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2024.03.30
高の面白い話(21)

 近頃よく近所の隣人達に太ったなと言われています。
 長男を産む前に、私は瘦せる体質でした。バクバク食べても50㎏を超えたことがありませんでした。幼い頃から貧血気味だと思いまして、年中に手足が冷たくて、唇が白ぽっく見えました。女性の貧血は普通だと思いますので、特別な健康管理をしたことがありません。
 今月、手術後再診を受けました。体がよく回復できて、貧血もないことを医者から聞きました。この半年間、食欲が良くて、ほぼ毎日8時間の睡眠を取れています。あごのラインが丸みを出て、顔色が健康になってツヤ感も出ています。よく鏡を見る暇がなくて、蓬頭垢面(髪はぼうぼうと乱れ,顔はあかだらけである)でしたが、出勤日の毎日に薄い化粧をし始めています。

 愛美之心人皆有之(美を求める心皆あり)の諺があります。子供の頃、衣服に少しの汚れをつけても嫌で、サンダルに少しの水をくっつけても気にしていた私でしたが、いつからなりふりかまわなくなりました。おしゃれな質感のある服が好きですが、高いのは買うのが惜しくて、安いの気に入らないため、フォーマルな場にまともな服がない状況です。たまに思い切って買い物しようと思いますが、結局何も買わずにそのままお金を持ち帰ったことが殆どです。
 中国で”女人要対自己狠一点”(女性は自分のためにお金を使うのを惜しまないようにしなければならない)という言葉が流行しています。私が純粋にほしいからお金を惜しまない喜んで買うことが少ないです。例えば、予算500元を使い、美しい細工が施されたおしゃれなアクセサリーが欲しいのに、デパートに行ってみたら、やっはり、純金の方が価値を維持でき、価値が上がる可能性があると自分を説得し始め5000元のゴールドジュエリーにしてしまいます。当初はつけるアクセサリーを買う予定なのに、結局、金のものをセーフティボックスに置きばなしにし、外出につけるものがありません。そして、今後いくら金価が上がるとしても、収益は最大数百元しかないことを存じているのに。それに対して、スーパーやデパートでの日常の買い物にまず値札を見ます。醬油を買っても割引したものばっかり探してしまい、予算があるのにそれより安いモノにしてしまいます。女性は変わりやすいものと言われています。私もたまになぜその決定をしたの不思議に思います。

 小さい頃から、家庭と学校が”勤勉倹約、刻苦精励、謙虚好学、居安思危(安に居て危を思い)”といった伝統教育をしてくれました。あの時期、中国の一般的な家庭は裕福ではなかったです。物質的に乏しくて、農村生まれの両親が苦労して私と弟を大学に入れるのは容易ではなかったです。両親が生計を立てるために節約しながら苦労してお金を稼ぐの姿をよく覚えています。子供は親のコピーだという言葉があり、両親の価値観が私を影響しています。中国女性の勤勉倹約の伝統的な美徳を質素に維持しているのに、時にはケチな自分が嫌です。銭財乃身外之物,生不帯来,死不帯走(お金は身の外のものであり、生は持ってこない、死は持って行かない)のことを良く存じますが、変えようとしてもすぐに変えません。子供達が私らしくなく、よりバランスの正しい金銭観を持ってほしいですね。
 一般人がお金を稼ぐのは容易ではありません。主人と私が常にお金を大切に使っていますが、子供達はこの感覚がありません。彼らが生まれてから都市部に住み、私用車に乗って、あちこち旅行して、便利なネットワークと様々な社会資源を楽しんでいます。
    長男はタイムリーに楽しむのタイプです。お小遣いを豪快に使い切れ、欲しいものは必ず手に入れるまでせがまれます。次男は逆のパターンです。彼が貯金が大好きです。値段が安い物を探して、よく兄にお金を貸します。子供にとって、物質上にの苦労と言えば、おもちゃを買ってあげなかった、ゲームをやらせなかった、ジャンクフードを食べさせなかったぐらいの悩みだろう。

 最近、昆山市内から15キロ離れたところに新しい室外遊園地がオープンしました。ウェチャットモーメンツの宣伝及び美団販促の原因かもしれませんが、辺鄙な場所でも遊んで来た子供達が多かったです。入場料は期間限定に一人当たり19元でした。
 遊園地の敷地は広いです。娯楽施設は菜の花が咲いている畑に並んでいて、大部分は中古のような見えてボロボロでした。ガス充填お城には汚れや隙間があって空気が漏れていましたが、子供達が気にせずに楽しく遊んびました。しかし、暫く遊んで、子供は有料な項目に惹かれ始めました。彼らが珍しく意見を統一して、数々の有料項目の中に、1人当たり40元のロッククライミングを選びました。
 それ以外、リンクを投げるゲームが人気です。おもちゃんや動物などが地面に置かれて、欲しい物に向けリングを投げるルールです。私から見て、二人をゲームにさせたら、80元がかかります。これは花钱打响听(お金をパーになる)です。賞品のひよこ2匹しかもらえない可能性が高いです。花鳥市場のひよこはただ10元一匹です。私が子供達を説得して、遊園地から花鳥市場に直行しました。ちょうど春が始まって、家の水槽はまだ空いて、小魚を買って、そして何鉢かの花も買って帰りたかったです。

 三十分運転後、私達は花鳥市場内に到着しました。名の通り、ここは草花や鳥売る店が多くて、魚や虫はもちろん、猫やウサギなどのペットを扱う店まもずっらりでした。ペットやエサを求める人、特に子供連れの家庭が多く訪れてました。
 早速に、私達が金魚専門店に行って、5匹赤く小さな金魚を買いました。1匹2元と安いです。店内にキレイに飾り付けられた水槽がずっらりで、色々な種類の高級鑑賞魚で綺麗ですね。魚は風水にも関りがありまして、拘りがある顧客がかなり多いらしいです。私が养鱼のテックニクがなくて、いつも小さな金魚ばっかり買っています。子供が網袋を持って金魚をすくようとしたかったですが、オーナーにやめた方がいいと言われて、二人は興味がなくなって、真正面のペットショップに行きました。
 私が隣の花屋で鉢に入った長寿花と富貴竹を買った時、長男が走ってきて”ママ、オウム買いましょうよ”と相談しに来ました。私は直ちに断りました。ひよこを買う予定なのに、なぜ突然鳥を飼うの?今までアヒルもウサギも飼ったことがありましたが、数日間でなくなりました。鳥を飼ったことがありません。上手く育つ自信がありませんし、そんな時間もありませんと連続に説教してあげて、長男が泣きました。彼が主人に電話をして、主人もダメと言ってくれました。長男のガッカリの様子を見て、私の心がまた柔らかくなりました。まずその鳥を見に行ってから決めましょうと言い出すと、長男が泣き止ました。

 鳥屋の室外に大量なカメ、ウサギ、ネズミなどが置かれて、子供達が低い段ボールを指して、中に数十匹の多彩なオウムが愛くるしい動いてました。翼があるのに、鳥達が立ち飛びしません。
 オーナーにいくらのと聞いたら、”安いインコなら30元だよ”と言われました。安いなと思うと、”これらのインコは人の話のまねをしますか”と更に聞いて、”個体によりますが、小さい頃から育つの手養鳥の概率が高いだ”とオーナーが答えてくれました。
 手養鳥の世話をしている人はオーナーのお兄さんです。室内に沢山の木製の鳥かごがあり、暗くてくさかったです。彼が専用ミルクを溶かして、手養鳥に餌をやっているところでした。
 幼い鳥たちが羽毛が生えていないし、肉もふっくらしていて、小さいな頭を仰んでグングンとミルクを飲む姿を見て、子供達の買りたい気持ちが一層強くなりました。オーナーが人工繁殖したインコは全て良い品種だと言いました。こんなに小さいのに、簡単に飼いますかを聞いたら、オーナーが殻を破ったばかりの鳥でも買ってくるお客さんいますよ言ってくれました。子供達が興味津々に小鳥を見つめて、私が単価を気になりました。彼が一つの鳥かごを開けて、段ボールの4匹のインコを紹介してくれました。玄鳳と牡丹は人気があり、比較的に安いのは”金彩”という品種です。長男が羽毛が紫ぽっいの一匹を選びまして、ちょうど金彩です。価額は150元でした。
 次男がどうしても自分の鳥が欲しいです。しかし、価額が受け入れて外観も気に入ったもう一匹の鳥が中々見つかりませんでした。子供達に協同養育を説得するまでに時間がかかりました。オーナも忍耐力を失ってしまうところでした。子供達が”ママ、買って、買って”と言い続け、翌日行く予定だったゲームセンターも行かないと言ってくれました。急な決定でしたが、私達は一匹の金彩を買って帰りました。

 この鳥が生まれてから約20日間です。これからの一週間にミルクを続けて飲ませてから、お湯に浸した粟を1日3回あげれば良いらしいです。夜が少し寒いを考え、私が敷金30元を払い、鳥の保温用の加熱マットを借りました。
 家に帰る途中、子供達が鳥の名前を考え始めました。次男が鳥が紫だから”小紫”と名付け、長男は”purple”で良くないのと提案しました。全員が”purple”が良いと思い、我が家が新メンバーを迎えました。主人が電話の中で買ってはいけないと子供達に言いましたが、可愛いpurpleを見て直ちに児化音に変えて”宝宝、宝宝”と叫んであげました。笑いますが、ペットを飼う人が自分のペットに”息子、娘”を呼ぶの理解できた気がします。purpleの食欲が良くて、毎日の成長は目で見れます。家に来た一週間に羽毛が長くなって、長時間立つことも出来ました。

 私はオウムについて何の知識もなかったです。purpleを上手く育つため、ネットで関連短視頻(ショートビデオ)を探して、飼い方やテクニック教育の手方を学び始めました。所謂、活到老学到老(生きている限り学び続ける)です。ペットが確かに私達の生活に癒しを与えてくれています。
 私が子育ての過程にも色々な疑問を抱えています。自分を認識する上で、良くない部分を改善したいです。老天爺(お天道様)が最善な運命と因縁をご手配くれて感謝します。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています.

2024.03.28
溝上教授が国際セミナーで講演しました.

 3/28(木)に名古屋大学大隅ホールで開催されたInternational Symposium on Sustainable Urban Mobility through Modular and Integrated Transportという国際セミナーで,Current status of smart mobility in Japan and Kumamoto-oriented MaaSと題した講演を行いました.
 このセミナーは名古屋大学の大型研究プロジェクトCOI-NEXTを進める未来社会創造機構や未来材料・システム研究所で活躍する森川教授と山本教授が主催したもので,海外から短期で招聘した2人の研究者と共に,国内で上記の研究分野で活躍している3人の研究者を招待して特別講演会を開催したものです.
 本学に移動した後,研究面で海外の研究者と議論をしたり,国際会議に出席したりする機会が無かった溝上教授にとっては,非常に光栄であり,良い機会になりました.最近は少し減退していた研究へのやる気に再び火が付いたようです.

2024.03.22
本日は学位授与式でしたが...

 昨日までの寒さから打って変わって,今日は暖かな春の日差しのもと,熊本学園大学の学位授与式(卒業式)でした.
 2021年に赴任した溝上教授にとっては,2年次秋学期開講の演習Ⅱから3年次通年開講の演習Ⅲ,4年次通年開講の演習Ⅳまで持ち上がった初めての卒論生の卒業式でした.4年生の卒業を祝って,3年生のゼミ生には予餞会の実行委員を組織するように言っていたのですが,何の反応もありませんでしたので,予餞会は無しになりました.だから,「私が個人的に予餞会をやってあげるので,同時に卒業のお祝い会くらいしてよ!」と連絡しておいたのですが,4年生からも何のレスもありませんでした.
 学位授与式後, 4年生が指導教員を訪問し,記念撮影をしたり,謝恩の会をしたりしているゼミ(研究室)もあったのですが,私の卒論生からは何の連絡も挨拶もありませんでした.手塩にかけて指導したのに,彼らにとっては私の位置はこんなもんかなー・・・・ .
 ハレの卒業式の日,溝上教授にとっては熊大での卒業式とはまた違った悲しい卒業式の一日になりました.

2024.03.21
本学も共催した「熊本都市交通勉強会」が開催されました.

 2024年3月21日(木)15:00から,14号館1411教室で,東京大学のBeyond 5G研究グループが主催し,共同経営推進室と本学も共催した「熊本都市交通勉強会」が開催されました.
 「学」からは東京大学と本学(溝上経済学部教授 他),「官」からは国交省・熊本県・熊本市,「民」からは県内のバスやタクシーの事業者など,総勢70人が本学に一同に集まり,熊本都市圏における交通の課題とその解決方法について熱い議論を交しました.

 この勉強会は,東大のBeyond 5G研究グループの活動の中で,熊本都市圏の交通問題とその解決策に関する研究成果を関係者や市民と共有していく必要を感じ,まずが関係者だけで課題意を共有することを目的として企画されたものです.この勉強会では熊本都市圏の交通計画の主役となる県と市の交通政策担当部署,支援する国交省九州運輸局と熊本河川国道事務所,県内のバスやタクシーといった公共交通事業者のトップ,および意識の高い市民から,本音の発言を引き出すことを目的とし,今回はクローズで開催しました.

 まずは,これだけの質と量の参加者が一堂に集まったことは画期的であり,驚きに値するでしょう.また,司会進行役の伊藤プロジェクトリーダー(東大准教授)の軽妙な司会のもと,3名の登壇者も18名のパネリストも思いの丈を語ってくれたので,参加者全員が皆の考えを共有でき,今後も協力して熊本都市圏の交通問題の解決に取り組んでいく決意を固めました.次回は市民を対象とした公開シンポジウムに発展させる予定です.

2024.03.21
熊本学園大学高等学術研究プロジェクト「地域モビリティ共創研究」プロジェクトの2023年度研究成果報告会が開催されました.

 2024.03.21に,熊本学園大学高等学術研究プロジェクト「地域モビリティ共創研究」プロジェクトの2023年度研究成果報告会が開催されました.
 この高等学術研究プロジェクトは,熊本学園大学が研究活動を推進し,特定のプロジェクトを担う研究者グループを支援することを目的に,令和5(2023)年度より解説されました.その第1期として,溝上教授が研究代表者となった地域モビリティ共創研究プロジェクトが採択され,研究を推進してきました.
今回は,プロジェクトのメンバーから以下の2つの報告がされました.

成果報告(1)「シェアリングエコノミーの経済理論モデル ~家計行動」
熊本学園大学経済学部 教授 小葉武史
成果報告(2) 「ライドシェアの導入可能性とその価値評価」
熊本学園大学経済学部 教授 溝上章志

 続けて,株式会社トラフィックブレイン太田恒平代表取締役社長に,そのタイトルが「熊本県下の地域モビリティ共創の課題と今後の研究展開 研究のフリをした熊本の都市交通改革奮闘録 ~めざせ『車1割削減、渋滞半減、公共交通2倍』~」という,刺激的な特別講演をしていただきました.

 この報告会は,本研究プロジェクトの1年間の研究成果を学内の構成員に報告すること,興味を持った方には参画をお願いすることを目的として,事前にフライヤーやメールで開催の案内,参加の依頼をしました.地域モビリティ共創研究は,溝上教授の専門の工学的な交通計画や活動/移動ビッグデータ解析だけでなく,高齢者や障がい者の移動支援などの社会福祉,インバウンド増加に伴うホスピタリティ,ライドシェアリング供給元ドライバーの労働環境など,本学のような文系大学だからこそ取り組む価値のある学際的な研究課題です.経済学部からは勿論,社会福祉学部,および学外からも参加を頂きましたが,それにしては関心が薄く,「こんなもんかなー・・・」という感じでした.しかし,来年度に向かって更に研究を活発化させます.

2024.02.25
高の面白い話(20)

 辰年の春節の連休期間は2月10日から2月17日でした。春節(農歴正月初一)は2月10日であり、通称大年や過年です。近年、観光熱が高まり、“南北交換”式の過年旅行や海外旅行が人気ですが、私は両親と団欒を決まり、2月3日(農歴臘月二十四)から2月17日(農歴正月初八)まで実家煙台で過年しました。
 “臘月”は農歴の十二月、“正月”は農歴の一月です。民間に“臘月節多、正月福多”( 臘月に節日祝日が多くて、正月に福が多い)の言い方があります。臘月に節日が多いと言っても、私は臘八節と小年すら知りませんでした。何と臘月一か月間に26個の節日もあるらしいです。母が”貧乏しい時代に、節日なら少し良いものを食べられて、多く節日が創造したじゃないの”と言いましたが、実際に昔は決まった日で祭祀、祈願や過年に向ける準備など様々が伝統行事があったらしいです。

 実家は中国の北方にあります。2月2日(臘月二十三)は北方の“小年”です。毎年、両親は豊富な料理を用意して、餃子を作り、家族一緒に小年を祝います。小年は竈王節でもあり、この日、各家庭が竈王爺(竈の神、かまどのおじいさん)をまつり、天上に送ります。
 小年のあとは、大年を迎えるための準備で大忙しくなります。過年は一年で最も大事な節日ですが、農村の儀式感がより濃いだと思います。二人の子供は過年を楽しみにしていて、妹と弟五人で長い冬休みを満喫していました。小学校一年生の次男が学校で《春節童謡》(過年歌)を学んだばっかりで、兄と一緒に暗唱くれました。

“小孩兒小孩兒你別饞,過了臘八就是年
臘八粥,喝幾天,哩哩啦啦二十三
二十三,糖瓜粘(甘い粘り強い麦芽糖で竈王爺年画の口に塗る)
二十四,掃房子(部屋を掃除)
二十五,做豆腐(豆腐を作る)
二十六,燉猪肉(年豚をしめる)
二十七,殺公雞(鶏をしめる)
二十八,把面發(小麦粉を発酵する)
二十九,蒸饅頭(実家は蒸大餑餑や蒸干糧と呼ぶ)
三十晩上熬一宿(家族全員が寝ずに新年を迎える)
初一初二满街走(大年初一初二拝大年、親戚隣人お互い新年の挨拶する)

 童謡は過年を待ち遠しい食いしん坊の子供と会話しているような口ぶりで、北方忙年の伝統風習をよく描いたと思います。ただ、実家は臘八粥(ラーバージョウ:主に八種類の穀類で煮込んだ甘いお粥)と糖瓜粘(マルトースと黄米を混ぜて作った麦芽飴)を食べる習慣がなくて、お豆腐を作ったこともないです。
 臘八節(農歴臘月初八)から二十三まで臘八粥を食べて、二十三日、竈王爺年画に糖瓜を塗って、それで竈王爺が天宮に戻り、天帝に各家の事情を報告した時、良いことだけお話頂きます。今の農村でも台所に竈王爺の年画を貼る家庭が少なくて、豚や鶏を養殖する家庭も少なくなってきました。
 今年、両親が村の屠殺夫を雇って年豚をしめました。豚肉、スペアリブ、大骨、内臓、豚皮、ラードなど分類後貯蔵して、腸詰めもし自家製ソーセージを乾かしました。豚を飼わなくてもスーパーや定期的の集市(市場)で気楽に買えます。過年前の集市に大勢な商販が遠くから駆けつけ来て、周辺の各村の人々は次から次へと集市に衣服、食品、生活用品などを買います。

 過年“蒸干糧”は欠かせないです。干糧は小麦粉の生地で作った面食の俗称で、形状や具が様ざまな種類があります。過年の干糧と言えば、一番目は大餑餑(ピンイン:bobo)ですね。大餑餑の生地は饅頭によりやや硬いと思い、500g以上に大きくて、サイズにより9個か13個の赤い干しナツメで飾られます。今年、母が10個の大餑餑を作って、“看鍋佬”1個を作りました。看鍋佬はお腹の大きい仏様の形のような生地に1個のナツメで飾られて、大きなお鍋を守ってくれてます。また、本の少しのピンクの食用色素で生地をピンク色に染めて、聖虫、瓢箪、元宝2個つづ作りました。作った干糧を暖かい炕(オンドル)に発酵させたら、上下2層にして、大きな鍋に入れて、木を架け、猛火力を上げて蒸します。蓋を開ける瞬間、素朴な麦の香りが厨房に漂っていて、直ぐ、花模様な印鑑を取り出してピンクの食用色素の液を少し付けて、綺麗な小花を押したら干糧が立派に出来上がります。翌日、蓮子(蓮の花の模様)と包子(具はお肉、白菜など)も完成出来て、今年の干糧はどれも白くてふっくらとして、来年の生活が日増しに高まるを意味します。

 包子は蒸できたらすぐ食べられます。やっはり自家栽培した小麦で磨いた小麦粉で出来た生地は筋力があり、家でしか食べられない食感です。二人の息子も姥姥作った大包子が大好きです。大餑餑は大年初一になってから食べられます。聖虫を食糧のかめに入れて、“聖”は“剩”と同じ発音で、来年、食糧が豊富で食べきれないことを祈ります。瓢箪と元宝は窓の台に置いて、福と財を招いてくれます。

大餑餑、看鍋佬 包子 蓮子 聖虫、瓢箪、元宝

 全ての忙年準備は“除夕”(大年三十、大晦日)のためです。一年の最後の日として、もっとも儀式感がある日です。朝食を済ませると、両親はお肉やお魚など立派な食材を用意し始めました。近年、村にも人におくれまいと先を争う現象があり、殆どの家庭に午前中に対聯を貼りました。除夕の前日、父が漿糊(水に小麦粉を入れてペースト状に煮込む)を作りました。毎年、父が勤めった銀行が対聯と福字を提供くれます。子供達が窓花を貼り、父が財神爺を貼りました。母と玄関と庭の正門の両側に対聯と福を貼って、庭院に全てのドアに福二枚づつ貼りました。順番は外から屋内へ貼り、好運と福を家に引き込み意味します。紅燈籠(赤い提灯)を飾れば、家は吉祥と喜びの雰囲気でいっぱいでした。

 昼食の料理はとても豊富です。午後、家族全員が次々とお風呂に入って、ほこりを洗い、過去一年間の疲れを洗い落として斬新な自分を迎います。午後三時頃、両親が餃子を作り始めて、年夜飯は相変わらず豊富です。品品な料理に美しい願いがこめられています。大年三十の餃子に硬幣を入れる習慣があります。硬幣入る餃子を食べた人は、新しい年に財源と幸運が多いと縁起が良いです。

 豊富な料理を食べ終わったら、両親が餃子をゆでます。幼い頃、餃子出来上がったら、父はいつも庭で爆竹を鳴らします。爆竹集中の時間段があり、本当に迫力がありました。しかし、私は爆竹が鳴らすのが怖がれて、外に逃げ出して隠れてしまう時期がありました。その後、実家が貂を養殖し初めて、爆竹禁止令も出ったため、実家が爆竹を鳴らないようになりました。今年、弟が沢山の子供向けのミニ花火を買いました。二人の息子が庭でお花火を打ち上げて、過年の雰囲気が一気に濃くなりました。姪は幼い頃の私にそっくり、屋内に隠れてしまいました。神霊とご先祖様が一皿目の餃子お先に食べます。誰も硬貨が入る餃子を食べ欲しがっています。家族で年夜飯を食べて、団欒吉祥、健康福足の一年を祈ります。

 全員が年夜飯をすませると、父がいつもの通りにお鍋、お皿とお碗などを洗いました。食物の残渣を分類後、鶏、犬、羊に餌をやります。母が果物、おやつなどたっぷり出して、家族一緒に春節晩会(春節の夕べの番組)を待ちました。家族全員が寝ずに新年を迎えると言いますが、子供達が自然に寝ます。母が紅包袋を取り出して、圧歳銭(紅包、お年玉)を用意し始めました。両親は毎年全ての子供達(孫5人、弟夫婦、主人と私に同金額の紅包を用意し、今年の紅包1個当たり1000元でした。
 村にマージンやトランプを遊ぶ習慣があります。11時過ぎ、マージャンに出かけた大人はみな自家に帰って、“発大紙”をします。幼い頃、除夜の12時前後、父が庭で爆竹を鳴らして、神霊やご先祖様に新年を祝ったり、家族の幸せと平安を祈ったりした覚えがありますが、近年はしなかったようです。母と私は春節晩会最後一曲“難忘今宵”まで寝ずに待ちました。数時間後、喜びに溢れる新年がやって来ました。

 大年初一、目を覚めると、両親に“過年好”を祝福します。子供達に新しい服を着がせて、新年に会った方に拝年(”過年好”を挨拶)しように言いつけました。子供頃は必ず新年に新服が欲しがっていましたが、今は特に拘りがありません。中国では数年前から”国潮”が広がっており、昆山で五人の子供におめでたい赤い服を買って、自分は村の集市で東北地方大花襖(赤と緑の鮮やかな花柄デザインの棉服)を買いました。
一朝、弟一家が拝年に来て、両親が私達に紅包を頂いて、夜枕の下に入れて”圧腰”しました。新年初の食べ物はやっはり餃子です。食事後、全員綺麗な服を着て、親戚や隣人の間拝年が始まりました。 今年二人の親友も奥さんと子供を連れて拝年来ました。私達三人は幼稚園からの友人で、私が実家で過年しなくても、彼らは私の両親に拝年に来ることを途切れませんでした。皆で炕で楽しく会話をしてから私も友人達のご両親に拝年へ行きました。以前は同世代の間でも相手の子供に紅包をあげましたが、今ではお互いに受け取らなくなって、拝年も楽になりました。

 大年初一に大人は子供の悪口を言ってはいけないし、掃除などもできない、人々が仲良くしてのんびりする日です。テレビを見たり、マージャンをしたりして、一日三餐に豊富な料理が続きます。実家の風習により、正月初一に嫁入りした娘ががしゅうとめの家でお祝いして、正月初二や正月初三が実家に帰るべきですが、一人っ子や遠嫁が多くて、多くの風習も捨てざるを得なくなりました。また、正月初一から正月初六に”頭鶏二犬、三豚四羊、五牛六馬”という俗語があり、古代において、農民が相応の日に対応する動物を食べず、生活中に離れられない家禽、家畜の健全や成長を祈る習慣がありましたが、新年のテーブルに毎日魚や肉など一杯で、多くの習慣やダブーが守られなくなりました。

 拝年と言えば、一番懐かしいのは幼い頃、毎年正月初三に両親と姥姥姥爺の家へ拝年に行く光景でした。オンドルの上に大きなテーブルに大人がいっぱい座り、厨房隣の小テーブルに子供達が囲まれて大変にぎやかでした。父が国家二級料理資格書があり、父と母が食材を用意して、いつも心を込めて来客をもてなしして、父が作った料理はいつも大好評です。数年前に姥爺も姥姥の後に亡くなって、前のにぎわいが消えました。
今年の春節期間に子供を連れて遠出しませんでした。一個の紅包は100元でも、5人の子供が500元になるので、親戚や隣人に悩まさせたくないと思いました。正月初四に弟と二人で県に住んでいる叔父へ拝年をしてから、郷鎮の敬老院(政府の無料老人ホーム)へ孤寡おじいさん(祖父の従弟)へ拝年行きました。

 正月初五、父が家に残り私達のために料理を作って、母一人が姑姥(姥爺の妹)の家へ拝年行きました。母にとって過年期間唯一の出門(遠出)の拝年でした。姑姥姑爺と姥爺の兄妹感情はとても深かったです。年を取った姥爺に沢山お世話をしました。母が私達に心配しで、昼食後直ぐ家に戻りました。実家に戻って姉妹達に会って母の気分がとても良くて幸せな表情で見聞を言ってくれました。正月初五は”破五”と呼び、この日を過ぎると、それまでのタブーが破れます。この日は財神の誕生日でもあり、財神節とバレンタインデーは同じ日だった今年に、ウェチャットにで財神を迎える人ばっかりで、外国の方さえ”恭喜發財”を言えるほど、皆お金好きですね。

 正月初七の昼食後、私達が出発しました。両親が前から沢山の土産品を用意し始めました。春運期間、私は運が良くて、チケットを順調にゲットできて、座席がなかったですが、前行程に餐車でのんびりに座ることが出来ました。この日は”人の日”のため、子供が多い我が家が必ず麺を食べます。主人が高鉄駅へ迎えてくれて、暖かい料理を既に用意出来ました。家に戻って、インスタントラーメンを一袋だけ作って、風習に応じました。

 連休は正月初八までしたが、主人は正月初四に出勤し始めました。正月初八は”谷の日”であり、豊作を意味するし、数値八の縁起も良いため、朝から爆竹が続々に鳴らしました。やっはりこの日開工の企業が多いようです。正月初九私が勤めている会社も開工しました。
 ”年”は正月十五(元宵節)まで続きます。丸々とした湯団(元宵)を食べて、新しい年が既に始まっています。今年も主人と昆山で頑張ります。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています.

2024.02.14
2年生の演習Ⅱの成果発表会を行いました.

   

 卒論生2名と3年開講科目の演習Ⅲの受講生8名の前で,2年生科目である演習Ⅱの成果発表会を行いました.演習Ⅱは2年秋学会開講の選択科目ではありますが,ほぼ全員が受講する科目です. GW頃明けに教員による演習Ⅱ(ゼミ)紹介が開催された後,希望のゼミ(教員)を選ぶのですが,受入人数はほぼ等分です.例年10人程度の希望者がいたのですが,今年度,私のゼミを希望したのは第4希望以下と希望を出さなかった学生の4人だけでした.理由はよく分かりません.
 例年同様,学生の興味のある公的な課題に対して,その真の問題の発見から解決策を見出すPCMを行うこと,問題の定量的な裏付けを行うことを目的に,指導を行ってきました.その成果が,今回発表した「三角線の利用者減少に対する分析と解決策について」です.

このテーマは上天草市出身の三角線をよく使う学生の発議で始まったようです.そこでは,

  • 三角線の現況や利用状況,沿線の人口動態や観光客数の変化などを調べ
  • 便数に変化がないにもかかわらず乗車人数が急激に減少しているのは,通勤・通学利用者の減少ではなく,観光目的の利用者の減少と判断し,
  • 三角や天草を目的地とした観光目的の利用者を増やすことは難しそうなので,
  • 三角線に乗ることそのものを目的とする利用者を増やすために
  • 三角線で旅しながら沿線の話題をテーマにした謎解きゲームを行って集客するという解決策を提案しました.

 結果は「謎解きゲーム」というものになりましたが,4人で必死に考え,議論し,行き着いた成果でもあり,そのプロセスや分析という行為は為になったのではないかと思います.できれば,この提案をJR九州熊本支店に持ち込んで,指宿枕崎線で実施された「謎解きイベント 探偵ニャーロックとミステリートレイン」のようなイベントを開催できたらと思います.

2024.02.13
2023年度有志研究室による合同卒論発表会が開催されました.

 

 溝上教授が学園大に赴任してから研究室の第1期生になる2名の卒論生の卒論発表会が,下記のプログラムに沿って開催されました. 信じられないことに,演習Ⅳ(卒論)は選択ということもあって,リーガルエコノミクス学科では学科全体での卒論発表会はありません.経済学科でも同様です.理系では1年間にわたる研究の成果を論文としてまとめ,概要をPPTにし,副査教員と聴衆の前で口頭発表することは当たり前であり,文系でも学生生活4年間の中で最も価値のあることだと確信しています.そこで,有志の先生方に声をかけ,合同での卒論発表会の開催を企画したところ,小葉研,宅間研の2つの研究室,米田准教授1名の先生からから賛同を得たので,ハレて2023年度有志研究室合同卒論発表会を開催しました.
発表する学生の数は総勢,10名にしかなりませんでしたが,どの学生も物怖じせず,堂々と発表を行いました.特に溝上研の2人の4年生は下記のような卒論らしい研究課題と内容の発表でした.

坂田 夏樹九州圏域における空き家の実態とその対策に関する調査・分析
田浦英志郎荒尾市おもやいタクシーの経時的・空間的利用実態の分析

 研究室によっては,質も量も授業レポート程度のものだったり,提出物をそのまま受理して単位を出したり,研究室内での発表会さえもないなど,これまでの私の経験からは卒業研究の体を成しているとは思えないものも多いようです.そんな中,2年の演習Ⅱでは10人いたゼミ生が,3年の演習Ⅲでは8人に,4年の演習Ⅳでは4人になりました.そして,その6月に1人,11月にも1人が離脱し,最終的には卒論生はたった2人になってしまいましたが,その2人も紆余曲折はあったものの,そこそこの質の卒業論文を書き上げ,立派な口頭発表を行ったことは,彼らにとっては大きな自信と財産になったと思いますし,研究指導を行った私は,大変キツかったけれども,責任を果たした安堵感があります.
 来年度は参加する研究室をもっと増やして発表会会場が複数になるくらいまで,地道ですが,拡大,充実させていきたいと思います.さらに,もっと高度な勉強や研究がしたくて大学院に進学するような学生を育てていきたいと思っています.

2024.02.09
溝上教授は北海道開発局・道路管理技術センターに招かれて特別公演を行いました.

   
    

 北陸地整を視察訪問された北海道開発局のメンバーが,アテンド役であった 高山純一 小松公立大学教授 に北海道での勉強会での講演を依頼された際,高山教授が面白い話が聞けるということで 藤原章正 広島大学教授 と私も推薦されたようで,その勉強会が札幌雪まつり期間中の2月9日に札幌で開催されました.
 開催日をいつにするかで調整がされたようですが,藤原教授と私の「雪まつり期間中に!」という強い希望もあってこの日に決まったようです.北海道には新婚旅行を始め,何度か訪問したこともあったのですが,冬の,それも札幌雪まつりに合わせての訪問は初めてでした.

 前日にはスキー場でしか見たことのない辺り一面真っ白な札幌に入りし,雪まつり会場に行ってみました.当日は気温が-1度程度で,やや暖かかったためでしょうか,小さめの雪像は鼻や耳などが少し解けていましたが,多くの観光客,それも6割程度が外国人,その半分以上が西洋系の足で踏み固められた会場の通路はツルッツルでした.その後,久しぶりに 田村 北海道商科大学教授夫妻と夕食を共にしました.推薦された北海道のこの時期の名物であるキンキの煮付けは美味でした.

 翌日の勉強会では高山教授,藤原教授の講演がありました.

高山教授新型コロナウイルス感染拡大時における三次救急医療・救急搬送の現状と道路整備の役割について
藤原教授災害時の交通行動:平成30年7月豪雨の記録

私は災害研究には足を敢えて踏み入れないようにしてきましたが,両先生の講演内容は,災害研究の素人の私にとって,交通行動分析や交通計画の視点から見ても非常に有用で示唆に富む内容でした.一方で,この勉強会の主催者は道路系担当部局であったにもかかわらず,敢えて「オンデマンドシェアモビリティの導入可能性とその価値評価」といった運輸/総合政策系の話をしました.道路技術や道路政策とは異なり,参加者の仕事上の興味からは少し外れていたかもしれないものの,既存公共交通サービスの廃止や縮退が顕著な北海道にとっては個人的興味には役に立ったかも知れません.

 その後,北海道道路管理技術センターのA氏に水素発電EV「未来」で大倉山ジャンプ競技場,北海道神宮を案内してもらいました.ノーマルヒルジャンプ台の頂上からの景色は恐ろしくもあり,美しくもあり,眼下に広がる雪の札幌市内と合わせて堪能しました.

 翌日は旭山動物園・美瑛へのバスツアー,帰熊する翌々日の午前中はサッポロビールファクトリー訪問を妻共々楽しみました.本当に充実した幸せな冬の北海道でした.