熊本の総鎮守(そうちんじゅ)といわれ熊本市の代表的な神社の一つで、熊本市街地の北東、国道3号線沿いに大きな鳥居が建っています。そこから東へ広い参道が神社に向かって延びており、その先の大きな木々に囲まれた境内の中に、鮮やかな朱色の楼門があります。この藤崎八旛宮は承平5年(935年)に朱雀天皇(すざくてんのう)が承平の乱(じょうへいのらん)平定を祈願され、京都の石清水八幡大神(いわしみずはちまんおおかみ)を、国家鎮護の神として、熊本の地に迎えまつった神社です。当初は藤崎台に建てられましたが、西南戦争で焼失し、現在の場所に移りました。藤崎八旛宮の「旛」の字は天文11年(1548年)後奈良天皇宸筆(ごならてんのうしんぴつ)の勅額によるものです。秋には「藤崎八旛宮例大祭」として勇壮な随兵行列や馬追いなども行われます。