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2025.08.31
高の面白い話(37)

 7月と8月は子供たちが故郷に帰り夏休みを過ごす季節です。往年のこの時、私は何度も金曜日の夜“緑皮車”(グリーンカー)に乗り、安い交通費で一晩かけて未知の都市へ向かい、ひとりの短期旅行を楽しんでいました。名所を巡り、地元の小吃を味わい、新しい環境を感じながら、沿道で様々な悟りと一時的な思いが浮かびました。去年、私は緑皮車に乗り、洛陽と南昌を巡りました。視野がどれほど広がったかは言えにくいですが、一人で一つの都市を探索する満足感から自信を増やし、エネルギーを補給くれたように感じます。
 今年の旅行先は泰山に決めました。泰山は中国の五岳(東岳泰山、西岳華山、南岳衡山、北岳恒山、中岳嵩山)の首で、山東人の私として、一度登ってみたいと思います。玉皇頂で日の出を見て、“会当凌絶頂、一覧衆山小”の泰山の雄大さを体感し、体力と精神を鍛えたいと思います。しかし、現状は思うようにいきませんでした。

 七月の猛暑の中で、私は“怕寒”(寒がり)になりました。時に、汗が止まらなくて、無力感を感じました。次男を生んだ時の症状と似っています。体からの健康警告は私にイライラと不安を感じさせ、泰山の登山ガイドを見るたび、自分は登れないだろうと不安になりました。私は“中医”(漢方医)の方法で、体に入り込んだ風邪寒気を取り除き、気血の不足を調整し、“中薬”(漢方薬)で身体全体の内環境を改善したいと思っています。

 中医の先生と言えば、昆山では郭先生を一番思い浮かびます。2017年に次男を産み、42日の“坐月子”(産後のケア)期間を終え、屋外で風を受けると異常に寒がりになりました。主人が仕事で忙しかったため、私を安徽省に送りました。1週間も住まないうちに寒がりの症状が悪化し、私が急ぎ昆山に迎えられました。友人の紹介で郭先生を訪ねました。ご処方した漢方で体調が改善しました。当時専業主婦だった私は“社保”(中国の社会保障の略称、政府主導する制度で、養老保険、医療保険、失業保険、労働災害保険、出産保険が含む)がなくて、一剤(7日分)約四百元の薬代を自腹で払うのは渋りました。二剤で症状が緩和したら薬をやめてしまいました。あれ以来八年間に2度受診して、同じ状況でした。今回病根が再発の原因は、前期の巩固と強化が不足と存じます。今の私には“医保”(医療保険)があります。薬代がほぼ全額控除されますし、この機会にしっかり体を調整しようと決心しました。

 先生は毎週三か所の小規模の診療所を巡回します。彼の職位は分かりませんが、予約も他の医師の名を借りて行いますが、患者の行列はいつも長いです。郭先生の診察は“望、聞、問、切”を基づいて行われ、特に“問”(問診)に時間をかけます。私は事前に携帯電話のメモにて体調の不具合を記録し、郭先生は病歴も聞いてくれます。郭先生は容貌が端正で、口調が穏やかで、経験豊富で相談しやすい方です。私が十年近く前の病根の再発で焦った時、先生が“治せる”と確かに言って励ましてくれました。
 “望”(望診)と“切”( 切脈)のとき、郭先生は私の手首の動脈で脈の速さや強さを感知、顔色や舌苔を見て体調を判断します。“望、聞、問、切”で得た情報から、私が“陽気不足と肝気鬱結”と診断されてました。郭先生が“君臣佐使”(薬効を高め副作用を減らし、気血や臓腑の平衡を調整して病気を治す)の原則に基づいて処方くれました。

 一剤の薬材は20種類前後で約600元です。漢方薬には“自煎”(薬剤をパッケージごとに分けて、自ら煎じる)と“代煎”(診療所が専用設備で煎じる)があります。代煎の場合には21人民元を別途に払い、短時間後に個別包装された袋詰めの薬を持ち帰れます。最初の一ヶ月間、私が週一回郭先生の受診を受けて、体調の様子に基づいて、処方されます。毎回、私が代煎を選びました。冷蔵庫で保管しやすくて、お湯で温めて飲んだけで、出張にも便利でした。三剤飲んだ後、寒がりと虚弱感が改善しました。中薬の“弁証論治”“四気五味”で私の体のバランスを整えくれたと思います。体調を巩固するため、郭先生は前回同様の処方箋を出してくれました。しかし、今回の薬味が薄く薬効も弱いと感じました。代煎の品質に疑問を抱き、出張の原因もあり一週間薬を中止した。
 物事に疑いが生まれると、自信も影響を受けます。最後の一剤、私が自煎することにした。砂鍋や瓦罐(甕)が最適な容器ですが、三軒のスーパーを比べて99元で陶磁の鍋を買いました。“竜骨”(薬名)を30分間水に浸けて、30分煎じて、他の薬材を加えて弱火で30分煎じて、一椀の薬湯にします。通常、1袋の薬は2回煎じて、1日2回分の量にしますが、無駄を避けるため、私はさらに1回煎じます。最後まで薬湯は意外と濃いです。こうすると7日分の薬を10日まで服用することができました。“薬渣”(薬かす)は足湯に使っていました。故郷の伝統では、薬渣を大通りに捨てて、人に踏まれたり車に轢かれたりさせることで、病気を持ち去ってもらうという風習があります。しかし、都会に住んでいると、ゴミ箱に捨てる以外には勝手にはできません。悩むことに、家事をしながら薬を煎じると焦げやすいです。高価な薬を捨てられなくて、さらに水を入れて煎じて飲むしかないです。苦味が焦げ味を隠しています。薬の効き目さえ影響がなければ、それでよいと思います。元々“良薬苦口”(良薬は口に苦しい)ですね。
 二ヶ月間近く中薬を飲み、堅持することが難しいを実感しました。毎日定刻に薬湯を温めて飲み、辛いものや生冷物を忌口するのは、簡単そうですが実際に続けるのが難しいでした。薬の効き目は、医師の医技、薬材の品質、煎じ方、患者の忌口や心身状態などに影響を受けることを存じますが、郭先生が処方頂いた処方は私の症状を調理できたと思います。

 7月末頃、郭先生が私に“三伏帖”を処方しました。これは“冬病夏治”の漢方療法で、温熱効果の薬貼を特定経穴に貼り、寒湿を除き、体調改善、免疫力強化や慢性病治療など効果があるそうです。初めて貼るにもかかわらず、女性作業員は注意事項を説明くれなかったです。体の7か所の経穴に円い薬シートが貼られました。当初は違和感がありませんでした。深夜入浴後に異様な寒さを感じ、夜中には寒がり症状が強まりました。経穴から寒気が侵入したのではないかと心配し、翌日朝、私が急いてウェチャットで郭先生に相談しました。郭先生は入浴とは関係がないと話をしてくれて、シソとショウガが沸いた湯を飲むようと勧めてくれました。

 初めて“三伏帖”を貼る経験を振り返ると、心理作用で“三伏帖”の効力を過大評価と期待したのかもしれません。長い行列の中に、鼻炎、風邪や関節炎などを調整する人が多いです。一か月間以上かけて5回分けて貼りましたが、個人的には即効性を感じませんでした。漢方の調理は漸進的で万能と存じます。むしろ知らないうちに体が改善されているのかもしれませんね。 診療所の壁に“冬病夏治三服帖”の画像が貼られて、人体の生命活動要素の“精・気・神”の概念図もあり、人体経絡図、経絡(けいらく)、推拿(たいな)、抜罐(ばっかん)、艾灸(きゅうしゅう)などの漢方医理療法も展示されています。郭先生の診察室の向かいには簡易仕切りのベッドがあり、鍼灸(しんきゅう)や推拿、抜罐、艾灸の理療も行われています。“三伏帖”貼る作業と同様、主に2名の女性作業員が担当しています。むしろ都市のマッサージ店や美容店などにも一部分のサービスがあるため、ここで理療する人は多くないです。

   

 診療所は規模が小さく、大病院ほどの正規性にはやや劣りますが、私には便利でした。次男が小児尿床のため、郭先生に“泽瀉”(中薬、沢瀉)10gを処方することを相談しました。母は村で聞いた偏方によると、泽瀉を鶏腸に入れて煮込み、油や塩など調味料を加えずに飲むと尿床に効果があります。郭先生もこの偏方を知っていて、女性スタッフに声をかけて薬を売ってくれました。

 都市では医療が発達し、皆が体調を崩すと正規病院に行く習慣が身に着けました。偏方には慎重になりましたが、私には“小さな偏方で大きな病気が治る”ということは信じています。私が三四歳の時、暖炕の上における食卓の足を引っ張って炕に上がろうとしたとき、卓上の熱々の肉スープが顔全体に掛かり火傷してしまいました。大叔(おじさん)はすぐに私を抱いて、やけどの民間療法を知っている同村の老人の家まで走って行きました。黄泥とごま油などで作った手作り膏薬を塗ってもらいました。不思議なことに、一ヶ月間老人の偏方と母の世話で、私の顔には瘢痕が残りませんでした。この経験から、私は伝統偏方に感謝の気持ちを満たしています。

 初めて“泽瀉”を聞いたので、ネットで検索してみました。漢方的には、泽瀉が膀胱機能を調整、鶏腸が腎を強化できます。現代医学的にも泽瀉が泌尿器を調整、鶏腸が栄養を補うことができます。どんな角度をみたら、泽瀉と鶏腸が体に悪い影響はないはずと思います。
 泽瀉は思わないほど簡単に入手できましたが、入手しやすいはずの鶏腸はなかなか買えませんでした。父が一周間早起きして家周辺で流動の鶏売り業者を探しましたが、どう見ても最近皆来ない様子です。父と主人の実家に行ってから、ようやく鶏を買えて、材料がそろいました。最初は、偏方とおりに、泽瀉を潰して鶏腸に入れようとしましたが、鶏腸が薄すぎて破れてしまうので、結局両者をばらばらにして一緒に煮込みました。次男は安徽省で一剤(泽瀉半銭、鶏腸1本分)を飲んだ後、まだ2回尿床しましたが、昆山に戻ってからもう一剤飲むと、尿床が止みました。尿床には、就寝前の飲水量や深い睡眠が影響することを知っています。ある日、次男が夜に飲み物を控えられず、子供二人で賭けをしました。夜中誰に起こされることもなくトイレに行かなくても、次男は尿床しませんでした。彼は嬉しくて10分間のゲーム時間を勝ち取りました。私も彼の改善を見て非常に嬉しかったです。偏方は口伝えで誤りが生じる可能性があり、伝統的な薬材や材料が失われることで薬効が低下するかもしれませんが、その中には祖先の知恵が凝縮されていると思います。そのため、私も母が聞いた偏方の本を参考して、淘宝(タオバオ通販ショップ)で中古本を購入しました。

 私が幼い頃、村に偏方の本や萬年暦(まんねんれき)を持っている老人がいって、さらに、占い(うらない)が得意で物事を予測できる老人もいます。まさに“民間に達人がいる”と言う通りです。昔は医療が乏しく、村の“赤脚医生”(農村の素人医者)である“鉄牛大夫”( 大夫:先生)が村全員に看病をくれました。彼の呼び名は“鉄牛”で、私が彼を“鉄牛大爺”(大爺:お伯さん)と呼んでいます。“鉄牛大爺”の医術が立派のため、外村の人も受診に来ます。小さい時、私が彼を怖がりました。また、私も注射と薬を飲むのが嫌いです。“鉄牛大爺”が処方した錠剤は大きくて苦くて、飲み込めませんでした。幸いにも母が薬を潰して砂糖を加えて飲ませてくれました。夜、高熱を出したら、“鉄牛大爺”が薬箱を持って家に来て注射をしてくれました。泣き騒いても逃れられませんでしたが、幸いにも、毎回、父が“黄桃罐头”(黄桃の缶詰)を買ってくれました。病気になるのは辛いですが、少し甘いものを食べると、その辛さが和らぐのでしょう。

 時は本当に速く過ぎますね。かつて注射器の針先を見る勇気もなかった私が、今では二人の子供を産みました。“鉄牛大爺”は定年後もたまに村民の診察をしています。私が次男を産んで体が寒がりになった時、母は急いで私の症状を彼に尋ねました。“鉄牛大爺”は昆山の漢方医を薦めてくれ、“玉屏風顆粒”という薬を紹介してくれました。この薬は黄耆、白術、防風を成分とし、益気、固表。止汗の効果がある漢方製剤です。一箱飲んでみたら確かに効き目があり、一箱二三十元で伝統漢方薬に比べて経済的でした。振り返れば、今の私にも大規模の病院を信じるようになりました。もし今年、症状が出る時この薬を飲んでいれば、長期的な漢方治療はいらないかもしれませんね。 今では、注射を受けたり薬を飲んだりするとき、もう苦さや痛みを恐れません。ただ一日も早く病気を取り除き、健康な体を願います。上には両親がいて、下には子供がいるし、さらに人生に希望を抱えています。

 現在の都市では、医療施設が先進で充実し、医師の学歴も高くて、中西医が協力し、社会保障制度も整っています。人々は肉体的な健康だけでなく、メンタルヘルスも重視するようになりました。私もこの便利さと安心さを享受しています。しかし、農村にいる家族の医療条件はまだ不十分で、医療保険も充実していません。村では“病急乱投医”(病急ぎで医者を選ばず)の現象が多いです。農村と都市の格差がいつになったら消えられるでしょうか。いつか都市も農村も、医術に優れて責任感ある医師がいれば、効果的な治療を受けられたらいいなと思います。

 体調がよくなかった日は、鏡を見たくなくて、髪がぼさぼさで化粧もしたくありませんでした。服を買ったり美食を食べたりする気持ちも湧きませんでした。やっはり健康が一番ですね。体調が万全になったらやはり泰山に登りたいと思います。いつ行くかには、縁と時間に任せたいと思います。健康な心と体があるこそ良い風景を楽しむことができます。

 中医と中薬の知恵は、急いで病気を治すことではなく、体と心のバランスを取り戻し、胸を開かせ、毎日の生活を安定させると思います。急速発展の時代に亜健康や慢性病を抱える人々にとって必要な調養方法だと信じます。健康の道には、伝統の知恵と自然の歩みが欠かせないですね。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています.

2025.07.13
4UniC 2025 in Shanghaiは兎に角にも,暑い熱い毎日だった(2)

 4大学国際ジョイントセミナー(4UniC:4 University international joint Conference)はカナダカルガリー大学,韓国ソウル市立大学校,中国同済大学,それに日本の熊本大学の4大学の交通系教員が年に一度,持ち回りで開催している国際セミナーです.当初はカルガリー大学とソウル市立大学の2大学が各年で交通研究の学術交流をしていたのですが,ソウル市立大学校のSeungjae Lee教授から招待されて熊大から溝上教授が参加したのは2008年です.その後,中国同済大学も参加して4UniCとなりました.COVID-19の世界的な蔓延のため,2020年から2年間は中断していたのですが,2023年には再開し,今年で数えて17回目になります.当時,私は既に熊大を定年退職して今の熊本学園大学に転職していたのですが,その後も歓迎されて?参加しています.
 12日の夕方から始まったコミッティミーティングには各大学から数名のファカルティメンバーが参加し,1年ぶりに会う友人の健康を喜び合い,新たに参加したメンバーを歓迎しました.主催大学のYuchuan Du教授の進行のもと,4UniCへの参加の希望があったルーマニアとスペインの大学の受入について審議し,了解が得られました.アジアと北米に加えて欧州の大学もメンバーとなるこの組織も,来年以降は益々国際的になりそうです.その後,同済大学が運営するホテル内の宴会場で開催された歓迎パーティで更に旧交を温めました.

 

 13日は朝から本番.総合テーマはTransforming Mobility Paradigms: AI Frontiers in Smart Transportationです.最初のBreaking Sessionでは各国の代表が上記に関する現況や関連する研究成果を発表しました.これを聞いていると,各国の研究動向や興味が分かります.その後,3会場に分かれてセッションが進行.昨年の4UniC 2024 in Kumamotoでは校務のため発表は行いませんでしたが,今年はUpdating a conversion model implemented in a Multi Agent-based Urban Mobility Simulator with observational dataというタイトルで2年ぶりに英語でのプレゼンを行いました.準備はしてきたものの,久しぶりの英語での発表に緊張したし,カルガリー大学の新人ファカルティメンバーからのニコニコしながらもシビアな質問には旨く回答できたか?しかし,研究の目的,手法,成果は十分に伝わったようで,お世辞にも「この研究,👍」と言ってくれたのは良かったです.私の会場で発表した安藤先生と田中研の学生も無事に終わりました.

 これまでのセミナーとは違った今回の特徴は,参加した4大学からの学生諸君の「近未来の都市と交通」に対するアイデアコンペの開催でした.最終的にはA0版の模造紙に手書きの構想図を掲示し,ファカルティメンバーが順次回って説明を受けて上位5点を推薦して順位を決める方式です.さすがお金持ちの中国,というよりも同済大学の執行部になった Yuchuan Du先生,上位の賞品は私も欲しいと思うような豪華版でした.

 夕方からは,各室の前でシェフがローストされた北京ダックを薄く切り分けているような豪華な中国料理店でウエルカムパーティが開催されました.中国のレストランではアルコールは持ち込み可が多く,ここでもDu先生が取り寄せた市販されていない秘蔵の白酒で「干杯!」.豪華な北京ダック,それに繊細な上海料理に酔いました.来年のカルガリーでの再開を祈念し,再度「干杯!」.やっぱり学術交流も結局は人的交流ですね.

 ソウル市立大学からの先生や学生諸君は2次会まで参加したようですが,私は明日早朝からの寧波への移動があるために1次会で切り上げました.