山鹿市菊鹿町米原を中心に菊池市堀切まで広がる広大な城跡です。その広さは、東京ドームの12倍にもなります。鞠智城跡は、大和朝廷が7世紀後半(約1,300年前)に築いた山城で、内城と外緑地区からなります。昭和42年から行われた調査では、これまでに食糧を保管した米倉や防人たちが寝起きした兵舎等、67棟の建物跡が発見されました。併設する資料館「温故創生館」では多くの資料、記録映画の放映があります。また、敷地内には物産館もあり、菊鹿の特産品などが販売されています。663年の「白村江の戦い」で、唐と新羅の連合軍に敗北し、このため日本が戦いの場になる危険が生じました。そこで九州には、太宰府を守るために大野城(福岡県)・金田城(長崎県)等が造られました。鞠智城は、これらの城に食糧などの軍需品を補給するための機関だったと考えられています。復元建物(4棟)は、鼓楼(ころう)-太古を置き連絡などをしていたと考えられる建物(八角形)、米倉-米の保管場所と考えられ、三角形の校木を組み合わせた校倉造りが特徴です。兵舎-鞠智城を守った兵士が日常生活をしていたと考えられます。板倉-戦いの為に武器を保管したと考えられます。