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2023.10.15
高の面白い話(16)

 今年、中国では9月29日の中秋節と10月1日の国慶節の祝日が連続し、8日間の大型連休となりました。高鉄チケットが販売切ったため、主人は思い切って運転で帰ろうと決定しました。二人は仕事で休暇を取ることが出来ますが、子供達は授業を休むことが出来ない、出発時間は混雑のピークであることと分かっていました。家に帰ると決めた以上、中秋節当日さえ安全に着ければ渋滞などどうでも良いと思いました。
 私はマニュアル式しか運転できないので、主人一人で全行程を運転しました。9月28日の夜8時に昆山から出発しまして、目的地まで950Kmでした。通常運転時間11時間ですが、連休前日のため、高速では酷い渋滞があって、蘇通長江大橋を通過する際に6時間がかかりました。子供達は姥姥の家に帰りたい一心で、寝たりビデオを見たりして大人しかったです。途中で数回の交通事故を目撃し、23時間連続運転後、夜7時に家に着きました。中秋節の夕食に何と無く間に合えました。

 中秋節当日、両親は約200キロの豚をつぶしました。私は食べるだけでなく手伝いしたいなと感嘆したら、母は豚を捕まえるシーンを絵に描いたように話しくれました。この豚は力が強い、何人が引っ張ても動かない、手伝ってくれた隣人が豚の頭に押されて動けなくなったり、豚の耳が隣人を倒させたりことがあって、押さえつけたまでかなり苦労しました。
 飼料を食べない豚は村でも珍しいなので、肉を買いに来た隣人が集めていたそうです。両親はせっかく私達が運転で昆山に戻ることを考え、手伝ってくれた隣人に5キロずつのお肉を贈った以外、お肉販売しなかったです。良い部位のスペアリブと豚肉を全部小分けして、保温箱に入れやすいように用意くれました。

 実家で繰り返し洗浄後の大きな豚の頭と内蔵に醬油と八角(スターアニ)といったシンプルな調味をして、大きいの鉄製鍋で長時間煮込んむ作業を“煮下貨”と呼びます。煮込ん“下貨””は一回食べきれないので、小分けにして冷凍します。冬の際に、大白菜と一緒に柔らかく煮込んで脂こっくで美味しいです。
実家製のお肉料理は本当に香ばしいです。実家でしか食べられない美味しい豚の血の炒めもありました。しかし、毎日運動しないので、もっと食べたくても食べられません。炕(オンドル)の上に5人の子供がいて、私一家は大きな声で話す習慣があり、一日三餐はとても賑やかで、幸せな雰囲気でした。
主人は昆山地元の友人に頼んで大きい上海蟹20匹を買って帰りました。昆山市巴城鎮の陽澄湖でとれるものが最上とされていますが、私達買ったのは殆ど“過水蟹”( 陽澄湖で暫く放置して、洗澡蟹でも呼ぶ)です。それにしても他の淡水カニに比べて味わいが深く、濃厚な蟹味噌があり美味しいです。一一ちゃん以外に一人1匹の雄蟹と1匹の雌蟹が食べられますが、父はどしても子供達に譲ってあげたいため、無理やり1匹食べさせました。
 実家は沿海の農村のため、ワタリガニ(梭子蟹)を食べるのが大好きです。弟は船を持つ友達に頼んで10匹大きなワタリガニを買いました。どれも400 g以上で、とてもふっくらしていて大変美味しかったです。

 秋晴れで空気が澄んで室外の気温が心地よいでした。庭でバーベキューをしました。私幼い頃の友達が奥さんと子供を連れて遊びに来て、子供達は簡易な音響設備を使いカラオケを歌ったり、大人達はドリンクを飲んだりして、深夜まで交流しました。 国慶節当日、弟の小学校時代の同級生が結婚式を挙げました。両親は朝4時から餃子作りなど手伝う行きまして、弟一家も酒席に参加しました。主人と私は暇なので、煙台の有名な観光地“養馬島”に行きました。交通渋滞がなかったため、車で1時間目的地に着きました。

 有料スポットはどこか知りませんので、近辺の海辺を回ってみました。ここの観光業が発達しない様子です。海水がとても綺麗ですが、観光客が多くない、小売店が数軒しかない、観光地でよく見かける水、ソフトドリンク、アイスクリーム、ソーセージなどは良心的な価額でした。船から運ばれたばかりのホタテや牡蠣もあり、海辺で簡単に加工してもらい、その場で食べられます。ホタテは500グラムで7.5元、牡蠣は500グラムで8元、加工費は10元でした。家で海鮮蒸す時出来るだけ長く加熱しますが、ここでの蒸し時間は5分だけです。ホタテは大きくて柔らかくて、ナイフで牡蠣を開いて、どれも肥えています。60元で主人とお腹いっぱいになりました。

 昆山に戻る前日、両親、弟一家と一緒に義理の妹(弟の嫁さん)の実家に行って、りんご袋の外す作業をしました。妹のご両親は勤労な農民です。もうすぐ70歳になりますが、リンゴ園を経営しています。今年、夫婦二人が養鶏場のアルバイトもし始めて、養鶏場で住み込みをして、朝晩関わらず2時間ごとに1回鶏に餌をやる仕事です。まとまった睡眠がとれないため、二人は数ヶ月間で極瘦せになってしまい、最近、妹の母の手は飼料粉砕機にやられて、2本の指が怪我しました。果農にとって、リンゴの袋を外す忙しい時期だったので、休養の暇がない、片手だけでもリンゴ園で仕事を続けています。
 リンゴ袋の外すは難しくない作業です。リンゴに傷をつけることさえ注意すれば、子供達も出来ます。最初4人の子供は喜んで手伝ってくれましたが、段々つまらない表情をしてスマートフォンを遊び始めました。私達の加入により、進展が早くなりましたが、約百本の木にかけられた袋を全数外すまでまだまだ時間が必要でした。

 主人はただ数時間で体験しましたが、リンゴ園管理は大変だなと感嘆して、これからリンゴを大切に食べろうと言いました。都市で暮らすと、果物の種類は豊富すぎです。沢山の選択肢の中、私でもりんごを買うことは多くないです。煙台市のリンゴは全国でも有名ですが、農家はお金を稼ぐのがとても難しいです。肥料と農薬が年々値上げだし、悪天候や虫病気などが頻繫、買収者の厳しい要求に加えて、中々良い価額に売れません。外観が完璧でないリンゴはジュース工場に低価で売るしかなくて、やむを得ずリンゴ園を廃棄し、リンゴ木が伐採した隣人もいました。

 話題は昔のりんごの種類に移りました。煙台リンゴと言えば、“紅富士”が有名ですが、昔の種類はとても豊富だったらしいです。市場のニーズに合わせて品種を更新しないと買収くれる人がないため、多くの品種が消えてしまいました。確かに私が子供の頃、“小国光”という品種のリンゴがありまして、サイズが小さい、酸っぱくて甘くて、寒い時期に収穫して、零下の室外に一晩置いて食べるのが美味しいし、鍋で蒸してから食べて、甘酸っぱいの味が一層深くなります。今大きい赤いリンゴばっかりで、酸リンゴが少ないと感じます。

 家に帰る度に弟が海に連れてくれるの楽しみにします。弟は気前がよくて、どんな性格の方とも上手く付き合います。今回、弟は海上のお友達に頼んで、獲れたての4キロの海水魚を買いました。魚の種類が分からないですが、こんな大きいサイズはとても珍しいと聞きました。弟のお友達の家は“填海造房”(海を埋めて住宅を立ち)です。部屋が広くて天井が高い、庭は広々な海岸線です。お友達が何十キロの新鮮ホタテとカキを用意してくれた時、私達は直ちに海に行きました。
 子供たちは水遊びが大好きです。海水が冷たくなった季節でしたが、子供4人が靴を脱いで小蟹を捕まったり、海浪を踏んだり、衣装が海水に濡れても楽しくでたまらなくて、。家に戻りたくなかったです。次男の足は良く脱皮があり、海水に触れた後、脱皮が治りました。沿海で住んで、子供の頃から海水が消毒効用があると信じます。贅沢な新鮮海鮮をたっぷり食べられて、美しい海の景色を思う存分見れて、本当に幸せです。

 家に戻ると4人の子供は一斉に屋後の庭に走って、ウサギと遊びに行きました。子供たちはウサギをかわいがって抱っこあげたり、素手でウサギが通える長い通路を掘ってあげたりして、蚊にかまれても全然平気でした。
 10月4日は弟の33歳のお誕生日でした。両親は朝早くから色々な土特産品を車に運び始めました。二人の子供は粘り強く昆山に帰りたいと願い来ました。 9月から弟は貂の養殖をやめて、代わりに約50匹の犬を養殖し始めました。成年犬は体重50キロ以上があり、養殖場に入って犬のほえる声はかなり迫力感があります。弟は大学卒業後養殖業を選んで、13年やり続けて、いくら苦労しても自暴自棄しませんでした。今でも両親に離れたくなくて、故郷を守って、自分なりの路を模索しています。私は弟と妹に心から感心します。昼食、家族11人が揃い弟に祝福をしました。食事後、私一家が出発しました。
 2007年務めた会社の董事長と総経理とお久しぶりにあって、夜一緒にお食事をしました。美味しい青島ビル一号工場のビルを飲めて、青島で一晩良く眠れました。次の日の朝、主人と15年ぶりの母校‐青島科技大学に訪ねました。学校は少しボロボロしていますが、昔と比べて大きい変化がありません。主人と私ここで出会えて、懐かしい記憶が一杯ある場所です。二人が校園一週回って、学生時代のことを目に浮かぶと、本当に懐かしいです。

 午後は青島水族館へ行く予定でしたが、駐車場から水族館に行く途中、子供達が駐車場近くの海水浴場で遊びたいと言っていたため、水族館へ行くことをやめました。海水が寒くても二人が思い切って飛び込んで、水戦しました。涼しい風に触られて二人ともぶるぶる震えてしまいました。主人は急いで駐車場に戻って着替え服を撮りました。50元を払って10分間シャワーを浴びてから、二人は暖かくなって、砂堀をし始めました。主人デザインした地下の城は大きかった、子供達が入れるので、三人は夕方まで楽しく遊びました。

 出発前に、主人と大学時代大好きだった“島城一湯”のチェーン店へ行って、羊肉湯を食べました。滅多に食べられないため、二人とも無料スープのお替りをしました。
 満喫後、夜8時頃、私達は昆山に向けて出発しました。交通渋滞がなかったため、深夜3時頃順調に家に着きました。車のトランクに両親と弟が用意くれた故郷の土特産がバンバンでした。とても幸せだな連休でした。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています

2023.09.29
高の面白い話(15)

 9月の記事が大変遅れて申し訳ございませんでした。
 農業では9月と10月が収穫シーズンで、多くの業界にとって販売シーズンがピークを迎える時期でもあります。中秋節と国慶節という大型連休があり、消費活動が活発となることから、“金九銀十”と呼ばれています。主人は日本と深センへの出張が増えて、深夜までの残業が頻繫でした。私勤務している会社の総経理も深センから昆山に来ました。中国の中秋節(旧暦8月15日、今年は9月29日)の直前で、取引先に月餅を贈るのは当たり前の行事なので、スターバックスの月餅を持って二人が顧客同行をしました。期待を寄せながら緊迫感を背負して働いてまして、1回月間はあっという間に過ぎました。

 中国の新学期は9月1日に始まりますが、江蘇省を含めて多地教育局のご指示により今年小中学校の秋入学を9月4日(月)に延期しました。長男は小学校四年生になって、次男は小学校一年生になりました。
 不動産証明書と昆山戸籍の二重証明書(双証)がそろっているため、幼稚園から小学校への昇学は順調でした。4月10日に昆山市幼稚園・小中学校の学生募集システムにてオンライン申し込みをし、6月10日に学校へ行って紙資料の審査を受けて、8月12日に入学通知書が発行されました。
 一年生には18クラス・約900の生徒です。クラス分けをしてから、次男を連れて入学登録手続きしました。班主任(語文の担任先生)は48歳です。経験があり厳しそうに見えます。2年前から“双減”政策が実行始まり、学校での宿題やテストがほぼない、塾通いしない環境の中、私は責任感があり、学生に厳しい先生を望んでいます。
 先生との交流はメッセンジャーソフトQQで行います。授業後の宿題が僅かですが、保護者が確認しないといけない情報の配布、打卡(チェックイン)などが多いです。入学直前の宿題は新しい本に透明ブックカバーをすることと中央テレビで放送される“開学第一課”の視聴でした。

 小学生一年生だった長男と初めてブックカバー購入した時、市販ブックカバーの種類に驚きました。25年以上ブックカバーしたことがなくて、小学生時代に古いカレンダーや古い板紙でカバーに包む懐かしい記憶がありましたが、今では、学校は統一的な透明なプラスチック製のブックカバーを要求します。ずっらりのプラスチック製ブックカバーは売り場の目立つの位置に置かれて、年級ごとにセットで販売します。各教科書や練習冊の規格が揃えて便利でピッタリに本に掛けます。透明な外観ですが、カバーの裏に接着層があり、本にくっつくと、はがして再利用することができない、新学期ごとに買う必要があります。規格に関係なく1枚当たり1元です。今学期長男と次男合わせて約40元のブックカバーを購入しました。近所の小売店のオーナーが包むサービスしてくれました。

 “開学第一課”は学校が始まって最初の授業という意味で、江蘇省小中学校“開学第一課”は文明の足跡を探し、四つの自信(道路自信、理論自信、制度自信、文化自信)がある少年になるという主旨でした。学生と保護者が一緒に視聴した写真の打卡が必要でした。多くの内容は子供にとって奥深く遠い物だと感じますが、先輩たちが中国の優れた伝統文化を伝承する中で起こった物語に感動するでしょう。

 次男は入学後ピンイン(*中国語の発音記号)と簡単な漢字を学び始めました。兄の下でと触れ合うことが多いので、スムーズに小学校にあがれると心強いでしたが、意外に彼の学習能力が強くない、先生の進度に追いつくのは苦労している様子です。営利目的の学習塾が禁止されているため、彼が幼小衔接(幼児教育と小学校教育の架け橋ような授業)参加しなかったです。幼稚園児は遊戯を遊んだり絵本を読んだりしましたが、小学校段階の教育内容の伝授、例え、漢字やピンインを学べないです。クラスの子供たちの進度がバラバラと聞いて、語文先生 と数学先生が数回私に連絡来て、夜彼を補習してあげるねと言われました。

 部屋は乱雑になってしまいます。言い訳かもしれませんが、夜の残業と子供達の補習があるため掃除の時間が段々減りました。友人の勧めにより、私は掃除おばさん2名をオンラインで予約して8時間の大掃除サービスを購入しました。家がきれいになって気分まで一新になりました。隣人達は私が別所で掃除おばさんを雇うことを見て、マンション売ってくれた謝阿姨(おばさん)を雇った方が良いと熱心に勧めてくれました。翌日、謝阿姨が内に来って主人と掃除の話をして、私達が喜んで謝阿姨に掃除依頼しました。

 謝阿姨は昆山の原住民です。旧居拆迁政策(家屋の取り壊し)の優遇により、政府から二軒のマンションを分配されました。息子さんとお嫁さんに4階にある140㎡のマンション贈りましたが、お嫁さんはここで住みたくないので、マンションを売って、別所の新築マンションの購入を望みました。結局大きい面積のマンションは中々売れ切れなくて、謝阿姨ご夫婦は自分所有した2階にある100㎡のマンションを私一家に売りました。現在、息子さん一家と一緒に4階に住んでいます。 ご夫婦は勤労な方です。朝晩までバイトしています。謝阿姨は毎日家の近くの体育館で掃除をしているほか、団地周辺に住む中年夫婦の家で通い(通勤)の家政婦を8年間やり続けています。
 時給は約50元、家事全般ではない、表面のざっくりの掃除です。隣人のため、謝阿姨にドアの指紋を入れて、ご自由に内に入ってもらいます。決まった時間や掃除内容の指定しない、週に2回、毎月700元払います。掃除当日家は確かにきれいになりました。しかし、子供達は良い衛生管理習慣養成してなくて状態維持出来ません。私は一年8400元出すことを惜しいと思いますが、主人はこのお金を使う価値がありすぎると満足しています。

 実は、今年3月から盒馬(アリババ食料品チェーン)アプリケーションで掃除サービスを開始しました。別企業が掃除サービス提供くれますが、盒馬のプラットフォームで便利に予約や評価管理出来ます。油煙機、冷蔵庫、窓、洗濯機など専門清掃作業以外に、3時間160元の高効な専門清掃も気軽に外注できます。開業当初、3時間120元のサービス期間がありまして、私は2回購入しました。便利だったし質も高いです。掃除の方は見知らぬ人なので、同時に家にいる必要です。
 子供達が幼い頃いくら大変だった時期でも家政婦雇う考えがありませんでした。主人は家が乱雑の原因でケンカしてくれても、お金で掃除問題改善する意識がありませんでした。何事も親身にする習慣養成しましたが、合理的な費用を使い貴重な時間を解放して、生活の質を高めるのも良い選択だなと思い始めます。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています
 文中の*は研究室からの補足情報です

 

2023.09.21
郡上八幡―関間40kmの長良川河畔ツーリングに行ってきました.

 デビュー戦だった4月のしまなみ海道ツーリングに味を占めて,2回目のロングツーリングは,岐阜大学の特別講義が終了し,翌日の宇都宮で開催されるJCOMMへの移動までの半日間に,岐阜県ナショナルサイクルルートの候補になっている郡上八幡から関までの長良川河畔コース40kmにチャレンジしました.今回は初めての輪行でした.輪行とは自転車を電車やバスなどの公共交通機関に載せて移動することです.

 前日に阿蘇くまもと空港からFDAで名古屋に運び,翌日に名古屋から岐阜まで東海道線で輪行しました.FDAでは手荷物扱いで,総重量が20kg以下であれば無料ですし,事前に輪行の予約を行っていたので,専用のボックスが用意されていました.私の自転車は横型にばらす方式なので,ハンドル幅がそのまま横幅となるため,用意されていたボックスはやや幅が小さめでしたが,そのためにはみ出した部分にはクッション材を当ててくれたりして,大切に運んでくれました.
 カーボンなので軽いは軽いのですが,輪行袋を肩にかけて長時間歩くと,さすがにずっしり感を感じます.また,横置きなので縦は短いのですが,長さが長くなる分,向きを変える際は大きなモーメントを感じました.

 翌日の早朝には倉内先生に私と自転車をホテルでピックアップしてもらい,一路,関駅まで.そこで組み立ててから1日に1本だけ自転車を乗せることができる長良川鉄道で郡上八幡駅へ.もう50年も前になるのでしょうか,学生時代にサークルの合宿で訪問して以来の郡上八幡駅は全く記憶になかったです.天気予報では岐阜の山間部は雨という予報でしたが,私が「絶対に雨は降らない!降っても直ぐに止む!」と念じ続けたせいか,一瞬,小雨がぱらついたものの,ツーリング中はほとんど雨には会いませんでした.

 長良川を左手に見た右岸の自動車はほとんど走らない道路を,上流から下流に向かって走る,つまりほとんどが平面か下りのツーリングは快適でした.このために,倉内先生の他,名大の後輩で長大の子会社の順風路(「『じゅんぷうろ』ではなく『じゅんぷうじ』と読む)社長の岡田さん,それに岐阜大特任准教授の東さんも年休を取って伴走してくれました.3人は,自転車もお金をかけて色々なパーツを組み上げている,セミプロです.2時間半ほどかけて関に到着後,再びばらして輪行袋に仕舞い,それから名物の鰻を食し,温泉で汗を流しました.夢のような半日でした. 輪行は面倒ですし,軽くはないですが,ツーリングの範囲が飛躍的に広がります.次は琵琶湖1周,その次は霞ヶ浦1周,そして阿蘇でのツーリングを約束して,解散しました.

2023.09.04
シニアの2夫婦で熊野古道を歩きました.

 義姉夫婦も妻も私も(一番先に)還暦を過ぎたこともあって,昨年から夏休みには両夫婦で旅行をすることにしています.昨年は急な発案だったので,岐阜の昼神温泉での1泊旅行でした.これはこれでゆっくりできました.今年は当初はオーストリア・スイスのアルプスにでも行きませんかと義兄を誘ったのですが,私の妻の都合でギューッとスケールダウンして,国内にあるものの,熊本からはなかなか行く機会もない世界遺産の熊野古道に行くことにしました.
 私は出発前には右のような自作のガイドブックを作る入れ込みよう.発心門王子~熊野本宮大社の7kmで2時間半,大門坂~熊野那智大社で1.3kmで1時間半の2箇所を,2泊3日で歩くことにしました.直前になって,痛みが緩和していた左膝が再び痛み出したため,ロキソプロフェンに加えて,カーボン製のトレッキングポールをAmazonで購入するほどの準備をして,いざ出発!

 発心門王子~熊野本宮大社のトレッキング当日は「雨」の予報だったのですが,全く雨は降らずに途中からは陽が差す良い天気になりました.途中,90歳台の超元気なお茶売りおじいちゃん,70歳台の超おしゃべりでグローバルな経験を持つ休憩所のおばあちゃん,インスタにあげた来訪外国人との会話を拡散してと依頼する80歳代のおじいちゃん,熊野古道中辺路を走破したフランス人など,古道の雰囲気や周囲の自然だけでなく,とてもユニークな人たちとの会話も楽しみました.

 翌日は朝から台風の余波による暴風雨.予定していた大門坂~熊野那智大社はパスして,熊野那智大社と那智の滝まで,直接,車で行きました.このあたりで取れる硬質で真っ黒な硯用の石を那智黒というのが,昔から親しんでいた「那智黒」飴の言われであること,大雨のため増量した滝のしぶきに加えて暴風雨も加わって,頭の天辺から足の先までずぶ濡れになって記念写真をとったことは,非常に良い思い出になりました. 来年は九州か,黒部に行こうと相談しています.

2023.08.30
高の面白い話(14)

 8月25日は長男笑笑の10歳のお誕生日でした。昆山には10歳の誕生日を重視する習慣があり、私たちも郷に入っては郷に従いまして、長男のためにお誕生日パーティーすることを計画しました。誕生日の当日は平日出勤日でした。週末ならば友達が集まりやすいため、8月19日(土)に昆山金華村にあるバーベキュー団建(チームビルディング)基地でお祝いパーティー開くことを決めました。

 夏休み期間、二人の子供は主人の実家安徽で過ごしました。笑笑がお誕生日パーティーすることを聞いて、日にちを数いて随分楽しみました。彼はキッズ用腕時計で数回に舅妈(私の弟の奥さん)に電話をかけて、ぜひお誕生日パーティーを参加に来てと誘いました。秋に入りましたが、天気がまだまだ蒸し暑くて、弟にとって今は養殖場の最も忙しい時期と分かっています。また、一番下の姪は1歳3ヶ月だけで、私は弟一家が来られるとは思わなかったです。しかし、誕生日パーティーの前日の夜11時半頃に弟一家5人が昆山に駆けつけました。弟一家が来てくれて私は本当に大喜びでした。

 私の上の姪の乳名は丫丫(中国語簡体字:yayaと読むらしい)、下の姪の乳名は一一、甥の乳名は嘉嘉です。笑笑豆豆と丫丫嘉嘉4人が久しぶりに会って興奮してたまらなかったです。深夜でしたが、一一ちゃんも全然寝る気がなくて、クリクリしたまん丸の目で新しい環境を確認して、泣かない、騒がない、ふわふわしたほっぺでとてもかわいいです。一一ちゃんが初めて私の家に来るため、玄関でお年玉を用意して、“圧腰”( めでたい祝福、実家の風俗習慣)をあげました。
 丫丫は6歳だけですが、立派なお姉さんになって、髪が長くなって上の子供(大姑娘)らしくなりました。嘉嘉は背が小さいですが、気の利いた子供で、下には妹がいるので、もう父と母にくっついていないです。

 主人は自慢な特製海鮮の冷製鍋を冷蔵庫から取り出して、皆一緒に食べて、主人と弟が飲み終わるまで、子供達はまだ寝る気がなかったです。笑笑と豆豆はどうしても妹と弟と一緒に寝たくて、結局7人は上下層のベットに押し込んで一晩寝ました。誕生日パーティーは午後4時からなので、自然に目が覚めるまで寝られました。

 朝食は実家の伝統を守り、私は長寿面を作りました。食器とイズが足りなくて、子供5人が先に食べ終わってから大人が食べます。昔の大家族って感じでした。
 食事後、主人はお誕生日パーティー用のビデオを冒頭に作成初めて、私達8人は急いて地下鉄を乗ってRT-MARTへ行って、食器と日用品などを買いました。ついでに、子供達が好きなピザ、寿司、卤菜(豊富な香辛料がある特製たれで煮込んだお肉や野菜など)を買って帰って、簡単な昼食を済ませて、会場に向かいました。

 金華村は農村でしたが、投資会社が工夫をかけて、開放的なカントリー調でおしゃれにくつろげるスペースを作り上げました。私が3回目にここを来ました。
 主人の会社はここで団建したことがあり、体験は良かったため、ある日私と子供たちを連れてきました。その時、店長は人数が少なすぎて通常の料金で高いと私たちを説得し、隣のレストランをお勧めてくれました。
 7月18日に昆山外国語ボランティア協会が日本語技能交流会を開催して、ここで会場を貸し切りして、主人と私が交流会を参加して、私は舞台で一曲を歌いました。

 ここに、3つの館があります。各館の娯楽施設は同じです。面積により、収容人数は30人、50人、70人と異なります。バーベキューエリア以外に、KTV、麻雀テーブル、ゲーム機、テーブルサッカーなどの施設は共有です。他の顧客と共有したくなければ、2800元~3700元の費用を追加すると、会場を貸し切りできます。AM9:00~PM4:00とPM5:00~PM11:00の二つの選択肢がありましたが、高温天気なので、主人はPM5:00~PM11:00を選びました。食事代は人数で計算する制度です。1.4m以上の子供と大人は同一価額、1人あたりは138元です。1.4m以下の子供は一人当たり69元です。ウェイトレス二名がいって、炭火を用意したり、バーベキューの食材を提供くれました。会場でおやつやソフトドリンクを少量に用意しましたので、主人と金華村の小スーパーでビールを大量に買いました。

 費用を考えて、私は貸し切りしませんでした。店長にバースデーケーキ登場の時、音響とネットテレビを一時間借りることを相談しました。店長はどこでバーベキューするのか事前に教えてくれなかったため、私は少し心配しました。運が良くて、この日会社の団建の予約がなくて、3組とも10歳子供のお誕生日パーティーなので、店長は自発的に私たちをホールまでアレンジしてくれました。おかけで貸切しなくても、広々なホールと大型スクリーンを専用出来て、期待をはるかに超えてお得な気持ちでした。
 私はネットで30元のパーティー装飾用の気球を買いました。これで思う存分会場を飾れました。長男も舅舅(私の弟)と一緒に気球をを吹いて、午後4時頃、友達が相次いで会場に来て、会場の飾りを手伝ってくれました。子供達はゲーム機を遊び初めて、上下2階の会場や屋外庭園に見知りな方がいなくて、友人たちもとても良い体験をしていました。

 バーベキューは6時からスタートしました。自分で焼く必要がありますが、皆が自発的に調理の役を担当して、とても気持ち良い雰囲気でした。バーベキュー食材は新鮮です。3時間以外に無限に供給されていますが、満腹しやすいです。
 主人が長男を舞台まで連れて、長男は内気で何も言わたくなかったため、代わりに主人がご挨拶をしました。笑笑は10歳になって、私一家は昆山で10年間過ごしました。友達は全部昆山に来た頃から付き合た方で、笑笑の成長と私一家の発展の見守ってくれました。主人がビデオを放送しながら、笑笑が成長中の面白い事件を紹介しました。ビデオに笑笑が1歳から10歳までの写真があります。私は色々思い出してとても感激しました。ビデオは大好評で、友達から熱い拍手がいっぱいありました。
 バーベキューは脂っこいと考えて、私は2層のアイスクリームケーキを予約して、7時にケーキが届けました。
 ホールに誕生日ソングが流れ始めて、全員は“生日快楽”の歌を歌い、笑笑が“許願(願いことをし)”しました。皆さんが大拍手し祝福を送ってきました。ケーキが美味しくて、皆は交流しながらビールを飲んで、バーベキューは3時間半も続きました。
 昆山市外から来た友達は10時過ぎに帰って、昆山市内の友達は夜11時まで遊びました。皆が満喫と思ってくれて、主人と私はとても嬉しいです。夫も私の実家も10歳の誕生日は普通に過ごしています。友人たちは紅包(お年玉)をご用意くれましたが、主人と受け取らず、この機会をかりて、みんなはお忙しい中に集まってくれるだけで感謝の気持ちいっぱいでした。

 子供の誕生日お祝いでしたが、主人と私はほとんど来客の世話をしていました。幸いにも子供たちは自由に遊んで、一一ちゃんは音がうるさくてもぐっすり寝て、目が覚めても泣かないでした。離乳はしていませんが、食欲がかなりあり、何でも美味しいそうに食べてとてもおとなしいです。弟も色々と手伝ってくれて、助かりました。
 天気が暑すぎたのか、興奮しすぎたのか、分からないですが、笑笑と豆豆は相次ぐ鼻血が出ました。笑笑の口元に酷い炎症を起きて、喉も痛いと帰宅後に泣きました。

 笑笑は10歳になっても私にくっついて、ゲームが好きですが、読書や積木(ブロックの組み立て)などに非常に集中力があります。10歳のお誕生日パーティーはきっと笑笑の良い思い出になると信じます。9月から豆豆も小学校1年生になります。2人の子供が楽しく成長するのを楽しみにしています。
 弟一家が到着してから、笑笑と豆豆は托班(託児所)に通わなくなり、主人と私は通常通りに出勤して、弟夫婦は子供5人の世話をして、幼稚園のように毎日にぎやかでした。

 8月22日に会社の前総経理が深セン分公司に来て、当日の夜は彼の送別会のため、私は2年ぶりに深センに行きました。初めて前総経理に会って話が出来てとても良かったです。送別会の会食は前総経理が大好きな湖南料理でした。二次会はカラオケでした。皆は12時まで飲んで歌って、とても楽しかったです。翌日、広州の工場二軒を訪問して、深夜12時半に昆山を付きました。私が出張の二日間、主人以外に誰も外に出なかったと聞きました。

 弟は養殖場で苦労している両親のことを心配して、笑笑のお誕生日後にすぐ帰ろうと計画しました。高鉄の切符が販売切れて、主人と私も反対したため、弟は8月28日に帰るの切符を購入しました。
 弟の養殖場に2000匹以上の貂と50匹の大型犬を飼っています。両親は弟一家が昆山に来るのを極力に支持して、父は家で留守番して、母は一人で山にある養殖場に留守番していました。
 弟一家は昆山で泊まった10日間、天気が晴れていて、来る前も帰った後も雨が降っていましたが。私が姐として、弟が昆山にいる内に、できるだけ彼を良いところに連れて行ってあげて、おいしいものを沢山食べさせたいと考えています。家から徒歩3分間に地下鉄共青駅があります。6月24日に開通した蘇州地下鉄11号線は昆山市を横断し、西は蘇州工業園区唯亭駅から始まり、蘇州3号線へ乗り換えます。東は昆山花橋駅に止まり、上海11号線と接続しています。こんな便利な交通があるのに、私が出勤しても、弟は自分で出かければと思いました。弟は私がお金を沢山使ってほしくないので、できるだけ家にいたいと思っています。出勤時間は仕方がないですが、休日や夜に、家族9人は地下鉄を乗って、子供たちが大好きな遊園地に行ったり、プルへ行ったり、足裏マッサージしたり、 蘇州中心の繫華地“東方の門”へ観光も行きました。

 最近の毎日はほとんど外食でした。毎晩12時ごろ寝ていて、夜食を追加することもありました。弟はお酒に強くなって、一一ちゃんを含んてみんなは体重を上げました。

 子供たちはしょっちゅうケンカをしていて、一一ちゃんは逆に泣く回数が一番少ない子でした。私は子供の喧嘩を見て、時にイライラしました。弟は両親と私に対して根気がないですが、子供に溺愛するタイプです。弟はずいぶん大人になって、私にも包容力が増えた気がします。弟はそばにいて本当に幸せです。今は交通が便利になって、私は弟一家がよく来ることを望んでいます。弟一家帰った当日、笑笑と豆豆共に妹に会いたい、舅舅舅母を来てほしいと泣きました。

 弟は今年で13年も経営した貂の養殖場を閉鎖すると決めました。経済不景気の中、彼は家族を養うプレッシャーが大きいだと思います。私は8月25日に40万の住宅ローンを繰り上げ返済しました。残った純商業住宅ローンは109万元で、金利は5.58%です。主人と私はまだ努力しなければなりません。
 弟はいつか私と一緒にチベットに行きたいと言いました。二人はそれぞれの生活を過ごしていますが、一緒にすばらしい人生を歩むたいと思っています。

※一部赤文字で注釈をつけています.文章は高さんの記述のまま掲載しています.

2023.07.22
高の面白い話(13)

 「端午節」は、春節、中秋節に並び、中国の三大伝統節句です。端午節は旧暦の5月5日であり、今年の22日から24日までが祝日でしたが、25日は日曜日の振替休日のため、私勤務している会社の休暇制度により4連休となりました。次の長連休は十月一日の国慶節になるため、私は煙台の実家に帰ることにしました。

 前から高考(中国大学統一入学試験)の受験生と夏休みモードに入り始めた小中高校生やご家族が旅行に出かけていることが多く、国内旅行の人気は高またことを聞きまして、短い連休に加えて、高鉄切符の購入は更に難しくなりました。高鉄公式サイト12306で調べた時、上海、蘇州や南京から煙台までの切符は既に完売しまして、別のターミナル駅で乗り換えや乗車後に運賃精算するなど方法がありますが、私は習慣的に高鉄の“搶票”制度( 切符を奪い取ること)を優先に試しました。チケットの払い戻しや公式チケットの放出などは後から出る可能性がありますので、加速パッケージの購入や多めな選択肢を追加などの仕組みにより成功確率を高めます。“帰心似剣(帰心は矢のよう)な私は幸運で、発車2時間前に願いとおり“搶票成功”の提示音が届いて、深夜12:00頃私が煙台駅に着きました。弟が迎え来て、久しぶりに会って父と母は大喜びでした。

 家の炕(オンドル)は寝心地がよくて、私が起きた時、日が既に昇ってきました。父も母も家にいなくて、母の身長が低くなってきて、父の背中が曲がってしまいましたが、二人は相変わらず朝4時半頃に起きて労作の日々を過ごしています。 実家の端午節当日の伝統行事と言えば、太陽が昇る前に、掛艾草、糸LUSU、吃粽子(ちまき)です。大門の右側にに大束の艾草(ヨモギ)がかけられて、朝食はゆでた鶏卵、アヒルの卵、ガチョウの卵と塩漬けアヒルの卵です。近年、粽子も食べられるようになりました。

 私の実家では小麦製品を主食としており、お米やもち米を食べる習慣はありません。粽子は南方ならではの食品だと思っていました。調べたら、粽子は大昔で北方に起源し、最初の雛形はパニカムミリアセウム(黄米)を牛の角のような形をしていて、大昔の人は、旧暦の五月五日を悪月悪日と思い、疫病と邪気を払い、吉祥を求め祭祀に用いたそうです。 私は粽子について子供の頃の思い出がなくて感情もありませんが、主人は執着に毎年粽子を手作りします。彼は繊細な人で、包む手法も上手です。粽子葉になれる葉は何十種類があるそうで、市販されている葉と言えば通常は笹の葉で、30枚入り約5元前後です。具材は事前に調味された豚角切りと蜜棗の2種類です。毎年ちまき商戦がありまして、過剰に包装された種類豊富の粽子がおいしいかどうかは分かりませんが、主人が作った粽子はシンプルでおいしいと思います。

 子供の時、目を覚める前に母が五穀線でこすった彩縄を弟と私の手、足、腰にかけ習慣があります。この行事を行う他の地方もありますが、“五彩縄”を読むばっかりで、実家の方言では“LUSU”と呼びます。恐らく“緑蘇”という漢字でしょうか。
 昔の五彩縄と言えば、赤、白、青、黒、黄であり、火、金、木、水、土の五行を代表していたそうで、母は艶色が好きで、赤、黄、緑、ピンク、紫などを選びます。端午節後の最初の大雨が降った時に、LUSUを切って村を流れる河まで持っていて、LUSUが川の流れに乗って行くのを見て魔除けと健康を祈ります。母はLUSUを結んだ部位が一年間痛くないと言いました。

 祝日であろうとなかろうと、私が家にいると、両親は決して料理をごまかさないです。豊富な炒め物を除いて主食は麺か餃子で、長久や団欒など素晴らしいことに期待する寓意があります。夜7時過ぎ、弟家族5人も来て家族を揃って一緒に食事をしました。私は気楽に両親を連れて蓬莱閣に行きたいと提案したら、全員は喜んで受け入れました。 蓬莱閣は煙台の名所であり、小学校の時に学校の活動により一回行ったことがあって、両親はまだ行ったことがないです。蓬莱閣は、煙台市の蓬莱市北部の断崖の上にあり、滕王閣、黄鶴楼、岳陽楼と共に中国四大名楼になります。家からタクシーで片道二時間半がかかり、成人の入場料は100元ですが、両親は60歳になったので、入場料はいりません。 入口に“人間蓬莱”の牌匾があり、早速に両親と沢山写真を撮りました。“蓬莱仙境”が広く知られて、神仙がいて不老長寿の薬があると言い伝えられて、秦の始皇帝と漢の武帝が神仙と薬を探して自ら訪れたの伝説があり、海上蜃気楼でも最も有名なポイントらしいです。

観光ルートに沿って、明代の愛国将校戚継光の記念館に来ました。蓬莱は戚家族が代々住む場所です。私が小学校頃の語文課文(中国語テキスト)に≪民族英雄戚継光≫の文書を収録されて、彼が海防を守って、戦功がめざましかったで、詩人と書道家の称号もあり、全国若者の学習の典型人物でもあります。彼の晩年は惨めだったらことを知った時、功成名就(功成り名遂ぐ)ができて,善始善終(終始を全うする)できなかったことを感嘆しました。
 いよいよ名所“蓬莱閣”に着きました。“蓬莱仙閣”特に“八仙過海”は中国民間で最も広く伝えられている道教神話の物語と言え、特に子供の頃に遊べるものが少なくて、八仙の切手や糖紙(キャンディのパッケージ)を集めたり、小人書(絵本)を読んだり、山東テレビ局が放送した民話を改編した古代劇神話ドラマ“八仙過海”を見たり、思いが一杯です。

 八仙と言えば、呂洞賓、何仙姑、張果老、藍采和、鉄拐李、漢鐘離、韓湘子及び曹国舅の八名の神仙です。八仙は七男一女があり,それぞれ、男、女、老、少、貧、賤、富、貴を代表するらしいです。神仙伝記は中国文化の重要な部分で、子供頃のテレビドラマは時代劇、武侠劇と神話劇が殆どでした。素材は生活に由来でしたが、凡人が神話を編み出して、自然と現実を超えて、公平正義で世を救い、養生の道と修練の功を追求して、古人は神秘的で知恵に満ちていましたね。

 父も私も高所恐怖症ですが、三人はロープウェイを乗って海を越えることにしました。母はとても興奮で、独自に乗る私に沢山の写真を撮ってくれました。夏の蓬莱閣に空は青く海は広く、草も木も景色で、碑も瓦も歴史を語っています。仙鏡の感じがしなかったで、蜃気楼もありませんでしたが、子供の頃の良い思い出には影響ありません。

 お昼は特に暑く、両親を近くの水族館に連れて行きました。蓬莱閣海洋極地世界はアジア最大の海洋世界と言われて、私の入場料は150元、両親の入場料はそれぞれ100元でした。熱帯雨林のレイアウトは美しいです。海底トンネルを通過する時、母は泳いでいる魚の群れを見てとても楽しかったです。館内は暗くて、初めて水族館に観光の父と母は自発的に蓬莱閣で十元で買った八仙過海を描いた扇子の両側を握っていて、とても暖かい画面だと思いますが、二人が急に歳をとってしまったことを感慨します。
 父が疲れることを心配して、スケジュールをいっぱいにしませんでした。連携の観光スポットまだ数箇所があり、一晩泊まった方がいいですが、家には貂、豚、羊、犬と鶏などがいますので、人魚ショーとイルカショーを見てから旅行を終わりにしました。

 タクシーに乗った時、父の気分が悪くなって、家に着いて血糖値で測ったら3まで低くなってしまいました。雰囲気を壊さないように父は一日我慢していました。母は疲れる様子がなくて、何をしに行ったのかと聞いてくれた隣人に対して、母は喜んで大きな声で“旅行に行った”と答えて、私は感動しました。
 毎度自己紹介をする時に“私は山東省煙台人”と言います。煙台はいいところだなとよく言われます。実に私は煙台の歴史、地理や文化をあまり知らないです。斉魯文化はもっと博大精深で、山東省煙台人として優れた伝統文化を学びべきだと深く感じます。
 3日間実家で滞在後、私が昆山に戻って主人の誕生日を祝いました。端午節期間、昆山地下鉄も開通して、次回の文書でご紹介したいと思います。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています

2023.07.17
南阿蘇鉄道が全線での運転を再開しました.

 2016年の熊本地震で第一白川橋梁などの崩壊により運行が停止していた南阿蘇鉄道が約7年3ヶ月ぶりに全線での運転を再開しました.中松-高森間は既に開通していたのですが,中松-立野間が7月15日に開通しました.その上,朝の2便が立野駅からJR豊肥本線に乗り入れ,肥後大津まで直通運転されるようになりました.
 36度近くの暑さに耐えきれず,海の日にもかかわらず,阿蘇草千里に避暑に行った帰り,南阿蘇鉄道長陽駅近くを通った際,15日が運転再開だったのを思い出し,駅に立ち寄ったところ,10分後に立野駅行きの登りがあることが分かり,車を長陽駅に置いてたった1区間ですが,立野駅までの往復乗車をすることにしました.南阿蘇鉄道といえば,雄大な阿蘇五岳と南阿蘇の田園風景が浮かびますが,この間は両側とも樹木と渓谷です.しかし,沿線には土木遺産に登録されていた第一白川橋梁(2016年熊本地震で被災.2021年撤去のため認定解除),建設中の立野ダムがあります.
 よく考えてみると,何度も訪問している南阿蘇ですが,南阿蘇鉄道には一度も乗っていなかったような気がします.立野駅の駅舎の立派さは尋常ではありません.しかし,祝日の夕方だからでしょうか,乗客はまばらで,その大半が私と同じ観光客のようでした.南阿蘇鉄道開通を機にこの地域の復興と更なる活性化を目指すためには何が必要か,考えさせられる一駅間往復の車窓でした.

2023.07.09
買っちゃいました!!

 暑くて,最近はおろそかになりがちですが,究極の目的であるテニスの技術向上のために,室内サイクリングを含むトレーニングも,ぼちぼち続けています.
 今春,しまなみ海道往復100Kmの自転車ツーリングに挑戦し,その面白みを知った上に,併走してくれた仲間から,購入を強く勧められていたロードバイクです.欲しいものの,老い先それほど長くなく,あまり乗る機会も無いので購入を躊躇していました.しかし,1軒,2軒とサイクルショップを回っていろんな説明を聞いていくうち,4軒目,そこはCannondaleとSpecializedを多く取り扱っているショップなのですが,店員からそれらの説明を聞いていると,右上の壁に掛かっている黒いヤツが私を呼んでいる!!
 格好も色も良いし,値段は初心者の私には高めだけど,しまなみ仲間の皆さんのバイクに比べるとかなり安価のイタリアPinarelloの下から2番目のランクの razhaを買ってしまいました.
 マンションなので,置く場所に苦労しています.また,周辺備品の値段が高くて・・・.大金食い虫ですが,いざとなったら自転車が好きな次男にあげれば良いので,それまでは精一杯,乗り回そうと思っています.まずは9月下旬の倉内岐阜大学教授との長良川下りが公式戦の初戦になるでしょうか.その前に山鹿や球磨川など,熊本にもあるサイクリングロードで試走してみます.

2023.07.07
熊本学園大学高度学術研究プロジェクト「地域モビリティ共創研究」のキックオフセミナーが開催されました.

 高度学術研究プロジェクトは,全学のプロジェクトベースの研究活動を推進し,研究者グループを支援する今年度から始まったプロジェクトです.初年度は溝上教授が研究代表者となった「地域モビリティ共創研究」が第1期として採択されました.その旗揚げの学内・外への広報,関係する研究者の参画を意図して,7月7日(金)15:00から,1412教室でキックオフセミナーを開催しました.
 プログラムは,まず研究代表者の溝上教授より,「熊本市における公共交通の現況と課題,および地域モビリティ共創研究プロジェクトの研究内容と計画」と題した基調講演を行いました.次いで,熊本市商工会議所,熊本都市バス,熊本県交通企画課,熊本市交通政策部の順で,ご挨拶と共に各所が抱える交通に関する課題とその解決のために本研究プロジェクトへの期待を述べていただきました.途中休憩の後,研究分担者の小葉教授(ミクロ・マクロ経済理論)と研究代表の溝上教授からタイトルに関する関連研究や今後の研究計画の紹介,およびその他の研究分担者である宅間教授(都市経済学)と米田准教授(労働経済学)の研究計画の紹介がありました.
 学外者数人を含み,合計で20人ほどの聴講者でした.経済学部の学生が数人,参加してくれましたが,私たちの生活にとても身近であり,どの分野にも関係がある研究課題にもかかわらず,参加した教員はたった2人という寂しさでした.これが本学の学術研究に対する姿勢や水準なのでしょうか.
 このプロジェクトは本学の学術研究のユニバーシティフラッグという責任があります.3年のプロジェクト期間に大きな成果を上げ,「地域モビリティ共創に関する課題は熊本学園大学に聞け!」と言われるような成果を出すつもりです.

2023.06.28
4大学国際ジョイントセミナーがソウル市立大学で開催されました.

   

 

 


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 このジョイントセミナーは,元々はカナダ・カルガリー大学と韓国・ソウル市立大学が2大学間で毎年交互に交通研究のジョイントセミナーを開催していたのですが,熊本大学もメンバーになったのは,2008年のソウル開催にSeungjae Lee教授から招待されて,熊本大学在職中の溝上教授が参加したのが始まりです. 2009年2月に熊本大学はソウル市立大学と学部間交流協定(その後,大学間交流協定)を締結し,同年,熊大で2Uミニセミナーを開催.その後,3Uで2009ソウル,2010熊本,2011カルガリー,2012ソウル,2013熊大,2014からは中国・同済大学も参加し,今の4U国際ジョイントセミナー(4 University International Joint Conference:4UIJ Conference)になりました.同済大学とも大学間交流協定を締結し,2014年に上海で開催.2015カルガリー,2016ソウル,2017熊本,2018上海,2019カルガリーと,毎年,順番に持ち回り開催してきました.溝上教授は毎年参加しており,カルガリー大のChan Wirasingheやソウル市立大のSeungae Lee,同済大学のYuchuan Duなど,世界で活躍する研究者達と深い交流をしてきました.
 全世界でCOVID-19が蔓延したことが原因で,2020年から2022年までは中止していましたが,感染状況が小康状態となり,海外への出張もほぼ通常に戻ったために,2023年6月27日~29日に,韓国のソウル市立大学で4UIJ Conferenceを再開しました.

 日本からは,熊大の円山教授,吉城准教授,安藤助教の3名と学生2名,それに既に顧問的立場となった溝上教授が参加しました.これまでは1会場2日間のセッション構成でしたが,今回はソウル市立大学と同済大学から多くの学生が参加しており,4会場2日間のセッションに加えて,26件のポスターセッションまでありました.また,学生の発表に対する優秀発表賞や優秀ポスター賞まで設定されるなど,3年間のブランクを一気に解消するような,大きな大会になりました.
 初日の中央会場でのWelcome addressの後にはBreaking Sessionまで設定されており,そこでは各都市のSmart Mobilityに関する報告が共有され,熊本からは溝上教授がCurrent status of smart mobility in Japan and Kumamoto-oriented MaaSと題した報告を行いました.その他,溝上教授は Smart Mobilityセッションで, Evaluation a new Ride-Sharing Mobility Service by Multi Agent-based Urban Mobility Simulator combining Mesoscopic Traffic Simulation Model with Dynamic Vehicle Allocation Systemと題して,研究発表を行いました.

 昼は和風の豪華弁当,夜は(実は牛肉ではなく,豚肉が本物の)韓国風BBQが用意されており,頭だけでなくお腹も大変満足しました.
 開催日前日の夕方にはSteering Committee meetingが開催され,来年は熊本での開催,ヨーロッパの適切な規模の大学を新たに加えて5UIJ Conferenceに拡大することなども決まりました.来年,熊本で皆さんと再開できるのを楽しみにしています.