2001年度の講義ノート

ここで講義内容を簡単に記録していきたいと思います。「簡単」な記録ですので、もちろん出席する代わりにはなりませんが、欠席しなければならない場合は、ここを見れば授業の流れなどが大体わかると思います。「ノート」なので、論文調で書きます。


4月12日、第1回
 最初に「今日の予定」を説明した。最初は私語がすぐに治まらなかったので、本講義では私語を許さない方針を説明した。その後は静かだった。「「論」」では比較文化論というテーマは「論者の目的、専門分野、経験等によって内容が大きく異なる」ことを説明した。その関連で、本講義で私自身が展開する文化論を理解したいただくために「私の目標」を説明してから「自己紹介」を行った。その後、自己紹介にあった「『違い』は一般に思われているほど決定的ではない」という点との関連で『We're Different, We're the Same』という絵本を紹介した。他人と自分との違いと共通点を当時に認識させる、大切なメッセージを持った本だと思う。今後、できるだけ毎回、このように5分か10分の「英語の時間」を設けたいと考えている。英語が苦手な人がテストなどで不利にならないようにできるだけ日本語で解説し、英語でしか言っていないことをテストに出さないことにする。絵本の後に日本と外国の証明写真を比較したビデオ(「日本の証明写真で笑っちゃいけないのは何でやねん?」、ニュース・ステーション)を見せた。次に「比較文化論」の「文化」に移り、本講義で使う「文化の定義」を説明した。
4月16日、第2回
 前回の「文化の定義」の中で思い込みの危険性を指摘した。この続きとして「思い込むこと」について講義した。思い込みを避けるためには「考え込む」ことが重要であることと、コミュニケーションを取りながら考えることが重要であると主張した。コミュニケーションの大切さを印象づけるために2名の受講者に協力していただき、ドミノを使ったゲームをした。その後、Dr. Seussの『The Sneetches』という差別に関する絵本を読んだ。最後に、「思い込み」の例として、罪のない黒人が黒人であるとことで犯罪者扱いされるビデオを途中まで見せた。
4月19日、第3回
 最初に「比較」というスライドや二人の受講生に書いてもらったアンケートを使って、この講義で終始比較中心に講義を進めていかない理由を説明した。この方針は講義の目標と深い関係があるも指摘した。次に前回の出席カードにあって疑問を取り上げてを使って「差別の原因について」を使って私自身の見解を述べた。その後「視点と概念」を二通り以上の見方が可能なイラストを使って説明した。ビデオは前回のビデオの後半の部分であった。今日は時間の都合上「英語の時間」はなかった。
4月23日、第4回
 前回の続きとして「視点としての属性」や「日米の外国人観」を使って、本人と他者との間に「外国人」という属性の意識の仕方にギャップが生じた場合に人間関係があまりうまくいかないことについて講義した。ビデオは北海道の小樽にある「湯の花温泉」による外国人排除と同温泉を訴えている有道出人氏についてであった。多少のコメントをした後に、前々回紹介したDr. Seussの『The Sneetches』を日本語で説明した後に、もう一度、もっとゆっくりと読んだ。最後に、出席カートに書かれたいくつかのコメントを取り上げて自らの見解を述べた。
4月26日、第5回
 まず、Ana Bortzさんが起こした裁判についてについて説明した。その後、小樽温泉の外国人排除問題に関するワイドショーのビデオ見せ、ディスカッションを行った。その際に、「Discussion用の質問事項」というスライドを使ったが、途中までしか進めることができなかった。最後に、「自分がかわいい」というスライドを使って、自分がかわいいからこそ、犠牲を払ってまで差別に関わらない人がいることについて話した。
5月7日
 休講(北海道出張)
5月10日
 休講(北海道出張)
5月14日、第6回
 北海道の温泉問題に関するビデオを見せ、3色のカード(yes, no, ? を示すもの)を使って、さまざまな角度からディスカッションを行った。私として特に強調したい点は、この問題に関して私たちの間に意見の違いがあっても、少なくとも容姿だけで日本国籍を持つ人の排除していくことには「思い込み」があったという点について合意できるはずだということだ。こうした「思い込み」を未然に防ぐためにはどうすべきかがこの授業の重要なテーマだと思う。最後に、アメリカで起きた一気飲みの死亡事故に関するビデオを見せて、コメントした。
5月17日、第7回
 授業のはじめに、数年前に放送された、日本で起きた一気飲みの死亡事故に関するビデオを見せた。このビデオでは一気飲みを囃し立てる人々の責任が強調された。その後、3色のカードを使って、この一気飲み問題に関してディスカッションをした。講義の後半に入って、「文化論の悪用」に関する講義を始めた。最初の項目の「戦争の手段 」との関連で、「Faces of the Enemy」というビデオを見せ、戦争と文化論の関係について解説した。ビデオと同じ主旨の本としてFaces of the Enemyがあり、『敵の顔』という題の日本語訳が図書館にあるので、関心のある方に見ていただきたい。また、ビデオで登場したJohn Dower教授のWar Without Mercyの日本語訳である『人種偏見』も図書館にある。ビデオに見られるような「敵」の描き方は今でも見られることがある。その例として、小林よしのりの『戦争論』(本学の図書館にはないが、『小林よしのり氏の「戦争論」批判』ならある)を取り上げた。OHPで小林氏がどのように「敵」を描き、どのようにその敵の人間性を否定しているかを指摘した上で、異質な外国人のイメージで日本人としてのアイデンティティーの強化を促す手法を指摘した。
5月21日、第8回
 はじめに、前回の復習をかねて、John Dower教授のWar Without Mercyに載っている戦時中のプロパガンダの例を紹介した。アメリカのプロパガンダでは、日本人がサルや害虫などとして描かれ、人間性を否定されることが多かったことを強調した。その後「文化論の悪用」の中の2つ目の項目「人をまとめる・従わせる手段」を説明した。ビデオはAna Bortzさんの判決に関するものであった(この判決に関しては4月26日の講義ノート参照)。また、前回一気飲みに関するディスカッションを続けた。特に、「盛り上げる」ために一気飲みが「欠かせない」発想には「思い込み」があることを強調した。
5月24日、第9回
 今日は前回の「文化論の悪用」の3つ目の項目「排除の手段」と4つ目の項目「改革の手段」について講義した。「改革の手段」の例としてNHKのドキュメンタリーを取り上げた。ワイドショーによるプライバシー侵害などを指摘するこの番組の中ではアメリカの報道が節度あるものとして紹介される。紹介されることがらにはうそはないが、日本の報道の問題点を強調する目的でアメリカのメディアの一部しか取り上げていないので、アメリカの報道を美化する結果になっている。アメリカのメディアにも日本のワイドショーと同じ程度、あるいはそれ以上に節度のない、低俗な番組があることを示すために、アメリカのトークショー(talk show)を批判的に取り上げている討論番組(ABCのNightline)のビデオを見せた。なお、授業では紹介しなかったが、1998年に同じ問題について書いた新聞記事があり、ここをクリックすれば閲覧することができる。その後、課題の書き方や6月4日の中間試験について説明した。中間試験の中の姜信子氏の『ごく普通の在日韓国人』に関する問題は論述形式で、講義に関する問題は比較的短い回答を求めるものになることを説明した。なお、課題や中間試験に関しては必ず「成績評定」を見てください。
5月28日、第10回
 「文化論の悪用」の中の最後の3項目(「正当化の手」及び「議論を阻止する手段」「金儲けの手段」)について講義した。 ビデオは「金儲けの手段」と関連のあるもので、アメリカのLate Show (David Letterman司会)という番組の中でのMUJIBUR & SIRAJULのコーナーを見せて、問題点について説明した。
5月31日、第11回
 前回の「文化論の悪用」の「金儲けの手段」のもう一つの例として「ここがヘンだよ日本人」のビデオの一部を見せ、「『ここがヘンだよ日本人』の催眠術にかかるな!」及び 「『ここがヘンだよ日本人』について」のスライドを使って解説した。最後に、これまで日本語で説明してきた「文化論の悪用」を「Abuses of the Idea "Culture"」というスライドを使って英語で要約した。
6月4日、第12回
 中間試験
6月7日、第13回
 「言葉と思考について」というスライドを使って講義した。今回は最初の2つの項目、つまり「言葉と物の分類」と「言葉の人間の行動」を説明した。後者に関しては、言葉は単なる「言い方」ではなくて、その背後にある概念が思考の単位と密接な関係にあるので、人間の行動に重要な影響を及ぼすことがあることを強調した。ビデオは戸田奈津子氏とのインタービューであった。
6月11日、第14回
 前回の講義の続きとして、「言葉と思考について」の3つ目の項目、「外国語と思考」に関する講義を始めた。説明する際、思考と言語の関係に関する図greenという単語と日本語の単語との複雑な関係に関する図を使って解説した。ビデオは仏教とキリスト教との間の対話に関するものであった。中でもチベットのダライラマの思想がクローズ・アップされた。このビデオは今回のテーマと直接的に関連している訳ではないが、この授業で私がさまざまなビデオを見せてからその問題点を指摘することが多く、「先生が本当にいいと思うものを見せてほしい」という要望が出て、それに応えようと今日このビデオを見せることにした。違いを認めながら共通点を見つけて、異なった文化や信念を持つ者同士が学び合うことができることを示すビデオだと思う。
6月14日、第15回
 「言葉と思考について」に関する講義を終えた。ビデオの1つはリービ英雄氏(作家、法政大学第一教養部教授)とのインタービューであった。リービ氏の小説『星条旗の聞こえない部屋』は図書館にある。リービ氏のホームページはないようだが、ここをクリックすれば、「もう一つの往還」というエッセイを読むことができる。もう1つのビデオは私の小さいころのホームムービーで、英語で簡単な説明をしながら紹介した。
6月18日、第16回
 「国際語とは何か?」に関して講義した。ビデオはマクドナルドのインドへの出店に関するテレビ朝日の「ニュースステーション」の特集であった。特集の後に久米宏キャスターの「外人は片言であってほしい」というコメントに対して抗議があったことを説明した。このビデオを次回の「外国人」や「外人」という言葉に関する講義への糸口として見せた。
6月21日、第17回
 「外国人」や「外人」という言葉について講義した。それぞれの言葉やその背後にある概念の違いを示す図を使って説明した。「外人」は単に「外国人」の別の言い方や省略形ではなく、異なる概念であることは重要なポイントだ。概念が違うので、使うか使わないかは言われる側の気持ちだけではなく、言う側にとっても言葉の選択が重要だと思う。つまり、自分自身の思想に合う概念はどれかについて考え込んでみることは言う側にとってもプラスになると思う。ビデオはニュースステーションの「外人」に関する特集であった。(これは「外人は片言であってほしい」というコメントに対する抗議を受けて、企画されたものである。)
6月25日、第18回
 最初は「Political Correctness (PC)」について講義した。その後、NHKで放送された武田鉄矢氏のMichael Latta氏とのインタビューのビデオを見せた。インタビューのなかでLatta氏が「外人」という言葉に関する持論を展開した。その後の講義で、ビデオにあった「アイアム内人」という字幕の問題性を指摘した。最後に、日米における「イジメ」について講議した。イジメは普遍的な現象だが文化によってはその受け止め方などに大きな差がある。今回の講議の中心的なテーマはその受け止め方の違いであった。OHPに映した主なスライドはここにある。日米間のイジメ関連の違いの一つはアメリカではイジメが重要な社会問題とはあまり考えられていない反面、人種差別やセクハラを重視する傾向がある。その例として、「セクハラ」の処分を受けた小学生に関するビデオを見せた。日本では逆にイジメが重要な社会問題であるという見方がしっかりと定着しているため、大人の社会にも「イジメ」が見出されることがある(この現象に関するビデオも見せた)。日本語でいう「イジメ」とアメリカ英語でいう「bullying」の重みやニュアンスに大きな違いがあって、それぞれの社会でのイジメ現象の受け止め方の違いはこの言葉の違いと密接な関係があると主張した。
6月28日、第19回
 講義の前半を受講者の皆さんからのコメントへの回答に当てた。その後は1991年ごろにNHKが放送した「日米市民討論」という番組の中の日本人は働きすぎかどうかに関する部分をビデオで見せた。働くことをめぐって日本人とアメリカ人の価値観などが180度違うという通念(固定観念)が番組の前提になっていたが、その「常識」の型にはまらない日米の市民の発言が見事にその前提を崩して行った。ビデオを見せた主な目的は「日本人は働きバチ。アメリカ人はレジャーを大事にする。」という固定観念の問題性、そしてマスメディアを鵜呑みにすることの危険性を認識させるためであった。
7月2日、第20回
 姜信子先生によるゲスト講義。
7月5日、第21回
 林静一路先生によるゲスト講義。
7月9日、第22回
 6月28日にビデオで紹介した日米の労働倫理に関する講義を続けた。さまざまな統計を紹介しながら、アメリカはけっして「レジャー大国」ではなく、世界的に見て、「働く倫理」にしても、労働時間にしても日本とアメリカは180度違うのではなく、むしろかなり似ている、と主張した。ビデオはドイツの労働事情に関するニュース・ステーションの特集であった。ドイツと比較すると、日本とアメリカはむしろ似ている。また、同ビデオは労働の在り方と性的な役割分担の関係の重要さを物語っていることを指摘した。
7月12日
  休講(中国出張)
7月16日、第23(最終)回
   中根千枝著『タテ社会の人間関係』について講議した。利用したOHPスライドは「中根千枝著の『タテ社会の人間関係』の中心的な概念」と「日本の教育制度と『場』」であった。その後、司馬遼太郎氏の「21世紀に生きる君たちへ」を紹介するビデオを見せた。司馬氏は私が23回にわたって伝えたいと思ってきたことを小学生にも理解しやすいことばで、巧みに表現なさったと思う。(このエッセイは司馬遼太郎著の『十六の話』[中央公論社、1997年]に含まれている。本学の図書館の一階にある。[914.6||SH15])最後に、期末試験について説明した。形式は中間試験と似ていて、前半に講義内容に関する問題がある。これらの問題には簡潔な答えで十分だ。論述形式の問題については、次のような問題になることを説明した。
下記の事柄から三つ選び、中根千枝著『タテ社会の人間関係』で展開されている理論との関係をできるだけ詳しく説明せよ。
「下記の事柄」の例はとしては終身雇用、慰安旅行、一体感、契約、能力主義などが挙げられる。本を読みながら、理論の鍵概念である「場」と「資格」と本で取り上げられている事柄との関係について考えるように勧めた。なお、中間試験と同じく、参照不可だ。

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