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2022.10.01
ゼミの学生3人が「公共交通100円の日」の利用者に対するヒアリング調査に協力しました.

 
 

 10月1日(土)は「公共交通100円(子ども無料)の日」でした. 3年前の2019年9月14日(土)には再開発ビルサクラマチクマモトのグランドオープンに合わせて「熊本県内バス・電車無料の日」が実施され,25万人という,通常の土曜日の2.5倍が利用しました.さらに,中心商店街への回遊も増加したり,その後も公共交通の利用者が増加し続けたりするなど,中心市街地の活性化や公共交通の利用者増に大きな効果を与え,全国的に注目されたイベントでした.1年後の一昨年,それに昨年度も同様のイベントが企画されたのですが,コロナ感染症の蔓延により,中止されてきました.今年度は満を持しての開催でした.
 2019年の「熊本県内バス・電車無料の日」では,利用客の増加とそれに伴う消費の効果を検証するため,熊本市と九州産交が協力して,来街者の公共交通機関利用実態と評価,消費額などに関するヒアリング調査を行いましたが,今回も同様の調査を行いました.今回は,溝上教授の演習Ⅱ(ゼミⅡ)の2年生1人と演習Ⅲ(ゼミⅢ)の3年生2人が自主的にヒアリング調査に協力してくれました.都市や交通,中心市街地の活性化政策を考える上で,フィールドに出て,そこで活動している人の生の声をヒアリングすることはとても有意義な経験となります.3年生には,演習課題の一つとして,得られたデータを分析し,それを卒論につなげてもらいたいと思っています.

2022.09.14
溝上教授が県立水俣高校で出張講義を行いました.

 学園大学では,受験生確保や高大連携を目的として,教員が高校に伺い,高校生向けの講義を行う出張授業を実施しいています.全学から79,経済学部からは21の講義テーマが登録・公表されており,高校はその中から受けてみたい授業を選択,派遣依頼するというものです.私は「自動運転とシェアリングが融合した新しいモビリティサービス」というテーマで登録していたのですが,県南の県立水俣高校からお呼びがかかり,9月14日(水)16:00~17:00の1時間の予定で講義に伺いました.嬉しいことです.
 水俣市からは,内陸山間地域で「ドアtoドアオンデマンド乗合タクシー」実証実験を行うに当たってアドバイスを依頼されていたので,出張授業の前に,実証実験事業の受託者であるUTMS熊本と市の職員と一緒に現地視察をしてきました.実証実験の計画だけでなく,水俣市ではUTMS熊本がMaaSアプリのMyRouteを使った水俣MaaSを実装していることも含め,聴講する高校生に自動運転とシェアリングが融合した新しいモビリティサービスと社会や生活について話をしました.
 出張講義を聴講しに集まったのは12人の生徒と校長先生,進路指導受任の先生です.熊大時代は進学校の進学希望者に対して,専門的なことを分かりやすく説明していたのですが,今回は大半が1,2年生の上に,実業系の学科の生徒もいたので,どのような内容,レベルで授業を行えば良いか,非常に難しかったです.しかし,全員,目をキラキラさせながら聞いてくれました.水俣市という地域柄,公共政策に興味があり,将来は地元で公務員として働きたいという生徒が多いということでした.少しは面白さが伝わったでしょうか.

2022.09.04
プチ研究室同窓会+退職祝い会が開催されました.

 コロナ感染症の蔓延で実施できなかった溝上先生の退職祝い会,およびプチ研究室同窓会が,万全の感染対策の上で9月3日(土),4日(日)の1泊2日で,玉名温泉花鳥風月の宿さつき別荘で開催されました.コロナ第7波のため,規模を大きくしないようにするため,今回は1期から7期までに限定したものです.
 言い出しのT君は社内にコロナ感染者が出て濃厚接触者となり,出席を楽しみにしていたK君も職場の厳しい移動抑制令のために,急遽,参加できなくなったのは残念でしたが,溝上先生と奥様の他,遠くは東京からの2人を含めた卒業生12人が集まりました.
 さつき別荘は斜面に沿って庭園があり,そこに露天風呂2つ,離れ4棟があるとても落ち着いた雰囲気の宿でした.十分なコロナ感染対策がされてた大広間で18時から宴会を始めました.参加者は常時,マスクをつけた状態で会話をせざるを得ないのは本当に残念でしたが,用意されたサーバーから飲む生ビールは本当に久しぶりですし,ご当地の花の香純米大吟醸と菊花ワインシャルドネは絶品でした.
 研究室の創設期の学生とは,溝会教授が熊大に赴任して間もない上,歳もそれほど離れていなかったので,特に密に付き合っていたこともあって,探偵とこそ泥,漫画収納,就職辞退,できちゃったなど,当時の話に花が咲きました.参加者は大学教員から国や県,計画系コンサルタント,IT関連会社,不動産デベロッパー,建設会社まで様々で, 40代後半になる彼らもそれなりの立場になって頑張っているようでした.
 翌朝の朝食時に,再会を約束して解散しました.集まってくれた卒業生の皆さん,それに今回は都合で来れなかった卒業生諸君,思い出に残る企画を本当に有り難う.
 次は8期以降の卒業生達とも会いたいですね.と,次回の会開催を催促しておきます.

2022.09.11
高の面白い話(3)

 私の生活は“平淡”です。自宅勤務のため、外出がない日に、リビングルーム書斎ぐらいの移動です。性格上に真面目で、ユーモアを欠けて、つまらない人でも時々自感しています。 なぜか記事のテーマを“面白い”と付けました。毎日忙しい時間を過ごしますが、面白くないと思い、また、楽しくないことを書いてしまいました。 先生が私書いた記事を批判しなく、HPにアップ頂きとても感謝します。 今期こそ面白い記事書こうと思います。

 私は2014年長男を産み、専業主婦として子育てをし、その年に白髪が多く生えました。近年、白髪の量が増え、定期的に黒染めをしています。 昆山の美髪サロンに行く場合、パーマと髪染めは300元~400元前後がかかります。私は見た目に拘る人ではなく、Sam’sで日本産の“hoyu”ブランドの白髪専用の液を購入後、自宅で気楽に色を染める習慣があります。
 つい最近、自分が年を取ったことに気になり、DIYのダーク色が少し不自然と気づき、3年間も行ってない知り合い紹介のヘアケアお店に行きました。 オーナーは私により年上、王という女性です。中国で普通に姓の後ろに“姐”をつけて、“王姐”と親しみに呼びます。3年前に、レンタルショップで、花粉髪染め、花粉ヘアケアの商売をしました。その後、自宅で花粉ヘアケアを続けてやりながら、昆山読書会とお寺のボランティアとして忙しい日々を送ることを聞きました。

 王姐の家は中式風、飾り物は仏法に関係があり、綺麗に片付けて、落ち着く雰囲気です。一時間の髪染めの間、主な話題は彼女が積極的に取り込んでいる読書会でした。読書会は昆山亭林园という場所で毎週開きます。私は参加したい気持ちがありますが、時間がないと素直に伝えたら、彼女がネット読書会を紹介くれました。ネット読書会の組織者は“慧晶”という方で、王姐は慧晶学長と呼ぶ、知恵文化を修行し、日本にも長年生活された方と説明くれました。
 早速ですが翌日に慧晶学長のネット読書会の生放送が開催、私は生放送を見ました。当日の話題は“今を生きる(活在当下)”です。本を読んでから、慧晶学長が自分の知識と経験から文書の内容を解釈をし、知恵文化を視聴者にシェアしました。途中に視聴者が自由にマイクで繋げる一環があり、感想を分かちあうや悩み相談何でも可能です。 私は生放送を滅多に見ない、マイクで積極的に繋ぐのもなかったですが。不思議ですが、私はその場で自分の悩みについて慧晶学長に意見を聞きました。
 私は素直に年を取ることに怖いと話しました。原因は、引っ越し来た住宅マンションに昆山地元の人が殆どです。一階にすっらりのスラリーのガレージにお年寄りが住み、私は毎日日向ぼっこの老人達の姿を見て、自分の老後生活に心配しまいます。 慧晶学長がポジティブの方法で説明くれて、好きの文書を読書の形で読んでくれました。生放送が終わって慧晶学長が直ぐ私に連絡しました。 知らなかった二人は86分間も交流をしました。会話中に、家庭関係の話に振れました。三年前に主人の実家で旧正月を過ごす時に、主人の母と些細な摩擦が発生して、お酒を飲んだ後の主人が私を打ちました。三年間経ちましたが、私の心に深く痛んて、私の心にわだかまりが残り、あれから安徽省に行ったことがないと話しました。 慧晶学長が自分の物語を素直に話してくれて、正誤も、メンツも頑固に執着する必要はない、心の重荷を下ろうと慰めました。

翌日は主人が深セン出張帰りの日でした。彼の予定は飛行機に降りて釣りに行って、翌日実家に帰り、一日遊んで、日曜日子供を連れて昆山に戻ります。 私は彼に内緒にして、チケットを購入し、安徽省に行く高鉄に乗りました。 高鉄に降りて、空港にタクシーを乗る時大雨が降り、空港のお土産ショップにも雨漏りでした。私は空港で一時間程待って、飛行機から降りた主人が私の姿を見て、ビックリして、とても喜んでくれました。 空港からタクシーで汽車駅に行く途中に、空が晴れてきて、綺麗な虹が出ました。七色がはっきりしていて、まるでカラーアーチのように輝いてました。前回、虹見たのは2015年6月に煙台実家で過す時でした。

 主人の車は中学同級生方氏のお店に泊まっていたため、まず、車を取るに行きました。方氏は元々中国の有名自動車企業で長年働いた経験があり、一年前に都市から帰郷し創業を始めました。お店の営業内容は絵、木彫品、中古品、芸術品などの表装です。 奥さんが都市での仕事を辞めて、お店近くのホテルで勤務しています。 息子さんも転学、昔の友達に会えないことは残念と言いますか、こちらでの生活を喜んでいる様子です。 町の繁華地から離れて、一軒家の家賃はは年間3万元です。家族三人が二階に住む、一階は方氏の表装工房です。ドアを開けて、農田が目の前に入って、方氏と奥さんもピーマンを植えて、料理を支度する時に、必要な量を取って、味はスーパーで買った物と全然違うと二人が自慢します。
私は美的なセンスを欠けますが、好きな物や大切な物を表装後、飾り付けることはとても良い考えと思います。 方氏が彫刻、中古品買収の経験がなかったが、お店の開くと共に自己研鑽も始めました。まだ、自動車工場実施した5Sも店で実行していて、装置と道具をずっらりと並び、気持ち良い空間となっています。 安徽の宏村と西逓は有名な観光地です。ここはちょっと観光地から離れていますが、芸術家、画家、木や石や煉瓦の彫刻家が数名町に住み、方氏がその方達とお互いに頻繫に交流したり、仕事の依頼にされたり、創業ただ一年間ですが、経済的に少し余裕が出始め、ゆったりな生活を送っているらしいです。 話題は表装の内容に移りました。中国航空航天の記念品の表装を沢山依頼されたことを自慢しました。 担当の方が表装効果に認めて、全シリーズの中国航空航天切手をプレゼントとしてをあげました。その中に、中国宇宙ステーション神舟シリーズを一号から十三号に揃え、年代感がある写真も多数あります。

 一緒に夕食後に、主人と一緒に釣りに行く約束した同級生承氏もお店に来ました。承氏は学校から卒業後、上海を行って、中医やマッサージ関連の仕事を長年しました。今年地元に帰って、おじさんと一緒に建築工事を請け負う仕事を始めました。その日、承氏のおばあさんと叔母さんが田舎から町に来ました。おばあさんは八十歳以上の高齢で、とても元気で、お洒落な格好をしています。中学校時代主人がそのおばあさんの家で1週間泊めてから会っていないですが、おばあさんが直ぐに主人の名前を呼び出し、人に愉快な気持ちをさせる魅力がある方です。お店で簡単に挨拶後、承氏と一緒におばあさんと叔母さんを家に送って、釣り場所に出発しました。承氏とおじさんが山道に慣れて、前でジープ車を乗り全力に走り、主人もハイスピードを出して、黒い山道でお釣りの目的地の太平湖に2時間走って、夜10時に到着しました。

 太平湖は黄山と九華山の間で、交通が不便ですが、水質が良くて、自然環境がとても良いです。真っ黒の夜に景色が見えないですが、風がとても気持ち良いです。ただライトを開けて小さい蚊虫が目の前に集めてしまい、人にかみつかないですが、肌につけてかゆいです。  距離を離れてあちこちに釣り人がいますが、皆静かです。承氏のおじさんは約60歳、とても精力が旺盛で、若い時代から建築工事の仕事をし、農村で暮しますが、視野が広い、年長また経験の多いことを鼻にかけないです。

 11半になって、私は車に戻りました。2、3時間眠ろうと思いましたが、目を覚めて5時半になりました。夜が明けて、車が比較的ひ平坦な草地に泊まったことを気づいて、植物に露がはっていて、空気が清々しいです。 承氏は少し眠って、おじさんと主人を一晩目を閉じなかった、ずっと元の場所に座りました。残念ですが、“空軍”となり、エサを十パック程使いましたが、魚一匹も釣れませんでした。 主人はがっかりで、川岸にいくつの大きい河貝を採りました。

私は川岸に従って散歩しました。広々とした太平湖の両岸に緑ヶ丘があり、遠く山の山頂に霧が囲まれて、身が仙境にいる感覚します。 平坦な場所に座り、自然界の虫や風の声を感じながら、ヨガ瞑想をしてから、すっかりしました。 おじさんが釣り場所の移転を考え、主人と車を乗り、周辺の考察を行きました。十分間後、二人が戻って、釣り具を片付けて、新釣り場所に移りを始めました。

 新釣り場は湖曲がる際の突出する部分です。高い路面から狭いかつ急な下がり道を通って、あまり安定しない石積み場所を“霸位”をし“炮台”と選定、水深の測りと魚を招く家を作りから一連の作業を再開しました。 “霸位”や“炮台”のような、釣り人に釣り専用用語が沢山あります。コクレンを集めそうなところにエサを一時間程投げて“打窝”を続けました。 3時間をかけて、よっやく承氏が初の魚を釣れて、三人が興奮して、ここに“有口”であることを自信となりました。すぐ、三人とも一匹を釣れました。皆の疲れを直ちになくなり、その時、エサがなくなりました。 主人が自発的に町へ餌を購入、車を運転する際に、魚を釣れる時の些細な事を喜びに語り、アクセルを全力に踏みました。 町にやっはり釣り具屋があり、店内は小さい面積ですが、釣り用品がぎっしりです。桃の缶詰を朝ご飯としても買って急いで帰りました。 日当たりが強くですが、釣り人も三々五々こちらに来て、皆はここに“有口”であることを信じます。2時間後、天気が少し暗くなり、雨が降りそうですが、離れようと思う人がいませんでした。 雷の後に、大雨が降り始めました。主人は釣り傘を持ってなくて、雨中で釣りをし続けました。午後2時頃に、“爆护”の時間が来て、コクレンが続々釣られました。 夜10:00から、翌日午後4時頃までおじさんと主人は目を閉めなかったです。二人は漁獲に興奮していて、全然疲れがなかったです。

 主人は釣りにハマって、普通に深夜まで残業ですが、徹夜釣りや休日の釣りを途切れません。この度程長時間の釣り活動を同行すること初めてです。 最初の釣り拠点で“空軍”、新しい釣り拠点で“爆护”、途中に餌を買い、大雨中釣りを続ける一連の過程を一緒に経験して、釣り人は大変に辛抱強い、苦労に耐えると感じました。
 主人の家に行く途中、私は泣きました。こんなに早く憎しみを捨てると思わなかったです。悔しいか、解脱か言いづらい気持ちでした。 主人の両親が家の前で私達を迎えて、二人の子供が久しぶりに私を見て、私の懐に駆け込んで来て、村の方も親切に挨拶を来て、楽しい二日間を過ごしました。 旅を出して、面白いことと出会い、自分の心を整いてこそ、もっと良い生活を迎えるかなと思いました。“王姐”と慧晶学長に感謝し、一歩踏み出した自分も感謝します。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています

2022.08.08
高の面白い話(2)

 2022年7月19日に、私は38歳の誕生日を過ごしました。
 去年の同じ日に、私が中途採用として現在勤務する会社に正式採用されました。 日系企業が中国で建立した貿易会社の営業職として、ホットスタンピングフォイル製品を中国華東、華中市場に販売する仕事です。中国分公司は深センにあります。
 8月、私は深センへ行って1か月間の新入社員研修を受けました。深センへ行くのは初めて、1か月間連続外食することも初でした。

 深センの同僚達と距離感がありますが、皆が優しいと思い、気楽な一か月間を過ごしました。研修終了後上海事務所で勤務となりました。 副理として入社しましたが、新しい業界、新しい製品ですので、管理の資格がまだないと自覚し、一筋自分の仕事を冒頭しました。
 ほぼ毎日顧客訪問の時間を作り、一週間一回上海事務所で勤務する以外は 自宅勤務です。

 去年私は新しいマンションに引っ越しました。新しい部屋に書斎があり、自宅勤務に最適な空間です。二人の子供が朝7時30分に入学後、私が一人で真面目に仕事ができます。 夜6時頃二人の子供が家に戻り、10時頃に二人を寝かせてから自発的に残業もします。
 私が担当する顧客は蘇州に集中しています。自動車分野の顧客が多い、会社にとって営業額を一番多く占める案件は私が担当しますので、情報収集と通常業務で毎日大忙しいです。

 コロナウイルスの時期に関わらず、私の上期の営業実績が予算の170%を達成しました。会社側が私の営業実績と仕事力をご評価頂き、予想に超えた賞与額と昇給を頂きました。
 しかし、楽しいことを長く続けていません。7月後半に入って、元々家電と化粧品顧客が多い深センと上海事務所の部下が急に自動車案件に力を入れて、 貿易会社や代理店の間のバッティングや会社内部の悪性競争がこの一か月間急増し、元々表面に平和の同僚たちがなぜ私に大意見が出て、私が言い間違えたことは勿論、 やってないこともやったと罠にかけてしまい、誰でも私を批判する態度になっています。10人の会社なのに、こんなことがあるのを想像もしなかったです。私は精神的に負担をかかり、つい頭の調子が悪くなりました。
 若くないことを存じ、採用された会社に感激をもって、入社の一年間、仕事に力を入れ過ぎました。会社の雰囲気が良い時、上司に信頼されて、顧客達も優しく接してくれて、 毎日充実で、全然疲れを感じなかったです。今頃、やりきれない思いが湧いて、貯まったいた疲れが一斉に来て、私は頭に満々で、とにかく泣きたい、夜何回も起きて、 眠れたくない、食べたくない、水も飲みたくない状態になっています。
 病院に検査を受けて、先生が原因はストレスを溜まって、精神的な問題と分析し、漢方薬を一服出されました。ストレスを緩和するために、私は止めていたヨガ瞑想を再開しました。

 私はインドの友達がいます。Rupamという女性です。イライラする時、弱ってしまい時、Rupamに電話をかけます。彼女が私を慰めて、交流しながら私が泣いて、イライラ感が確実に緩和できます。 彼女が私に本番のインドヨガ瞑想を教えてくれて本当に助かります。Rupamがいつも私が中国で唯一の友達と言いますが、考えてみて、幸運な方は私です。

 

 初めてRupamと知り合った時は2017年でした。私の下の息子が誕生後4ヶ月目、私の体の調子が弱かったです。8月の暑い天気なのに、少し風を触れても、針を刺すような寒さを感じてしまいました。ある日、家庭主婦の私が団地で二人の子供の面倒をみているところ、散歩しているRupamと会い、お互いが簡単な英語で挨拶後、ヨガの話題をしました。
 彼女がインドヨガ大学院に卒業後、中国でヨガ教育を行うご主人と十年以上中国で暮らして、英語は堪能ですが、子育一心と中国語が話せない原因で、専業主婦になっています。体を強くするために、私はRupamに2ヶ月間ヨガを教われました。Rupamがとても安い費用で本番なインドヨガを教えてくれて、英語の交流も出来て、私はとても満足です。
 Rupamのご主人はとてもお優しいポジティブの方です。14歳の息子も活発で、Rupamの家に気楽に行きます。毎回彼女が親切にインドマサラティーを作って、インド伝統家庭料理で招いて、山東人の私と同じ親切で客好きの方と感じます。

 Rupam夫婦のお陰様で昆山で住む外国の方々とも知り合いになり、一緒に息子さんのお誕生日を参加したり、ピクニックしたりもありました。コロナウイルス原因で、インド友達が続々国に帰り、Rupamもよくいつもインドに帰るの話をします。
 彼女が家族に情が深い人間で、ヨガの修士卒業証明書があるのに、好きなヨガを他人に教えるチャンスがなくて、残念なところを考え、やっぱりインドに帰った方がいいかもしれません。そう思うと、いつも切いです。ご主人とお子さんが中国に大好きで、簡単に帰えないかなと思います。
 Rupmaは私が昆山で僅かの友人です。彼女がが中国にいる時間を大切にしたいと思います。

 ところが、今月嬉しいこともありました。私が勤務した元会社の総経理が久しぶりに来昆し、夜、昆山で一緒に食事をしました。総経理はMBAを獲得したことがあり、リーダシップが強い方で、私性格中の良さを認めて頂き、私ずっと感謝しています。
 私は2003年中国青島科技大学に入学し、専門は測量・計器でした。2007年7月に新卒として入社しました。当時、設立ばっかりの会社には社長と経理だけ、私は会社初の社員でした。他社品の測量計器を代理し、山東市場に営業活動を行いました。
 15年の発展を経ち、会社が急発展し、自社ブランドの測量計器の開発、設計、生産、販売、メンテナンス一連のを提供、中国のモーター企業に専念し、現在は中国モーター市場にNO1の智能安全性能測量計器のブランドになっています。
 今振り向くと、当時の設備はごく簡単でシンプルでした。簡単な入社教育後、電話営業から仕事を展開し、ニーズや興味がある企業に対して、定期連絡や訪問を行い、注文を取るまて売り込みました。やる気が満々で、一筋で電話をかけました。出張する際に、一晩に20元、30元の旅館に住む、バスに降りて、見知らぬ土地に一人で紙製の地図を持ち、2、3キロの農地に歩いて、昼食食べずに、辺鄙な工場に訪問することはごく普通でした。
 私にとって、董事長と総経理ほど立派な上司に他にいないとずっと思います。私の後に入社した同僚達が今でも会社で働いて、既に会社の株主になりました。皆が業界で専門力を鍛えることに羨ましいです。
 毎回青島に帰る時、董事長と総経理と元同僚が親切に接して頂きます。皆が良い暮らしいを過ごしていて、私も悪くないですが、毎回何と無く人それぞれに人生があることを感激します。私は会社の更なる発展を祈ります。この絆を大切にしたいと思います。
 時にいいことがあい、時に悪いことがありこそライフかもしれません。一週間の調整後、私の頭の調子がかなり良くなっています。毎日夜後半残業の主人も珍しく定時に退勤し、食事を作たり、子供の世話をしてくれています。仕事が一番大事だと思いましたが、病気の時、家族こそ大事な支えと実感しています。久しぶりに頭脳明晰の状態に回復できて何によりです。生活にも、仕事にも頑張り続けます。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています

2022.08.02
溝上教授がNHK「発災時RT(Real Time)データ利活用検討会」で発言しています.

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 NHK(本局)が主催する「発災時RTデータ利活用検討会」の「【第2回】発災時データで命は守れるか ~車データ編~」で,溝上教授が書面で発言しました.
 この検討会は,発災時に,人流・車輌通行実績・洪水予測データなどを重畳した地図やデータがあれば,自治体や救助組織・市民等がどういった初動対応が可能か,課題は何かなどを,自治体や専門家・企業の担当者交えて忌憚なく議論すること,今後の国・研究機関・民間等によるリアルタイムハザードシステムの社会実装に向けて,可能性や課題を浮き彫りにし,社会実装を現実のものとするための道筋を見つけること(検討会資料より)」を目的として,昨年度末から,これまでに2回,リモートで行われました.
 東京大学空間情報科学研究センターの関本教授を座長として,学術からは東京理科大学の二瓶教授(河川工学),京都大学防災研究所の畑山教授,廣井准教授,防災科学技術研究所臼田総合防災情報センター長,それに今回の主要なフィールドである熊本の代表として私が参画しています.民間からは,社会基盤情報流通推進協議会(AIGID),本田技研工業株式会社,(公財)日本道路交通情報センター.特定非営利活動法人ITS Japan,(株)ドコモ・インサイトマーケティング,(株)Agoop,TomTom Japan,(株)レスキューナウ,損害保険ジャパン(株)などが参画しており,いずれも錚々たるメンバーです.
 第2回の検討会では車の走行データの活用で命は守れるかがテーマでした.各種自動車プローブなどのリアルタイム走行データによる通行可否区間の判断技術やその実績を主張する民間業者のやや前のめりな発言に対して,畑山先生や私は現在の技術や観測データだけでの判断にはやや否定的な意見であるのが面白いです.
 第1回,第2回の検討の結果を下記で公開されていますので,ご覧下さい.

第1回 発災時 データで命は守れるか
https://www.nhk.or.jp/campaign/w-hazardmap/kiji_20220527.html
第2回 発災時 データで命は守れるか ~車データ編~
https://www.nhk.or.jp/campaign/w-hazardmap/kiji20220731_1.html

2022.07.25
NHK熊本放送局の「クマロク!」の「フミダス!ガマダス」で,視聴者からの疑問に対して溝上教授が回答しました.

 皆さんも,熊本市水道町交差点では,浄行寺から鶴屋方面へ右折する際,バスは一番左側の車線から右折するような方式になっているのを見て驚いた経験があるかもしれません.水道町交差点以外に,熊本市内には,(花畑町から通町方面への)市役所交差点,(水道町から熊大方面への)浄行寺交差点,(市役所から桜町バスセンター方面への)花畑町交差点の,計4カ所で,バスは第1車線から右折するようになっています.
 NHK熊本放送局制作の毎週月~金6:10スタートで,稲塚氏がメインキャスターの「クマロク!」では,フミダス!ガマダス」という,視聴者のギモンやお悩みの投稿に答えるミニ企画があります.7月14日には,「熊本市内に事故になりそうな危険なルールの交差点がある」という疑問が取り上げられました.具体的には,「花畑町交差点の第2車線(真ん中の車線)から銀座通り方向に左折した(これは正しい左折方法)ところ,第1車線(バス専用レーン)から左折(これは違反)する車と接触しそうになった」というご相談です.
 NHK熊本放送局は,何故このような構造と信号制御になったのかを「危険な交差点 熊本ならではの事情とは」として取り上げ,その回答を得るために溝上教授に協力を依頼しました.
 その理由は,主に以下のようなものと考え,取材に協力しました.

1.水道町交差点や市役所交差点,浄行寺交差点では,交差点の直前にバス停があるため,乗客を乗降させた後,バスレーンの第1車線から幾つかの車線を横断して一般車の右折レーンまで車線変更することは難しいこと.
2. これらの交差点の交差点では流入側も右折後もバスレーンとなっており,動線としては交錯がなく,自然で安全な右折方法であること.
3.運行頻度が非常に多い北東部からのバス路線が通る国道3号線は都心の東側を南北に通っているため,熊本市中心部に行くためにはどうしても右折せざるを得ないような都市構造となっている.

 その模様はNHKのHPに動画がアップされていますので,良かったら視聴してみて下さい.
  フミダス!ガマダス「危険な交差点 熊本ならではの事情とは」

2022.07.22
溝上教授が広島大学大学院で非常勤講義を行いました.

 広島大学の塚井先生に依頼されて,2022年7月20日(水),21日(木)の2日間で7.5コマの非常勤講義「社会基盤環境工学特別講義B」を行いました.対象は土木系の大学院生ですが,1/3が外国人,1/4は計画系以外の研究室所属,1/3が修了のために単位が必要という受講生でした.従って,英語での講義,英語で書かれた講義資料とPPT,ビギナーでも興味を持ち,かつ分かりやすい授業を求められたのも同然です.
 熊大時代は学部も大学院も板書での講義でしたので,日本語の講義資料さえ十分ではなく,これまでに断片的に作成していた講義のためのPPTを補完し,英訳し,それでもぶつ付け本番で臨まざるを得ませんでした.
 ただでさえ不得意な英語での講義は久しぶりで,一方的に話すのはできますが,相づちや質問を求めた後の会話では,頭は真っ白,口はカラカラになってしまいました.しかし,さすがに広大の大学院生です,留学生も私の最も言いたかったこと,理解して欲しかったことは概ね分かってくれたようで,講義の後に出題した1)今回の講義で習った主要な内容,2)授業の中で特に興味を持った内容とその理由,3)更に勉強を深めたいと思ったことを訪ねたアンケートには,授業に対する高評価,とても興味を持ったこと,更に深く勉強したいと思ったことを書いてくれました.

 前日の19日(水)の夕食は塚井さんと大学の近くの広島焼きの店に,20日(木)の夕方は呉高専の神田さん,親は復建調査設計OB,子は福山コンサルタントで,親子共に名工大出身の太田さん親子,それに塚井さんとポスドクの野口さんと広島駅裏のグランビア地下のお店で会食,講義が終了した21日(木)の夕方は,西条駅の近くで藤原先生,張先生,塚井先生,力石先生まで集まって頂き,酒も料理も美味しく,かつとても楽しい宴会となりました. 22日(金)は休みを取っていたので,藤原先生と塚井先生と一緒に瀬戸内ゴルフリゾートで羽を伸ばしました.

 とても大変な非常勤集中講義でしたが,広島大学の皆さんの温かい歓迎で楽しい3日間を過ごすことが出来ました.

2022.07.01
高の面白い話(1)

 私は高 雅琴(コウ ガキン)と申します。溝上教授の学生です。
 2020年自費留学生として熊本大学大学院を入学し、先生の交通まちづくり研究室で、地域の公共交通の活性化研究方法を勉強し、2022年(※2011年)博士前期課程を修了しました。
 大阪で3年間仕事と生活を経って、中国に帰国しました。

  職歴は営業メインですが、2年間技術開発を経験し、家庭主婦として4年間子育ての時期もありました。私の出身地は中国山東省煙台市ですが、主人の仕事原因で、帰国後、江蘇省蘇州の昆山で住んでいます。

 大学院卒業後、先生とメールで連絡を続けてました。最後に先生と会ったのは2018年8月25日でした。先生が同済大学で開催された“熊大・ソウル市立大・カルガリー大・同済大による4大学共同セミナー”をご参加するため、上海にご来訪、その日は長男のお誕生日で、家族4人を揃い、先生と上海でお会いました。

 先生が熊本大学を定年退職し、熊本学園大学にご移動したことを聞き、熊本学園大学経済文学部リーガルエコノミクス学科HPを定期に確認し、先生の研究近況を見れます。 先生から中国家族事情の記事も寄稿歓迎とご連絡頂いて、再び先生のご指導を受ける大事なチャンスだと思い、是非月に1報くらいのペースで原稿を提出したいと考えています。

 早速ですが、第1報を書いてみます。
 本日、6月29日です。私は二人の子供を連れて実家煙台に帰ります。蘇州市昆山は郡レベルの都市です。上海と蘇州の間であり、経済発展が良い、交通便利、暮らしやすい都市です。コロナウイルス原因で、昆山南駅はロックダウン解除ばっかり、住所から昆山南駅に車で15分間がかかります。二人の子供が興奮して、朝起きても喜んでました。用意したキャンディスナックを握って、出発しました。
 長男 笑笑は8歳で、小学2年生です。次男 豆豆は5歳で、幼稚園中班です。 今年の学校生活は1ヶ月だけで終わりました。3月から5月に蘇州と上海は続々確診者が出てきて、コロナウイルスの影響を受けて、学校は旧正月休みから5月中旬にずっと休みでした。9月1日の下学期始まるまで、2ヶ月と長い夏休みがあります。長男はずっと煙台老家に帰ることを催促します。私は旧正月からずっと実家に帰れなくて、上期の仕事も順調に終わり、コロナウイルス管理緩和の時期でもあり、帰省の良いチャンスだと思います。

 昆山から煙台まで高鉄で7時間がかかります。この度、フルチケットが売り切れましたので、3時間席があり、4時間無席のチケットを買いました。私が二人の子供を連れることを見て、列車員と同席の方が面倒を見てくれて、お二人の男性が連番席を譲ってくれて、その次々と、席を譲たり調整くれた方がいるお陰様で、長い乗車時間が随分とラックになりました。
父が何回も連絡くれて、話内容はどこに行った、ご飯を食べてか、子供は寝ったかぐらいです。私毎回家に帰る時に、途中で一番多くかけてきた電話は父のです。電話中に、子供が携帯電話を奪ったり、邪魔をしたっり、早めに電話を切って、ゲームしたいと催促しました。仕事の電話なら、会話が終わり、私はいつも顧客側が電話を切ることをお待ちしますが、父との電話で、先に電話を切るのはいつも私の方です。
 父は料理人として煙台市のホテルで何年間を働いたことがあります。あるきっかけで地元の銀行に転職しました。32年銀行員として貯蓄業務を担当、2020年定年退職しました。父は煙台市の銀行体制に一番年上のカウンタースタッフらしいです。入職当初、父が勤務していた支店は家からとても遠い、辺鄙なところでした。縁があり、運も良くて、何回の転勤を経って、家から2キロメートルの支店で勤務できました。父は農村の隣人達に見たいにキツイ体力労作する必要がありませんが、本物の農民により、苦労に耐える人です。父がとんでもない真面目な人で、母によりきれい好きです。
相変わらず、牟平高鉄駅に到着時、弟が既に出口で待っています。 地元のコロナウイルス対策に従って色々な審査とPCR検査終了後、駅を出れました。

 車は弟の嫁の実家に向かって走っていきます。二人の息子はずっといつ家に着くかを聞いてました。5月、弟は次女を迎えました。つい2021年中国政府が「3人っ子政策」を導入しました。結婚をしたくない、そして子どもを産みたくないと思う人が増えている中に、弟は3つの子供を産むことを村にビッグニュースでした。病院で出産した際に、出生証明書、戸籍登録など手続きをする際に、病院の担当さえ経験がなく、なんでも上級に確認が必要でした。喜ぶことは、3個目の子供は女の子です。両親もほっとしました。子育てにお金がかかることにより、結婚の住むヘアを購入する必要の男の子により、経済の負担が勢分減っります。

 村でお金を稼ぐのがかなり苦労です。 村の生活は楽ではありません。老輩達が農作物を植えて、露天で野菜や果物を作っています。煙台リンゴ、落花生、桜桃、各種野菜は中国でもかなり有名で、品質はとても良いです。隣人の孫伯父さんは村の有名な達人です。ビニールハウスを投資するお金がないので、伝統の露天農業を50年やってきました。作った野菜などを集市に持っていて、小売りします。近年、交通比較的便利な村が続々と“開発”され、農用地の上に住宅ビルや商店街を建ってて、耕作廃止した村が多いです。“集市”がない日、孫伯父達が開発新村に野菜や果物を販売に行きます。4、5時から摘み取り作業を始まり、小型トラックが満タンになってから出発、1時間程運転で、支払った地位で常連客を待ちします。
 夫婦二人で苗を育ててから、摘み取れるまで、手作業ばっかりです。大したお金を稼ぜえないし、体が大変疲れて、壊れてしまう人がほっとんどです。七十歳ぐらいになって、キツイ体力働きができなくなって、収入がぱっとなくなり、手、足、腰の関節病気で苦しんでいる状況がごく普通です。 若い人は老輩達の生活方式を続くことをできません。伝統農業を行う技術がなく、苦労にも耐えなく、お金の圧力があり、近くの都市に仕事や生活を選ぶか、村で養殖事業を行うがほっとんどです。
 実家は私中学校1年生の時から、貂と狐の養殖を始まり、25年間経ちました。2013年、弟が大学から卒業後、就職活動の道ではなく、村に帰って養殖場を拡大することを決心しました。新農人として、耕作一切しなく、養殖を専念しています。

 ところが、毎回実家に帰って、青い空、白い雲を仰向く、微風に触れて、都市で長く住むに、羨ましい豊な自然環境です。海鮮を一杯取れて、食べ物がとても豊富です。海でナマコ、ホタテなどを養殖し、遠洋や近海で魚類の漁獲を行う方もいます。毎回弟が必ず近海で漁獲する友達に、その日一番新鮮、珍しい、高級な魚類、貝類を取っておいて、船が海岸に着く時間を聞き、取りに行きます。

 父は料理人でしたので、父の手料理がとてもおいしいです。実家しか食べられない海鮮料理以外に、各種類の面食も定番です。

 小学校までを両親と一緒に暮らして、牟平区にも滅多に行くチャンスがなくて、都市の生活を憧れました。中学校に入って、学校の療宿泊生活を始めて、一週間一回に家を帰ります。高校生は1ヶ月間一回、大学は半年一回を家に戻ります。私は勉強や仕事のチャンスに恵まれて、色々な都市に行きました。両親と弟夫婦が住む実家は私にとって一生変えない特殊な存在です。実家で過ごし時間はいつも早いです。
 今回の帰省は後2日間しかないです。この貴重なお時間を大切にします。

※文章は高さんの記述のまま掲載していますが,博士課程前期終了年は2011年でしたよ(溝上)

2022.06.27
三都市シンポジウム2021 in 熊本が開催されました.

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 2021年に熊本で開催予定だったものの,コロナ禍で延期していた三都市シンポジウム2021 in 熊本が6月24日(金),25日(土)の2日間にわたって開催されました.今回のテーマは「まちなかの居場所づくりと新しいライフスタイル」で,市民が繰り返し訪れて時間を過ごしたくなるような居心地の良い「場」とは,ハードもソフトも含めてどんなところかについて議論しようというものです.
 1日目は12:30に花畑広場に集合し,花畑広場周辺の約2時間のエクスカーション(ガイドツアー)を行い,三都市の⾏政や商店街から都⼼における多様な⼈々(家族連れや⾼齢者,⾼校⽣・⼤学⽣、外国⼈等)の「居場所づくり」についての狙いや取り組み,アイデアや苦労などを報告しあいました.
 その後,城見櫓に移動し,15:00からシンポジウムの本番を始めました.熊本市からは,「サクラマチ・クマモト」オープンまでの産官学の取組みである「昼も夜も歩いて楽しめる,魅力的なまちを目指して」について,岡山市はからは県庁通りの二車線の一車線化による歩いて楽しいまちづくりと賑わいの創出への取組みについて,金沢市からはコロナ渦による来訪客の減少に立ち向かう商店街の取組みを熱く語る「アフターコロナの金沢」と金沢市の新たなまちづくりシナリオの紹介がありました.
 夕方の18:00からは,模様替えした城見櫓で懇親会が開催され,親睦を深めました.
 翌25日は,朝10:30から,下通り2番街のアーケードに人工芝を敷き,まちの「居場所づくり」について,車座ワークショップを開催しました.行き過ぎる人たちの視線を感じて,はじめはなんとなくぎこちない討議でしたが,その視線もだんだんと快感に変わって,参加者は自分が欲しいまちなかの居場所について,思いの丈を述べました.12:00の後片付け終了と同時に,バケツ,いやバスタブをひっくり返したような大雨が降り出しました.
 来年の岡山での開催を皆さんに約束して,準備や調整に苦労した今回の三都市シンポジウムも成功裏に終えることが出来ました.