萩原 修子の研究室
一口に、「社会は」とか「文化は」とか言っても私自身、ピンときません。しかしながら、私的で身近なことをあれこれ考えながら、つきつめたところで「社会」的「文化」的なものにつきあたっていくこともあります。
とくに、私の場合、何気ないこと、ちょっと不思議に思うこと、おかしいなと思うことを問いつづけていることから、学びや社会との関わりが起動してきたように思います。
「私」のまわりの何気ないことから「社会」を考えること、すなわち、「私」と「社会」のあいだを想像していくこと。さらに、さまざまな形で想像しつづけて、それをなるべく人に伝えられるような言葉にしていくこと。言葉にしていくことの困難さに行きつ戻りつしながら、なお、その言葉を探していく、身の丈の営みの大事さを年ごとに感じるようになってきました。
同時に、もどかしく言葉にならない、あるいは言葉を伝えようにも伝えられない、そうしたかすかな声にも耳をすませて「聞く」ことの大事さも実感しています。
そして、聞いたこと、考えたことを、どうやったら他者に聞いてもらえるか、「私」と「他者」をつなぐ道筋もあれこれ試行錯誤しています。