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2026.05.19
昨年度末はよく走った.ビワイチの巻

 本来なら毎回,直後に報告していたのですが,昨年度末は色々あってできなかった自転車ライドの記録を2回にわたって報告しています.

 2026年3月13日(金)から15日(日)の2泊3日で,近江八幡-長浜-高島-近江八幡のビワイチ150kmを完走しました.ただし,琵琶湖大橋を渡って琵琶湖の南湖は省略した疑ビワイチですが,  3月12日(木)の午後に鹿島学術振興財団の研究助成金の贈呈式に出席した後,新幹線で米原まで,そこから近江八幡まで在来線.その日は駅前のホテルに滞在.愛車と身の回り品や着替えの入ったリュックを入れて家から送った専用の段ボール箱は,西濃運輸カンガルー自転車便で到着済み.翌朝は出発が早いのでその日のうちに組み立てて,帰ってくる15日までに不要なものを詰め込んでホテルに保管を依頼.

 翌日は急に冷え込んできた上に,ライドでは最も脅威となる大風が吹き出した.本来なら午前中に近江八幡の水郷地帯をゆっくり散策したかったが,今回,どうしても寄りたかった安土城城址を目指し,9時にはスタートした.テレビ番組の歴史物でよく見ていた安土城はホテルから琵琶湖線に沿って約6km.途中はかなり狭い道路もあることと,滋賀県のドライバー全員がそうではないと思うが,自転車を優先させる意思が全くないような運転の宅配や中型のトラックに怯えながら,どうにか安土城城址に到着.テレビでは見ていたものの,町民に住まわせ楽市楽座を設置した城下町から続く1段の高さがかなり高くデコボコも激しい石段を両手には柴秀意思や前田利家邸跡を見ながら登ること30分で天守台に到着.確かに東側には琵琶湖や京都を臨み,西側には遠くは美濃や濃尾平野をイメージでしながら天下統一を夢見た信長が想像できました.麓まで戻ってくるのに,脚力をかなり消費してしまいました.

 さて,そこからまずは琵琶湖沿岸のビワイチコースに合流するのに,北へ約10km.この間,周りは耕地整理された畑が一面に広がり,建物などの障害物は全く無く,益々強くなった北風が正面から吹きすさぶ中を約1時間,止まっては走り,走っては止まり.時より雨が降る寒さと風とで,1日目にしてライドを止めようかと思いたくなるほどでした.これが,この日の,湖面とは思えない,まるで冬の日本海の荒波です.その後も,ずうーっと真正面からの冷たい,かつ強烈な北風に悩まされながら30km,どうにかこうにか14:30には今回のライド仲間との待ち合わせ場所の長浜ビワコピクニックベースに到着した.寒さと強風の中,今日だけで約45km,約5時間の単独ライド,平均時速約10km/h.本当に疲れたー.

 今回の出張はビワイチ視察だけではありません.16:00からは,最近の若手優秀3羽ガラスである力石先生(広大),杉浦先生(高知工科大),柳沼先生(東京理科大)と山本先生(名大)のとで,最近の研究成果に関する交流を行いました.私も地域モビリティの利用促進のためのナッジ介入について,その因果効果がRandomized Controlled Trialのもとに成されたかという視点からの極めてプリミティブな調査・分析の結果について話をしましたが,若手のパワーと水準には圧倒されました.これは今日の単独ライドの疲れのためではないと思いますが.

 

 当日の宿は一戸貸しの町家「町家の宿 いろは」で,檜風呂などの施設やおしゃれな家具など,充実度は秀逸でした.その後,服部さん(東急建設),岡田さん(長大),東(岐大)とも合流し,夕食は近くの居酒屋「天」で,琵琶湖名物の鮒寿司や鮎の子などの料理と地元の日本酒を堪能しました.合流予定の堀口さん(アイトランスポート)は東京から京都経由で大津まで輪行し,自転車を組み立てて出発後50mで転倒して親指を痛めたため,急遽,ライドを取り止め帰京.後日分かったことですが,今回の我々の厄を全て引きうけてくれたようで,右手ギブス,左腕三角巾になったようです.明日は天気も良さそうで,暖かくなり,風も収まってくれるでしょう.明日は元気に出発できそうです.

 と思って翌朝,目を覚ましたのですが,今日も朝からとても寒く,前日と同じくらい強風の天候です.単独ライドではなく,杉浦さんがワゴン車で伴走してくれるので,いざとなったらワゴン車に自転車共々積み込んで移動できるので,少し安心です.しかし,今日のコースは湖西の長浜から湖北を経て湖東の高島までの距離64km,獲得標高176mのうち最高標高差60m.琵琶湖最北端では山の中に分け入り,2つのトンネルを抜ける必要があります.また,進行方向が真北から西向きになっても何故か風は正面から,山陰に隠れても強風のままなのは何故でしょうか.向きが南になってからも吹き下ろしの西風が強いのは,地図を良く見るとスキー場もあるような山が琵琶湖の直ぐ西側に並んでいるからでした.
 高島での宿は「Airbnb 高島市のヴィラ」.現在は大阪に転居されたオーナーがお隣さんに管理を委託されたウェスタン調の一戸貸し.ベッドが12,バスルームが2. 10人以上が掛けられそうな丸テーブルと暖炉のあるリビング.杉浦さんと服部さんのテキパキとした準備でできあがった美味の夕食も最高!最近の民泊問題から利用を敬遠していたAirbnbですが,このような施設なら家族など大勢で来ると楽しいと思いました.

 翌日は最終日.本隊は大津がフィニッシュですが,疑ビワイチを完成させるために,約半数は南湖と北湖の境の琵琶湖大橋を渡って,私と柳沼さんは近江八幡,岡田さんと東さんは長浜がフィニッシュです.高島出発直後は東側の雪を頂いた山から吹き下ろす冷たい風に加えて,時折小雪がちらつきましたが,途中から天気も良くなり,風もようやく概ね追い風になりました.高浜以南は水郷が点在しており,ボートを引き込んだ別荘が建ち並んだ,まるでニーズかレマン湖かどこかのリゾート地の雰囲気です.今日は穏やかな湖面を左手に見ながら,私が想像していた通りの「これぞビワイチ」を感じながら,道の駅びわ湖大橋米プラザに到着.
 ここからは縦に大きく弧を描いて対岸の守山までを結ぶびわ湖大橋が見えます.ここで,何と山本先生が「もうダメ!」といってタオルを投げ込みました.杉浦さんのレスキューの登場です.確かに橋の中央まではかなりきつい坂道ですが,目の前に目的地があるからでしょうか,ギアを最も軽いものから2つめにしても軽く登り切り,下りは湖面を伝う心地良い風を感じながらアッという間に守山.そこから近江八幡までは北向きですが,風もほとんど無くなり,松林の中を走る綺麗に整備されたサイクリングロードは快適です.高島からこのビワイチのスタート地点の近江八幡までの48kmを完走しました.合計すると,157kmの疑ビワイチの完走です. 1日目が特段に,2日目の前半がその次くらいにキツかったせいでしょうか,今日はまだまだ余力はあります.

 私よりは20歳くらい若い,一緒に走ってくれた仲間と伴走者のおかげで本当に充実したビワイチになりました.次回は11月開催予定のホビーレーサーに愛される、何でもありの耐久レース「スズカ8時間エンデューロ」で会うことを約束して解散です.

 (追記:日が経ったので,忘れていることも多く,この原稿を書くのにまる3日間もかかりました.)

2026.05.15
昨年度末はよく走った.くまもと★みなみ おれんじシーサイドライド2026の巻

 本来なら毎回,直後に報告していたのですが,昨年度末は色々あってできなかった自転車ライドの記録を2回にわたって報告します.

 2026年2⽉28⽇(⼟)に開催されたおれんじシーサイドライドは,⼋代市・球磨川河川敷スポーツ公園を出発し,⽔俣市・エコパーク⽔俣までの77kmのコースでした.初めての出走で,八代海沿岸を走るおれんじ食堂で有名な肥薩おれんじ鉄道と平行した風光明媚なコースと聞いていましたが,何の何の!まずは一日の走行距離としては最長の77km.高低差はなくてもこの距離はかなり長い.さらに,コースは平坦な海岸線ばかりでなく,海岸線に迫る山に分け入る山道もかなりの比率を占めており,最大高低差は200m,100mのオップダウンは10数回,目的地直前に再び急勾配の山登りが続きました.
 一緒に走ったゴダイベストの森さんは電動のミニベロ.平地では彼を置いていけるのですが,坂道になった途端に私は置いていかれます.後半になると,ロードタイプの自転車に乗ってみたい森さんと,脚力が格段に落ちてキツくて坂を登れない私の願望が合致して,自転車を交換して目的地を目指しました.慣れた格好をしたライダーの中にも坂道を押している人もいたし,コース中盤の坂道で押していた女性達はおそらく目的地に到着できなかったのではないかと思います.

 途中の御立岬公園で振る舞われたしらす丼とだご汁,それにデコポンは絶品でしたが,ここはまだ全行程の1/3.最終から数えて10番目くらいに到着したエコパーク水俣での猪のスペアリブや塩おにぎり,それに特産のレモンは,これまでの疲れを癒やすには十分なもてなしでした.
 水俣から車で自転車を積んできた八代までの帰路には,おれんじ鉄道の特別車両が用意されていたのですが,予約時にはすでに定員オーバーで乗れません.そこで解体して輪行バックに入れて一般車両に乗車.駅前で解体してると.輪行の経験がない多くのライダーが周囲を取り囲み見物.緊張して解体に時間がかかったのですが,完成すると拍手が湧きました.列車の中ではライド中はそれどころではなかった花粉症の症状が出てくしゃみが止まらず,疲れが増幅.八代駅からスタート地点までの約1kmにはタクシーを利用しました.

 海あり山あり,素晴らしい海岸線の景観あり,美味しい地元の食事ありのおれんじシーサイドライドでしたが,来年の参加は・・・・・・.もっと短いコースかe-Bikeでの出走にしたいと思っています.


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2026.05.16
高の面白い話(44)

 2026年5月14日、私が勤めている昆山事務所は正式に連棟別荘の新オフィスへ移転しました。  2023年1月1日に昆山事務所が設立されて以来、万象匯オフィスビルに入居し、69平方メートルの勤務スペースで3年余りに事業を取り込んできました。売上高が伸び、顧客数が増加、取り扱い商品のラインナップが拡充し、人員も当初の一人態勢から三名に増員しました。旧オフィスから新オフィスへ移転をし、新拠点での業務開始に期待と不安を抱えております。
 私個人が万象匯のオフィスに深い感情があります。当初、立地選定、内装工事、事務用品の購入、引越し、使用管理など担当し、この場所に多くの時間と労力、そして、深い思い入れを注いできました。当初は従業員が私一人だけでしたが、未来への期待を込めて簡素な入居式を行いました。この数年、快適な職場環境と良い実績に恵まれています。地下鉄開通に伴い、万象匯の商業施設は一層ににぎやかになりました。交通便利性が上がり、オフィスビルの入居率が高まり、物件管理サービスも充実しています。地下駐車場の駐車や貨物搬入時のエレベーター待ちに多少手間がかかるデメリットがありますが、勤務スペースが狭いこともあって、常に在庫を圧縮し、貨物の流通を迅速化する意識を持って業務に取り込んでおります。

 今年3月、総経理より倉庫スペース拡充のため新拠点探しての指示を受けました。今回の事務所移転にあたり、自身が自宅の物件選び、新居購入、引っ越しの実務経験に基づいて、昆山の地域事情の理解と積み重ねたノウハウを活かして対応したしました。家賃、立地、実用面積などを総合的に検討し、広くて賃料の高い工業団地の工場物件は除外し、別荘を最優先の選択肢と定めました。
 3月13日、私が不動産仲介業者と連絡をし、物件探しいを依頼して始めました。初日に4つの団地を巡り6件の別荘を見学し、その後半月の間に十数箇所の住宅団地を回り、多数の別荘物件を確認し、大面積の一般住宅も2軒見学しました。考察した物件が増えるとともに、業務スーベス、荷物保管スーベス、通勤の便利の面などのニーズを踏まえ、基準が次第に明確になりました。
 団地内に貨物車が通行でき玄関前で荷積み荷下ろしがしやすい、玄関ホールが広く平らで台車の通行がスムーズにできて、一階が開放的で階段や間仕切りが少なく倉庫棚を設置しやすい、地下鉄に近く従業員の通勤や取引先訪問に便利で、希望面積は約200平方メートル、月額賃料は5000~6000元程度を想定していました。
 昔、私が別荘は希少で、裕福層の住まいで、郊外に位置し自然環境がよい、豪華な内装が施されていると思い込んでいました。実際に数十棟の別荘を見学したところ、昆山市内には別荘が広く分布し、普通の連棟別荘から高額な一戸建て別荘まで賃貸物件が多い、昔から建てられた別荘は価格がそれほど高くないことが分かりました。多くの別荘を見たところ、販売価格は一千万円前後ですが、月々の賃料は数千円程度しかかからない状況です。

 最初は万象匯オフィスより西方向の陽澄湖方面に向かって物件を探しました。市街地から離れるほど賃料は安くなり、一戸建て別荘の物件が増えていきます。こうした一戸建ては400平方メートル超の物件が多く、ガレージや前後の庭園が備わり緑豊かで静かな環境です。貨物車の出入りや荷物の積み下ろしはオフィスビルよりもはるかに便利です。しかし、大半は内装が簡単で古く、柱や階段が多くオフィスや倉庫利用に不向きです。3階以上はほぼ使用しにくい、地下室は暗く活用困難といったデメリットがあります。また、住宅用大型家具が多く運搬に手間がかかる上、退去時の原状回復義務により、家具の移動や保管に多大な労力が必要です。事務所の常駐スタッフは3名のみのため、広大な空間は無駄が多く、庭園の雑草処理や不用品整理に時間を取られ、外部に業務委託すれば費用も高額と判断しました。こうした物件をより快適な勤務環境に整えるには基礎的な改修工事が必要となります。賃貸契約の制約がありますが、貸主が入居中に売却する場合は一ヶ月分の家賃相当の敷金を損失するだけで済みますが、私達が多額の改築費用を投じた場合損失が大きいと考え、もっと物件を探すしかないです。
 仲介の対応が良かったです。入出荷業務を担当する同僚は毎回私と視察に同行し、物件を見終わるたびに2人が意見を交換し検討を重ねました。細かいところについて二人の判断基準に若干の違いはありますが、大方向の選定方針はほぼ一致です。素地のままの物件、老朽化した内装物件、暗い地下室のある物件などを順次除外しました。同時に仲介業者に依頼し、万象匯オフィスより東方向のエリアでも物件探しを進めてもらいました。

 4月に総経理が昆山に出張した際、昆山3人と一緒にこれまでに絞り込んだ物件3,4件を再度視察へ行きました。陽澄湖沿いの400平方メートルを超える一戸建ては内装状態が良好で月額賃料は約7000元でしたが、河沿いの広い庭園の維持管理が困難そうのため除外されてました。万象匯に最も近い連棟別荘中間棟は内装の間取りが良好で総経理が契約しようと判断しましたが、庭に犬が飼育されて、隣人の庭にも犬がいます。風が吹いてきて異臭が漂ったことから、断念せざるを得ませんでした。
 その後私は別の不動産仲介業者に依頼して、万象匯オフィスビル内の空きオフィス十数件を内覧しました。100平方メートル超の物件はほぼ既存内装が整っていて、私たちにとって、大量の荷物を保管するには不適合で、月額賃料も1万元前後と高いです。その中に、同僚と私が共に気に入り物件がありました。この物件は昆山事務所のオフィスのすぐ上の階に位置し、同じ間取りで南向き、62平方メートル、床、天井、壁面が綺麗に整備され、簡単な清掃でそのままに使用できます。倉庫利用に最適で、管理費込み月額3600元、交渉次第で3500元まで値下げ可能です。賃貸契約は4月14日締結可能で、5月15日より賃料が発生し、契約後はいつでも入居可能です。
 在住中の昆山事務所のオフィスは67.9平方メートルです。近年、住宅価額が下落したことに伴い、賃料も3年前により低下してきています。貸主としても、私達が引き続き契約をしてほしいと強く望んでいて、管理費込み月額賃料を4333.33元から3900元に引き下げることができました。南向き物件は希少で、万象匯オフィスビルに引き続き入居するなら早急に契約を結ぶ必要があると考え、私が現地調査、コスト試算、使用要求などを踏まえ、メールにて二つの案を総経理に報告しました。

 案一としては、万象匯オフィスビルを保留し、現在の勤務スペースを維持しつつ、上階の空き物件を追加で借りて荷物倉庫として使用します。案二としては、別荘の”金色港湾”(別荘名)へ移転します。”金色港湾”は同僚と視察した約20棟の別荘の中から最適と判断した物件で、面積211.89平方メートルの連棟別荘です。交渉後、管理費込み月額賃料が5800元、大家より清掃費として500元を負担してくれて、5月1日より賃貸開始可能です。長所は面積が広い、賃料が安い、住居用内装が整って玄関スペースが広いことです。短所は1階に階段や間仕切りがあり、2階以上のスペースが業務でほぼ活用できない、近隣が改装中で騒音や粉塵が発生っしていて、地下鉄駅まで徒歩1.3キロで通勤時間が延び交通利便性が低下する点です。私と同僚は案一を支持し、新入の同僚は特に希望を持っていませんでした。全ての状況を報告した結果、総経理は別荘への移転を決定しました。一つのご理由としては、事務所スペースを二箇所分けたくないです。
 結論を出てから、私が速やかに仲介業者と連携し別荘の賃貸契約手続きを進めました。翌日、”金色港湾”の貸主夫婦が外地から昆山に来て、貸主側と私たち借りる側の双方の仲介が揃って、部屋の状態を一緒に確認しました。処分するもの、補修事項、契約内容、請求書発行などに合意をし、水道、電気代、ガス代を精算し、会社の契約代表として、貝殻サイト(貝殻:中国の大手不動産会社)にて2年契約を締結しました。賃料は”付三押一”(三ヶ月前払い、敷金一ヶ月分の慣例方式)です。仲介手数料は貸主と借主それぞれ半月分を負担しました。同時に万象匯の新増物件を押さえてくれた仲介へ連絡し、早急に新たな入居社を探すように伝えました。また、昆山事務所の貸主に賃料減額のご配慮をいただいたものの、会社が契約更新をせず、5月中に退去する意向を伝え、正式な退去通知書を送付しました。万象匯の契約期限が一カ月となりました。新たな入居希望者による随時内覧を許可し、早期入居のご要望があれば途中解約にも応じます。その分、5月31日までの賃料は日割り精算する合意をしました。これからは万象匯から金色港湾への引越しの準備です。

 金色港湾の物件は家庭風な内装スタイルです。備え付けの家具は少ないですが、大きいしかも重い物がほっとんどです。一階は主に倉庫のスベースとして使用し、同僚が荷物管理を担当します。彼が室内寸法を詳細に測定し倉庫棚の配置を計画し、ソファー、デスク、椅子、テレビ、収納棚などを最上階へ運ぶ計画をしました。続いては各部屋の移設です。物件には部屋が三つあります。私たち三人がそれぞれ一室を使用することに決めました。三つの部屋ともベッドが設置されています。私と新入同僚はベッドが不要で、同僚の部屋のみベッドを残しました。退去時に原状回復の義務がありますので、引越し業者に家具の解体、運搬や組立作業を依頼する必要があります。
 4月21日に3名の引っ越しスタッフが運搬作業をしにきました。運搬料金は時間制です。最初に運び出したのは一階のリビングの大型ソファでした。当初は二階のサンルームへ運び、そのまま使用する予定でした。二階へ上がる階段が狭くて作業員の方が大変苦労されまして、ようやく指定の場所に運びましたが、ソファの底部の腐敗と異臭が確認できて、サイズ的に設置可能ですが実用性が非常に低いことが分かりました。汚れや異臭も気になったため、私が臨時に貸主に連絡をし、処分許可を得ました。
 撤去処分のことを作業員たちに伝えると、彼らは階段を使わず、サンルームの窓を取り外し、ロープでソファを縛って二階から一階へつり下ろし搬出する方法を採用しました。作業がラックになりましたが、サンルームの石柱の一箇所が少し破損してしまいました。これらの石柱は長年の風化により脆くて、少し衝撃が加えると破損しやすい状態と分かりますが、見栄えの観点から補修を依頼しました。適切な修理方法がなく、接着剤による破損石材の仮固定をしてくれました。
 ソファの運搬がもっとも手間と時間をかかりましたが、ベッドとその他の家具の運搬もラックではありません。使用可能な貸主ご所有のデスク、椅子、棚などは適切な場所に配置してもらい、二階の勤務スベースが私たちのニーズにより近づきました。

 この物件は築年数が古く、玄関の錠の不具合、ドア、窓の網戸の破損、壁の亀裂など老朽化によるの不具合が多数見られました。別荘なのに、ここまで荒れて本当に勿体無く感じます。私自身も2箇所の物件を貸し出しているため、貸主側のお気持ちを理解します。昆山三人の要望を踏まえて、肝心ではない設備はそのままとし、損傷の酷い箇所の補修と交換を依頼するようにしました。
 貸主夫婦は30代で企業を経営し、私たちの要望に快く協力くれています。ご許可を得た上で、サンルームの老朽化した扉を撤去し、窓の網戸交換と防犯金具の取り付けを実施しました。故障した数十個のスポットライトを一式交換し、太陽熱温水器の水漏れやコンセントの不具合も順次修理しました。玄関の網戸の破損、窓際の雨漏りや玄関内壁の不具合などは現時点では修理を依頼せず、現状のまま使用することにしました。
 前の入居者が多く野良猫を飼育していた影響で、室内に猫の毛や汚れが多く残っていました。私が消毒液を購入し、知り合いの家事代行業者に連絡して除菌と清掃を依頼しました。清掃当日は私が上海へ出張しました。スタッフ3名が約7時間掃除作業を行ったことを同僚から聞きました。貸主がご負担いただいた500元を超えた上、物件が広いことで清掃の優先順位が崩れ、隅々まで手の行き届かない箇所が多数ありました。壁の汚れ、クモの巣、猫の毛などが残存し、窓ガラスの清掃時間も確保してない状態でした。信頼できるスタッフを手配してもらうように頼みましたが、十分満足のいく仕上がりになりませんでした。しかし、自ら清掃するのも不現実です。室内の清掃スタッフが終わり、裏庭の不用品は一つずつ貸主に確認し、処分許可を得て廃品回収業者に引き取ってもらいました。使用可能な寝具などは清掃スタッフにあげて、別荘の管理会社に大型ゴミ、庭園の雑草とゴミなどを処理していただきました。大掃除後の空間は契約時と比べずいぶん整然となりました。

 事務所の移転は新たなスタートだと思っています。新しいオフィスで業績が順調に伸び、仕事環境が快適になることを願い、一般的な引越しの習わしに従い、良日良き時刻を選定いたしました。4月29日、総経理に”5月9日に全荷物の梱包整理、5月11日に引越し実施、5月12日と13日に昆山スタッフ3人で新オフィスの整理整頓、5月14日に正式開所し、来客接待”というスケジュールを報告し、ご承認を得ました。同僚たちの合意もあって、その後は全てスケジュール通りに順調に進めました。
 引越しの前に、業者が”万象匯”と”金色港湾”に現地視察に来てくれて、一括料金2000元を御見積書をしてくれました。引越し当日、大型トラックと軽バンを各1台をご手配し、スタッフ3名が作業をしに来ました。私たちにとって、主な大型荷物は機械3台、組立棚2つと会議テーブルです。そのたの荷物が事前に段ボール箱に梱包していて、運び慣れた彼らには小仕事と存じます。事前に、万象匯の管理人と荷物積み下ろしスペースを確保しましたので、私が先に新事務所へ向かい入居準備を行きました。2名の同僚が旧オフィスに残り引っ越しの指示をしました。
 風習に従い、前後の玄関を開けて風通しを良くし、室内の照明をすべて点灯させました。祝いの音楽を流し、簡単な清掃も済ませました。入口周辺の車を移動させ、玄関の寸法を測って玄関マットを購入し、門のサイズに合わせて対聯も用意しました。別荘地内の業務拠点は場所が分かりにくいため、事務所銘板を新設して業務にふさわしい雰囲気を整えようと思い、銘板を発注いたしました。
 暦を参考に引越しの良き時刻を選び、午前11時までに大型荷物を搬入する計画を立てましたが、作業員の方が時間を守れない可能性を考え、10 時 30 分に私のデスクを含めて1車目の荷物を搬入するよう事前に伝えてました。当日はビルのゴミ回収作業により貨物エレベーターが一時利用停止となり、搬入作業が遅延しました。管理人に複数回電話で調整を依頼し、乗用エレベーターで荷物を運ぶことにしたものの、大幅に時間を費やしてしまいました。

 引越し業者の方は時間厳守し、10 時 30 分に荷物を一台分運んできました。業者の方は、私が前日まで時間指定の希望を伝えていなかったことに不満を漏らしていました。まだ積み込みが間に合わなかった残りの荷物があったため、再度配送に来る手間が増えてしまったからです。確かに私の落ち度があり、引越しの日に口論したくないし、先方にお茶を出し、自ら彼と一緒に荷物を運びました。二人で約30分間で全ての荷物を運び終わり、業者から手際がよいと褒められました。休憩の時間、彼は普段マラソンが趣味だと話しをしてくれて、荷物運びの仕事は基本的に部下に任せていると言いました。私の方も、申し訳ない気持ちがなければ、手伝おうとはしなかっただろうと素直に言いました。1 台目の荷物搬入が済んだところ、次のトラックが到着しました。ドアを開けたところ、機器や家具に保護処置が施されていないことに気づきました。幸い、荷物に損傷はありませんでした。全体的に引越し作業は順調に進みました。
 トラックは荷下ろしが済むと次の仕事へ向かいました。同僚はこちらに残り、私は引越しスタッフ三名と旧オフィスへ戻り、残りの荷物搬出作業を完了させました。業者側からスタッフの昼食を用意してほしいと申し出があった上、時間指定の都合で往復の移動が一回増え、業者に負担がかかっていたため、私はサムズで6人前分のピザとフライドチキンなどを買って昼食を用意しました。併せて飲み物や果物も準備し、日頃の労力への感謝を伝えてました。昼頃、作業員の方々が気持ちよく次の業務へ向かわれました。

 引越しに限らず何事も計画通りに進めにくく、全員を満足させ完璧にするのは難しいです。商業オフィスから別荘へ移転したことで、対外的な連絡業務が増えました。別荘周辺は住宅地のため、貨物車の出入りや運搬騒音が近隣住民の迷惑になりやすく、住民や管理会社、諸業者との調整が必要となります。以前三人は狭い場所で勤務していましたが、広い別荘に移ったことで、スペースの使い方、生活習慣、価値観の違いが顕在化しました。換気のため窓を開けるか、蚊や野良猫対策のため閉め切るか、靴を履き替えるか否か、ゴミ分別、掃除分担、収納スペースの使い方、昼食の過ごし方など、細部まで各自の生活スタイルが表れやすくなりました。互いに譲り合い、話し合いことが一層大事になってきます。
 この度の引っ越しに番大きな意見の食い違いは、”乔迁仪式”(引越し祝いの式)を行うかどうかという点です。私は普段は慎重で地味な性格ですが、大事な節目には伝統文化を重んじ、儀式感が強い人です。2023年に万象匯拠点を入居する際に簡単な引越し式を行いました。取引先と友人を招き、賑やかな雰囲気の中で対聯を貼り、室内用簡易な花火を上げ、昼食を共にしました。今回も同じように行いました。しかし、3年前の状況と異なり、周囲の人間が変わりました。新任の総経理は”事以密成”(事は密かに進めるべき)という考えで、同僚の中にも伝統行事や人情世事の礼儀作法に抵抗感を持っている方もいます。

 私は昆山に定住して昆山事務所で営業活動を行っており、今回の引越し祝いをきっかけに、良い縁起を担ぎたいと願っております。万象匯の時に実施した以上、全体的に順調に進むことから、今回も実施せざるを得ませんの考えもありました。総経理や同僚から特に異議や批判は出ませんでしたが、行事が終わった今、自身が社員として行き過ぎた振る舞いをしてしまったり、職責の範囲を超えた行動を取ったりしたのではないかと反省しています。また、取引先からお祝いの言葉や祝い花をいただけたのは大変嬉しく思う一方、相手方に時間的や経済的な負担をかけてしまったのではないかと気になっております。来客応対のため茶菓子や手土産を準備した費用は高額ではありませんが、やはり会社にも負担が生じてしまいました。加えて、一般家庭の引越し風習をそのまま会社業務に取り入れることが適切だったかどうかも悩んでいます。三年半前と同様の行事を行いましたが、当時は喜びと期待しか感じておりませんでした。しかし、今回は不安と自省の気持ちが強くなりました。

 私が儀式感を重視するのは家庭教育と過去の経験だと思います。父は事務所移転を知ると、取引先に新住所を早めに連絡し、移転による不便をお詫びするよう念を押してくれました。また、自らを厳しく律し、顧客を第一に考えるよう教え、会社の繁盛と家族の無事を祈ってくれました。この儀式感を守り続けることで、時に疲れを覚えることもありますが、常に私を前向きに成長させてくれている面もあります。
 今回のオフィス移転業務において、真心を込めて準備を進めたことで、新しいオフィスを心から気に入っています。頑張って良いスタートを切れたと思います。これからは一歩一歩着実に仕事に取り組んでまいります。総経理のご決定のおかげで、私たちは別荘で勤務できるようになりました。今後一層良い業績を上げ、昆山事務所を理想的な職場にできるよう精一杯努力いたします。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています.

2026.05.12
MAUMSの性能検証verificationと実用性検証validationを行った結果を公開します.

 都市圏に新規の交通システムを導入したりする場合,事前に交通利用者の交通行動や交 通網上のフローを予測しながら,導入効果の検討をすることが求められます.2021年に土木学会論文集などで公表したマルチエージェントアクティビティベースの交通流シミュレーションモデルMAUMS(Multi Agent-based Urban Mobility Simulator)は,交通利用者一人一人のアクティビティベースのシミュレーションモデルとメソレベルでの動的交通流シミュレーションモデルから成る都市モビリティの統合シミュレータです.

 これまでにその有用性は認知されていましたが,本来であれば,メソタイプの動的交通流シミュレーションモデルは,道路網上に発生する現実の交通現象を正しく表現できるかを確認し,公表する必要がありました.ここでは,MAUMS の交通流シミュレータとしての挙動を確認するために,交通工学研究会が策定した交通流シミュレーションの標準検証マニュアルに基づいて性能検証verificationと実用性検証validationを行いました.その結果,全ての用件を満足する動的なメソ交通流シミュレータであることが確認できたので,報告します.ご興味のある方は表紙の左側のMAUMSというバナーからご覧下さい.

 将来的にはコードを公開する予定です.交通課題の分析や交通計画に利用していただき,性能の改善やオプションの拡大を行っていきたいと思っています.ご質問や利用希望がありましたら,下記にご連絡ください.
sh-mizokami@kumagaku.c.jp(熊本学園大学 溝上章志)

2026.04.15
熊本学園大学での6年目の新年度が始まりました.

Where's Wally?

 2021年3月に熊大定年退職後の第2の職場である熊本学園大学経済学部の専任教授職も5年が過ぎ,この3月末をもって定年になりました.しかし,訳あって1年契約で2回まで更新できるシニア客員教授として,同じ職場で働き始めました.給料も研究費も半分になりましたが,教授会や委員会などの学部の校務には関わらなくても良くなった分,教育・研究と社会貢献に時間を使うことができるようになりました.

 加齢により,研究意欲が減退する中,最後にやりたい研究テーマがあって,毎年,科研費に申請していました.しかし,年齢かテーマが悪いのか達成不可と判断されたのか不明ですが,これまで4年間,全く採択されずにいた研究テーマが,鹿島学術振興財団の2026年一般研究助成に採択されました.
 写真は鹿島学術振興財団の研究助成金の贈呈式に出席した際の関係者の集合写真です.都市・居住環境の向上,国土・資源の有効利用,防災・危機管理の推進,文化・自然環境の保全が対象の一般研究助成134件2億9千万円(全215件総額6億5千万円)もの援助は有り難いです.さすが,鹿島建設!! 頑張って研究を進め,来年度も継続審査に合格するよう,今年ではしっかり成果を出そうと思っています.

 今年度の大きなイベントは,6月の4UniC2026 in Calgary,9月のJCOMM2026 in 湯沢,11月の第27回8時間エンデューロinスズカサーキットかな?

2026.04.14
高の面白い話(43)

 新年明けて早くも 3 カ月が経ちました。私にとって、第1四半期の実績は昨年同期に比べて順調に増加しています。特に長期にフォローしてきた貿易会社が新規の船便顧客として開拓できたことは、当期を代表する成果だと思います。

 こちらの顧客は、私が入社した当初、会社既存拠点の同僚から引き継いた顧客です。当時、現地窓口スタッフは少数体制で運営していました。ある同僚はメインに自動車業界の顧客を担当しており、コロナ禍の影響で拠点を離れリモート勤務となり、主要顧客の対応人員が不足していたため、私が採用されることになりました。
 私が深セン分公司で1か月間の研修を終えた後、この同僚は会社の指示に従い、速やかに担当顧客を私に引き継いでくれました。一方、別のスタッフは会社の方針に沿わず、重要顧客の引き継ぎが最後まで応じませんでした。先に述べたこちらの顧客は、取引頻度が低い顧客の一人です。
 そのお客様は業界に長いです。業界大手の貿易会社を退職し、自ら貿易会社を起業しました。私が入社当初の頃、担当顧客が少なかったです。営業売上の主力は自動車業界に集中しているのに対して、彼は化粧品や家電向けに大規模の販路と取扱量を持っています。そのため、化粧品と家電業界の営業活動において彼は重要なパートナーになると期待しています。
 彼は既存の取引ルートをもっており、弊社の競合他社などから製品を調達していることが分かりますが、接近エリアに所在することがありますので、ぜひ取引を実現したいと考えます。何度も訪問を申し込みましたが、断られ続けてきました。この数年、彼からは月に数回サンプル請求が来ています。しかし、弊社の商品は価格が高い上に、在庫ラインナップが少ないなど理由で、実際の購入には至りませんでした。この顧客様に関する報告をするたび、社内からは”あまり時間を費やすべきではない”と助言されてきました。会社側から見れば、私が重要度の低い顧客に精力を注ぎ、業務の取捨選択ができていないと映っているように感じますが、私自身が自分の職責を十分理解しおります。お問い合わせをいただけること自体がチャンスだと考え、サンプル発送時は数量やコストを合理的に抑えるように配慮し、自発的な残業が増えても、気持ちを調整して業務に取り込んでいます。真心を込めて誠実に対応し続けてきましたが、何の成果も出せなかったので、長い間私自身が立場的に板挟みになっている状態でした。 

 昨年、大手ゲーミングノートパソコンメーカーのお問い合わせをきっかけに、この顧客様の技術サポートとして、私が顧客現場に同行させていただく機会を得ました。メッセージをいただいた時はいつも簡潔でそっけないですが、直接お会いすると穏やかで優しい方です。  その日、試作完了後、彼は私と共に弊社の昆山事務所までお越しくださいました。私が彼のためにサンプルを準備していた期間、彼は自慢げにご自身が多くの製品を扱っていることと、長年にわたり私に苦情をさせた取引ルートから弊社製品を購入していることを話してくれました。

 私が入社した頃、取引先同士の利害対立の渦に巻き込まれ、一方的に理不尽な中傷を受けました。今でも胸中に複雑な思いが残っていますが、この裏の経緯について顧客は当然知りません。製品の購入先をお選びになるのは顧客の自由であることは理解しておりますが、しかしその場で、積もり積もった感情が溢れて、私は思わずに”サンプルばっかりご要求いただきのに、弊社から直接ご購入いただけない”と本心を漏らしてしまいました。私は平素より礼儀を重んじて顧客対応に努めているつもりですが、当日事務所には他の在場者もいらっしゃたにもかかわらず、失言で顧客の面目を損ねてしまったと後悔しました。幸い彼は気にせず、相変わらずサンプルを要求してきてくれました。私はほっとしました。その後、先方が私の訪問を快く受け入れていただきました。

 彼は落ち着いた一戸建て事業を営んでいます。一階には在庫が大量に保管されており、ドイツ、日本、台湾、中国など商品を幅広く取り扱っています。ご自身が営業と管理に担い、ご家族もそれぞれ家事や経理、業務補助に支えていらっしゃいます。近頃、出荷担当のスタッフも雇用し、体制を整えている様子を拝見しました。私が訪問するたびに、ご家族にはいつも親切にご挨拶をしていただきました。
 彼は電話対応の業務が非常に多いです。”百度”(バイドゥ、大手検索エンジン)で広告宣伝を行っているそうで、製品のキーワードで検索すると、会社の情報が表示されます。また、今後はAI動画を活用した集客も計画しているとのことです。業界に長いため、弊社や弊社の競合他社のことをよく分かります。ご自身も勤勉で、事業の運営体制も柔軟に対応できます。特に感心させられるのは、彼が膨大な製品品番をよく把握し使いこなしている点です。業界のルールを踏まえ、適切な品番管理のもとで営業展開を行っています。
 彼は交流しやすい方です。以前お勤めていた会社は職場の雰囲気がとても良かったと振り返り、数十名の社員で団建(社内団体イベント)を開催したこをを懐かしく語ってくださいました。現在は一人で営業業務を行っているため、時に仕事へのモチベーションが湧かないこともあるそうです。独立当初に”必ず事業をしっかり育て上げる”の初心を思い返し、今後は工場の整備とチームを拡大し、社員向けの団建まで奮起したいと語ってくれました。夢があり、起業をし、先見の明のある彼は立派だと思います。

 私には疑問に思う点があります。同じ旧勤務先から独立した方が複数名いるにもかかわらず、元社員が今でも旧職場から商品を仕入れ、協力関係と競争関係を両立させています。彼らがどのように人間関係を調整しているのか、興味深く感じました。私は2007年に大学を卒業して以来、留学生活を除き、ずっと会社員として勤めてきました。複雑な人間関係は苦手で、顧客と接し方も硬いと自覚しています。そのコツ学びたいと思っています。
 信頼が積み重なったからかもしれません。その後、少量出荷から取引を少しずつ開始し、今年の年末年始を経て、ついに本格的かつ大口の船便受注を獲得することができました。これは私にとって初めての船便顧客であり、こうして、会社にも少し責任を果たせたと思います。

 一方、3月23日に日本本社より、中東情勢の悪化に伴う通達がありました。イランによるホルムズ海峡の航行制限と封鎖リスクが報じられ、同海峡は原油やナフサをはじめとする石化原料の主要輸送路であるため、原料供給への不安が深刻化し、塗料や溶剤関連製品の需給に大きな影響が及んでいます。今後の情勢次第では、納期遅延、原材料高騰による価格の改定、特定品目の一時的な供給制限が発生する見込みです。この情報は4月1日に深セン分公司に正式に伝達され、中国側は緊急会議を開催し、全営業スタッフに担当顧客へ連絡するようにし、受注キャンセルや前金返金の調整作業も進めました。実は中国でも不足している原材料の供給ルートを見つけることができますが、会社側から品質リストなど複数の原因を考慮して、原材料を交換する計画を検討していません。

 私自身の業務では、1月29日に船便の受注を受けて、受注時点で顧客が6ヶ月前後の納期を希望されましたが、日本側の生産スケジュールの都合で10月前後の納品となりました。お客様は納期が長いと思っていましたが、仕方がなく、待つことも受け入れました。2月2日、お客様は急用の貨物をできるだけ早く手に入れるために、フライトの注文を追加しました。当初は約90日間の納期を予定していましたが、中東情勢の影響により、全ての受注はキャンセルせざるを得ない状況となりました。

 業界内には日本製品を扱う貿易業者が多く存在しています。今回の情勢を受け、各社が素早く反応をし、在庫確保や価格調整などの対応を進めました。これまで、一部の貿易業者は大量に購入することで、低価格を手に入れることができました。弊社は輸送手段、柔軟性などに優位性が欠けているため、価格競争でのシェア低下に直面しています。今回のタイミングで採算の低い低価格汎用品や取引先を整理できることは、悪いことばかりではないようです。しかし、供給制限のため、顧客はただ待ち続けることはなく代替品へ切り替える見込みです。いったん代替されると、失ったシェアを取り戻すの困難だと思います。4月の生産調整や5月以降の価格体系変化、さらに、今後国産品の技術向上や品質改善の動きも、業界全体に影響を与えそうです。化粧品や家電分野では、その影響がより顕著に見られます。以前は戦争や国際情勢にあまり関心を持っていませんでしたが、今回の状況を通じて、身近に戦争の影響を感じました。幸い、私が主力で販売している自動車関連製品には現時点で大きな影響は出ていません。

 生活の面では、今年、蘇州市では義務教育段階の児童を対象に春休みが設けられ、4月1日から3日までの期間は”春暇”と呼び、清明節休暇と連続し、計6日間の連休となりました。実は、3月28日(土)は母の誕生日でした。2人の子供がずっと”姥姥”(おばあさん、私の母)の家に行きたいと思っていたことを考えると、母の誕生日当日に私一人で実家に帰らなくなり、春休みの連休を借りて、3日間の烟台市と威海市の出張を申請し、子どもを実家に預けました。これで、5人の子供が一緒に遊ぶようになりました。
 実家には春休み政策がないため、小学校に通う上の姪っ子(丫丫ちゃん)と甥っ子(嘉嘉ちゃん)が毎日放課後に村までやってきます。下の姪っ子(一一ちゃん)はまだ幼稚園に通ってなくて、最近ずっと”爷爷奶奶”(おじいさんとおばあさん)の家にいます。出張の三日間、私は毎朝家を出て夜に帰宅しました。私が家にいる間、一一ちゃんはずっと私にくっついてきて、いろいろな食べ物を嬉しそうに分けてくれました。その無邪気な姿に心が和みます。両親の話により、彼女がずっと私の帰郷を待っています。”姑姑“(おばさん)はいつ帰るの?”と何度も何度も問いかけていました。私の子供の頃と同じように、親戚が私の家に来てほしいし、親戚の家にも遊びに行きたいです。両親が一一ちゃんが私に似ていると言って、彼女も私の子供の頃の写真を指して彼女だと思いました。丫丫ちゃんも嘉嘉ちゃんも少し大きくなって、スマートフォンをしたり、私の2人の子供と遊んだりして、大人が付き添う必要はなくなります。

 毎晩、両親が豊富な料理を作ります。弟は相変わらずわざわざと新鮮な海産物を買ってくれて、家族で一緒に夕食を楽しんでくれました。父、弟と私は少しお酒を飲みます。食後、父はいつも文句なしに、山積みの食器を丁寧に洗っいます。食べ物の残りかすも鍋を洗う濁った水も無駄にせず、犬に餌をやり、鶏やアヒル、ガチョウに餌をやるに使います。寝る前に、両親は電気バイクを充電して、鶏を鶏舎に追い込み、ようやく”炕”(オンドル)に上がって休みます。夕飯を済ませたあと、弟夫婦は丫丫ちゃんと嘉嘉ちゃんを連れて自分の家へ帰っていきます。一一ちゃんは爷爷奶奶の家にいるのが好きです。彼女が爷爷大好きで、爷爷も根気よく長時間遊んであげます。

 母は相変わらず国際情勢とスポーツ競技に関心を持っています。2026年のマカオ卓球ワールドカップにあたり、母は定刻にテレビをつけて卓球の試合を観ていました。母は特に中国の孫穎莎選手と王楚欽選手が好きで、国内外の十数人の選手の名前を流暢に話すことができるだけでなく、試合のルールと選手それぞれの試合スタイルを熟知しています。試合の素晴らしい一環やスリリングな一環になると、手に汗を握ることもあります。以前は一日中疲れていた父はいつも早く寝ることに慣れていましたが、母の影響に受けて興味深く隣で観戦していました。私には観戦する興味はありませんので、一一ちゃんと一緒に寝に行きました。

 故郷の日々は平穏ですが、皆が休む間もなく忙しく過ごしています。近所の人々は果樹園や畑で農業に従事するか、海へ出稼ぎにいっています。ぶらつく暇な人はほとんど見られないです。両親の影響で私も5時過ぎに起きました。早起きした両親が、まず鶏を鶏舎から出します。両親は鶏にとても気を使って、鶏もたくさんの卵を産んでくれました。両親は嬉しそうに、弟一家と一緒に卵を食べても食べきれないと言ってくれました。
 親にとって、鶏の卵、菜園の野菜、畑を耕す作物は弟一家と一緒に食べていて、売る分はほとんどありません。養殖場の豚の運送作業は1回100元もらえるほか、犬食料を煮込むための薪の準備、犬食料の手配、鶏、アヒル、ガチョウの餌やり、菜園の手入れ、隣人の手伝いをするなどには立派な稼業がないです。金銭で価値を測れる労働も存在しないです。それでも両親は朝から晩まで休まず、黙々と家と畑、養殖場を守り続けています。長く給料をもらって働いてきた私は、無意識に時間を給料に換算して、両親が時間と精力をこれらのことに費やす価値を聞いてしまいます。私は何度も両親を旅行に連れて行きたいと言いましたが、両親はいつも2人では同時に行けないと言ってくれて、父は豚を送る仕事は人に遅れてはいけないと言って、母が家には鶏やアヒル、ガチョウが餌をやる必要があると言いました。”何匹もの動物に縛られるわけがない”と反論しますが、両親は理性的だと思います。私はまだ両親の生活、養老、医療をカバーできる資金力がありません。旅行に出かけるのは一時的で、耕地、家畜、家禽、この家を守るのは農民の覚悟です。

 早く起きていろいろなことができてます。私は出張の前に母と少し話をすることができて、また、母と一緒に”赶集”(朝の集まり)に行くこともできました。家の物価は安いわけではありません。買い物をする人も売る人もよく知っていて、冗談半分に客引きをしたり、たくさん買わせたりすることもあります。赶集は私が家に帰るたびにしなければならない活動です。買わなくても面白いと思います。

 家に帰った当日は天気がよかったです。庭前の野菜園に植えられたネギとニラは父が大切に育てられ、青々と勢いです。夕食を始める前に、私が思わずネギを1本抜いて生で食べました。それから数日、春風がますます強くなり、長年実家で春を過ごしていなかった私は、強い春風が口や鼻に吹き込む感触に全く慣れず、息苦しいそうに感じました。しかし父は”春風が強く吹いていれば、作物はよく育つ。春には風が吹かないといけないよ”と穏やかに言ってくれました。父の言葉には、農家特有の生活の知恵があります。

 せっかく家に帰ってきたので、4月4日の休日、子供たちを集めて家族十人で青島へ遊びに行く計画を立てていました。しかし、連休のため十人分の高鐵チケットが取れなかったほか、煙台から青島への始発時間が早すぎて、子供たちが起きられないのではないかと心配もありました。加えてこの時間は春風が非常に強く、外出しても楽しめない可能性があり、結局遠出はやめにしました。

 今回の帰省は、五年に一度の村の役員改選期でした。一方は長い間村のため尽力しながら、自身の理想をなかなか叶えられない元村長で、もう一方は彼が自ら育て上げた若い女性の現役村長で、今では理念の隔たりから心の距離が生まれています。二人は自ら家々を訪ねたり知人に依頼したりして、村民の支援を願っていました。その人情の往来に、田舎の世相と人の心の微妙が凝縮されています。

 主人の時間に合わせるため、4月5日午後、私が2人の子供を連れて高鐵で昆山に戻りました。出発の前に、両親は自家製の芳醇な落花生油、飼育している鶏とガチョウが産んだ百餘個の卵、よく保存してきた去年のりんご、隣村の菓子屋で焼かれた桃酥などを梱包してくれました。また、父は畑へ赴き、ネギとニラを一束刈り取って持たせてくれて、季節のナズナの具の餃子やナスの挟み揚げ、ピーナッツ揚げと揚げ魚などを詰めてくれました。家の恵みをたくさん携えれば携えるほど、両親の心は安らぎ喜びに満ちように考えて、全部昆山に持って帰りました。家族全員が見送りに駆けつけてくれて、私と二人の子供が煙台駅に向かいました。 煙台から昆山への道中、子供たちはスマホに夢中で私が不満でしたが、駅を出入れる時に荷物の運搬では大いに力を貸してくれました。昆山駅につく際に、私はエレベーターの階段にスーツケースを置き放置し、スーツケースは勢いよく転がってしまい、箱の中に入っているガチョウの卵とリンゴは少し破損していましたが、幸いにも人に危害はありませんでした。

 連休の原因で、昆山高鐵駅から家までの車に乗るのに時間がかかったました。深夜12時頃、私たちが家に着きました。早めに昆山に帰ってきたのは連休最終の日に主人と一緒に1日間を過ごすつもりでしたが、彼が友人と安徽省に帰って2日間お魚を釣りをして、私達とほぼ同じ時間に家に着いました。当時、彼がおじさんを連れてきて、翌朝、おじさんを上海の工事現場へ送る必要があります。結局、連休終日私が家で子供の世話をし、洗濯と大掃除など家事をしました。

 実家から持ち帰った食材が豊富で、一週間食べても食べきれません。通常は食べ残した食材を軽く処分しますが、両親の感情が込められているので温めて食べ続けています。両親は新鮮なニラを切ってくれて、昆山に帰って餃子を作ってと提案くれましたが、主人はまた一週間の連続出張があり、ニラは冷蔵庫の中でゆっくりと乾いていきました。両親の心遣いに申し訳ないです。もし両親に言い聞かせると、両親はきっと”こんな些細なことは何だ、野菜なら家にはたくさんあって、いつも食べきれない、隣人に分けてあげて、鶏に餌をあげている。心を大きくして、そう思わないで”と言ってくれます。

 昆山に帰って、私の住んでいる団地からも私に投票用紙を送ってくれました。ここに引っ越して5年になりますが、誰が何を呼んでいるのか分からないので、もちろん書かずに棄権しました。村長を争う村が多いと聞きましたが、村長は実は重い肩書きだと思います。村人のために問題を解決して、村民をより豊かな生活に導くことは、人脈、能力と資本金などが必要だ思います。家に帰って、誠実で素朴で、強靭で楽観的な両親、親戚や隣人たちを見るたびに、都市の方との生活上の差を感じて、心を打たれます。両親のような農民はより良い生活に値すると思います。

※文章は高さんの記述のまま掲載しています.