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Anniversary

 

2026.04.15
熊本学園大学での6年目の新年度が始まりました.

Where's Wally?

 2021年3月に熊大定年退職後の第2の職場である熊本学園大学経済学部の専任教授職も5年が過ぎ,この3月末をもって定年になりました.しかし,訳あって1年契約で2回まで更新できるシニア客員教授として,同じ職場で働き始めました.給料も研究費も半分になりましたが,教授会や委員会などの学部の校務には関わらなくても良くなった分,教育・研究と社会貢献に時間を使うことができるようになりました.

 加齢により,研究意欲が減退する中,最後にやりたい研究テーマがあって,毎年,科研費に申請していました.しかし,年齢かテーマが悪いのか達成不可と判断されたのか不明ですが,これまで4年間,全く採択されずにいた研究テーマが,鹿島学術振興財団の2026年一般研究助成に採択されました.
 写真は鹿島学術振興財団の研究助成金の贈呈式に出席した際の関係者の集合写真です.都市・居住環境の向上,国土・資源の有効利用,防災・危機管理の推進,文化・自然環境の保全が対象の一般研究助成134件2億9千万円(全215件総額6億5千万円)もの援助は有り難いです.さすが,鹿島建設!! 頑張って研究を進め,来年度も継続審査に合格するよう,今年ではしっかり成果を出そうと思っています.

 今年度の大きなイベントは,6月の4UniC2026 in Calgary,9月のJCOMM2026 in 湯沢,11月の第27回8時間エンデューロinスズカサーキットかな?

2026.04.14
高の面白い話(43)

 新年明けて早くも 3 カ月が経ちました。私にとって、第1四半期の実績は昨年同期に比べて順調に増加しています。特に長期にフォローしてきた貿易会社が新規の船便顧客として開拓できたことは、当期を代表する成果だと思います。

 こちらの顧客は、私が入社した当初、会社既存拠点の同僚から引き継いた顧客です。当時、現地窓口スタッフは少数体制で運営していました。ある同僚はメインに自動車業界の顧客を担当しており、コロナ禍の影響で拠点を離れリモート勤務となり、主要顧客の対応人員が不足していたため、私が採用されることになりました。
 私が深セン分公司で1か月間の研修を終えた後、この同僚は会社の指示に従い、速やかに担当顧客を私に引き継いでくれました。一方、別のスタッフは会社の方針に沿わず、重要顧客の引き継ぎが最後まで応じませんでした。先に述べたこちらの顧客は、取引頻度が低い顧客の一人です。
 そのお客様は業界に長いです。業界大手の貿易会社を退職し、自ら貿易会社を起業しました。私が入社当初の頃、担当顧客が少なかったです。営業売上の主力は自動車業界に集中しているのに対して、彼は化粧品や家電向けに大規模の販路と取扱量を持っています。そのため、化粧品と家電業界の営業活動において彼は重要なパートナーになると期待しています。
 彼は既存の取引ルートをもっており、弊社の競合他社などから製品を調達していることが分かりますが、接近エリアに所在することがありますので、ぜひ取引を実現したいと考えます。何度も訪問を申し込みましたが、断られ続けてきました。この数年、彼からは月に数回サンプル請求が来ています。しかし、弊社の商品は価格が高い上に、在庫ラインナップが少ないなど理由で、実際の購入には至りませんでした。この顧客様に関する報告をするたび、社内からは”あまり時間を費やすべきではない”と助言されてきました。会社側から見れば、私が重要度の低い顧客に精力を注ぎ、業務の取捨選択ができていないと映っているように感じますが、私自身が自分の職責を十分理解しおります。お問い合わせをいただけること自体がチャンスだと考え、サンプル発送時は数量やコストを合理的に抑えるように配慮し、自発的な残業が増えても、気持ちを調整して業務に取り込んでいます。真心を込めて誠実に対応し続けてきましたが、何の成果も出せなかったので、長い間私自身が立場的に板挟みになっている状態でした。 

 昨年、大手ゲーミングノートパソコンメーカーのお問い合わせをきっかけに、この顧客様の技術サポートとして、私が顧客現場に同行させていただく機会を得ました。メッセージをいただいた時はいつも簡潔でそっけないですが、直接お会いすると穏やかで優しい方です。  その日、試作完了後、彼は私と共に弊社の昆山事務所までお越しくださいました。私が彼のためにサンプルを準備していた期間、彼は自慢げにご自身が多くの製品を扱っていることと、長年にわたり私に苦情をさせた取引ルートから弊社製品を購入していることを話してくれました。

 私が入社した頃、取引先同士の利害対立の渦に巻き込まれ、一方的に理不尽な中傷を受けました。今でも胸中に複雑な思いが残っていますが、この裏の経緯について顧客は当然知りません。製品の購入先をお選びになるのは顧客の自由であることは理解しておりますが、しかしその場で、積もり積もった感情が溢れて、私は思わずに”サンプルばっかりご要求いただきのに、弊社から直接ご購入いただけない”と本心を漏らしてしまいました。私は平素より礼儀を重んじて顧客対応に努めているつもりですが、当日事務所には他の在場者もいらっしゃたにもかかわらず、失言で顧客の面目を損ねてしまったと後悔しました。幸い彼は気にせず、相変わらずサンプルを要求してきてくれました。私はほっとしました。その後、先方が私の訪問を快く受け入れていただきました。

 彼は落ち着いた一戸建て事業を営んでいます。一階には在庫が大量に保管されており、ドイツ、日本、台湾、中国など商品を幅広く取り扱っています。ご自身が営業と管理に担い、ご家族もそれぞれ家事や経理、業務補助に支えていらっしゃいます。近頃、出荷担当のスタッフも雇用し、体制を整えている様子を拝見しました。私が訪問するたびに、ご家族にはいつも親切にご挨拶をしていただきました。
 彼は電話対応の業務が非常に多いです。”百度”(バイドゥ、大手検索エンジン)で広告宣伝を行っているそうで、製品のキーワードで検索すると、会社の情報が表示されます。また、今後はAI動画を活用した集客も計画しているとのことです。業界に長いため、弊社や弊社の競合他社のことをよく分かります。ご自身も勤勉で、事業の運営体制も柔軟に対応できます。特に感心させられるのは、彼が膨大な製品品番をよく把握し使いこなしている点です。業界のルールを踏まえ、適切な品番管理のもとで営業展開を行っています。
 彼は交流しやすい方です。以前お勤めていた会社は職場の雰囲気がとても良かったと振り返り、数十名の社員で団建(社内団体イベント)を開催したこをを懐かしく語ってくださいました。現在は一人で営業業務を行っているため、時に仕事へのモチベーションが湧かないこともあるそうです。独立当初に”必ず事業をしっかり育て上げる”の初心を思い返し、今後は工場の整備とチームを拡大し、社員向けの団建まで奮起したいと語ってくれました。夢があり、起業をし、先見の明のある彼は立派だと思います。

 私には疑問に思う点があります。同じ旧勤務先から独立した方が複数名いるにもかかわらず、元社員が今でも旧職場から商品を仕入れ、協力関係と競争関係を両立させています。彼らがどのように人間関係を調整しているのか、興味深く感じました。私は2007年に大学を卒業して以来、留学生活を除き、ずっと会社員として勤めてきました。複雑な人間関係は苦手で、顧客と接し方も硬いと自覚しています。そのコツ学びたいと思っています。
 信頼が積み重なったからかもしれません。その後、少量出荷から取引を少しずつ開始し、今年の年末年始を経て、ついに本格的かつ大口の船便受注を獲得することができました。これは私にとって初めての船便顧客であり、こうして、会社にも少し責任を果たせたと思います。

 一方、3月23日に日本本社より、中東情勢の悪化に伴う通達がありました。イランによるホルムズ海峡の航行制限と封鎖リスクが報じられ、同海峡は原油やナフサをはじめとする石化原料の主要輸送路であるため、原料供給への不安が深刻化し、塗料や溶剤関連製品の需給に大きな影響が及んでいます。今後の情勢次第では、納期遅延、原材料高騰による価格の改定、特定品目の一時的な供給制限が発生する見込みです。この情報は4月1日に深セン分公司に正式に伝達され、中国側は緊急会議を開催し、全営業スタッフに担当顧客へ連絡するようにし、受注キャンセルや前金返金の調整作業も進めました。実は中国でも不足している原材料の供給ルートを見つけることができますが、会社側から品質リストなど複数の原因を考慮して、原材料を交換する計画を検討していません。

 私自身の業務では、1月29日に船便の受注を受けて、受注時点で顧客が6ヶ月前後の納期を希望されましたが、日本側の生産スケジュールの都合で10月前後の納品となりました。お客様は納期が長いと思っていましたが、仕方がなく、待つことも受け入れました。2月2日、お客様は急用の貨物をできるだけ早く手に入れるために、フライトの注文を追加しました。当初は約90日間の納期を予定していましたが、中東情勢の影響により、全ての受注はキャンセルせざるを得ない状況となりました。

 業界内には日本製品を扱う貿易業者が多く存在しています。今回の情勢を受け、各社が素早く反応をし、在庫確保や価格調整などの対応を進めました。これまで、一部の貿易業者は大量に購入することで、低価格を手に入れることができました。弊社は輸送手段、柔軟性などに優位性が欠けているため、価格競争でのシェア低下に直面しています。今回のタイミングで採算の低い低価格汎用品や取引先を整理できることは、悪いことばかりではないようです。しかし、供給制限のため、顧客はただ待ち続けることはなく代替品へ切り替える見込みです。いったん代替されると、失ったシェアを取り戻すの困難だと思います。4月の生産調整や5月以降の価格体系変化、さらに、今後国産品の技術向上や品質改善の動きも、業界全体に影響を与えそうです。化粧品や家電分野では、その影響がより顕著に見られます。以前は戦争や国際情勢にあまり関心を持っていませんでしたが、今回の状況を通じて、身近に戦争の影響を感じました。幸い、私が主力で販売している自動車関連製品には現時点で大きな影響は出ていません。

 生活の面では、今年、蘇州市では義務教育段階の児童を対象に春休みが設けられ、4月1日から3日までの期間は”春暇”と呼び、清明節休暇と連続し、計6日間の連休となりました。実は、3月28日(土)は母の誕生日でした。2人の子供がずっと”姥姥”(おばあさん、私の母)の家に行きたいと思っていたことを考えると、母の誕生日当日に私一人で実家に帰らなくなり、春休みの連休を借りて、3日間の烟台市と威海市の出張を申請し、子どもを実家に預けました。これで、5人の子供が一緒に遊ぶようになりました。
 実家には春休み政策がないため、小学校に通う上の姪っ子(丫丫ちゃん)と甥っ子(嘉嘉ちゃん)が毎日放課後に村までやってきます。下の姪っ子(一一ちゃん)はまだ幼稚園に通ってなくて、最近ずっと”爷爷奶奶”(おじいさんとおばあさん)の家にいます。出張の三日間、私は毎朝家を出て夜に帰宅しました。私が家にいる間、一一ちゃんはずっと私にくっついてきて、いろいろな食べ物を嬉しそうに分けてくれました。その無邪気な姿に心が和みます。両親の話により、彼女がずっと私の帰郷を待っています。”姑姑“(おばさん)はいつ帰るの?”と何度も何度も問いかけていました。私の子供の頃と同じように、親戚が私の家に来てほしいし、親戚の家にも遊びに行きたいです。両親が一一ちゃんが私に似ていると言って、彼女も私の子供の頃の写真を指して彼女だと思いました。丫丫ちゃんも嘉嘉ちゃんも少し大きくなって、スマートフォンをしたり、私の2人の子供と遊んだりして、大人が付き添う必要はなくなります。

 毎晩、両親が豊富な料理を作ります。弟は相変わらずわざわざと新鮮な海産物を買ってくれて、家族で一緒に夕食を楽しんでくれました。父、弟と私は少しお酒を飲みます。食後、父はいつも文句なしに、山積みの食器を丁寧に洗っいます。食べ物の残りかすも鍋を洗う濁った水も無駄にせず、犬に餌をやり、鶏やアヒル、ガチョウに餌をやるに使います。寝る前に、両親は電気バイクを充電して、鶏を鶏舎に追い込み、ようやく”炕”(オンドル)に上がって休みます。夕飯を済ませたあと、弟夫婦は丫丫ちゃんと嘉嘉ちゃんを連れて自分の家へ帰っていきます。一一ちゃんは爷爷奶奶の家にいるのが好きです。彼女が爷爷大好きで、爷爷も根気よく長時間遊んであげます。

 母は相変わらず国際情勢とスポーツ競技に関心を持っています。2026年のマカオ卓球ワールドカップにあたり、母は定刻にテレビをつけて卓球の試合を観ていました。母は特に中国の孫穎莎選手と王楚欽選手が好きで、国内外の十数人の選手の名前を流暢に話すことができるだけでなく、試合のルールと選手それぞれの試合スタイルを熟知しています。試合の素晴らしい一環やスリリングな一環になると、手に汗を握ることもあります。以前は一日中疲れていた父はいつも早く寝ることに慣れていましたが、母の影響に受けて興味深く隣で観戦していました。私には観戦する興味はありませんので、一一ちゃんと一緒に寝に行きました。

 故郷の日々は平穏ですが、皆が休む間もなく忙しく過ごしています。近所の人々は果樹園や畑で農業に従事するか、海へ出稼ぎにいっています。ぶらつく暇な人はほとんど見られないです。両親の影響で私も5時過ぎに起きました。早起きした両親が、まず鶏を鶏舎から出します。両親は鶏にとても気を使って、鶏もたくさんの卵を産んでくれました。両親は嬉しそうに、弟一家と一緒に卵を食べても食べきれないと言ってくれました。
 親にとって、鶏の卵、菜園の野菜、畑を耕す作物は弟一家と一緒に食べていて、売る分はほとんどありません。養殖場の豚の運送作業は1回100元もらえるほか、犬食料を煮込むための薪の準備、犬食料の手配、鶏、アヒル、ガチョウの餌やり、菜園の手入れ、隣人の手伝いをするなどには立派な稼業がないです。金銭で価値を測れる労働も存在しないです。それでも両親は朝から晩まで休まず、黙々と家と畑、養殖場を守り続けています。長く給料をもらって働いてきた私は、無意識に時間を給料に換算して、両親が時間と精力をこれらのことに費やす価値を聞いてしまいます。私は何度も両親を旅行に連れて行きたいと言いましたが、両親はいつも2人では同時に行けないと言ってくれて、父は豚を送る仕事は人に遅れてはいけないと言って、母が家には鶏やアヒル、ガチョウが餌をやる必要があると言いました。”何匹もの動物に縛られるわけがない”と反論しますが、両親は理性的だと思います。私はまだ両親の生活、養老、医療をカバーできる資金力がありません。旅行に出かけるのは一時的で、耕地、家畜、家禽、この家を守るのは農民の覚悟です。

 早く起きていろいろなことができてます。私は出張の前に母と少し話をすることができて、また、母と一緒に”赶集”(朝の集まり)に行くこともできました。家の物価は安いわけではありません。買い物をする人も売る人もよく知っていて、冗談半分に客引きをしたり、たくさん買わせたりすることもあります。赶集は私が家に帰るたびにしなければならない活動です。買わなくても面白いと思います。

 家に帰った当日は天気がよかったです。庭前の野菜園に植えられたネギとニラは父が大切に育てられ、青々と勢いです。夕食を始める前に、私が思わずネギを1本抜いて生で食べました。それから数日、春風がますます強くなり、長年実家で春を過ごしていなかった私は、強い春風が口や鼻に吹き込む感触に全く慣れず、息苦しいそうに感じました。しかし父は”春風が強く吹いていれば、作物はよく育つ。春には風が吹かないといけないよ”と穏やかに言ってくれました。父の言葉には、農家特有の生活の知恵があります。

 せっかく家に帰ってきたので、4月4日の休日、子供たちを集めて家族十人で青島へ遊びに行く計画を立てていました。しかし、連休のため十人分の高鐵チケットが取れなかったほか、煙台から青島への始発時間が早すぎて、子供たちが起きられないのではないかと心配もありました。加えてこの時間は春風が非常に強く、外出しても楽しめない可能性があり、結局遠出はやめにしました。

 今回の帰省は、五年に一度の村の役員改選期でした。一方は長い間村のため尽力しながら、自身の理想をなかなか叶えられない元村長で、もう一方は彼が自ら育て上げた若い女性の現役村長で、今では理念の隔たりから心の距離が生まれています。二人は自ら家々を訪ねたり知人に依頼したりして、村民の支援を願っていました。その人情の往来に、田舎の世相と人の心の微妙が凝縮されています。

 主人の時間に合わせるため、4月5日午後、私が2人の子供を連れて高鐵で昆山に戻りました。出発の前に、両親は自家製の芳醇な落花生油、飼育している鶏とガチョウが産んだ百餘個の卵、よく保存してきた去年のりんご、隣村の菓子屋で焼かれた桃酥などを梱包してくれました。また、父は畑へ赴き、ネギとニラを一束刈り取って持たせてくれて、季節のナズナの具の餃子やナスの挟み揚げ、ピーナッツ揚げと揚げ魚などを詰めてくれました。家の恵みをたくさん携えれば携えるほど、両親の心は安らぎ喜びに満ちように考えて、全部昆山に持って帰りました。家族全員が見送りに駆けつけてくれて、私と二人の子供が煙台駅に向かいました。 煙台から昆山への道中、子供たちはスマホに夢中で私が不満でしたが、駅を出入れる時に荷物の運搬では大いに力を貸してくれました。昆山駅につく際に、私はエレベーターの階段にスーツケースを置き放置し、スーツケースは勢いよく転がってしまい、箱の中に入っているガチョウの卵とリンゴは少し破損していましたが、幸いにも人に危害はありませんでした。

 連休の原因で、昆山高鐵駅から家までの車に乗るのに時間がかかったました。深夜12時頃、私たちが家に着きました。早めに昆山に帰ってきたのは連休最終の日に主人と一緒に1日間を過ごすつもりでしたが、彼が友人と安徽省に帰って2日間お魚を釣りをして、私達とほぼ同じ時間に家に着いました。当時、彼がおじさんを連れてきて、翌朝、おじさんを上海の工事現場へ送る必要があります。結局、連休終日私が家で子供の世話をし、洗濯と大掃除など家事をしました。

 実家から持ち帰った食材が豊富で、一週間食べても食べきれません。通常は食べ残した食材を軽く処分しますが、両親の感情が込められているので温めて食べ続けています。両親は新鮮なニラを切ってくれて、昆山に帰って餃子を作ってと提案くれましたが、主人はまた一週間の連続出張があり、ニラは冷蔵庫の中でゆっくりと乾いていきました。両親の心遣いに申し訳ないです。もし両親に言い聞かせると、両親はきっと”こんな些細なことは何だ、野菜なら家にはたくさんあって、いつも食べきれない、隣人に分けてあげて、鶏に餌をあげている。心を大きくして、そう思わないで”と言ってくれます。

 昆山に帰って、私の住んでいる団地からも私に投票用紙を送ってくれました。ここに引っ越して5年になりますが、誰が何を呼んでいるのか分からないので、もちろん書かずに棄権しました。村長を争う村が多いと聞きましたが、村長は実は重い肩書きだと思います。村人のために問題を解決して、村民をより豊かな生活に導くことは、人脈、能力と資本金などが必要だ思います。家に帰って、誠実で素朴で、強靭で楽観的な両親、親戚や隣人たちを見るたびに、都市の方との生活上の差を感じて、心を打たれます。両親のような農民はより良い生活に値すると思います。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています.