桃山式の回遊庭園(かいゆうていえん)。寛永9年(1632年)、肥後藩主・細川忠利公(ほそかわただとしこう)が水前寺(すいぜんじ)という寺を建立、後に廃寺となりましたが、三代目藩主網利公(つなとしこう)のときに庭園が完成し、中国・東晋時代の詩人陶淵明(とうえんめい)の詩「帰去来の辞(ききょらいのじ)」に因み、成趣園と名づけられました。東海道五十三次を模したといわれる庭園には、湖に見立てた池が配され、ゆるやかな起伏の築山とともに、庭園美を楽しめます。また大正元年(1912年)に京都から移築された古今伝授の間(こきんでんじゅのま)は、慶長5年(1600年)細川藤孝公(ほそかわふじたかこう)別名幽斎(ゆうさい)が智仁親王(としひとしんのう)に古今和歌集の奥義を伝授された建物といわれています。園の北側には細川家の歴代がまつられる出水神社(いずみじんじゃ)もあります。