除を求めることに戦略を切り替えた。その結果、カンザス州が実施している学習診断テストから進化論やビッグバンなど創造論と相容れない内容に関する問いを排除することになった。進化論を扱う教科書を使用したり、進化論を教えたりすることはまだ禁止されている訳ではないが、進化論が一層教えにくい情況になったことは言うまでもない。
当然のことながら、この決定によって、カンザス州は大いにひんしゅくを買うことになった。無知を肯定する教育者に多くのアメリカ人は唖然とした。漫才師などにとって、カンザス州の教育委員会は格好の笑いのネタになった。しかし、笑ってばかりはいられない。カンザス州の方針はカンザス州の教育はもちろん、アメリカ全土の教育に大きな影響を及ぼすだろう。というのは、教科書を出している出版社はできるだけカンザス州でもアメリカの他の州でも利用できる無難な教科書を作ろうとするからだ。進化論に関する記述を極力避けたり、進化論はあくまでも一つの「理論」でしかないことを強調したりすることによって、カンザス州でも他の州でも利用できる「無難」な教科書が作られることになる。従って、他の州で使われる教科書の進化論に関する記述が貧弱になる訳だ。
カンザス州には保守的なキリスト教徒が多いことは事実だが、進化論を学校で教えるべきでないと考える人はけっして大多数ではない。にもかかわらず、原理主義者の狂信的な努力と巧みな戦略が功を奏して、仲間を教育委員会に入れることに成功し、全国の学校に無視できない影響を及ぼすことができた。カンザスで起こったことは極端でショッキングだが、反動的な少数派の人々の熱心な抗議運動が多くの子どもたちの学習範囲を狭めることは珍しくない。特にアメリカ史の負の側面を紹介する教科書記述やアメリカが過去に行った武力行使などを疑問視する記述が標的になることが多い。検定制度のある州などで不合格となると出版社の利益が減るので、ほとんどの教科書はごく「無難」な内容になる。
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アメリカでは、こうした事なかれ主義による教科書などの知的レベルの低下を「ダミングダウン」(dumbing down)と言う。ここで私は米国で嘆かれているダミングダウンを二つのタイプに分けたいと思う。一つのタイプは上で説明した進化論やアメリカ史を批判的に扱う記述の排除の結果として起こるダミングダウンだ。思想的な相克を起因とする現象なので、「思想的ダミングダウン」と呼ぶ。もう一つを「学習的ダミングダウン」と呼ぼう。「学習的ダミングダウン」も一種の事なかれ主義を起因としているが、避けられているのはイデオロギー的な紛争ではなく、難しい内容である。
教科書のレベルが高く、理解できない子どもが多ければ多いほど、敬遠されるようになる。逆に教材のレベルを下位の子どもの習熟度に合わせると、上位の子どもたちにとって物足りないものではあっても、全ての子どもが利用でき、よく売れるわけだ。遅れがちな子どもを救済するというメリットはあるが、アメリカの学校のダミングダウンを招いたとして批判する人が多い。
1983年に「教育の優秀性に関する全米審議会」が発表した調査報告書「危機に立つ国家 (A Nation at Risk) 」に代表されるように、アメリカの保守勢力は私の言う「学習的ダミングダウン」を批判してきた。そして、そのダミングダウンを是正する手段として、全国的教育基準 (national standards) や全国的学力テストの必要性が強調されてきた。現時点では日本に見られるような全国的教育基準がまだ確立していないが、この数年間自治体レベルのテストの数や重要度がかなり増してきた。こうしたテストの実施は算数や読み書きなどの基礎的なスキルのレベルを上げる上では効果的かも知れないが、皮肉なことに思想的ダミングダウンに拍車をかけることになる。実際、カンザス州の教育委員会が進化論をカリキュラムから排除する手段は学習診断テストであった。テストの重要度が増すに連れ、その中身はますます「無難」なものになり、思想的ダミングダウンがすすむ。
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保守派の政治家や教育学者が思想的ダミングダウンをほとんど問題にしないのは、愛国心を養成する上ではむしろ好都合だからだろう。「愛国心」という言葉はざまざまな意味で使われることがあるが、ことで私はその意味をかなり限定した使うことにしたい。小林よしのりの『戦争論』からヒントを得て、「国のために戦争に行くことに抵抗しない」という意味で使う。「抵抗しない」程度なので、特に好戦的あるいは狂信的である必要はない。ただ抵抗する意志や能力を持たなければ良い。歴史や現代社会について批判的に考えることは抵抗する意志や能力を育む可能性が強いので、思想的ダミングダウンは私のいう「愛国心」を養う上では好都合ということになる。
しかし、アメリカのような民主主義国家において、学校のカリキュラムはかなり思想的にダミングダウンされていても、学校外で反戦的な思想が芽生える可能性がある。愛国心の機能を強化するためには、そうした思想ををコントロールするメカニズムが必要となる。多くのアメリカの学校で行われる「忠誠の誓い」がその役割を果たしているように思われる。
この儀式では子どもと教師が教室に掲げられている星条旗を一斉に向き、右手を胸に当て次の言葉を唱える。
I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisable, with liberty and justice for all.(神の下ですべての人民に自由と正義を賜る不可分のアメリカ合衆国。私はアメリカ合衆国の国旗やその国旗が象徴する共和国に対して忠誠を誓います。)
この儀式の実施情況は州や自治体などによってまちまちだが、相当数の小学校では毎日行われているようだ。また、誓いの中の「自由」とは裏腹に、半強制的な雰囲気で実施されることが多い。
例えば、1998年にカリフォルニア州のサンディエゴ市で15歳の女子高校生が「忠誠の誓い」に参加することを拒否した際、学校側が参加をしなければ停学処分にすると警告した。女子生徒の母親が娘の不参加を支持していたにもかかわらず、学校側は頑なに参加を強要し続けた。ACLU(米国自由人権協会)が生徒を支援し、提訴するまで学校側が妥協しようとしなかった。1943に連邦最高裁場所が誓いの強制を違憲とする明確な判決を下しているにもかかわらず、提訴されるまで強制を続けようとする学校側に驚かざるを得ない。
この儀式の特徴として次のことが挙げられる。
1〜3の年齢・反復・集団行動はどれも考えずに行う習慣につながる。従って、少なくとも儀式においては一時的に思考を停止させ、疑念があってもそれを無視する習慣を植え付ける結果になるはずだ。4にあるように国旗を見ながら繰り返し行うのため、「国旗=考えずに従う」というような条件反射につながると考えられるだろう。
従って、カリキュラムの思想的ダミングダウンとこの儀式を組み合わせることによって強力な「愛国心」を培うことができるはずだ。思想的ダミングダウンで戦争に対する抵抗の根拠となる思想に接する機会を制限したうえで、「忠誠の誓い」の儀式で習得させた国旗と思考停止の条件反射的関係で国家が行う戦争に抵抗することをかなり困難にしていると言えよう。
こうした国旗に対する条件反射の重要性を感じているためか、アメリカの保守的な代議士は憲法を改正して、抗議活動としての国旗焼却などの「冒涜」を禁止しようとしている。
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翻って日本の場合はどうだろうか。思想的ダミングダウンの仕組みは多少異なるが、結果的に教科書はかなり「無難」な内容となっていて、思考を刺激する記述が少ない。慰安婦や加害をめぐる記述の削除を求めている反動的な勢力は、アメリカの反動的な勢力と同様、常に一層の思想的ダミングダウンを目指している。法制化で教化されている日の丸・君が代の儀式はまだ「忠誠の誓い」ほど頻繁に行われているわけではないが、程度の差こそあれ、同様の条件反射的思考停止を取得させることにつながるだろう。
アメリカと違って、日本ではまだ思想的ダミングダウンと儀式の強要で培われた「愛国心」を戦場で試すことができない。しかし、憲法改正の動きを見ても日の丸・君が代の法制化を見ても、その目的に向かって準備が進められていることは明らかだ。
この恐ろしい動きに抵抗するためには何ができるか。思想的ダミングダウンにしても、儀式による条件反射的な思考停止にしても、子どもの思考を刺激し、考えさせることが一番の特効薬てだろう。以前にも増して教師の仕事は重要だ。
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