「人種」という言葉は根本的な誤解を招く。生物学的な観点からはヒトには1つの「種」しかない
およそ5万年ほど前に2万人以下のヒトの集団がアフリカから移動を始めた
ヨーロッパやアジアにいた旧人類に取って代わった
どの人間も7,000の世代ほど遡れば、この共通した祖先に辿り着く
移動や交流が多すぎた
南北戦争が終わってから、多くの南部の州で白人と黒人の「分離」(差別)を徹底させるための法体系が作られた。この法体系のなかで「黒人」の定義が必要となった。多くの南部の州では「ワン・ドロップ・ルール」(例えば一滴でも黒人の血が混じっていると黒人とみなされるような捉え方)で判断することになった。
例えば、Plessy v. Ferguson(1896)の判決がある。鉄道施設における人種隔離が憲法修正14条に違反しないかどうかが争われた裁判。連邦最高裁は、各人種に提供されている人種別公共施設の設備がおおむね同等である限りは、「平等保護」条項に違反しないという判断(「分離すれども平等 Separate, but Equal」)を示した。Homer Plessyは7/8「白人」で、見た目は白人だったが、1/8「黒人」だとので「黒人」として差別された。
「白人」と「黒人」の「違い」を無理矢理維持するために、多くの州に「異人種結婚禁止法」ができた。1952年には、48州のうち、29州に「異人種結婚禁止法」があった。
Loving v. Virginia 判決
Loving夫妻(夫は白人で妻は黒人)は1958年に結婚した。住まいはもともとバージニア州だったが、バージニア州では黒人と白人の結婚が禁止されていたため、近くのWashington D.C.で結婚してから、バージニア州に戻り、夫婦としての新生活を始めたが、まもなく「異人種結婚禁止法違反」の罪に問われることになった。起訴事実を認めたLoving夫妻は懲役1年の有罪判決を受けた。しかし、バージンニア州の裁判官は、Loving夫妻がバージンニア州を離れ、そして25年間戻らないことを条件に、25年間の執行猶予を認めた。
1964年に、Washington D.C.に引っ越したLoving夫妻は控訴したが、1965年にバージニア州の最高裁判所で敗訴した。1966年に米連邦最高裁判所に上告し、1967年に、アメリカ合衆国憲法の州の修正第14を根拠に、「異人種結婚禁止法」を違憲とする判決が出た。
現在のアメリカにおいて「異人種結婚」は多くなっている。