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Anniversary

 

2023.03.17
高の面白い話(9)

 2023年は閏二月(うるうづき)です。旧暦の二月は2回があり、2月20日から 4月19日に続きます。三春の美しい景色、二月はちょうどよい時です。柳の葉は伸び伸びで、百花が一斉に咲く、大自然の活気が人にストレス緩和して希望を与えると感じます。
 少し寒いですが、天気さえ晴れば、週末に近所のママ友達と一緒に子供達を公園に連れます。芝生にマットを敷いて、おやつや果物さえ用意すれば、子供たちが一緒に遊んで、私が涼しい風にふられて、気持ち良い一息です。
 3月25日家族4人が昆山周市鎮桜園で行われた第14回昆山・周市桜祭りを鑑賞に行きました。日本ほど華麗で壮観な桜祭りに比べにならないでしたが、小規模の満開の桜を鑑賞することが出来ました。

  周市は昆山に属しますが、毎年周市桜祭り開催するのは初めて知りました。情報をシェアくれたのは昆山外国語ボランティアの方です。 昆山外国語ボランティアチームは2021年12月に成立しました。2021年5月頃、昆山市役所外亊部門が外国語ボランディア募集を初めました。当時、私は日本語ボランディアを応募して、筆記試験と面接を受けてボランディアチームの1人になりました。チームメンバーが合計119人、昆山で生活している英語、フランス語、ドイツ語、日本語、韓国語など外国語話せる方が集めて、高素質、専門化、複合型、多分野の対外交流や外事活動の拡大を目指しているそうです。
 昆山は15の国際都市と友好関係を締結していると聞き、コロナウイルスのため、オフラインイベントが僅か1回でしたが、オンライン交流や蘇州市内の国際イベント情報をシェアが絶えませんでした。イベント参加する時間がないですが、概要だけみても、見聞を広めます。

 周市桜祭りについて、午前中に開業式を行い、政府関係、昆山日商クラブの会員や企業ゲストが招待され、開業式終了後に市民に開放とボランディアの方から聞き、私達は昼頃家から出発しました。途中で子供達がお腹がすいて食事の催促がありましたが、私が桜祭りに美味しいもの一杯食べられると熱くアピールして、子供達はお昼に何が食べられるか楽しみにしていました。
 周市鎮桜園に着く時、十数名コック帽子をかぶっている料理人が道端で車の出待ちをしていて、何台かのトレーラーに幕府弁当の空き箱が入っていて、車の積み込みを待つ風景を目にしました。当時、料理人が離場したら何を食べれるかについて疑問がありましたが、入園後、料理人がお弁当提供する対象はイベント開催式参加者のみと分かりました。
 桜園の入り口近くに、数ヶ所に小売り屋台があります。お寿司、たこ焼き、焼き鳥、おでん、唐揚げなど日系軽食と焼肉、マシュマロ、ミルクティーなど販売していました。昼食の時間が過ぎた原因かもしれませんが、食品が冷めていて本場ではないように見えて、特に単価が高くて、1人分なら20か30元がかかります。子供は食欲がなくて、マシュマロだけを食べたくて、1個20元の単価を考えると結局遠慮しました。

 4人はアイスクリーム屋台の前に止まって、子供はロボットが作るアイスクリームと聞いて興味津々で食べたかったです。ロボット出展する会社は主人務める会社のサプライヤーでもあり、主人が挨拶しながら屋台に貼いているQRコードをスキャンして10元支払ってみました。 ロボットがアイスクリームコーンを取る動きをし始めました。コーン筒を掴んでアイスクリーム注射する場所まで移動して、コーン筒置きべきでしたが、コーン筒が続々と隣のゴミ箱に廃棄されました。理由を聞いたら、コーン筒に破損があると、ロボットがNG品と取り扱い、標準形状のコーン筒を取れるまで、クリーム注射しないシステムを設定したそうです。
 ロボットが子供達の前でカッコよく腕を振り回し、コーン筒を持ち上げ、回転し、ゴミ箱に廃棄して、勿体無いですが、面白い動きでした。子供達が近距離で一連の動作を見ながら大笑いをし、6個目のコーン筒がよっやくアイスクリームを注入され、長男が仕上がり品をみて無邪気に“面白いヘアスタイル”と評価しました。周りの方が大笑いして、彼もヘアスタイルでアイスクリームを表現することを自惚れていました。
 主人が再び10元を支払い、この度ロボットが流暢に素早くアイスクリームを仕上げました。少し寒いですが、二人とも楽しくて完食して、とても良い体験できたと思います。

 園内の桜の木はずっらりですがまだまだ若いです。見回すとどの木の傍にも社名が刻まれた大きな石があります。これらの企業は昆山日商クラブの会員と聞き、各社が植えた木に石で社名を残る伝統があるらしいです。
 開業式が見れなくて残念ですが、ネットで開業式の概要を確認できました。昆山の日系企業が約400社、ドイツ系企業が約150社と存じましたが、この度、周市に日系企業への招商が盛んでいることも分かりました。
 1993年日系企業は周市で投資興業を始めて、日系企業の交流要望を満たすために、周市は2006年に日系企業懇親会を設立し、定期的に各種交流活動を行い、2007年に中日国交正常化35周年を記念して、周市は桜花園を建設しました。2009年に周市で第1回桜祭りを開催し、14年以来、毎年桜祭りを行い、各商会、企業と政府が交流強化や友情増進の役割を果たしているイベントになっているそうです。イベントの重要な一環として関係者が一緒に桜の木を植えて、現在、周市町全体には2つの桜園、5つの桜通りがあり、20品種近くの数万本の桜の木を育ているらしいです。

午後2時半、桜園で野球観戦が終わって、4人は桜園を離れて昼食を食べに行きました。長男は“淮南牛肉スープ”を食べたいため、帰宅途中の商店街に行きました。昼食の時間が過ぎてオーナーがうつむいて携帯を見ていましたが、私達の注文を受けて親切に調理を始めました。主人は外に行って喫煙をし、二人の子供がドリンクを選びました。元々和やかべきでしたが、主人は食事中ドリンク禁止の指令を出しました。次男が父の威力に迫られて利口に食事してから飲むと反応、長男がいつも通りに頑固に飲みたい反応をしながら嗚咽し始めました。主人は最初説教していたが理屈が通らないため、忍耐ができなくて長男のドリンクを奪ってゴミ箱に捨てました。長男が気を狂ったように足を踏み、“パパ要らない”と大声で叫びながら、店のドアを開けて道路に突き進みました。店の前は主幹道で、主人が後で追いかけました。
長男は殴るといつもその場に立ちますが、ドアを破って逃げるのは今回が初めてでした。主人は昔の“棍棒の下で鍛えられるこそ親孝行の子供に育て上げられる”観点を奉行して、次男は柔軟で滅多に殴られなくて、長男が頑固で泣き坊氏で、目的を達成するまでねちねち言うのが好きで、そういう時確かに人をイライラさせます。
 今月、私は相変わらず頻繁な出張があり、展覧会に参加したり、お客様に定期連絡したりしていますが、経済環境が良くなくて、仕事に無力感を感じています。週末に気分転換したいですが、長男は必ず何からの理由で泣いたり、私を怒らせたりします。自分が産んだ子で、悪口を言ってもすぐに打ち解けできます。どうしようもない時が多いですが、彼根性がある時には本当に心温まる行動をしてくれます。

今月私が2007年に勤務した元会社の総経理が久しぶりに来昆し、夜、自宅近くの蘇帮菜(蘇州風味の料理)を一緒に食事をしました。地元の者としてのよしみを尽くしべきですが、逆に総経理が私家族4人を親切に招待頂きました。16年前に会社で10ヶ月間しか務めなかったでしたが、お互いに連絡を保ていて、社長と総経理は私にとって家族の様な存在になっています。
 この日、長男は初めて1人で夜間預かり教室に弟を迎えにトライしました。あれから毎日放課後、長男が自発に弟を迎えてから家に帰り、二人がおやつを食べて夜7時頃私が家に戻ることを待ってくれています。親として時に満足しないですが、子供達が間違えなく成長していることを感じます。 天気が暖かくなって子供達がキャンプハイキングを楽しみにし始めました。私は仕事に没頭して季節を忘れる人ですが、すばらしい春光を大切にし子供と一緒に計画を立てようと思います。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています

2022.02.27
高の面白い話(8)

 今月の文章が大変遅れて申し訳ございませんでした。
 2月の出張が頻繁でした。一方では新年早々の顧客訪問、一方では製品拡販の増加に伴い顧客のクレーム対応のためでした。
 会社は出張際の交通手段について制限がないです。私担当する主な顧客は蘇州市内にあるため、普段近距離の出張はタクシーを使っています。距離離れる顧客が増加していますが、訪問する際に高鉄を優先に利用しています。
 昆山高鉄駅は京沪高速鉄道(北京↔上海)、沪寧都市間鉄道(上海↔南京)が交差する重要な鉄道駅であり、ここからの移動が便利です。夜遅くなると、昆山へ直行する高鉄が少なくなり、蘇州駅か上海虹橋駅への列車を乗るという選択肢があります。いくら遅くてもタクシーで昆山に帰えれます。ただ、深夜の上海虹橋駅でも大勢な旅客がいます。特に金曜日の夜、地方で出勤して上海に帰る人が多くて、駅のタクシー乗り場に長い行列があり、行列に並ぶと1時間、2時間必要程です。虹橋駅から出て、距離を離れて、アプリでタクシーを予約したら、比較的に渋滞が少ないです。
 昆山タクシーの初乗り料金は10人民元(研究室より:2023年2月27日現在で1元は約19.6円)です。つまり3キロ内は10元、3キロ後の1キロあたりは3元です。距離が遠いほど、運転手は喜びます。高速道路を使う場合、片道車を乗りますが、運転手に高速料金や橋渡る料金の往復の分を支給する必要があります。昆山タクシー業界に廃棄ガソリン車が新エネルギー車への切り替える制度が推進中、この半年間EV車が著しく増えていると感じます。

 従来は大路や交差点まで歩いて手を振ってタクシーを呼ぶ習慣がありましたが、2015年からスマートフォンにタクシー配車アプリ“Didi” (滴滴、ディディ)をダウンロードを初めて、車呼ぶ必要がある場合、ずっとDidiで快車(滴滴急行)やタクシーを呼びます。短距離では快車とタクシーの料金の差はあまりなく、遠距離なら快車が少し安いですが、やっはりタクシーの方が安心です。
 Didi拡張の最初の1、2年間、乗客に高額のクーポンを配布しました。その時、自分が車がなくて、家内装の時期で頻繁に内装市場に通い材料を購入しました。3、5キロの距離で2、3元払うだけで済み、どこに立ってもマートフォンで車予約、配車、決算が便利に出来て、Didiを乗る度にお金を稼たみたいなお得な気分でした。段々、クーポンが少なくなって、完全になくなってしまいますが、人々の習慣が既に養成しました。

 前日、私が杭州で開いたCiE美粧創新展示会を観覧しました。片道は高鉄で行って、上海の同僚と会場で合流、帰り道は会社の契約車で上海まで乗り、高鉄に乗り換えました。 コロナウイルス後、万象が更新され、化粧品業界も回復と成長を迎えたという活気が溢れる感じします。化粧品は産業であり、文化であり、美しい物です。化粧できない人ですが、展示された鮮やか、おしゃれ、精緻華麗な瓶や缶が私を楽しませてくれます。

 出展会社から見ると、広州と上海の会社が一番多かったです。20年前から化粧品業界は大流通時代で広州は産業の中心、10年前から化粧品販売ルートはプロモーションがメイン、上海は産業の中心になったらしいです。今の化粧品業界は電子商取引、生中継帯、ネット通販などの時代であり、“新国貨”(中国国産品)が盛んでいます。展示会で包装材料、代理加工、輸入品、化学材料、添加剤など産業チェーン一括な資源ぐらい揃えているように見えますが、逆に商売はやりにくいなど話をよく聞きます。
 昼食時間、ドライバーさんを含めて3人は会場近くの日本料理店に定食を食べました。1000㎡の店に一週回り、来客は3テーブルしかないです。高いメニューはずらりですが、こんな素晴らしい環境で一人当たりに90元前後の定食は納得の金額だと思います。

 営業職にとって顧客に走り回ることは普通ですが、コロナの3年間自然に多くの出張を避けました。今月に蘇州、常州、寧波、杭州への出張がありましたが、煙台の実家まで往復20時間に比べるとラックでした。二人の子供を連れて、往復全部夜の時間を使い、数時間でも昼間実家に滞在する時間を長く延びるように計画立ちました。
 コロナウイルス制限のため、私が母の60歳の誕生日の日を帰ることが出来なかったです。中国人は60歳の誕生日に重視し、“六十大壽”と言います。60歳になると、一人が正式に老年期に入ったという意味ですが、私は楽観的元気一杯の母を生理的にも心理的にも中年と同じ若く見えると思います。現代社会では伝統のような複雑な祝壽方法を実行しないです。弟と弟妹が両親の傍にいるため、熱心にケーキを用意してお祝いしましたので、私は安心ですが、今年こそ帰ろうと思っていました。
 母のお誕生日は毎年の農歴の二月初十(今年の公歴の3月1日)です。今年は水曜日であるため、私と小学校の長男の時間を考えて、母の誕生日は2月26日(日)にしました。
 家の伝統により、家族のメンバーがお誕生日の日になると、朝は麺を食べます。昔両親は手擀面(手打ち麺)を作り、近年隣村に麵加工工房が開業、購入した掛麺(素麵)食べるようになりました。寿星は一杯目を食べて健康と長命を祈ります。

 実家は25年以上貂とキツネの養殖場を経営し、今年の2月26日は貂の交配開始日で、大忙しい時期でした。母は5時に起きて、長寿麵を代表するカップ麺を食べて養殖場に行きました。私と二人の子供が8時過ぎ起きて、姥姥誕生日の長寿麵はカップ麺と聞いて子供達がとても喜んで、一杯つづ食べました。朝9時過ぎて、母が三論車を運転して姪と甥を乗せて家に戻りました。
父は料理人出身で、父のおもてなしは料理にかけたと思います。8時頃父が既に昼食の料理を準備始めました。旧正月頃、糖尿病合併症のため、父の視力低下になってしまい、両眼に手術を受けました。父は母のことを気になって仕方がないですが、性格に短気の部分があり、完璧主義者で怒りっぽいです。母の帰りが遅れるに対して父が少し文句がありました。
 母が4時間養殖場に立ちましたが、笑顔一杯で全然疲れに見えないです。父は母にきつい体力仕事をやらせたくないですが、自分が退院して家に帰ると、直ぐ目を閉じて落花生を剝がして、数日も立ないのにサングラスをかけて養殖場の仕事を手伝い始めました。家に犬、鶏、3匹の老雌豚、1匹の雌羊と3匹の雄羊も飼っています。目を閉じて休むべきですが、父はついせっかちになり、私が心配ですが仕方がないです。父も母も苦労に耐える人で、よく喧嘩ですが、お互いに欠かせない存在です。母は父の怒っている気持ちを無視して、二人が一緒に調理始めました。

 私はショッピングカードだけを持って家に帰りました。甥と姪へのプレゼントです。 昆山で母誕生日のプレゼント準備する時間がないですが、ネットで威海の花屋さんと連絡を取れて花とケーキを購入しました。朝10時半、オーナーが威海から村まで花とケーキを送ってくれて、どれも168元ですが、品質が良くて満足します。
11時になって、弟と弟妹も母に美しい花を捧げて、母が笑って庭まで迎えに行って、弟妹が金のブレスレットを母の手首に付けて、母が楽しくて私に見せてとても気に入りました。
私が母に贈ったブレスレットのジャンクションが壊れて、去年昆山に持って修理しようと思いましたが、時間が作れなくて、母誕生日の前日に威海に行って旧金の重量を10グラム足して、気に入り新品を買い換えして母にプレゼントしました。母が頻繁に両腕のブレスレットを触って、大満足でした。

 “婦人デー”です。母は村の唯一の“好婆婆(しゅうとめ)”と評価され、町の表彰大会を参加する予定です。昔から嫁としゅうとめの関係は最も難しい物で、母と弟妹の仲が良くて、両親が資金面と労働力から弟一家を支えていることは事実ですが、母はいつも謙虚にだれの親でも子供のためにそうしていると感激しました。母は本当に苦労に耐えて幸福に恵まれる素晴らしい女性だと思います

 実家に3日間しか滞在できなくて、子供達が自由に豚に羊に餌をやれて、村の小売店で思う存分に買い物ができて、小売店前の小遊園地にふざけて遊んで、誰も昆山に帰りたくないです。長男が飛行機乗ったことを次男の前で何回も自慢したことがあり、この度次男が漸く飛行機を乗れました。彼はが随分興奮して、毎週姥姥家に行こうと無邪気に言いました。 実家は私をリラックスさせて癒してくれる場所です。充実な2月を過ごしました。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています