在外調査報告――中国外交部档案館の歩き方2010春
2010年3月10日 北京朝陽門外にある中国外交部档案館の紹介です。 .............................................................................................................................................................................................
福武学術文化振興財団の研究助成により中華人民共和国の外交部档案館を訪れた。2010年3月現在、同館では建国以来1965年までの档案を閲覧できるが、複写規則や閲覧環境に大きな変化があったので情報を追加しておきたい。
なによりもまずお伝えしなくてはならないのは複写規定の大幅な改定である。これまで複写禁止対象は(1)毛沢東、劉少奇、周恩来、ケ小平、朱徳の「手迹」あるいは「談話紀録」、(2)絶密文件、(3)外交部以外の機関が作成した文件であった。私の専門が「民間外交」ということもあり、複写したい档案のほとんどが「外交部以外の機関が作成した文件」ではあったのだが、それでもかつては3〜4割ぐらいは複写申請が通っていた。
だが、今回は「服務員」氏の最初の一言が「又来了。我們有新的規定。大部分不能複印了!」。写真にもあるように、新たな規定は(1)談話記録類、(2)電報類、(3)外交部が中央あるいは国務院に上げた請示報告、駐外使館の報告文書、(4)文件に毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳、ケ小平の「手迹」があるもの、(5)外交部以外の機関が作成した文件、となってしまった。
以前は陳毅や廖承志の談話記録は複写できたのだが
、これらもはねられるようになった。なによりも「電報」がはねられるのが痛い。ちょっとした往来函は、重要ではないけれども、手続きを確認する意味で収集しておきたい文件である。だが、これもすべて「録入」しなければならなくなった。いろいろと試しに挑戦してみたが、もちろん「服務員」氏の言葉通り、申請したすべての档案が見事「印不了」になってしまった。
さらに問題はある。閲覧者の激増である。春節明けの学期初めという特殊な時期が災いしたのかもしれないが、「閲覧席9席」+「『旧』目録検索席2」で合計11台の電脳が常に満杯状態であった。朝8時20分(開館10分前)の時点で5〜6名が並んでおり、開始直後に「席取り合戦」が繰り広げられる。ひどい時は6名も7名もあぶれてしまい、閲覧できずに寒い雪のなかをトボトボ帰っていくという光景が繰り広げらている。もちろん朝一番に席を取ると昼休み中も荷物を置きっぱなしにする形になるので、「朝の争奪戦」に負けると終日閲覧できなくなってしまう。中国の大学図書館並みである。
昨年夏の報告でも研究生たちが「臨戦状態」で档案打ち込みを行っていると書いたが、競争はさらに熾烈を極めつつあるといった感じである。複写が全くできなくなった分、友人にバイト代を払ってまで档案収集をしている「博士生」もいた(ちっちゃいノートに出勤簿つけてた)。だが、面白い史料が多いので、やはり戦後日中関係を研究する以上、「朝陽門詣で」は続けるしかないだろう。「根気」の有無で研究の可否が決まるのはどうだろうと思うが、体系的に史料を把握し、獲得していくことは、それもまた「仕事」であろう。
もっとも、就職してしまうとこうしたスタイルの仕事の仕方に限界があることも確か。今回は長崎国旗事件からLT貿易協定締結までの関連档案を収集したが、松村謙三や高碕達之助の訪中に関する『外事簡報』を打ち込むだけで死にそうである。たった二つの档案だが、これだけで合計で100頁以上ある。さて、どうするか...。いや、孔先生を見習おう。文責 大澤 武司
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