![]() |
![]() |
![]() |
4月27日はゴールデンウィーク後の振替休日です。仕事をしたくない、学校に行きたくないという気持ちに浸っている人は少なくないでしょうが、長男の笑笑と次男の豆豆にとって、今日は待ちに待った小学校春の運動会の開幕式の日です。春季運動会は数少ない大型キャンパスイベントとして、学生たちが自分自身に挑戦する機会です。学生たちの競争意識と奮闘精神を育ち、クラスの凝集力と栄誉感を高め、学生のスポーツの才能を示す重要なプラットフォームとなっています。
二人の子供はスポーツが好きです。私自身も学生時代はスポーツ選手でしたので、子供が積極的に集団活動に参加することを応援しています。豆豆は低学年生(1年生と2年生)であり、30メートルと50メートルの短距離走の伝統的な運動項目に加えて、跨欄接力(ハードルリレー)と羊角球(ヒツジの角球)、袋鼠跳(カンガルージャンプ)という趣味運動種目を申し込みました。笑笑は高学年生(5年生と6年生)であり、100メートル短距離走と4x100メートルリレー、跳遠(走り幅跳び)の伝統的な運動種目を応募しました。
運動会の開幕式に向け、笑笑のクラスは服装を統一し、白い上着と黒いズボンを要求しました。先生がわざわざ新しい服を買わなくてもいいと強調しましたが、主人も私も学校行事を重視する人で、子供を連れて白い半袖と黒い半ズボンを買いに行きました。豆豆のクラスでは服装を統一する要求がありませんが、“一碗水端平”(公平)の原則に基づいて、二人とも新しい服を買いました。
開幕式の朝、笑笑は定刻に目を覚まし、新しい服を着て元気いっぱいでした。最近子供たちは“鶏頭米”( おにばすの実)を食べるのに夢中になっています。子供たちがオーダーした“鶏頭米の氷砂糖煮”と“市販のトウモロコシの具の香味焼き餃子”を準備ができたら、次男を起こしました。寝ぼけ眼でしたが、彼は素早く起き上がって新しい服を着ました。二人は美味しいそうに朝食を食べながら運動会の話をしました。笑笑が先に学校に出かけたから、豆豆も急いで靴を履こうとしましたが、彼が“痛い!”と言いながら足を見ると、指が赤く腫れていました。多分、昨日長期間スケート靴を履いたせいだと思います。私も男の子には男らしいさがあるべきだと思います。いつも甘ったれたり、玻璃心(豆腐メンタル)ばかりではいけないと存じますが、彼を校門まで送って、私はやはり先生にメッセージを送りました。遅刻の原因を説明し、彼の足の指の状況を話しました。先生が彼に少し注意を払ってほしいと思っていました。
運動会はよく雨の日と一緒に来るようです。豆豆を学校に送ったとき、風雨が始まり、気温は約20度で、白い半袖と黒い半ズボンは薄いです。私が家に帰って2着の厚い服を取って学校の警備室に送りました。私が勤めている会社にとって、今日は休日です。学校の塀の欄干の外から開幕式を見る予定でしたが、天候のために開幕式は午前から午後に延期されました。現場で観覧できませんでしたが、学校の公式アカウントで、開幕式は激高した“運動員進行曲”に伴い、国旗チーム、校旗チーム、彩旗チーム、各学年の順番に入場したことを知りました。開会式はクラスの精神的風貌の競い合う舞台として、アニメキャラクターのコスプレから漢服のショー、現代ダンスから民族伝統のショーまで、現代の豊かな文化と学生の個性を披露したらしいです。
![]() |
![]() |
![]() |
昆山培本実験小学校は約100年の歴史があります。同校はスポーツを伝統的な特色として、“基礎課程+部活動+試合システム”育成モデルを構築し、約4000人の学生、200人の教師、80人の体育生がいます。開幕式は教師全員と生徒全員が参加しましたが、運動会は学年別(低学年、中学年、高学年)に3日間に分けて行われました。素晴らしい開幕式を見ることができませんでしたが、笑笑のクラスには保護者ボランティアを4人募集したことをきっかけに、私はキャンパスに足を踏み入れ、1時間半ほど子供達に付き添って、選手たちを応援することができました。せっかくクラスの48名の子供たちと触れ合う機会があったので、みんなで元気いっぱい頑張ろうという気持ちを込めて、養楽多(ヤクルトドリンク)50本を学校に持参しました。
![]() |
![]() |
![]() |
学校の運動場は広いです。1000人以上の子供が指定された区域で試合を観戦し、現場は整然としていました。スケジュールに従って、各種目の試合が順次に行われました。審判員と先生たちは真剣に職責を履行し、選手に良い試合環境と試合の公平公正を確保しました。
笑笑のクラスは規律を重んじ、凝集力があります。クラスの選手が出場すると、観客席から激高した叫び声で選手を応援しました。笑笑クラスで陸上競技を観戦するときの視線が一番よかったです。跳高(走り高跳び)、跳遠(走り幅跳び)、鉛球(砲丸投げ), 鐵餅(円盤投げ)競技場は観覧席から遠いです。笑笑が跳遠に参加しました。彼が助走、跳躍、そして着地の一連の流れを遠くからなんとなく見れました。笑笑は体の協調性と瞬発力が強いですが、決勝で順位を取れませんでした。その後、笑笑が100メートル短距離走と4x100メートルリレーに出場しました。私は子供たちの写真撮影に夢中になって、ラッパ放送から彼の名前を気づかず、彼が出場した2つの試合を見逃しました。彼が私を抱きしめに来た時、“もう走ったんだ…”という残念な気持ちがありますが、クラスメイトが彼を囲んできて談笑しているのを見て、私の少し残念な気持ちも吹き飛んでました。
春の運動会の成績として、笑笑のクラスは1枚の金メダルと1枚の銀メダルを獲得しました。クラス全員が歓声を上げ、先生も喜んで表彰台に走って受賞者の写真を撮りました。子供たちは生き生きとしていて、笑顔は純真で、私も子供達に感染ました。思わずに自分の学生時代の学校運動会を思い出した。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
私の小学校は村に建てられました。1年生から5年生まで合計5クラス、1クラス20人未満で、校長は体育教師を兼任していました。小学生では運動会を行った記憶がありませんでした。中学生の時、十数村の子供たちが同じ学校に通っていて、全校には約六七百人の学生がいて、毎年春の運動会と秋の運動会が行われて、私は積極的に運動会を参加していました。
運動会の開幕式はいつも儀式感に満ちました。開幕式の時、学校のラッパには“運動員進行曲”が循環的に放送され、高らかで積極的な交響楽は非常に人を奮い立たせ、教師と生徒たちを団結して緊張した活発な雰囲気の中に持ち込みました。最も儀式的な一環としては“走方隊”です。先頭のチームは国旗隊とドラムバンドで、上級生の少年先鋒隊員や共産青年団員で構成され、非常に神々しいです。 主席台を通過したとき、ラッパからアナウンサーの感情的な朗読が聞こえて、“今主席台を通過しているのはX年X班です。これは団結して友愛で、努力して前進するクラスです。今日の彼らはわが学校の嬌子です。明日の彼らは祖国の誇りです”。放送を聞いて、自分の心の中に誇りが湧いてきます。主席台の前に入ると、先頭が“向右看,齊步走“(右を見て、鵝行進)と指示すると、全員が直ちに元気になって、力強い歩調を取りながら、“発展体育運動,増強人民体質,鍛煉身體,振興中華“(スポーツ運動を発展させ、人民の体質を強化し、体を鍛え、中華を振興する)というスローガンを一斎に叫んで、先生と学生たちの検閲を受けました。その時、すべてが丁重でした。いくつかのテーブルがつづられた主席台、何本かの竹竿が立ってから引いた横断幕は、全然粗末を感じなくて、荘厳さばっかりと思いました。
“走方隊”の儀式が終わった後、運動会の各競技が順次に行われました。競技場は泥道で、スポーツ施設は粗末で、競技種目は短距離走、中距離走、長距離走、リレー走、跳高(走り高跳び)、跳遠(走り幅跳び)、鉛球(砲丸投げ), 鐵餅(円盤投げ)の伝統的な競技種目しかありませんでした。それにも関わらず、みんなが積極的に参加して、クラスの栄光のために勝ち取っていました。
クラスを代表する陸上競技者として、400メートルと800メートルの中長距離走は私の強みでした。私の出番になると、大ラッパに文才が優れたクラスメートが書いてくれた応援の原稿が流れてきて、自分の名前を聞いた瞬間、誇りが沸いてきます。特に、自分のクラスの観覧台を通過したとき、耳をつんざくような喝采の声が血を沸かせ、体が燕のように軽く感じて、力に満ちきたような気がします。友情が第一で、試合が第二と言われても、その瞬間、私は全力を尽くし、応援してくれるクラスのために優勝を取りたい一心でした。嬉しことに、私がいつも良い成績を取ることができました。クラス委員はクラス費を使って選手たちにパン、ソーセージ、ドリンクを購入くれました。運動員進行曲の下で表彰台に立つことは、学生時代の大きな名誉だと思いました。
“発展体育運動,増強人民体質”(スポーツを発展させ、人民の体質を強化する)は毛沢東主席が1952年中華全国体育総会の設立大会のために書いた名句です。 このスローガンの提出はスポーツを国家発展戦略の高さに引き上げ、学校スポーツと大衆スポーツが全面的に展開しました。母は1961年生まれです。スポーツを重視、大集団労働を重視、文化の授業をあまり重視しなかった年代には、思想が進歩、スポーツが上手な母が輝いて、学校を代表して様々なポーツ試合に勝ちました。母がいつも自分の競走を“柏の葉のように”(軽快だ)と形容します。今でも、母はいろいろな国際スポーツ大会に関心を持っています。母の関節はあまりよくありませんが、健康な体質と苦労に耐える精神は長年のスポーツトレーニングとは切り離せないと思います。私はきっと母の運動の才能を受け継ぎ、息子たちは私の運動の才能を受け継いただろうと思います。“鍛煉身體,振興中華”(体を鍛え、中華を振興する)の名句は改革開放初期に生まれたそうです。この4つの言葉は、私の青春時代とともに、私の頭の中に刻まれました。
学校運動会は中国の教育発展の一部分の縮図と言え、時代の発展の変遷に伴いそれぞれ特色に応じる運動会スローガンがあるようです。中国は徳(品徳)・智(知識)・体(体育)・美(美術)・労(労働)の全面的な発展な人材育成理念を一貫して堅持しています。身体的な健康や精神的な豊かさは社会に対する責任感でもあると思います。
笑笑が“体育の授業と授業活動の時間が語文・数学・英語の授業の時間を超えているような気がする”と言ってくれたきっかけに、私もあらためてスポーツ教育がますます重視されている現状を気づきました。伝統的な体育教育のほか、子供達の縄跳びや水泳能力が審査項目に組み入られて、さらに“インターネット+スポーツ”の融和が進み、“健康中国”の戦略を背景にスポーツと健康が深く一体化していることを認識しました。
生活環境の改善に伴い、成人や児童は電子製品に夢中になっています。日々の生活や仕事に疲れやすくい、運動に興味がない、体力が低下や亜健康問題が広がり、小学生の近視、肥満の割合も増加する傾向です。私自身も41歳になり、健康な体がいかに生活や仕事の展開に重要かをますます意識してきました。
学校運動会は子供たちにとって大切な集団記憶だと思います。笑笑と豆豆が参加したこの春の運動会のおかげで、私はまた自分の子供時代を思い出しました。80後(1980年~1989年生まれ)として、過ぎた童年と素朴な運動会が懐かしいです。そして、10後(2010年~2019年生まれ))の無限の人生と多元的革新な環境にうらやましいです。このキャンパス盛会は、汗と笑顔を通じて子供たちの肉体を鍛えただけでなく、強い心と高尚な品格を育てきたらいいなと思います。時代の移り変わりの中でも、学校運動会は独自の魅力と価値を持ち続け、代々受け継がれる子どもの成長を支えていきますね。
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() ![]() |
||
私も言い出しっぺの一人ではあるものの,形だけの顧問を務めている土木計画学研究小委員会「MaaSの実践・実証と理論の包括的小委員会」が2025年5月30日(金)の9:30から東京の日本教育会館で開催されるのを機に,前日の昼には上京して,これまで一度も行ったことがなかった上野恩賜公園にある文化施設を訪問しました.
上野恩賜公園内には,もうすぐ日本から1頭もいなくなるパンダ「シャオシャオ(暁暁)」と「レイレイ(蕾蕾)」のいる恩賜上野動物園をはじめ,東京国立博物館,国立科学博物館,国立西洋美術館といった国立の博物・美術館だけでなく,東京都美術館,東京文化会館といった東京都の博物・美術館,その他にも日本芸術院,日本学士院,上野の森美術館といった民間の文化施設もあります.と,今回初めて知りました.
半日しか時間が無いので,どこを訪問するか悩んだ末,東京国立博物館に行くことにしました.なぜなら,国宝を見たい!大英博物館に相当する博物館のはず!九州国立博物館と比べるとどんな感じ?などと思ったからです.集団就職の学生や出稼ぎから帰る北国の人たちでごった返している風景が思い浮かぶ上野駅は木造の輪っかに包まれたとてもおしゃれな駅になっていたのには驚きました.そこからは,右側を国立西洋美術館,左側を東京文化会館に挟まれ,その先を右に曲がると右手に国立科学博物館がそびえる広いプロムナードの先に,荘厳な石造りの東京国立博物館は鎮座していました.
なんと,今は特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」が開催されているではないですか!!(実は知ってました.)そこで,常設展+浮世絵現代+蔦重展の2,100円のセット券を購入し,まずは平成館の特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」を見に行きました.10分待ちということで,外のテントで10分ほど待ち,20人くらいの単位で館内に入りました.待ち時間はわずか10分でしたが,2つの大きな展示室内は大勢の客で大混雑.展示物の前は3,4重に鉄ができているだけでなく,遊郭ガイドブックの吉原細見などは蔦重が考えたポケットサイズの小さなものなので,よく見えない!その上に,この分野の物知り(文化人?)の方があちらこちらにいて長い長い講釈をたれたれで全く進まない.しかし,放映中の「べらぼう」に出てくる喜多川歌麿や大田南畝,朋誠堂喜三二,山東京伝,恋川春町などの絵師や戯作者・狂歌師,河内屋市右衛門や丁子屋長十郎,大文字屋市兵衛といった吉原の主人達,それに鱗形屋孫兵衛や鶴屋喜右衛門,西村屋喜八といった地本問屋などの名前が原本や解説書きに出てくると,ウキウキ,ゾクゾクしてきます.細見や青本,黄表紙などの出版物は繊細で面白い!江戸中,後期の文化はなんと華やかで洒脱なのだろう.
常設展に移動したときには,既に足が・・・.まずは1F直ぐ右手の11室にある金剛力士立像(阿像,吽像で,これらは国宝や重文には未指定),菩薩立像(重文),阿弥陀如来立像(重文)などに会うことができました.どれも日本のすーっとして美しい仏像です.百済観音が国立博物館で公開されていると聞いたのはいつ(2020年でした)のことだったか,残念ながら今は見ることはできませんでした.今は奈良国立博物館で公開されているようです.その他,国宝だけは見逃せないと思ってパンフレットにあった2F国宝2室に行ってみたのですが,確かに国宝ではありますが,帝王学の古典として平安時代に写本された「群書治要」でした.華麗な染紙・飛雲氏に書かれた書ですが,漢字ばかりで読めないし,その意義も知らないので,ちょっと残念でした.国宝はこの1点で,実は国宝2室という部屋は「日本美術の流れ」というテーマの1室でした.この時点で,既に足に全く力が入らない状態になっていました.
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
次に訪れたのは,庭にロダンの考える人が鎮座している国立西洋美術館.ここも国立ということもあってルーブル美術館と対比して見てしまうのですが,本館は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産として世界文化遺産に登録されていますし,モネの「睡蓮」などの印象派の絵画・彫刻を集めた松方コレクションが有名です.私には絵画の知識もセンスもないのですが,教科書やテレビの芸術番組,絵画にまつわるドラマで見たり聞いたりした絵や画家の名前を見ると,何か自分のもののように思えるのは不思議でした.
国立博物館,西洋美術館,いずれも黒い制服を着た多くのスタッフが随所に立っており,変な素振りなどしようものなら注意されると思っていたのですが,大英博物館やルーブル美術館ほどではないですが,特別の展示物以外は写真もOK,座って模写したりする若者もいて,日本の博物館,美術館も「やるじゃん!」と感じました.また,多くの外国人が展示物を熱心に鑑賞していたのには驚きと誇らしさを感じました.
その後,東京で働いている長男と新宿で美味しい酒と魚を楽しみました.足は痛いし,お腹はすくしでしたが,本当にいい1日でした.
5月1日、長男笑笑は昆山初の“百鼓斉鳴”公演「2025第9季中国好鼓手昆山都市芸術祭」に参加しました。イベントは“中国好鼓手”( 全国打楽器芸術公演、打楽器芸術教育シンポジウム、及び全国打楽器産業博覧会を一体化した総合型業界プラットフォームである)昆山試合区組織委員会と“碧楽時光”(デパート名)が共同で開催し、21のドラム教室、200人以上の子供ドラム演奏者が一堂に会しました。出演者の多くはドラムを3年以上学んだ子どもで、笑笑は“鼓童音楽”( ドラム教室名、ドラムトレーニング機構)で1年間半ドラムを習いました。機構のオーナー兼ドラム講師の劉先生は彼の努力を認めてくれて、出演枠を頂きました。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
公演当日、私一家は早めに会場に到着しました。デパートの広場には早くも黒い演出服を着た子供演奏者と保護者が集まり、会場は少し混雑していましたが、盛り上がった雰囲気でした。笑笑は出席確認のサインと署名の手続きをしてから、プロのカメラマンが写真を撮ってくれました。子供達が舞台への憧れがうかがえます。
10時半に演奏が本格的に始まりました。ドラムをリードする先生たちが舞台に登場し、100人近くの子供演奏者が「The Phoenix」の激昂したリズムを奏でました。第1ラウンドの幕が開かれて、その後は「大風吹」と「跨過山海」、笑笑が演奏した曲は「吸引」でした。笑笑の出番になると、主人と私は彼のビデオや撮影に追われ、次男も大人しく演奏を鑑賞しました。笑笑は相変わらず真面目でした。彼の全力を尽くす姿はかっこいいです。最後の名曲「紅日」は雰囲気を頂点に引き上げました。
![]() |
![]() |
子供達の演奏レベルはまちまちでしたが、頑張った子供たちが輝いていました。10分間休憩後、第2ラウンドが始まりました。曲は同じでしたが、現場の情熱は衰えませんでした。演奏が終わて集合写真を撮って、演奏者たちが賞品を受け取りました。賞品はミルクティーの引換券とデパートの割引券でした。笑笑は甘いミルクティーをのんびりのんでいて、これは彼の努力に対する甘いご褒美でした。
この公演が私の視野を広げてくれました。子供がドラムを習わなければ、私もドラム業界に関心がないと思います。こんなにたくさんのドラム機構があるとは知らなかったし、こんなに多くの子供がドラムを習っているとは知りませんでした。
2021年の“双减政策”(宿題の量を減らすと学習塾や予備校の禁止といった二重削減政策)がドラムトレーニング業界の発展を促したかなと思っていましたが、ドラムトレーニングは早くから始まり、2011年~2012年頃に本格的に台頭し、2018年までに急速に発展し、コロナウイルス後、“小規模で高品質”の機構は従来の加盟ブームに代わったらしいです。
子供がドラム好きの理由をなんとなく分かります。ドラムの強烈なリズム感とクールなパフォーマンススタイルは子供たちにとって魅力が溢れますね。無理やり勉強させないですが、子供が勉強を続けたい限り、学費が高くても親たちは大分全力で応援あげると思います。多くの親にとって、自分が子供の頃はこのような機会がなくて、自分には特技がなく、子供には“一技之長”(専門技術)を持ってほしいでしょう。個人的には楽器ができて音楽の素養や鑑賞力の強い人にうらやましいです。プロのドラムの道を行く子は少ないことや、初進学や大学入試のプラス特長になるまでに極めて高いレベルが必要とすることが知っています。もし、将来子供は大学の音楽サークルに入ったり、社会人になってバンドに参加したりするのもいい体験になるかなと思います。子供の将来の好みは変わるかもしれないが、今の選択を楽しんでほしいです。
笑笑とドラムの初めての出会いと言えば、もう5年前のことでした。彼はまだ幼稚園生で、私たちもまだ新しい家に引っ越していませんでした。その時、私はよく子供達を住所近くの“昆城広場”(デパート名)に連れて遊びに行きました。当時、このデパートはまだ商売が繁盛していて、様々な児童教育機関があって、音楽、美術、スポーツ、囲碁、書道……何でもそろっていました。その中で、3階にある“友鼓音楽”(ドラマ教室の名)は、神秘的な音楽の種のように、笑笑の心の中に好奇心の芽を植えました。
通りかかった回数が増えるにつれ、好奇心に駆られて笑笑は無料体験レッスンに参加しました。店舗はチェーン店で、教室は大きくてきれいです。授業は先進なマルチメディア教育方式を採用していて、ドラムと楽器ソフトが付いたディスプレイを接続し、子供が好きな音楽を選んでから、ゲームモードの画面に合わせて、底鼓、ハイハット(踩镲)、軍鼓、ハイハットを叩くと、“ドンツダツ”のリズムが鳴り響きます。子供は新しいことを受け入れる能力が強いです。楽譜もリズムも読めませんが、数回練習すればゲーム画面の音符に従って曲を演奏することできます。遊びぽい方法は子供にとって面白いし、先生たちがほめ続けてくれたことに加えて、子供も達成感に満ちます。笑笑の体験レッスンをしてくれた先生は、若くて背が高くてかっこいいです。彼の“怎么帥怎么来”( どうやってかっこいいのかどうすればいい)という一言は私に印象的でした。
学費を払ってから、週に1回の授業で笑笑は楽しそうに勉強しました。しかし、4、5回授業を受けた後、突然機構が閉まったことを聞きました。オーナーは深夜にこっそり車を雇って、貴重な教育設備を空にして、学生たちの残りの授業の返金や転校などの問題について、何の説明もしてくれなかったです。私が払った学費は3千元余りで、多くの方は年ごとに学費を払ったため、金額は万を超え、2、3万に達した人もいるらしいです。連絡を取れる先生に聞いても、先生は責任者ではないし、先生の給料も清算されていないようです。児童教育機関が突然閉まり返金をもらえないことは珍しくないので、私は多額の前払いに慎重です。今回の学費は水を流したのではないかと思いましたが、昆山の地元の3名の保護者が先頭に立って保護者が権利を守る戦いをしました。私も保護者ウェチャットグループに引き寄せられて、わずかな間にクループの人数が百人以上に増えました。保護者たちは警察に通報しながら、文体局やメディアに連絡しました。その後、機構のオーナーの個人情報が調べられて、彼が昆山で十数社の子供教育機構を運営していることが分かり、彼の家庭住所も見つけました。私は2回の集団権利を守る活動に参加しました。場面は激しいかったです。保護者たちの様々な努力のおかげで、約一週間を過ぎて経営者がみんなの損失を賠償くれました。残りの授業時間を他の機関に振り替える条件を受け入れた方いますが、私は80%割引の返金を受けました。何の努力もしていないのに、利益を得えて、運が良いだと思います。この騒ぎは収まりましたが、笑笑のドラム学習の道は中断されました。私はずっと納得できませんが、オーナーは商売が良いはずのに、どうして店を閉めることを選んだのでしょうか。
3年前、新しい家に引っ越してから、住所の近くにある琴行にドラム教室があることを発見しました。笑笑は興奮して、早く体験レッスンに連れて行くように催促しました。オーナーと予約の日になって、先生は彼を教室に連れて行きました。私はオーナーと30分間ほど交流しました。ここには短期学習者が募集したくないようです。小人数クラス制、年間授業料は1、2万元近くらしいです。こんなに沢山のお金を前払いのは不安だと思いますが、家から近いので、笑笑の気持ちを聞いてから決めようと思いました。
残念ながら、教室のドアの小窓を通して、私が見たのは笑笑と先生が膠着状態に陥っていることでした。ドアを開けた瞬間、笑笑が泣き始めました。先生はクールな顔をしていました。笑笑のレベルを確認するために、先生は彼に1曲演奏させました。しかし、笑笑が何の反応もありませんでした。先生のむかつく気分は分かりますが、2人とも堅苦しい人で合わないと思いました。
オーナーは、先生の技術が素晴らしい、指導する子供は優秀で、バンド出身なので子供との接し方が少し足りないと説明しました。ほかにも親和性のある先生がいて、少しレベルが劣るかもしれませんが、体験レッスンを手配できると相談くれました。教室を見渡すと、面積が約30平方メートルで、2台の“原生鼓”(アコースティックドラム)と電気ドラムが並んでいて、教師力も環境もあまり正規ではないような気がします。子供の自信と興味は幼い苗のようで、熱心に保護する必要がありますが、もう一度体験しても別に問題がないと思います。しかし、笑笑はどうしてもここに来たくないので、彼がドラムを学ぶ道は、再び途切れました。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
つい1年半前に、母が“鼓童音楽”を見かけました。体験レッスンをしてから、笑笑はここにしたいと言ってくれました。
“鼓童音楽”で使用されているドラムは原生鼓です。劉先生は音楽系の出身です。大学時代に武漢音楽学院を卒業した先生の下で、サークルとバンドに参加し、演奏技能と音楽素養を高めたらしいです。ドラム教室を起業する前に、彼は企業で働いていました。劉先生は質朴で、音楽をしているようには見えないです。子供の演技を評価するたびに、いつも笑顔で“不錯”(いいですね)と口にします。簡単な言葉は、子供の自己認可を固めてあげました。
劉先生は剛柔並済の教育方式を採用しているようです。授業の要綱は中国音楽学院の試験級の教材であり、フレームワークは固定されますが、断片化された知識点が多いです。彼は子供の基本功の育成を重視し、子供の音楽に対する悟りとリズム感を育てて、子供の大脳を充実させて、いざ演奏しようとすると即興伴奏ができる能力を鍛えています。
昨年年末頃、新しい教室に引っ越してから“鼓童音楽”の雰囲気がもと良くなりました。学生用ドラムはTAMAブランドの原生ドラムに切り替え、4ハイハットから5ハイハットになって、音色はより豊かになりました。屋内と屋外のダブルステージが設けられ、定期的に誕生日パーティーが開催されています。教室には有線ドラム専用イヤホン、騒音低減耳カバー、4つの壁掛音響、2つの着地スピーカーを備え、超強音響制御システムは高低音の組み合わせと没入式の音楽空間を作り出しました。それだけではなく、天井には5層の防音と吸音設計、壁には2層の防音、2重ドアにはシールが採用されて、細部に至るまで先生の専門性と心がけがうかがえます。
![]() |
![]() |
![]() |
授業後、劉先生は宿題を出すので、主人はネットで中古ヤマハ製電気ドラムを買いました。笑笑のレベルが上がるにつれて、昨年年末頃、劉先生から中古の原生ドラムを買いました。騒音を低減するために静音ドラムの皮に変えましたが、それども迫力があります。
笑笑は毎週日曜日の10:30~12:20授業に行きます。彼は楽理に対する理解力が強くて、150のスピードで曲を演奏することができます。脱譜演奏はもちろん、ネットで勉強の資源を探して、音楽を聴いで楽譜を作ることやソフトウェアで楽譜を描けるのは特に素晴らしいと思います。子供の些細な成長を見ても、主人も私も喜んで感心します。
今年3月中旬、次男豆豆も劉先生のドラム教室に入りました。以前、何度も彼にどんな楽器がすきかと尋ねましたが,彼は何にも学びたくなかったです。ギターレッスンとドラムレッスンを両方体験した後、彼がドラムを選びましだ。兄の影響を受けているかなと思います。ほぼ同じ時期、主人もドラムを独学し始めました。次男はプライドが高くて、上手な兄にうらやましい気持ちがありますが、5回授業を受けただけで、簡単な楽譜を読むことができて、3、4曲を打つことができるのは優秀だと思います。主人は豆豆を励ましながら、彼と競争の雰囲気を作っています。笑笑が二人の指導をし、週末になると、ドラムの音は朝から晩まで鳴り響きます。3人のドラム愛好者はよく2台のドラムを争います。我が家の音楽の雰囲気が良いですが、隣人にがうんざりしているのではないかと心配しています。
何の楽器も知らないのは私だけになりました。
先月、ドラムロードショーの時、主人が成人ギターレッスンの宣伝ポスターを見かけました。699元で10回の団体レッスンと聞いて、私はギターを習う決心をつけました。そうすれば、彼ら3人が伴奏をしてくれて、私はギターを弾きながら歌うことができますね。そう考えると、ワクワクします。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
ギターの先生は劉先生の教室を借りています。バンドで活躍している方で、10年間の教育経験があるそうです。私が体験レッスンに参加しました。弦がうまく動かなくても、指が硬くても、先生は私をほめてくれました。正式のレッスンは6人を揃ってからスタートします。みんなの前で“手忙脚乱”(てくてく)してしまうと笑われますよね。とは言え、主人と子供との共同演奏を楽しみにしています。家族4人で楽器を習うのは少しおかしいと思いますが、これからは“音楽之家”(音楽の家)になれるかな。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
溝上教授は2021年3月末に熊本大学を定年退職後,同年4月に熊本学園大学に赴任し,今年の3月末でまる4年が経過しました.この時期,「春の草木の花々は美しいなー」と感慨深い.
3年前に2年次秋学期の演習Ⅱを,一昨年度は3年次通年の演習Ⅲを持ち上がりで指導し,昨年度末には4年次通年の演習Ⅳ(卒論)の学生3人が卒論を書いて卒業しました.演習Ⅱの受講生9人は演習Ⅲまでは全員が受講してくれたのですが,指導や課題が厳しかった?のか,演習Ⅳ(卒論)の途中で次々に離脱していき,秋学期になると卒論の6単位がないと卒業できない3人にまで減りました.彼らは最初から最後まで興味を持って食らいついてきたし,卒論のレベルもそこそこでした.しかし,途中で離脱した多くの学生は,大学生活の中で解のない課題に主体的に取り組む,苦しくても逃げない,一定期間に成果を出す,それをPPTで他に説明するといった経験をせずに社会に出て行きました.しかし,大丈夫なのでしょうか.これは文系ではごく普通だそうですが,毎年,とても心配になります.
専門科目をほとんど習得していない2年秋学期の演習Ⅱ,ようやく専門科目を受講してそろそろ好きな分野が分かる時期の3年通年の演習Ⅲ,そして大学生活で最も重要で貴重な経験を積む4年通年の演習Ⅳ(卒論)までの教育・研究指導はとても大変です.これらを途中で離脱していく学生がこれほど多い本学の卒業生もこの国の生産や消費を支える生産者や消費者になっていくのです.これまでは良かったかも知れませんが,人口がこれだけ減少し,産業や金融の国際競争力がここまで凋落してしまった現在,彼らは,いやこの国は本当に大丈夫かなー!?と本気で心配になります.最近,アフリカに出張した友人から聞いた話ですが,マーケットでお土産を買う際に表示価格から値切ったところ,「日本人なら所得が低いから言い値で良いよ」と言われたそうです.笑っていられない・・・・
4月からいよいよ5年目,正規の定年年齢70歳までの最終年度に突入です.桜が咲く時期,毎年モヤモヤはあります.教育・研究の内容や方法に対して私が「まあこのくらいはないとネー!」と考える水準をあきらめるが常勤の教授として満額の収入を得る道を選ぶか,どこか違った道を開拓するか.今年度までは前者で行くことにしました.来年度以降2年間はシニア客員教授として継続就労してほしいと経済学部から依頼されています.が,それがどんなものかはまだ考えていませんが,これが人生最後になるだろう新たなステージに挑戦するか,2回目の定年退職を前に,その選択もこの1年間の宿題です.