2002年度の講義ノート

ここで講義内容を簡単に記録していきたいと思います。「簡単」な記録ですので、もちろん出席する代わりにはなりませんが、欠席しなければならない場合には、ここを見れば授業の流れなどが大体わかると思います。

私が書く「講義ノート」は皆さんのためにはなると思いますが、自分たちのノートの代わりにはなりません。講義に出席し、その内容を自分なりに理解し、ノートにまとめることはたいへん重要なことだと思います。この作業を通して講義内容が自分自身のものになっていきます。私が書く「講義ノート」と皆さんのノートを比較しながら更に考えを深めていってほしいと思います。逆に、私の「講義ノート」を暗記するだけなら皆さんのためにはならないと思います。試験について言えば、「講義ノート」の内容をよく理解していればいい点がとれると思いますが、「講義ノート」の単純な暗記だけで点がとれるような問題を出さないようにします。

なお、このページの更新をできるだけマメにしていきたいと思いますが、毎年更新がかなり遅れてしまうことがあります。そこで皆さんに対するサービスを向上するために今年からは「更新の知らせ」を皆さんのメールアドレスに送りたいと思います。メールアドレス(携帯でも良い)を知らせてくれれば、更新する際に簡単なお知らせを送ります。中間試験や期末試験の時期が近くなってくると、この知らせは皆さんにとって特に有益だろうと思います。メールアドレスが外部に漏れないように注意しますので、気軽にmasden@kumagaku.ac.jp宛に「更新の知らせを受信したい」と書いたメールを送ったください。


9月19日、第1回
 最初に本講義の特徴などを「比較文化論」の「論」「文化」「比較」で2回をかけて説明する予定であると述べた。「「論」」では比較文化論というテーマは「論者の目的、専門分野、経験等によって内容が大きく異なる」ことを説明した。その関連で、本講義で私自身が展開する文化論を理解したいただくために「私の目標」を説明してから「自己紹介」を行った。講義全体を理解するためにはこの目標を理解することが重要なので、是非理解してもらいたいことを強調した。次に、日本と外国の証明写真を比較したビデオ(「日本の証明写真で笑っちゃいけないのは何でやねん?」、ニュース・ステーション)を見せた。その後、「比較文化論」の「文化」に移り、本講義で使う「文化の定義」を説明した。「文化の定義」の中で思い込みの危険性を指摘したので、その続きとして「思い込むこと」について話した。思い込みを避けるためには「考え込む」ことが重要であることと、コミュニケーションを取りながら考えることが重要であると主張した。
9月26日、第2回
 最初に前回の講義がこの「講義ノート」でどう要約されているかを紹介した。次に、前回の講義の続きとして「比較」というスライドや二人の受講生に書いてもらったアンケートを使って、終始比較中心に講義を進めていかない理由を説明した。ビデオは 仏教とキリスト教との間の対話に関するものであった。「違い」を超えて良い関係を築くことは十分可能であることを教えてくれるビデオだと思う。ビデオの中でチベットのダライラマの思想がクローズ・アップされた。次に、何人かの受講者からのコメントを紹介した。最後に、この講義の掲示版への書き込みや当日の朝日新聞の朝刊を例に取り上げ、課題の主旨について更に詳しく説明した。
9月30日、第3回
 はじめに、「違いについて」というスライドを使って前回の「比較」などに関する話を補った。 次に、『We're Different, We're the Same』という絵本を紹介した。他人と自分との違いと共通点を同時に認識させる、大切なメッセージを持った本だと思う。ビデオは私が運営している「Kumamoto International」という名のメーリングリスト(ML)に関するものであった。地元での国際交流、あるいはインターネットを通じた国際交流に興味を持っている人に是非参加してほしいと思う。最後に、何人かの受講者からのコメントを紹介してから、当日の朝日新聞の朝刊を例に取り上げ、課題としてふわしいと記事の例を見せて若干のコメントをした。
10月3日、第4回
 数回に分けて行う「視点と概念」に関する講義を始めた。授業のはじめに、「性別」「年令」「国籍」「夢」「趣味」など、いくつかの属性を黒板に書いて、受講生のひとりひとりに自分を自分たらしめる最も大事なことはどれかを紙に書くようにお願いした。「国籍」や「日本人である」ことを選んだ人に挙手をお願いしたら、ひとりも手を上げませんでした。しかし、自分が外国にいる場合はどうか、と尋ねたら、多くの受講生が手を上げた。国籍や人種などが必ずしも本人にとってもっとも大事な属性であるとは限らないことや、同じ人間でも状況によっては人のアイデンティティ−(自分は何者かという意識)が変化することをこの結果から理解できると思う。次に、二通り以上の見方が可能なイラストを使って、「視点」や「概念」が変われば、対象が違ったように見えてくることを説明した。また、「視点としての属性」や「日米の外国人観」を使って、本人と他者との間に「外国人」という属性の意識の仕方にギャップが生じた場合に人間関係があまりうまくいかないことについて話した。 ビデオは「視点」や「概念」が一つしかない場合に生じ得る「思い込み」の例として選んだもので、罪のない黒人が黒人であるとことで犯罪者扱いされる内容であった。
10月7日、第5回
 まず、「「視点」と「概念」(復習)」というスライドを使っておさらいをした。次に、前回のビデオでは皮膚の色などの「視点」、あるいは「人種」や「黒人=犯罪者」という「概念」がひどい思い込みにつながったので、「『人種』について」というスライドを使って、「人種」は科学的な概念ではなく、社会的に構築された概念であることを説明した。ビデオは黒人警察官に関するもので、前回のビデオと同様の思い込みに関するものであった。最後に、課題の説明をし、その日の朝日新聞朝刊の記事の中でこの講議と関連のあるものを紹介した。
10月10日、第6回
 前回、「人種」という概念について話したが、今日は「『人種』について(その2)」というスライドを使って、さらに詳しく説明した。ビデオは1958年の「South Pacific」(「南太平洋」)というミュージカルの一部であった。このビデオを図書館で見ることができる。また、『パパラギ』という絵本の一部を朗読した。先進国の常識は必然性のない当たり前であることをよく示してくれる本だと思う。
10月17日、第7回
 「『人種』について(その2)」に関する講議内容を終わらせた。ビデオは前回見せ始めた「South Pacific」の続きであった。
10月21日、第8回
 黒人などに対する偏見は日本とは無縁の現象だと思われがちだが、実は西洋で培われてきた黒人観が日本に伝わり、しっかりと根付いている。その例として、『日本人の黒人観』という本などで問題視されてきたいくつかのイラストを紹介した。こういうイラストが「黒人」という視点やその関連の概念(固定観念)を強く意識させるものであるならば、いい人間関係を築いていく上で邪魔になる恐れがあるので問題視されると言えよう。イラストそのものが悪いのではなく、イラストの前提となる黒人観に問題があったりするわけである。なお、西洋で培われてきた黒人に関する固定観念などが日本に根付いたもう1つの例として、一昔前の日本の政治家による、黒人関連の問題発言を紹介した。ビデオや講議の後半は「Ana Bortzさんが起こした裁判について」であった。ボルツさんの勝訴がNew York Timesの一面で取り上げられ、国際的な出来事に発展した。このNew York Timesの記事のなかで、熊本県立大学の外国人に対する差別も取り上げられた。
10月24日、第9回
 前回紹介したアナ・ボルツさんが受けた差別の背後には「外国人=犯罪」という固定観念があるので、「『外国人犯罪』Q&A」その通説の根拠に関する説明を始めた。その他に「1つの「視点」を強く意識するのはどこがわるい?」や「初対面などで意識する属性(視点)」 を使って前回の講議で行った説明を補った。また、アメリカの人口におけるいわゆる「白人」や「黒人」などの割合に関する質問に答えるために、アメリカの国勢調査に関する統計を紹介した。ビデオは北海道の小樽にある「湯の花温泉」による外国人排除と同温泉を訴えている有道出人氏についてであった。
10月28日、第10回
 「『外国人犯罪』Q&A」に関する講議を続けた。ビデオは前回取り上げた温泉からの外国人排除問題に関する違うニュース番組の報道であった。
11月7日、第11回
 「『外国人犯罪』Q&A」に関する講議を終わらせた。また、11月11日に実施する中間試験の問題についておおまかな説明をした。ビデオは 熊本県立大学における国籍差別問題に関するRKKの報道であった。
11月11日、第12回
 中間試験
11月14日、第13回
 はじめに、中間試験の最初の3つの問題の採点について説明した。その後、小樽市の温泉差別訴訟で有道出人さんらの原告が勝訴したニュースを伝えた。判決に関する多くの報道があった。そうした記事を閲覧するためにはここをクリックしてください。続いて受講者からのこの問題に関するコメントなどを批評した。その話のなかで、「両者」や「仲間」などと外国人を1つのグループとしてまとめてしまうコメントの問題性を指摘した。外国人をひとくくりにしてしまうことは、国籍や人種という1つの「視点」(属性)を過度に意識することの現れであると考えている。また、外国人を排除することははたして「差別」なのかという疑問が受講者のコメントにあったので、人種差別撤廃条約における「差別の定義」を紹介した。時と場合によっては、差別をしないために自分も差別などを受ける覚悟で差別される側に堂々と立つ勇気が必要であると主張した。ビデオはいわゆる「国籍条項」があるため消防士になれない外国人に関するものであった。最後に、教育基本法改正論議についてコメントした。「日本人としての自覚」を強めることは、すなわちこの授業で言っている国や国籍などの「視点」を更に強く意識させることであり、さまざまな危険が伴うことを指摘した。
11月18日、第14回
 前回のビデオで「国籍条項」が話題となって、多くの受講者のコメントの対象となったので、「地方参政権・国籍条項について」を使って解説した。ビデオはMichael Breckerのジャズ演奏でした。講議の大部分を受講者からコメントや質問への返答に当てた。日本の良さや発言者・論者の国籍などを意識しずきる傾向に関する話の中で、李御寧の『「縮み」志向の日本人』(講談社文庫、1984年)を勧めた。
11月20日、第15回
 姜信子先生によるゲスト講議。姜先生のHPをアクセスするにはここをクリックしてください。
11月25日、第16回
 最初に18才から24才の若者を対象とした地理に関するクイズの結果を紹介した。ビデオは小笠原の変遷に関するものであった。前回の出席カードに書かれた意見や質問を取り上げた後、アメリカにおける宗教に関する質問に答えた。まず、それぞれの宗教の信者の割り合いや日本との比較などについては「日米の大学生に聞いた意識調査より」や「Top Twenty Religions in the United States, 2001」などを紹介した。次に、「戦争と宗教」について話した。この関連で、私が書いた「日米における『ダミングダウン』と『愛国心』」を読んでもらいたいと思う。
11月28日、第17回
 授業の前半は出席カードに書かれたコメントを紹介しながら、感想などを述べた。その後、「文化論の悪用」に関する講義を始めた。最初の項目の「戦争の手段 」との関連で、「Faces of the Enemy」というビデオを見せ、戦争と文化論の関係について解説した。ビデオと同じ主旨の本としてFaces of the Enemyがあり、『敵の顔』という題の日本語訳が図書館にあるので、関心のある方に見ていただきたい。また、ビデオで登場したJohn Dower教授のWar Without Mercyの日本語訳である『人種偏見』も図書館にある。ビデオに見られるような「敵」の描き方は今でも見られることがある。その例として、小林よしのりの『戦争論』(本学の図書館にはないが、『小林よしのり氏の「戦争論」批判』ならある)を取り上げた。OHPで小林氏がどのように「敵」を描き、どのようにその敵の人間性を否定しているかを指摘した上で、異質な外国人のイメージで日本人としてのアイデンティティーの強化を促す手法を指摘した。
12月2日、第18回
 「文化論の悪用」について講議した。その4つ目の項目「改革の手段」の例としてNHKのドキュメンタリーを取り上げた。ワイドショーによるプライバシー侵害などを指摘するこの番組の中ではアメリカの報道が節度あるものとして紹介される。日本の報道の問題点を強調する目的でアメリカのメディアの一部しか取り上げていないので、アメリカの報道を美化する結果になっている。アメリカのメディアにも日本のワイドショーと同じ程度、あるいはそれ以上に節度のない、低俗な番組があることを示すために、アメリカのトークショー(talk show)を批判的に取り上げている討論番組(ABCのNightline)のビデオを見せた。なお、授業では紹介しなかったが、1998年に同じ問題について書いた新聞記事があり、ここをクリックすれば閲覧することができる。
12月5日、第19回
 「文化論の悪用」に関する講議を終了した。6つ目の項目「議論を阻止する手段」の関連で、アメリカで射殺された服部剛丈君に関するビデオを見せた。服部君のご両親が署名運動を進めて、集められた署名をクリントン大統領に届けた。少数のアメリカ人は日本人が「アメリカの文化」である銃所持について日本人が意見を主張することが「内政干渉」であると受け止めたようだ。しかし、こうした問題はけっしてアメリカ人だけの問題ではないし、「文化」を盾に議論を拒否することは文化論の悪用であると考える。この関連で、私が当時朝日新聞に投稿した文章「銃規制運動は日米理解開く」を読み上げた。
12月9日、第20回
 前回の講義で見せたビデオについて、1993年11月16日、服部家とホームステイ先のヘイメーカー家の二家族がそろってクリントン大統領に面会し、日本の署名170万人分と米国分15万人分を渡したにもかかわらず、NHK作成のビデオではアメリカ側の署名活動などにはまったく触れなかったことを指摘した。アメリカ市民の意見が別れていて、服部君のご両親の主張に賛同し、共に活動したアメリカ人が多かったにもかかわらず、NHKは「日本vsアメリカ」という単純な図式で報道してしまい、多くの視聴者に誤解を与えたに違いない。今回の講義において、こうしたメディアの危険性のもう1つの例として、米海兵隊員による少女暴行事件に関するニュース・ステーションの報道(1995年11月8日)を取り上げた。まず、ニュース・ステーションでABCの報道に触れていたので、その報道のビデオを見せた。その後、ニュース・ステーションの報道のビデオを流した。ビデオを一度見た後に、その中身を詳細にけんとうするために、番組でなされた解説をOHPに映した。そのスライドはここにある。解説を分析しながら、番組で取り上げられたNew York Timesの記事をOHPに映し、検討した。ニュース・ステーションの報道の問題点を明らかにした上で、同様に誤解を招き、固定観念を広める報道はアメリカでもよく行われることを指摘した。固定観念や先入観に捕らわれないためにはメディアを批判的に見る必要がある。
12月12日、第21回
 言葉と文化に関する講義を始めた。まず、思考と言語の関係に関する図を使って、翻訳などの問題について話した。日本語を単純に英語に置き換えていこうとすることがなぜうまくいかないかの例として、greenという単語と日本語の単語との複雑な関係に関する図を使って説明した。ビデオは戸田奈津子氏とのインタービューであった。
12月16日、第22回
 前回の翻訳に関するテーマの続きとして、リービ英雄氏(作家、法政大学第一教養部教授)とのインタービューのビデオを見せた。リービ氏は日本語を母後としない、日本語の新たな担い手の1人である。リービ氏はたいへん個性的ではあるが、日本語の世界においても、英語など他の言語の世界において、その言語を母語としない人の文学が高い評価を受けている。この現象について「国際語とは何か?」というスライドを使って解説した。使用している言語は母語でないというハンディーはあるが、異なるの言語の感覚や発想に精通しているからこそ新鮮な表現ができる場合もあると思う。言葉はけっしてその言語を母語として使う人だけのものではない。どの言語も国際語になりうる。ちなみに、リービ氏の小説『星条旗の聞こえない部屋』は本学の図書館にある。
12月18日、第23回
 「言葉と文化・見方」というスライドを使って講義した。言語と発想やものの見方は密接な関係にあることを主張した。従って、外国語を学ぶことは異文化を学ぶことでもある。ただし、逐語訳的な方法で、外国語を日本語の置き換えとして学習しようとすると、その外国語特有の発想やものの見方などに目をつぶってしまうことになる。この意味で、誤解をうむという意味で翻訳中心の受験勉強がむしろ有害である。ビデオはマクドナルドのインドへの出店に関するテレビ朝日のニュースステーションの特集であった。特集の後に久米宏キャスターの「外人は片言であってほしい」というコメントに対する抗議がきっかけとなり、ニュースステーションは「外人」という言葉に関する新たな特集を組んだ。その特集を2本目のビデオとして見せて講義を終了した。
1月6日、第24回
 前半は前回見せてビデオのテーマであったや「外人」や「外国人」という言葉について講義した。それぞれの概念の違いを示す図を板書して説明した。「外人」は単に「外国人」の別の言い方や省略形ではなく、異なる概念であることは重要なポイントだ。概念が違うので、使うか使わないかは言われる側の気持ちだけではなく、言う側にとっても言葉の選択が重要だと思う。つまり、自分自身の思想に合う概念はどれかについて考え込んでみることは言う側にとってもプラスになると思う。その後は1991年ごろにNHKが放送した「日米市民討論」という番組の中の日本人は働きすぎかどうかに関する部分をビデオで見せた。働くことをめぐって日本人とアメリカ人の価値観などが180度違うという通念(固定観念)が番組の前提になっていたが、その「常識」の型にはまらない日米の市民の発言が見事にその前提を崩して行った。ビデオを見せた主な目的は「日本人は働きバチ。アメリカ人はレジャーを大事にする。」という固定観念の問題性、そしてマスメディアを鵜呑みにすることの危険性を認識させるためであった。
1月9日、第25(最終)回
 期末試験の準備として中間試験の設問を分析し、どのように採点したかを説明した。良い点をとるために設問を注意深く読み、解答がきちとん設問と噛み合うように注意しなければならないことを強調した。このことは実は試験の特殊な「技術」ではなく、コミュニケーションの基本であると思う。つまり、相手の問いや発言をよく聞いて、返事やコメントがその問いなどときちんと噛み合うように努力することは異文化間コミュニケーションなどにおいても大事なことなので、試験でもこの点を重視する。ビデオは司馬遼太郎氏の「21世紀に生きる君たちへ」を紹介するものであった。司馬氏は私が25回にわたって伝えたいと思ってきたことを小学生にも理解しやすいことばで、巧みに表現なさったと思う。(このエッセイは司馬遼太郎著の『十六の話』[中央公論社、1997年]に含まれている。本学の図書館の一階にある。[914.6||SH15])このビデオを見せながら、中間試験の成績を黒板に貼って、授業中に受講者に確認してもらった。当日確認できなかった方、あるいは再確認したい方はここをクリックすれば、確認できる。試験そのものを研究室(研究棟の408号室)に来てくれれば返却する。採点方法などに関する疑問があれば、説明するので、遠慮なく聞いてほしいと話した。最後に、期末試験の中のテキスト(中根千枝著の『タテ社会の人間関係』)に関する問題について若干の説明をした。中根氏が本の中で展開する理論の中心的な概念は「場」と「資格」であり、この2つの概念を中心にどのような理論なのかが説明できるように準備してほしいと言った。また、その理論の例として本の中で取り上げられている事柄と中根氏の理論との関係が説明できるように準備することを勧めた。例えば、「年功序列」と中根氏の理論で言う「場」とはどのような関係があるのかを説明できれば、その1つの事柄と中根氏の理論との関係を説明したことになる。頑張ってください。

講義のレジメ

25回にわたる講義内容の見取り図である。これで全体の流れや構成を見ることができる。


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