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民間ユネスコ運動が文化財保護教育に果たす役割の評価    ~熊本ユネスコ協会の活動を通して~

1、目的   現在、日本各地にあるユネスコ協会等ユネスコの精神に基づいた活動を行なっている民間団体は291団体に上る。しかし、この民間ユネスコ協会等の団体は、各地で世界遺産をはじめとする多くの文化財・自然を保護する活動を行っているが、その存在はあまり知られていない現状がある。 民間ユネスコ協会等の団体は、地方公共団体の教育委員会等の行政機関との関わりが深く、2003年度の時点で90団体がそれらの機関に事務局を置いている。その中でも、熊本ユネスコ協会は、文化財保護行政を担当する『熊本県教育庁文化課』に事務局を設置している。この熊本県のように、文化財保護行政担当課に事務局を設置する協会は、全国でも極めて少ない。更に、熊本ユネスコ協会は県の行政担当者が、ユネスコ協会の活動の企画から実際の活動まで関わるという、全国でも非常に珍しい協会である。  熊本県教育庁文化課は、「芸術文化振興」と「文化財保護」という業務を担っているが、現在は特に、子供たちに対する持続的な「文化財保護教育」の推進を目指し、それに向けて県としての業務を行っている。この「文化財保護教育」は、地域の文化財保護を通して自分達の国及び地域の文化を理解し、受け継いでいく心を育成する事が目的である。これは、日本国内の文化財行政の中でも非常に珍しく、かつ、今後の文化財保護行政を考える上で最も重要な点の一つであると考える。 そこで本稿では、この熊本ユネスコ協会の文化財保護啓発活動が、文化課職員の意識及び文化財保護行政に及ぼした影響を調査し、それに対する評価を行う。更に何故、文化課職員が今後の文化財保護行政において「文化財保護教育」が必要と認識したのかについて考察する事を目的とする。

2、熊本ユネスコ協会の概要 1)熊本ユネスコ協会の発足の経緯  まず、日本における民間ユネスコ協会発足の歴史について説明する。日本の民間ユネスコ運動は、仙台と京都で期せずして同時に起こった。その背景は、戦後の混沌とした時代にある。『人の心の中に平和の砦を築く』という国連ユネスコ憲章を知った人々は、これこそ戦後の日本が目指すべき生き方だと捉えた。そこで、政府とは違う民間運動を推進する為、1947年7月、仙台に世界で初めての民間ユネスコ協会『仙台ユネスコ協力会』が発足した。これは、日本ではじめての民間ユネスコ団体と同時に、又、世界で最初の民間ユネスコ団体でもあった。 同年9月には、京都にもユネスコ協会が発足し、続いて大阪、和歌山と民間ユネスコ活動は広まった。 11月には、第一回日本ユネスコ運動全国大会が結集され、これを機会に全国組織を求める声が高まり、現在の(社)日本ユネスコ協会連盟の前身が発足したのである。つまり、(社)日本ユネスコ協会連盟及び各地の民間ユネスコ協会は、平和を目指すユネスコの理念に感銘を受けた市民の自発的な活動により、民間ユネスコ運動を推進しているNGO(非政府組織)なのである。  次に、熊本ユネスコ協会発足の背景について述べる。熊本にユネスコ協会が発足したのは、仙台ユネスコ協会発足の25年後の1972年である。それまで熊本におけるユネスコに対する認識は非常に低く、国連ユネスコという存在もあまり知られていない状況であった。  熊本にユネスコ協会が発足するきっかけとなったのは、当時、日本ユネスコ協会連盟の会長であった数納清会長の来熊である。私用で来熊した数納会長は、熊本にユネスコ協会がない事を知った。そこで、当時の沢田一精熊本県知事に面会した際に、熊本ユネスコ協会の発足を依頼した。知事は快諾し、事務局を当時の熊本県教育庁の文化課内に設置した。つまり、熊本ユネスコ協会は、民間運動から立ち上がった多くの協会とは反対に、行政主導で発足した協会なのである。

2)熊本ユネスコ協会と教育庁の関係について  熊本県庁内に熊本ユネスコ協会の事務局が置    表1:2003年度 かれた根拠は、1952年、国会で採択された『ユ       構成団体会員事務局所在一覧 ネスコに関する法律』の第4条にある。この中 に、『国又は地方公共団体は、・・(省略)・・自らユネスコ活動を行うとともに、必要があると認めるときは、民間のユネスコ活動に対し助言を与え、及びこれに協力する。』と記されており、この条文が県に事務局が置かれた根拠となった。 では、何故、教育庁文化課に事務局が置かれたのであろうか。元々、民間ユネスコ協会等の団体と教育庁及び教育委員会等の行政機関との関係は、非常に重要視されており、これは1956年に制定された『地方教育行政の組織及び運営に関する法律』に見ることができる。同法律の『教育委員会の職務権限』の中で『第23条 教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務及び法律又はこれに基づく政令によりその権限に属する事務で、次の各号に掲げるものを管理し、及び執行する。』とし、『15、ユネスコ活動に関すること。』と明記されている。この法律は、教育・科学・文化を扱うユネスコ活動が、実際の教育行政において非常に有効であると認識された証であり、熊本においても同じ認識を持ち、上記法律に従い、教育庁内の事務局設置に至った。 上記法律が根拠となり、民間ユネスコ協会の事務局設置が、教育行政機関に設置されたのは、熊本県だけではない。表1より、県・市・町・村・区の教育庁及び教育委員会、他公共施設に事務局を設置している協会は、2003年の時点で90団体あり、全体の約30%を占めている。この事からも、民間ユネスコ協会及びその活動が、行政と深い関わりを持ちつつ、活動を展開してきた事が伺える。 表1から、民間ユネスコ協会等の団体は、大きく教育行政機関に関わっている団体と、純粋に民間のみで運営している団体の二種類にわける事が出来る。しかし、前者の団体の中には、事務局の住所を教育行政機関内に置いているだけで、行政が実際の活動にはあまり関与していない協会も多い。これは、現在の地方公共団体の抱える財政的な問題や国際交流団体・NGO等の著しい増加等が影響し、行政からの協力が得られにくい状況がある為である。こういった状況は、熊本をはじめ多くの協会が抱える共通の問題となっている。しかし、熊本では現在においても、事務局が県教育庁の文化財保護行政を担当する課内にあり、実際の活動にも直接文化財保護行政担当者が企画し、一般会員と共に活動を行っており、全国291ある民間ユネスコ団体内でも非常に珍しい協会であると言える。

3、 熊本県における文化財行政とユネスコ活動の関わり ~文化課職員に対する聞き取り調査を通して~ 前項の熊本ユネスコ協会発足の背景を踏まえて、筆者は、熊本ユネスコ協会の諸活動が、熊本県教育庁文化課の文化財保護行政にどう影響を及ぼしたか探る為、文化課職員に対し、概括的な聞き取り調査を行った。聞き取り調査は、熊本県教育庁文化課において、最も長く文化課にて業務を行っている職員及び現在、熊本ユネスコ協会の事務局を担当している職員2名の合計3名の県職員に対し、2006年2月10日より3回にわたり行った。これに加え、文書による聞き取り調査も4回行っている。職員に対し行った質問の内容は、熊本ユネスコ協会設立の背景、熊本ユネスコ協会における諸活動、及びユネスコの世界遺産保護活動の理念が職員の文化財に対する意識にどう影響し、熊本県における文化財保護行政にどう作用したかである。そこで本項からは、この聞き取り調査の結果を基に、熊本ユネスコ協会の文化財保護啓発活動である『文化財を見る会』及び『わたしの町のたからもの絵画展』に着目し、文化課職員の文化財保護行政に対する意識の変化について考察する。

1)『文化財を見る会』について まず、熊本県教育庁内の数ある部署の中で、事務局を『文化課』に設置した背景について述べる。 熊本ユネスコ協会が発足したのは1972年である。設立当初、熊本ユネスコ協会の事務局は、文化課の「文化財保護行政」と「芸術文化振興」という大きな二つの業務の内、後者の「芸術文化振興」の観点から文化課内に設置されたものであり、ユネスコによる文化財保護啓発活動を直接の目的として設置されたものではなかった。 1972年の事務局設置後に、最初に熊本で企画された熊本ユネスコ協会主催の活動は、県民と熊本県在住の留学生と共に県内の文化財を見学する『文化財を見る会』という活動である。一見、この活動の名前から「文化財保護」との関連で企画された活動と見える。しかし、これは当時の事務局が、熊本の文化を外国の方に理解してもらう為に企画したものであり、上記文化課の主要業務である「芸術文化振興」に比重が置かれた活動であった。又、何故、この様な文化財を共に見学するという活動を企画した理由としては、当時の状況を知る文化課職員は残っていない為、明確な理由は不明だが、これは、ただ単に協会事務局が「文化課」にあったという理由からだけではないと考える。当時の文化財保護行政を担う県職員が、「文化振興」と「国際交流」を考えた際、「文化財」という存在が有効であるという考えに基づき企画されたものではないかと推察する。何故なら、私達が、『日本』という国の『熊本県』という見知らぬ地域にやって来た留学生に、日本の文化、熊本の文化を紹介する場合について考えてみる。おおよその県民が、まず『熊本城』等の県を代表する建築文化財名称を口にするだろう。反対に、我々も旅行等で県外・国外に行った際は、その土地の旧跡、名所を訪れる事で、その地域の伝統文化に触れる場合が非常に多い。つまり、「文化財」は、その地域の文化を体現するものなのである。特に、建築文化財は、文化財の中でも一番大規模であり、又、人々の心に印象として残りやすい。このような事を勘案して、当時の事務局は、知らない土地を理解する際、「文化財」という存在は『地域のDNA』として国際交流を図る活動においても重要な鍵になると考えたのではないだろうか。 次に、この『文化財を見る会』を「文化財保護」の視点から考察し、県の「文化財保護行政」に及ぼした影響について述べる。この『文化財を見る会』は、本年度で34回目を迎え、熊本ユネスコ協会の主要事業の一つとなっている。現在も、県内の文化財を通して県民と留学生との国際交流を図るという姿勢は変わってはいない。しかし、回を重ねる毎に実際に参加した多くの留学生から、「日本はビルに囲まれた近代的な町並みだけかと思っていたが、本当はとてもよい田舎があり、古い建物をはじめとする多くの文化財がある。日本も古いものをとても大切にしているという事が良く分かった。」という感想が多く寄せられるようになった。この事は、会員及び事務局に、このユネスコ活動の重要性を再確認させるきっかけとなっている。と同時に、文化課職員内で「文化財」に対するチャンネル、つまり見方が増えたという変化をもたらしていた。今までは、熊本県における「文化財」である為、地域の文化財という意識があった。しかし、留学生及び一般参加者からの意見を聞き、世界の中の熊本における「文化財」という風に視野が広がったのである。 しかし、この『文化財を見る会』は、熊本における文化財保護を進める上で、大きな問題点も含んでいる。それは、実際の参加者の大半が留学生であり、協会会員及び県民による参加が非常に少ないという点である。この事は、「文化財保護啓発」という観点から見ても、非常に大きな問題である。何故なら、この県民の参加の少なさは、県民の文化財に対する「関心の少なさ」を如実に表しているからである。このような結果に至った原因は、自分の住んでいる県及び地域に所在している文化財が、如何なる「価値」があるものか知らない為と考えられる。しかしこれは、一般県民から見て言い換えれば、「知る」機会が少ないとも言える。私たちと文化財との関わりについて思い返してみると、深い関わりがあるとは言いがたい。例えば、幼少期に学校行事等で熊本城へ行ったり、近くにある神社等を訪れる機会はあったが、頻繁にそういう機会があったわけではない。又、大人になるにつれ、そういう機会もいつしか消え、ほとんど訪れる機会がない。よって、文化財と触れ合う機会がない為に、自分達の住む地域の歴史に対する知識は少なく、その文化財の価値に気づかないまま通り過ぎていくという結果に至る。上記のような傾向は、何も熊本だけではないと推察されるが、熊本では、『文化財を見る会』からこういった一般市民の傾向を、文化財保護行政における問題点として、事務局のある文化課、及び一般会員双方に気づかせるきっかけをもたらした。 ただし、この点に関しては、『文化財を見る会』を主催する協会側にも問題がある。それは、参加人数に限りがあるという点である。つい最近まで、この会に参加する留学生の費用は無料であった。その代わり、協会会員と一般参加者に多少の費用を負担してもらい、残りは協会自身がその活動資金で負担していたのである。よって、参加者が貸切バス1台の人数(約50人)に限定され、小規模なものとなってしまった。財源問題は、熊本ユネスコ協会だけではなく、多くの協会が抱える共通の問題ではあるが、県民に対する「文化財保護啓発」を促進させる為にも、この点は今後、協会会員及び事務局が検討しなければならない点と言える。 以上の事から、この『文化財を見る会』は現在、県民向けの文化財保護啓発の活動としては、その参加人数の少なさから役割を果たしているとは言えない。しかし、県内の文化財を通して、外国の方に日本及び熊本の文化を理解してもらうきっかけを与え、県民の文化財に対する関心度を文化課職員・会員に気づかせ、何よりも文化課職員に日本人だけが見る「文化財」ではなく、世界から見た日本の「文化財」という視野を拡大させたという点で大きく貢献していると言えるだろう。

2)『わたしの町のたからもの絵画展』について 熊本ユネスコ協会事務局設置後、『文化財を見る会』を継続してきた文化課だが、その後の県の文化 財行政の状況は変化していた。急速な経済成長に伴い、各地で開発が進むにつれ、文化財の発掘調査も頻繁にかつ広範囲に行われるようになってきたのである。これらの事がきっかけとなり、県文化課の中で、文化財に関する業務の割合が大きくなる。そこで、『文化課』から文化財保護の技術的な業務を担う部分が分かれ、『文化財保護課』が別に設置された。しかし、『文化財保護課』が設置されたからとはいえ、文化課の業務の中から、文化財保護の業務がなくなったわけではない。より総体的に、文化財保

   

 

 

              図1:『わたしの町のたからもの絵画展』のカレンダー 護を推進する役割を担うようになっている。又、熊本ユネスコ協会の活動を通しての経験が、職員の中で確かに根付き、文化課の本来の業務の目的及び現在のユネスコ活動に実を結んでいる。よって、ここでは現在の文化課が、自分達の本来の業務と目的が同じと考えているユネスコのもう一つの文化財保護啓発活動『わたしの町のたからもの絵画展』に着目し、現在の文化課の業務との関連について考察する。 上記絵画展は、各ユネスコ協会等の団体の連合体である(社)日本ユネスコ協会連盟が主催し、それを各ユネスコ団体が委託し開催している絵画展である。現在、全国のユネスコ協会291協会のうち、73協会が開催しており、熊本ユネスコ協会もその一つである。熊本では、この絵画展を1997年度から、開催しており、今や熊本ユネスコ協会において、一番重要視されている活動となっている。 この絵画展は、各地域の小・中学校生が応募対象となっている。地域の文化財を始め、身近にある自然等の中から、子供たちが「たからもの」と感じるものを描いてもらい、その素晴らしさを見つめなおすきっかけを作る事が目的である。 進行としては、まず、協会事務局から県内の各小・中学校に、絵画展に関する募集要項を送付し、学校単位で応募を募る。ここで、力を発するのは、協会事務局が行政にあるという点である。各学校に、熊本ユネスコ協会という名称のみで、応募要項を送ったとしても、なかなか応募してくる絵は集まらないと協会は考えている。確かに、ユネスコという名称は、現在非常に知られてはいるが、地域にユネスコ活動を推進する団体が存在している事は、社会にまだ浸透してはいない。よって、熊本ユネスコ協会事務局が県教育庁の文化課に所在しているという点が、協会に対する信用度を高め、活動を素早く進行させる事に役立っているのである。この絵画展も、文化課から各学校に依頼する事で、協会のみならず活動に対する賛同を得、結果、応募総数に繋がっている。昨年では、839点という過去最高の応募総数であった。今年度も現在集計中であるが、600点近い応募を得ている。その後、協会では応募作品の中から、受賞作品を12点選ぶ。その受賞作品を元に、協会独自で図1のようなカレンダーを制作し、各学校及び関係団体等に配布する。一般には一冊300円で販売し、その収益金を世界遺産の保護の為に当てている。  子供達は、この絵画展に応募するにあたり、自分達の住む地域内で何を大切に思い、残したいと思うのかを考え、描きたい対象を自分達で探し描く。絵の内容はもちろん「文化財」だけでなく、自然や人物と多岐に渡るが、しかし、子供達に対する文化財保護啓発にとって、何が大切かを「考える行為」と大切と感じるものを「描く行為」は非常に重要である。この絵画展は、地域の文化財をはじめとする自然や文化とあまり接点のない子供たちに、それらを「知る」きっかけを与えると同時に、様々な「たからもの」に対する「価値付け」を行っているのである。又、反対に文化課職員にとっては、応募された絵を実際に見る事により、子供達の「文化財」に対する反応を直に知る事ができ、今後の県の文化財保護行政に役立たせる事ができる。実際に文化課では、学校教育における「文化財保護教育」の促進を目指し、独自で『学び 守り 伝える ひのくにの遺産』というパンフレットを制作し、県内の小・中学校に配布している。これは、子供達に身近にある価値のあるものに気づくセンスを見につけてもらう事を目的としており、文化財や自然について考える機会を促す内容となっている。 これらの事から、上記絵画展はまさしく「文化財保護教育」の一端を担う活動であり、「文化財保護教育」にとって有効な手段であると言える。 ここで、文化課が考える文化財保護業務の理念(図2)とユネスコの世界遺産保護活動の理念(図3)を比較してみる。すると、「地域」と「世界」の違いはあるが、その志向は非常に似ている事がわかる。文化課は、文化      財や自然及びそれらの保護・保存を、歴史を超えた「 教材」として捉え、子供に      図2:文化課が考える文化財保護業務の理念 その「価値付け」を行い、そ れらを受け継いでいく心を養うという「人づくり」こそ、本来の業務であると認識しているのである。  以上の事から、熊本は世       界遺産を保有していないにも関わらず、文化課職員が『文化財を見る会』及び『わたしの町のたからもの絵画展』等の熊本ユネスコ協会における活動を継続した事により、職員の意識に世界遺産保護の理念が浸透したと考える。実際に、聞き取り調査の際、文化課職員からは「ユネスコ協会の活動を通して、世界遺産を身近に感じ、その理念は参考になった。」という意見があった。又、これらが影響して、職員自身が、文化財が「 保護される理由」「文化財保護の        本来の目的」を考え、なおかつ、文化課が『教育庁』に所在する意          味を考え、結果、自分達の本来       図3:世界遺産保護活動の理念 の業務として幼少期からの持続的な「文化財保護教育」が必要という結論に至ったと考える。

4、結び  現在、世界遺産を初めとする文化財や文化的資源は、どちらかというと、その地域の地域おこしのシンボルや経済的な潤いを生み出すきっかけを作るものとして扱われている傾向にある。特に世界遺産に認定されると、その傾向は顕著に現れる。結果、経済的な地域おこしは成功したとしても、観光客の増加等により、文化財そのものの破壊を招く等、多くの問題を生み出す事が多々ある。よって、文化財保護の本来の目的は、「文化財を通じて経済的活性化を図る」事でないのは明白である。 では、私達の住む地域・国にある文化財が何故保存されるのか、その理由を問われた時、私達はなんと答えるだろうか。昔からそこにある歴史あるものである為、又は重要指定文化財に指定されている為等と答えるだろうが、これは「保護される理由」に対する明確な答えとは言えない。 熊本県教育庁文化課は、「熊本ユネスコ協会」の事務局が文化課内に設置され、世界遺産をはじめとする文化財保護啓発活動を会員である一般県民と共に行ってきた。この本来の業務とは異なる文化財保護啓発活動で得た経験が、「文化財保護教育」の重要性という結論の一部となったと考える。よって、熊本県におけるユネスコ協会の諸活動は、新たな文化財保護の目的を見出したという点で評価できると同時に、上記のような教育が持続的に行われる事が、世界遺産の保護にも繋がると考える。 「文化財」及び「文化財保護」を、子供達に対する人間教育の教材として捉え、なおかつ子供達の心に「文化財」を受け継ぐ心を養うという試みは、今後の文化財保護においても非常に重要な点である。何故なら、将来文化財を保護していくのは、子供達だからである。ゆえに熊本県教育庁文化課の取組は、将来の保護の担い手を育てる人材育成の一環としても、今後貢献できると確信する。