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5月1日、長男笑笑は昆山初の“百鼓斉鳴”公演「2025第9季中国好鼓手昆山都市芸術祭」に参加しました。イベントは“中国好鼓手”( 全国打楽器芸術公演、打楽器芸術教育シンポジウム、及び全国打楽器産業博覧会を一体化した総合型業界プラットフォームである)昆山試合区組織委員会と“碧楽時光”(デパート名)が共同で開催し、21のドラム教室、200人以上の子供ドラム演奏者が一堂に会しました。出演者の多くはドラムを3年以上学んだ子どもで、笑笑は“鼓童音楽”( ドラム教室名、ドラムトレーニング機構)で1年間半ドラムを習いました。機構のオーナー兼ドラム講師の劉先生は彼の努力を認めてくれて、出演枠を頂きました。
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公演当日、私一家は早めに会場に到着しました。デパートの広場には早くも黒い演出服を着た子供演奏者と保護者が集まり、会場は少し混雑していましたが、盛り上がった雰囲気でした。笑笑は出席確認のサインと署名の手続きをしてから、プロのカメラマンが写真を撮ってくれました。子供達が舞台への憧れがうかがえます。
10時半に演奏が本格的に始まりました。ドラムをリードする先生たちが舞台に登場し、100人近くの子供演奏者が「The Phoenix」の激昂したリズムを奏でました。第1ラウンドの幕が開かれて、その後は「大風吹」と「跨過山海」、笑笑が演奏した曲は「吸引」でした。笑笑の出番になると、主人と私は彼のビデオや撮影に追われ、次男も大人しく演奏を鑑賞しました。笑笑は相変わらず真面目でした。彼の全力を尽くす姿はかっこいいです。最後の名曲「紅日」は雰囲気を頂点に引き上げました。
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子供達の演奏レベルはまちまちでしたが、頑張った子供たちが輝いていました。10分間休憩後、第2ラウンドが始まりました。曲は同じでしたが、現場の情熱は衰えませんでした。演奏が終わて集合写真を撮って、演奏者たちが賞品を受け取りました。賞品はミルクティーの引換券とデパートの割引券でした。笑笑は甘いミルクティーをのんびりのんでいて、これは彼の努力に対する甘いご褒美でした。
この公演が私の視野を広げてくれました。子供がドラムを習わなければ、私もドラム業界に関心がないと思います。こんなにたくさんのドラム機構があるとは知らなかったし、こんなに多くの子供がドラムを習っているとは知りませんでした。
2021年の“双减政策”(宿題の量を減らすと学習塾や予備校の禁止といった二重削減政策)がドラムトレーニング業界の発展を促したかなと思っていましたが、ドラムトレーニングは早くから始まり、2011年~2012年頃に本格的に台頭し、2018年までに急速に発展し、コロナウイルス後、“小規模で高品質”の機構は従来の加盟ブームに代わったらしいです。
子供がドラム好きの理由をなんとなく分かります。ドラムの強烈なリズム感とクールなパフォーマンススタイルは子供たちにとって魅力が溢れますね。無理やり勉強させないですが、子供が勉強を続けたい限り、学費が高くても親たちは大分全力で応援あげると思います。多くの親にとって、自分が子供の頃はこのような機会がなくて、自分には特技がなく、子供には“一技之長”(専門技術)を持ってほしいでしょう。個人的には楽器ができて音楽の素養や鑑賞力の強い人にうらやましいです。プロのドラムの道を行く子は少ないことや、初進学や大学入試のプラス特長になるまでに極めて高いレベルが必要とすることが知っています。もし、将来子供は大学の音楽サークルに入ったり、社会人になってバンドに参加したりするのもいい体験になるかなと思います。子供の将来の好みは変わるかもしれないが、今の選択を楽しんでほしいです。
笑笑とドラムの初めての出会いと言えば、もう5年前のことでした。彼はまだ幼稚園生で、私たちもまだ新しい家に引っ越していませんでした。その時、私はよく子供達を住所近くの“昆城広場”(デパート名)に連れて遊びに行きました。当時、このデパートはまだ商売が繁盛していて、様々な児童教育機関があって、音楽、美術、スポーツ、囲碁、書道……何でもそろっていました。その中で、3階にある“友鼓音楽”(ドラマ教室の名)は、神秘的な音楽の種のように、笑笑の心の中に好奇心の芽を植えました。
通りかかった回数が増えるにつれ、好奇心に駆られて笑笑は無料体験レッスンに参加しました。店舗はチェーン店で、教室は大きくてきれいです。授業は先進なマルチメディア教育方式を採用していて、ドラムと楽器ソフトが付いたディスプレイを接続し、子供が好きな音楽を選んでから、ゲームモードの画面に合わせて、底鼓、ハイハット(踩镲)、軍鼓、ハイハットを叩くと、“ドンツダツ”のリズムが鳴り響きます。子供は新しいことを受け入れる能力が強いです。楽譜もリズムも読めませんが、数回練習すればゲーム画面の音符に従って曲を演奏することできます。遊びぽい方法は子供にとって面白いし、先生たちがほめ続けてくれたことに加えて、子供も達成感に満ちます。笑笑の体験レッスンをしてくれた先生は、若くて背が高くてかっこいいです。彼の“怎么帥怎么来”( どうやってかっこいいのかどうすればいい)という一言は私に印象的でした。
学費を払ってから、週に1回の授業で笑笑は楽しそうに勉強しました。しかし、4、5回授業を受けた後、突然機構が閉まったことを聞きました。オーナーは深夜にこっそり車を雇って、貴重な教育設備を空にして、学生たちの残りの授業の返金や転校などの問題について、何の説明もしてくれなかったです。私が払った学費は3千元余りで、多くの方は年ごとに学費を払ったため、金額は万を超え、2、3万に達した人もいるらしいです。連絡を取れる先生に聞いても、先生は責任者ではないし、先生の給料も清算されていないようです。児童教育機関が突然閉まり返金をもらえないことは珍しくないので、私は多額の前払いに慎重です。今回の学費は水を流したのではないかと思いましたが、昆山の地元の3名の保護者が先頭に立って保護者が権利を守る戦いをしました。私も保護者ウェチャットグループに引き寄せられて、わずかな間にクループの人数が百人以上に増えました。保護者たちは警察に通報しながら、文体局やメディアに連絡しました。その後、機構のオーナーの個人情報が調べられて、彼が昆山で十数社の子供教育機構を運営していることが分かり、彼の家庭住所も見つけました。私は2回の集団権利を守る活動に参加しました。場面は激しいかったです。保護者たちの様々な努力のおかげで、約一週間を過ぎて経営者がみんなの損失を賠償くれました。残りの授業時間を他の機関に振り替える条件を受け入れた方いますが、私は80%割引の返金を受けました。何の努力もしていないのに、利益を得えて、運が良いだと思います。この騒ぎは収まりましたが、笑笑のドラム学習の道は中断されました。私はずっと納得できませんが、オーナーは商売が良いはずのに、どうして店を閉めることを選んだのでしょうか。
3年前、新しい家に引っ越してから、住所の近くにある琴行にドラム教室があることを発見しました。笑笑は興奮して、早く体験レッスンに連れて行くように催促しました。オーナーと予約の日になって、先生は彼を教室に連れて行きました。私はオーナーと30分間ほど交流しました。ここには短期学習者が募集したくないようです。小人数クラス制、年間授業料は1、2万元近くらしいです。こんなに沢山のお金を前払いのは不安だと思いますが、家から近いので、笑笑の気持ちを聞いてから決めようと思いました。
残念ながら、教室のドアの小窓を通して、私が見たのは笑笑と先生が膠着状態に陥っていることでした。ドアを開けた瞬間、笑笑が泣き始めました。先生はクールな顔をしていました。笑笑のレベルを確認するために、先生は彼に1曲演奏させました。しかし、笑笑が何の反応もありませんでした。先生のむかつく気分は分かりますが、2人とも堅苦しい人で合わないと思いました。
オーナーは、先生の技術が素晴らしい、指導する子供は優秀で、バンド出身なので子供との接し方が少し足りないと説明しました。ほかにも親和性のある先生がいて、少しレベルが劣るかもしれませんが、体験レッスンを手配できると相談くれました。教室を見渡すと、面積が約30平方メートルで、2台の“原生鼓”(アコースティックドラム)と電気ドラムが並んでいて、教師力も環境もあまり正規ではないような気がします。子供の自信と興味は幼い苗のようで、熱心に保護する必要がありますが、もう一度体験しても別に問題がないと思います。しかし、笑笑はどうしてもここに来たくないので、彼がドラムを学ぶ道は、再び途切れました。
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つい1年半前に、母が“鼓童音楽”を見かけました。体験レッスンをしてから、笑笑はここにしたいと言ってくれました。
“鼓童音楽”で使用されているドラムは原生鼓です。劉先生は音楽系の出身です。大学時代に武漢音楽学院を卒業した先生の下で、サークルとバンドに参加し、演奏技能と音楽素養を高めたらしいです。ドラム教室を起業する前に、彼は企業で働いていました。劉先生は質朴で、音楽をしているようには見えないです。子供の演技を評価するたびに、いつも笑顔で“不錯”(いいですね)と口にします。簡単な言葉は、子供の自己認可を固めてあげました。
劉先生は剛柔並済の教育方式を採用しているようです。授業の要綱は中国音楽学院の試験級の教材であり、フレームワークは固定されますが、断片化された知識点が多いです。彼は子供の基本功の育成を重視し、子供の音楽に対する悟りとリズム感を育てて、子供の大脳を充実させて、いざ演奏しようとすると即興伴奏ができる能力を鍛えています。
昨年年末頃、新しい教室に引っ越してから“鼓童音楽”の雰囲気がもと良くなりました。学生用ドラムはTAMAブランドの原生ドラムに切り替え、4ハイハットから5ハイハットになって、音色はより豊かになりました。屋内と屋外のダブルステージが設けられ、定期的に誕生日パーティーが開催されています。教室には有線ドラム専用イヤホン、騒音低減耳カバー、4つの壁掛音響、2つの着地スピーカーを備え、超強音響制御システムは高低音の組み合わせと没入式の音楽空間を作り出しました。それだけではなく、天井には5層の防音と吸音設計、壁には2層の防音、2重ドアにはシールが採用されて、細部に至るまで先生の専門性と心がけがうかがえます。
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授業後、劉先生は宿題を出すので、主人はネットで中古ヤマハ製電気ドラムを買いました。笑笑のレベルが上がるにつれて、昨年年末頃、劉先生から中古の原生ドラムを買いました。騒音を低減するために静音ドラムの皮に変えましたが、それども迫力があります。
笑笑は毎週日曜日の10:30~12:20授業に行きます。彼は楽理に対する理解力が強くて、150のスピードで曲を演奏することができます。脱譜演奏はもちろん、ネットで勉強の資源を探して、音楽を聴いで楽譜を作ることやソフトウェアで楽譜を描けるのは特に素晴らしいと思います。子供の些細な成長を見ても、主人も私も喜んで感心します。
今年3月中旬、次男豆豆も劉先生のドラム教室に入りました。以前、何度も彼にどんな楽器がすきかと尋ねましたが,彼は何にも学びたくなかったです。ギターレッスンとドラムレッスンを両方体験した後、彼がドラムを選びましだ。兄の影響を受けているかなと思います。ほぼ同じ時期、主人もドラムを独学し始めました。次男はプライドが高くて、上手な兄にうらやましい気持ちがありますが、5回授業を受けただけで、簡単な楽譜を読むことができて、3、4曲を打つことができるのは優秀だと思います。主人は豆豆を励ましながら、彼と競争の雰囲気を作っています。笑笑が二人の指導をし、週末になると、ドラムの音は朝から晩まで鳴り響きます。3人のドラム愛好者はよく2台のドラムを争います。我が家の音楽の雰囲気が良いですが、隣人にがうんざりしているのではないかと心配しています。
何の楽器も知らないのは私だけになりました。
先月、ドラムロードショーの時、主人が成人ギターレッスンの宣伝ポスターを見かけました。699元で10回の団体レッスンと聞いて、私はギターを習う決心をつけました。そうすれば、彼ら3人が伴奏をしてくれて、私はギターを弾きながら歌うことができますね。そう考えると、ワクワクします。
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ギターの先生は劉先生の教室を借りています。バンドで活躍している方で、10年間の教育経験があるそうです。私が体験レッスンに参加しました。弦がうまく動かなくても、指が硬くても、先生は私をほめてくれました。正式のレッスンは6人を揃ってからスタートします。みんなの前で“手忙脚乱”(てくてく)してしまうと笑われますよね。とは言え、主人と子供との共同演奏を楽しみにしています。家族4人で楽器を習うのは少しおかしいと思いますが、これからは“音楽之家”(音楽の家)になれるかな。
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溝上教授は2021年3月末に熊本大学を定年退職後,同年4月に熊本学園大学に赴任し,今年の3月末でまる4年が経過しました.この時期,「春の草木の花々は美しいなー」と感慨深い.
3年前に2年次秋学期の演習Ⅱを,一昨年度は3年次通年の演習Ⅲを持ち上がりで指導し,昨年度末には4年次通年の演習Ⅳ(卒論)の学生3人が卒論を書いて卒業しました.演習Ⅱの受講生9人は演習Ⅲまでは全員が受講してくれたのですが,指導や課題が厳しかった?のか,演習Ⅳ(卒論)の途中で次々に離脱していき,秋学期になると卒論の6単位がないと卒業できない3人にまで減りました.彼らは最初から最後まで興味を持って食らいついてきたし,卒論のレベルもそこそこでした.しかし,途中で離脱した多くの学生は,大学生活の中で解のない課題に主体的に取り組む,苦しくても逃げない,一定期間に成果を出す,それをPPTで他に説明するといった経験をせずに社会に出て行きました.しかし,大丈夫なのでしょうか.これは文系ではごく普通だそうですが,毎年,とても心配になります.
専門科目をほとんど習得していない2年秋学期の演習Ⅱ,ようやく専門科目を受講してそろそろ好きな分野が分かる時期の3年通年の演習Ⅲ,そして大学生活で最も重要で貴重な経験を積む4年通年の演習Ⅳ(卒論)までの教育・研究指導はとても大変です.これらを途中で離脱していく学生がこれほど多い本学の卒業生もこの国の生産や消費を支える生産者や消費者になっていくのです.これまでは良かったかも知れませんが,人口がこれだけ減少し,産業や金融の国際競争力がここまで凋落してしまった現在,彼らは,いやこの国は本当に大丈夫かなー!?と本気で心配になります.最近,アフリカに出張した友人から聞いた話ですが,マーケットでお土産を買う際に表示価格から値切ったところ,「日本人なら所得が低いから言い値で良いよ」と言われたそうです.笑っていられない・・・・
4月からいよいよ5年目,正規の定年年齢70歳までの最終年度に突入です.桜が咲く時期,毎年モヤモヤはあります.教育・研究の内容や方法に対して私が「まあこのくらいはないとネー!」と考える水準をあきらめるが常勤の教授として満額の収入を得る道を選ぶか,どこか違った道を開拓するか.今年度までは前者で行くことにしました.来年度以降2年間はシニア客員教授として継続就労してほしいと経済学部から依頼されています.が,それがどんなものかはまだ考えていませんが,これが人生最後になるだろう新たなステージに挑戦するか,2回目の定年退職を前に,その選択もこの1年間の宿題です.