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2024.01.30
高の面白い話(19)

 新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
 2024年は2月10日(土)が春節の日です。今年は辰年(龍の年)を迎えます。“龍”は中国人にとって最も神聖な霊獣で、縁起が良くて、中国文化において権威と瑞祥の象徴とされています。“龍的伝人”(龍の子孫)の中国人にとって“龍年”は好運、幸福の一年と期待されています。中国にとっても世界にとっても、新年が良い年になることを願っています。

 1月中旬から“年会”や飲み会のシーズンに入ってきました。ウィーチャットのモーメンツでも年会に関する情報が増えて、コロナ鍋を経て3年ぶりの開催で盛り上げた年会が復活した気がします。主人が勤める会社を例として、年会は大ホテルの宴会場で開催され、社員のほかに重要パートナーをゲストに招き、各部門が文芸演出を披露し、優秀な社員やチームを表彰したほか、抽選もありました。

 私は得意先の年会に参加後、深センへ会社の年会に参加しました。5年ぶりに中国にご来訪した社長と初対面し、同僚と久しぶりに会って嬉しかったです。宴会に抽選の一環があり、ビンゴゲームをやっていて、私は3000元の2等賞をゲットしました。同僚達は私がきっと2024年に運が良く、昆山事務所の業務が盛り上がると祝福くれました。
 レストランはお酒を持参することを許可しましたので、総経理が事前に清酒、白ワイン、発泡酒を用意しました。酒文化は中国文化の中で重要な一環ですが、女性同僚がお酒を飲まない、南北の酒文化に違いもありますので、私は社長を初め、皆様に1杯づつ“敬酒”をし、感謝の気持ちを伝えてからリラックスに食事をしました。 会食後、半数の人がKTV(カラオケ)へ行きました。皆は歌が上手で、社長はお酒にお強いです。こんなにぎやかな雰囲気が大好きです。昆山に帰ってもまだ回想していました。

 主人が週7日間連続出勤する一方、私は母と子供を連れて、“常州恐竜園”と“太湖龍之夢”に行きました。どれも大きい親子観光地て、遊ぶことができるものが多いし、母も子供も喜びでした。
 “太湖龍之夢”の最大の特色は“宿泊を主とする”と聞きました。観光客を宿泊させ、地域全体の観光を盛り上がって、老人の療養地や学生の研学旅行地になることを目指しているそうです。7個立派なテーマホテルの中、私が6つ星基準の“鑽石酒店”(ダイヤモンドホテル)を選びました。ホテルのロビーに数匹の白虎も飼っていて、単価280元のサーカス入場券2枚と朝食券2枚を含めて一晩凡そ1000元、お得でした。
 ホテル近くに動物園があり、インタラクティブ体験が素晴らしいと思います。有料ですが、近距離で動物に餌やり、動物を抱っこして写真撮影も可能です。
 龍之夢に施設や娯楽項目が多いです。迫力がある“馬戲團”(サーカス)を一回見る価値があると思います。ここには超大の実景サーカス専門舞台があり、中国と外国のエリートが豪華な舞台で共演し、美しいダンス姿、各種の難しい動作、名族風と神話風のシーンが自然に融合されて、可愛い動物達や猛獣まで舞台に登場しました。座席によって料金が異なります。私達は舞台から離れましたが、拍手を絶えませんでした。

夜、四人は無料なシャトルバスに乗って太湖古鎮へ花火ショーと水ショーを見に行きました。ここは完全に人工的に建てられた斬新な古建築と聞きました。ところどころライトアップされていて、湖まで金色に輝いて、不夜城といった感じでした。無料開放かつ週末の原因かもしれませんが、長いグルメ市場に大勢の人がいて、とても賑やかでした。母は“ここは皇居みたい、毎日が新年だな”と感嘆しました。私もそう思いました。 報道により、“龍之夢”は敷地面積が約11,600ムー、総投資額が約251億元という極めて大きな工事です。多く項目がまだまだ建設途中です。一旦完成したら、国内でも有数なスーパー観光地になるでしょう。年に一回“龍之夢”へ行ってその発展を見に行きたいと思います。

常州恐竜園は龍之夢ほど大きくないですが、恐竜をテーマにした大型遊園地で有名です。子供達は恐竜好きの時期がありましたが、今は興味が薄れてきました。
狭い改札口に十数名の従業員が厳しく入場券を確認することに対して、広い恐竜園内に案内係人がいないようでした。ネットの攻略とコメントを確認しながら遊び方が分かるようになりました。

 園内には劇場類、テーマパレード類とトラクション類が楽しめます。特に、4Dジェットコースター、飛躍恐竜山、大津波、翼の飛翔は非常に人気のプロジェクトがあります。どれも高所、猛スビート、刺激な落差がある絶叫項目です。私は乗る勇気がなくて、見るだけてもストレスを感じてしまいます。恐竜園に厳しい身長制限があるおかげで、120cmと130cmの息子が乗れる遊具が少なったです。母の度胸は私より大きいです。“大人同行必要な項目なら、同行に行く”と言ってくれました。入場すると全ての乗り物は無料ですので、なんでも乗れる方にとってとても割安だと思います。
 週末の原因かもしれませんが、少しても趣味性がある乗り物なら待ち時間が長いでした。子供エリアの“夢幻荘園”に行きましたが、子供達に幼稚と思われ、二人はお互いに足を蹴って、追いかけて、最後、大喧嘩になりました。私達は午後1:45の山車巡りを見てから離場し、恐竜園のオフィシャルホテル“恐竜園俱楽部酒店”へチェックインし ました。

 ホテルに様々な恐竜が置かれて、恐竜テーマや部族風の感じでした。夕食後、全員が楽しみにしていた温泉に行きました。ここは約40個の露天風呂があると聞いて、子供達が興奮しました。母がこの間腰をひねって、腕も痛みがありましたので、漢方薬の風呂にも入ってみました。やっはり、温泉は今回の旅行で最もリラックスして快適な一環でした。

 翌朝、ホテルのバイキングを食べてから、ホテルとセットで購入した“恐竜人防災避難体験館”で時間をつぶしました。あまり期待してなかったですが、入場後ここは生命健康と応急安全教育をテーマにした実景体験館と分かりました。地震災害、気象災害、交通安全、日常安全、消防安全と緊急救護などテーマがあり、シミュレーションを通じて、先生が教学してくれます。多くの常識は私すら知らないので、とても有意義な項目と思い、子供達によく聞く必要があると思いましたが、2人の子供は全然集中しなくて授業中に騒ぎ始めてまだ喧嘩になりました。

 ところが、恐竜園周辺の景色が素晴らしいと思います。親子テーマパークとして良い観光地だと思います。私が昆山に帰ってすぐ周りの友達にお勧めしました。夜市も賑やかで、次回、温泉へ行く時間を調整して、夜市でぶらぶらしてみたいと思います。
 本学期終了後、母が子供を連れて実家に戻りました。出発の前日、4人は“RT-MART”に行って、“年貨”( 春節前に購入する新年関連グッズ)を買いました。
 春節の代表色はもちろん赤です。春聯、“福”の字、窓の花、提灯など鮮やかな赤やゴールドの色はおめでたい、にぎやかな雰囲気を演出しています。

 家と会社用の対聯、福の字などを選び、子供達は夢中にキャンディを袋に詰めました。キャンディーは歯の生え変わり時期の子供達に良くないですが、春節に必ずキャンディを買う習慣があります。それ以外、ひまわりの種や様々なナッツも欠かせないです。普段より少し値上げしましたが、松の実、カシューナッツ、アーモンド、ハワイの実、ピスタチオなどを買いました。

 母のおかげで、ここ数ヶ月私は楽に過ごしていました。子供が煙台に帰ってから、弟夫婦が毎日3人の子供を村に連れて来て、家は非常ににぎやからしいです。2月3日私が実家に戻ります。家族と団らんして新年を過ごすのを楽しみにしています。

※一部赤文字で注釈をつけています.文章は高さんの記述のまま掲載しています.

2024.01.24
三重県議のミッションが溝上教授を訪れ,勉強会を開催しました.

 2024年1月24日の15:00に,溝上教授が5名の三重県議の訪問を受け,地域公共交通の再デザインや新たなオンデマンドモビリティの導入可能性などについて意見交換をしました.
 今回のミッションのメンバーは昨年8月末にも熊本を訪問されたのですが,飲みながら熊本市の公共交通政策の先進性の紹介をしました.その際,もっと公共交通政策について詳しく知りたいという希望もあって,今回のミッションが計画されたようです.溝上教授訪問の他にも,世界文化遺産である崎津集落と観光戦略,有明海の豊かな恵みの海苔とアサリトレーサビリティシステム,熊本市の地域公共交通政策の他,熊本慈恵病院の赤ちゃんポスト活動の訪問・調査など,どこかのエッフェル姉さん達とは違って,実に意義のある2泊3日の視察をされています.

 団長のH県議は,学会主催の東北地震の被災地視察で溝上教授と一緒になったこと,ご令嬢が広島大学藤原研出身でJICA職員であること,熊本地震発生直後に沢山の赤福を持って被災した研究室への訪問を受けたこと,熊野古道旅行の際に道の駅マンボウでばったり会ったことなど,溝上教授とのいろいろな縁で今回のミッションになりました.
 溝上教授は三重県でも幾つか実証実験が行われ,一部は実運行されているオンデマンドモビリティやMaaSの役割と導入方策について,熊本県内の事例などを参考にして説明しました.また,年明けの能登半島地震のインフラ啓開・復旧に対して,2016年4月の熊本地震や2020年7月の球磨川豪雨水害の時の教訓も聞きたいというミッションからの希望もあったので,熊本大学減災センターの安藤宏恵先生に講演を依頼しました.信頼性や強靱性の正しい理解と豪雨時の避難所の最適配置の考え方など,有用な情報を得ることができたようです.

 夕方からの懇親会も2次会も盛り上がりました.今回の熊本ミッションが三重県の地域公共交通政策や防災政策に役に立つことを祈念します.

2024.01.11
東大まちづくり大学院で非常勤講義を行いました.

 

 明けましておめでとうございます.皆さん,今年も健康で飛躍の年にしましょう.

 2024年新年早々の1月11日に,東大まちづくり大学院の「都市の交通政策Ⅱ」の非常勤授業を行ってきました.この授業は当時の東大都市工の原田教授から依頼されて2015年度から行っているもので,振り返れば今年度で8年になります.早ーッ!この間,コロナ感染症の蔓延のために3年間はリモートでの開催となりましたが,今年は5類移行後,初めてのハイブリッド開講となりました.
 東大まちづくり大学院は,2007年10月1日からスタートした東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻・社会基盤学専攻・建築学専攻の3専攻を横断する社会人向け教育プログラム「都市持続再生学コースで都市づくり・まちづくりに関する統合的・実践的・国際的な知識と技術を修得した高度専門職能人の養成を行うことを目的とした社会人向け修士課程です.
 コロナ禍前は約20人が対面で受講していたのですが,コロナ禍の3年間が完全リモートになったのを機に,その後はハイブリッドも可となったこと,学生は社会人であることもあって,対面で授業に参加してくれたのは3名,18名がリモートで聴講しました.対面で聴講してくれた3名は,同期の中で2番目に高齢(おそらく50歳代)で視覚障害のある旅行代理店経営者,博士(法)と弁護士資格も持つ不動産開発会社勤務のサラリーマン,この大学院入学を機に仕事を辞めて学生に戻った元サラリーマンです.
 熊本市の公共交通政策の理論とその実践例について6,7限の2コマに渡ってお話ししてきたのですが,問題意識も知識習得意欲も高い社会人学生ですので,私の稚拙な話にも熱心に聴講してくれました.さらに,公共交通を民間が提供することの合理性とか運輸連合のあり方など,私も思案中の本質的な課題についての矢継ぎ早の質問を受け,たじろぐ場面もありました.さらに,21:30の授業終了後には一緒に近くの赤門餃子店での懇親会に誘ってもらい,ビールと餃子,中華料理数品を所望しながら,楽しい時間を過ごしました.最近は鬱々としていた私ですが,学生諸君からの質問や意見は新鮮であり,久しぶりの質の高い議論と対話に元気をもらいました.来年もこの非常勤授業の講師として呼んでもらえるよう,このテーマについて更に研究と実践を積んでいきたいと思いました.

2023.12.23
福岡モビリティショーに出展しました.

 熊本学園大学・福山コンサルタント・ゴダイベストは共同して,福岡モビリティショーにMulti-Agent based Urban Mobility Simulator (MAUMS)を出展・展示しました.森さんと溝上教授とで1日半ずつ,ブースでの説明を担当しました.MAUMSはマルチエージェントベースアクティビティシミュレーションモデルとメソ交通流シミュレーションモデルを結合した活動/交通シミュレータです.現在,荒尾市のおもやいタクシーを対象に,その適用可能性や内装されている部分モデルのパラメータ更新を図っています.そこでは,リアルタイムオンデマンド最適配車システムのSAVS(Smart Access Vehicle System)と連携させたリアルタイムオンデマンド型乗合タクシーの需要予測や導入効果の分析を行っています.
 モビリティショーはかつてはモーターショーと言っていたのですが,新型自動車やコンセプトカーの展示だけでなく,EVや自動運転技術,新たな移動サービスなど,モビリティという視点で最新技術の展示を行うために,今年度から「モビリティショー」というタイトルに変更になりました.コロナ禍のため,2109年以来4年ぶりに開催されたこともあって,福岡モビリティショーは大勢の入場者があり,MAUMSのブースにも自治体関係者,この分野に興味がある学生や関連企業の方々が訪れてくれました.

2023.12.18
高の面白い話(18)

 日本本社と各支店にとって社員旅行は毎年恒例ですが、2007年成立した深セン分公司として、初めての社員旅行を実施しました。
 社内投票で行き先が桂林と決めたら、次は予算内かつ自社のニーズを満たせるプランの確定でした。複数の旅行代理店から企画案をとり、携程(中国旅行大手トリップドットコム)が提案した2泊3日のバス団体ツアーが選ばれました。旅行初日は11月18日(土)、ちょうど私の手術から1ヶ月でした。
 旅行代理店との打ち合わせ、参加者数量の確定、交通手段、宿泊先、食事場所など具体的な内容を含む最終案がでるまで二週間かかりました。全員にとって満足度の高い旅行になれるため、担当の同僚は熱心に全員の意見を取り入れ、一箇所ても増えるようにスケジュール調整など専念しました。最終的に、桂林市、陽朔、漓江の代表的な観光スポットー海洋銀杏郷、象鼻山、相公山、興坪遊覧船、銀子岩、十里画廊、西街、如意峰、桃源郷、観賞印象劉三姐公演が全部スケジュールに入るようになりました。
 会社が家族同行を許可します。家族の費用は各自負担です。奥様、子供を連れていく同僚がいます。私が母を連れて行きたいと申し込みましたが、年長者がいると不便と感じる同僚がいたため、11月17日(金)私は一人で深センへ行きました。
 出発当日、1名の同僚が急入院しました。旅行会社と交流を担当した同僚の娘も高熱になってしまい、参加者が4人減りました。全員が深セン北駅で合流後、高鉄で約3時間ほど桂林北駅に着きました。 桂林地元のガイドが駅の出口で迎えてくれました。3日間専用のバスに乗車後、ガイドが行程について簡単に説明しました。桂林(Guilin)は広西チワン族自治区に属します。桂林は長い歴史があり、多民族融合の地域文化が特徴です。桂林人は友人を“狗肉”と呼ぶことを聞いて皆笑ってました。

 1個目のスポットは桂林市中心にある“象鼻山公園”でした。象鼻山は桂林のシンボルであり、無料開放後観光者が大勢いたと聞きました。今は観光ピークを過ぎたため、近距離で象が鼻を伸ばして水を飲んでいような姿を見れました。ガイドの説明により、象について沢山の美しい伝説があるらしいです。一つは、天庭の神象が桂林の美しい景色に魅力されて人間に来て、地元の人々を守り、天兵の天将に対抗することを惜しまず、漓江の水を飲む時殺されて石象になりました。“桂林人になりたい、神仙になりたくない”や“桂林山水甲天下”(桂林の山水は天下一)など名句もあり、桂林の美しい景色を一層楽しみになりました。

 食事後、直ちに次のスポット“銀杏林鑑賞”に行きました。ここは“中国銀杏第一郷”です。百年以上の銀杏(イチョウ、白果)は1.7万本以上があるらしい、最年長な木は“白果王”と呼び、1000年以上の雄イチョウの木です。近くに「状元楼」があり、清代に建てられ、通路には赤い提灯がいっぱ。村は小さいですが、農家楽、旅館、銀杏や桃膠などの特産品を売る屋台が多いです。イチョウの海という感じしませんが、むしろ1~2週間後、木の葉が黄色になって、黄色銀杏葉が地面に落ちて、黄色の海洋になるでしょう。
 夕食は村最大の農家楽で地元の家庭料理を食べる予定でした。オーナーのお母さんは手作業で銀杏の皮をむいてました。彼女は熱心に隣に座っていた私と世間話をしました。銀杏食べる習慣がないですが、私はバスケットに剥きたての銀杏全部買いました。600グラムで12元と安かったです。看板はアヒルの銀杏煮込み火鍋、数々な肉料理がありました。

 往復90㎞、再び桂林市中心に戻り、喜来登ホテル(SHERATON HOTEL)に泊まりました。一人一室贅沢でした。ホテルから、東西巷、逍遥楼、靖江王府まで歩いて行けますが、この度時間が足りませんでした。
 “桂林山水甲天下”の名句の後半に“阳朔山水甲桂林”の句があります。二日目、私達は阳朔、漓江の絶景を楽しめました。晋代陶淵明著《桃花源記》に描かれた“世外桃園”を遊覧できて、観光船がゆっくりと漓江を下り、両岸のカルスト地形の山々を眺めると、自分は山水画の中にいる感じしました。陽朔は何回来ても価値のある場所だと思います。

 夜は張芸謀監督の大型実景山水公演“印象・劉三姐”観覧しました。子供の頃、劉三姐のドラマを見て、彼女が山歌をとても上手だと知りましたが、“劉三姐”は伝説な歌仙で、特定な一人の女性の名前ではないことを初めて知りました。
 演出は劉三姐の山歌(広西少数民族の最も伝統的な対歌)で始まり、伴奏なしの“唱山歌”の声が清らかで、山が照らされて、実景山水が人をうっとりさせます。
 舞台用の言葉は方言でした。シーンが切り替わる度に、ステージの電子パネルに文字で簡単な予告がありましたが、芸術形式で何にを表現したいか、或いは嫁入り、祝日の祭典など少数民族の文化に分からない部分が多かったです。魚網、耕牛、竹筏、鵜など直観的シーンで漓江漁火や漁民の生活労作を表現したシーンが比較的に分かりやすいと思います。“印象・劉三姐”は20年も演じ続けてきました。少数民族が歌も踊りも上手と存じますが、生で自然と人文の融合、聴覚と視覚の衝撃、原生態と芸術形式の並存の演出を見れて、珍しい体験だと思います。
 当日の出演者が800名いって、その中に、3分の2の人はプロではないと聞きました。演出の最後、各村の村民は行列を並んで村の旗を高くあげて謝礼してくれました。昼間は農耕や漁をし、夕方に演出者として舞台に立つ、こんな生き方もあろんですね。桂林の旅は私に視野を広げさせてくれました。

 2日間を経て、皆は少し疲れてきました。一部の同僚は朝出発時間を遅らせたかったため、最終日に、如意峰(如意:中国の伝統的な縁起物)と銀子岩(銀子:中国のかつての貨幣の一つ)だけにしました。二箇所とも縁起が良い地名です。
 如意峰は陽朔で一番高い山峰です。ロープウェーが80層ビルほどの高さまで送ってくれまして、同僚数人が長い透明ガラス桟道がある路線を選びました。私は回復中の体を考えると、総経理の奥様ときつくない如意索橋、赤い桟道の路線を選びました。私にとって1メートル程のミニガラス橋を歩くだけで戦々恐々でしたが、ここで自慢な写真を撮れて、壮大な景色を見ることができました。
 最後のスポットの銀子岩は美しいカルスト地形にできた巨大鍾乳洞です。内部の空洞は広い、千姿万態な石があり、ライトアップしていて、赤い、黄色、緑など綺麗な色で表現していました。“銀子岩に来て、一世お金に困らない”の宣伝を聞いて、私は縁起がいいと信じで、30元を払って、金元宝を触って写真を撮りました。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています

2023.09.22
我が国初の本格的LRT宇都宮ライトラインに試乗しました.

 3ヶ月ほど遡りますが,9月22,23日に宇都宮市で開催されたJCOMM2023in宇都宮に参加した際に,開業間もない宇都宮LRTライトラインに試乗してきました.JR宇都宮駅東口からコンベンション施設ライトキューブへのデッキから降りると,我が国初の本格的LRT宇都宮ライトライン宇都宮駅東口駅があり,そこから芳賀工業団地管理センター前までの約15kmの区間をピーク時6分,オフピーク時10分間隔で運転します.


 我が国初のLRTというと富山ライトレールですが,軌道インフラや車長30mの車両,といった本格的なLRTは総工費700億円の宇都宮ライトラインが最初でしょう.車体の色は深い黄色に黒で,私にはまるでオオスズメバチのように思えました.午前中だったので,宇都宮東口から芳賀工業団地管理センター前へは結構な数の乗客がいました.初乗りは150円,以降は対距離制で,最大が400円でリーゾナブルな料金です.また,我が国では極めて珍しい信用乗車なので,現金による支払いを除いて交通系ICカードによる支払いの場合はどの扉からも乗降できることにも驚きました.市街地を抜けて郊外部では専用軌道なので,交差する道路は全てオーバーパスで通過します.主要な駅にはP&R駐車場が整備され,終点の芳賀工業団地管理センター前にはオンデマンド交通サービス(残念ながら低頻度で定時運行?)も運行しているようです.市街地でも郊外部でも,乗り心地は極めて快適でした.ただし,都心の宇都宮駅東口方向には,この時間帯だからでしょうか,ほとんど乗客がない状況でした.

本気で考え,本気でやれば,我が国にもこんなに素晴らしい公共交通システムが新規の導入可能なことを実体験し,熊本市電延伸やTSMC立地による自動車交通の増加で交通渋滞や住区内交通事故が懸念されている菊陽町や合志市や大津町などへLRTの導入を再度,考えたいと思いました.

2023.12.13
麻布台ヒルズと渋谷再開発,ミチノテラス豊洲を視察しました.

 溝上教授が座長をしている「道路空間を活用したカーシェアリング社会実験(車種拡大)協議会」が12月13日に東京九段の東京国道事務所で開催されたのを機に,最近話題の麻布台ヒルズと渋谷再開発を視察してきました.
 15:00の会議終了後,九段下から地下鉄を乗り継いで日比谷線神谷町の改札を出ると,そこはまさに別世界!そのまま麻布台ヒルズのガーデンプラザレジデンスの地下の広大な駅前広場です.そこから地上に上がると,まるでガウディ設計のようなガーデンプラザA/B/DとCが,更に進むと麻布台ヒルズの目玉でありコンセプトらしい芝生の中央広場が,さらに超高層の森JPタワーとレジデンスAがそびえ立っていました.

 オープン直後なので多くの人たちが見学やショッピングに来ているのですが,ここの住人なのでしょうか,複数の子犬を連れたおしゃれな格好をしたシニア夫婦や,近くの六本木にある外国の大使館やヒルズ内にあるインターナショナルスクールのためか,かなりの数の外国人の子ども達もいました.居住棟の価格は全て億らしく,世界初の民間宇宙旅客者が住むという最上階は100億円を超えるということです.私たち庶民には全く縁の無いエリアです.

 次に渋谷の再開発を視察にいったのですが,既に日没後だったので新たにできたデッキがどれなのか全く分からず,お上りさん必見の渋谷スクランブル交差点と忠犬ハチ公を写真に収まるのに留まりました.ましてや渋谷スカイには行くことができませんでした.

 

 我が国は第3次全国総合開発計画を最後に国土計画が策定されなくなり,国土の均衡ある発展や首都機能の分散といった思想は消滅してしまいました.東京だけが巨大化した恐竜のようですし,今後も公平性を欠いた効率性だけを追求した国になるのでしょうか.

 東京からの帰りの飛行機からの富士山と相模灘?は美しかった!

2023.12.01
溝上教授が慶誠高校に出張講義に行ってきました.

 12月1日に,熊本市内の慶誠高校に招聘されて,溝上教授が出張講義に行ってきました.本学では全ての学部からおおよそ20件ずつ,大学での講義をリアル体験する出張講義テーマを設定しています.出張講義は,オファーがあったテーマと教員が高校を訪問して高校生向けの講義を行うものです.
 他の先生方のテーマが真面目で難いのに比べて,溝上教授のテーマは「自動運転とシェアリングが融合した新しいモビリティサービス」という今っぽいものだからでしょう,昨年度の水俣高校に続いて,連続で2回目の出張講義となりました.
 慶誠高校は直ぐ南の九州学院高校,北東の開成高校に挟まれた小規模な高校で,大正11年に「熊本女子職業学校」として設立され,昭和39年に熊本女子高校,平成9年に今の慶誠高校に校名を改称したようです.卓球部は令和3年には男子は5年,女子も3年間連続で県高校総体優勝,吹奏楽部も7年連続で全国高等学校総合文化祭に出場しています.大学への進学は多くはないですが,特別進学コースと進学コースがあるようです.
 今回は,理科室において,特別進学コースの2年生9人,1年生10人の計19人が溝上教授の出張授業を聴講しました.大学の授業ではほとんど見られない光景ですが,受講者全員が前から詰めて着席し,ノートにメモをとりながら熱心に聞き入ってくれました.これも大学の授業では滅多にないことですが,2件の質問と1件の感想もありました.
 本学へは例年50人ほどが学校推薦枠で入学しています.受講した特別進学コースの生徒は全員が国公立を第一希望としているようですが,その滑り止めでも良いので,本学の総合選抜試験を受験してくれればと願っています.

2023.00.30
中村さんと森さんが揃って学位を取得しました.

 

 中村嘉明氏と森利勝氏が9月末に揃って博士(工学)の学位を取得しました.
 両者の学位論文のタイトルは下記です.

中村嘉明: 路線バス事業者における運行計画の立案に関わるシステム導入の課題と解決のための実践
森 俊勝:外部配車システムと連携させた交通シミュレーションモデルによるオンデマンド型乗合タクシーサービスの導入効果の評価

 おめでとうございますと同時に,大変ご苦労様でした.というのも,両氏とも入学当時は共に構造計画研究所に勤務していた社会人であり,中村さんは社内のバスサービスシステム開発部門の営業管理職として超多忙なために実質5.5?年,森さんは途中で起業したりしたこともあって実質5?年かかっての到達です.途中,休学なども入れるともっとかかっているのですが.この間,私は2021年3月に定年退職したので,実質的には私が指導したいたものの,最終的に学位論文にまとめるのには円山先生に面倒を見ていただきました.有り難うございました.
 社会人DCは,今年,福山コンサルタントの社長に就任した栄徳洋平氏以来,これで3人目です.大変,誇らしいです.
 熊本学園大学にも博士後期課程があります.私はさらに5年は在職できそうなので,修士や博士の学位を取得したいと思っている皆さん,修士(経済学),博士(経済学)となりますが,入学しませんか?まだまだ一緒に勉強する元気と気力は残っていますので.

2023.11.16
高の面白い話(17)

 10月17日、私は子宮筋腫手術をしました。普段は元気いっぱいですが、顧客訪問中に急な大量不正出血があったため、その週末の9月24日に昆山中医院の婦人科を受診してみました。CT検査と血液検査を受け、そこで子宮筋腫と貧血だと分かりました。医師が手術が必要だと説明、その場で入院書を出してくれました。 普段、手術するほど酷い症状が気づいていないため、手術を避けて、薬治療法がないか粘り強く医師に確認しましたが、医師が筋腫が内膜を圧迫して、既に貧血の要因となっているため、手術するしかない結論を出されました。私は手術したことがないです。“開刀”を聞くととても怖くて医師の前で泣きました。

 昆山中医院は三級甲等漢方病院です。去年年末頃昆山市内から昆山西部に移転したばっかり、建物が斬新で立派で、昆山有数な総合病院です。私は病院の庭で入院保証金2000元と書かれた入院書を握って、泣きながら日本出張中の主人と通話しました。 二人ともそのまま即検査、即入院という緊急性を要しないと思い、入院することが決まるまで、仕事の手配や子供達の世話といった課題もありますし、当日の入院は無理です。医師が処方した補血薬だけを取って、病院隣のパン屋さんで子供達が好きなパンを買って家に戻りました。テレビを見ながら朝食を待っていた子供達が私が手術することを聞いて、私のことを抱っこしてくれて、“手術をさせない、入院しないで”と心配くれました。

 2014年主人は中国赴任に来てから会社が私達に東京海上保険の契約して頂いています。この度、保険会社に連絡してみようと思い、何通の電話後、上海にある代理機構の担当者と連絡を取れました。私の事情を聞いて先方は熱心でした。ご説明により、東京海上保険は昆山での協同病院がないです。昆山で診断や治療など先に行い、発票で全額支給という選択肢以外、隣の上海か蘇州にあるいくつかの協同病院も選べます。協同病院で受診する場合、代理機構が予約から勘定まで全て手配くれます。協同病院は知名度が高い公立病院や施設が良い私立病院などがあると聞いて、私は歴史がある上海第一人民病院を決めました。一時間後、代理機構が翌日の上海第一人民病院の国際部で初診の予約を取ってくれました。

 私にとって公立病院の国際部で受診するのは初めてです。ここでワンストップ医療サービスを実施しています。受付は6階にあり、スタッフの数量は患者より多い、施設や雰囲気は日本に似っています。門診(外来診療)や検査などへ行くとスタッフが案内しながら同行くれますし、自分であちこちで行列を並び診察を受けたり、検査報告書を取ったり必要もありません。何によりも、私が初診のみ海外旅行保険金請求書県委任状の被保険者の情報、病気の内容を記入し、次回からサインのみして、保険会社が関連手続きを全般してくれて、自費が要らないです。母の話を借りて、外国来賓を接待するようなサービスを受けているような贅沢感します。手術は避けられないが、こんな立派な病院で気持ちよくサービスを受けられるのはとても幸運です。初診の日、私は色々感じて、深夜遅くまで残業の主人とその会社に不満がありましたが、この度心から“あなたのことを感謝します。会社に感謝します”と主人にメッセージを送りました。

 私の担当医師が婦人科の専門家らしいです。この病院のCT検査結果により、子宮筋腫手術しないといけない結論が出ました。貧血が酷かったため医師がすぐ手術に向いてないとご考え、まず昆山の医師が処方した補血薬を10日間飲んで、血液量が回復してから手術する計画を立ってくれました。 国慶節期間私は実家に帰って、食事も休みも良かったのて、再診を受けた時、血量が医師の予測通りに回復出来ました。代理機構がすぐ病室を予約を取ってくれて、手術は10/17に決めました。私は対応できる仕事をこなした後、入院一週間のの病休を取りました。何人かの同僚は私が手術することを聞いて、励ましてくれました。私が何度も泣いたことを率直に伝えたら、子宮筋腫がある女性が多いと言われて、小さな手術なので恐れることはいらないと手術の経過を分かち合ってくれる同僚もいました。

 入院と手術は国際部の9階で行いました。入院当日、代理機構に用意必要なものがあるかと確認したら、何も準備しなくても良い、ホテルに泊まる感覚で結構だと言われました。昼頃、6階の受付に着くとスタッフが私を9階のカウンターまで案内くれました。看護師が部屋番号を確認くれて、彼女は“この部屋はあなた一人のものだ”と言いながら、病室までガイドくれました。南向きの個室は清潔で広いです。独立トイレとシャワールームがあります。寸土寸金の上海では、こんな条件が良い病室はさすがに1日1、2千元がかかると私は甘く思いました。

 午後、数個の検査を受けました。国際医療保健センターは院内すべての医療救急施設のグリーン通路を使うことができ、検査は順調で、報告書もその場で受け取れました。病室に戻って、医者と看護師が私を見に来ました。私は勇気を出して手術の方法を確認しました。 私が単一筋腫です。単孔腹腔鏡を通じてへそに切開後、腹腔鏡の器械に入れて手術します。医者が話しているうちに私の涙が止まらなくなってしまい、病室に残る看護師が“手術はとても成熟しているので、心配いらないよ、手術室に入る時泣かない方が良い、不安定な場合、麻酔薬増量の場合がある、術後の回復に不利だよ”と言われました。 私は麻薬が100%効くかと看護師に尋ねました。彼女は“それはもちろん100%効く、あなたを起こした時に手術が終わるだ”と回答くれました。

 暫くして、執刀医者と二名の医者が会疹に来て、手術告知書なども持ってきました。手術中可能なリスクが書かれて、家族のサインが必要です。私の手術は翌日の一個目でした。夜8時下痢薬を飲み始め、夜11時頃主人は病院に駆けつけてくれました。 手術の前夜、私達はよく眠れました。7時半頃看護師が私を起こして、病人服のボタンを後ろに向けて裏返しに着させて、病室の入り口に待っていた移動可能な病床に寝かせました。私は横になって目を閉じて手術室まで運ばれました。そこには冷房が吹いて寒いし、何かの設備の音が“ダダ”としていて、若い看護師2人は談笑しながら、準備の仕事をしました。女性看護師が私の両側の腰に針を刺して、それから私はすっかり眠れました。

看護師は私を起こして、間もなく私は病室に移動されて、夫は綺麗な花を買って待っていました。時間は12時過ぎでした。夕方に執刀医者一日の手術が終えて私の様子を確認来ました。手術は成功して、筋腫も良性であることを教えてくれました。 手術後の三日間は朝から晩まで点滴をしました。体にパイプが挿されて、ベッドに横になって疲れているし傷口が痛かったです。次の二日間、傷口が段々痛くなくなりましたが、排気がしてなかったため、腸にガスがあり、私はあちこちの痛みを咀嚼しました。6日目、排気が順調になって、痛みが断トツに減りました。中国に“好了伤疤忘了疼”(かさぶたが取れると痛さを忘れてしまう)という諺があります。私はまさがその気分でした。主人とドラマを見たり寝たりして、二人ともこんな日は快適すぎると満足でした。

 週末病院は退院手続き対応しないため、10/23(月)午前中へそに挿したチューブが抜かれて、午後退院しました。手術は1万元未満でしたが、入院期間のその他の費用は65000元もかかったことに対して、主人も私も驚きました。一晩に5、6千元の病室費用は贅沢しすぎて勿体無いと思いますが、入院条件が良すぎて私の回復は素早く出来たと思います。 家に帰ると、2人の子供は大人しくて私に休憩させてくれました。入院期間義理の母が子供達の世話をしてくれました。主人のおばあさんは今月かわるがわる世話があるため、昆山で10日間滞在後、義理の母が安徽省に戻りました。

 退院当日の夜10時、母が高鉄を乗って実家から私の世話をしに来ました。両親と弟がハト4羽、実家飼っていたオシドリアヒル1羽と豚足2個、スペアリブ豚肉10KG、ナマコ10KG、蚕蛹(カイコさなぎ)1KGなど用意しました。以前、母がエレベーターに乗ることさえ怖かったが、今回は一人でこんなに沢山の荷物を持ってきて数回のエレベーターを乗り降りしてきました。実家では、手術した人に対して、親族や仲が良い隣人がお金をくれる習慣がり、両親は10000元をくれて、弟は1000元をくれました。 母が来てから、二人の子供の世話、学校までの送り迎え、一日三餐、洗濯お掃除など全部母がやっています。私は毎日部屋で安心に寝れて、母は私をかわいがって、一途に私の世話をしてくれました。

 毎日、母が丁寧に料理を作ってくれます。毎朝、私は蚕蛹8個、ナマコ1匹、荷包蛋(ポーチドエッグ)1個を含む、母特製な暖かい、タンパク質たっぷりの栄養食を食べます。私はテーブルまで移動して、母が料理をテーブルまで持ってくれます。 母は小麦粉を使って麵食作るのが得意です。まんじゅうやギョーザにたっぷりの実家製ビーナツ油と実家飼った豚のお肉で調味した具は香ばしくて、瘦せっている子供達が食欲全開になっています。

 生活に戻り、母は6時に起きて、10時に寝ます。64歳の母が3人の世話をしていて大変だと存じます。次男は拼音(ピンイン)を中々覚えられなくて、母が熱心に指導しています。母は率直な人です。冗談に言えば“不怕得罪人”(人の機嫌を損ねることを恐れず)の性格です。子供達が家にいるといたずらします。喧嘩したり、いけないことをやってしまうと、母はすぐ批判の声をします。こまめに懇切に教えることは母の素朴な熱意と思いやりと分かっていますが、よけなことしなくてもいいのにと母に言いましたが、母が”できない“と笑ってくれて、私が不適切な話をしても母は怒らないです。

 10月末、村から連絡があり、煙台市牟平県政府が母に“牟平好人”の栄誉を表しました。母は広い度量があり、心が優しい、人助けを楽しみとして、力を尽くして家庭を経営しています。母は私の保護傘でもあります。 母が昆山に来るたび、私の世話をしてくれています。2014年と2017年、私が二人の子供を産んだ時、母は伺候月子(産後の介護)しに来て、2回とも40日間朝晩に私と子供の世話をしてくれました。私が回復後、母がすぐ実家に戻り、弟の養殖場と農作業に投身しました。今回、ぜひ母に実家で食べられないものを食べさせたいと思います。

 最近はいい感じに回復しました。天気が良くてお散歩を兼ねて昼食は母と外食をしています。二人は高級な品注文しないが、お店の雰囲気を借りてお話をして、母は昆山が煙台市によりずっと発展していることを感嘆して、父と弟について、若い時代の昔話を話してくれます。母は楽観ですが、時間が経つのが早すぎると嘆くことがあり、七十代、八十代になったらどうなるのか心配もありました。私は静かに母のお話を聞いて、時は今のままでいてほしいです。

 母は睡眠の質が高くなくです。子供達は毎日おばあちゃんを抱いて寝なければならないし、次男は夜中にオシッコを起こす必要があり、たまにおねしょをすることもあります。主人は夜中に帰ってきて注意せずに音を出して、母はうまく休憩できないと心配しますが、母は毎日とても元気で、いつも笑顔です。11月中旬、私のおじいさん(母の父)の記念日があるため、母はその前に実家に帰ります。母が昆山にいる時間を大切にします。

 病院は1カ月間病休出してくれましたが、退院後1週間休んでから、私は在宅勤務を始めました。用事がない時ベットで休養します。10月30日に会社の取締役と前任総経理が昆山事務所へ来きました。食事のお付き合いができませんでしたが、上司達とお会えて会話が出来て嬉しかったです。病休期間、会社から全給料出してくれました。体を回復後、2023年営業予算の達成に向けて努力し続けたいと思っています。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています