2000年度の講義ノート

ここで講義内容を簡単に記録していきたいと思います。「簡単」な記録ですので、もちろん出席する代わりにはなりませんが、欠席しなければならない場合は、ここを見れば授業の流れなどが大体わかると思います。「ノート」なので、論文調で書きます。

4月14日、第1回
 「自己紹介」というOHP用スライドを使って、自分の体験・問題意識と授業内容の関係について説明した。その後「『比較文化論』の性格・目的・方法」というスライドで講義を紹介した。最後に、受講者全員と一緒に情報教育センターに行き、このホームページの見方を紹介した。
4月21日、第2回
 「文化論の落とし穴や悪用」について講義した。「1. 戦争や排斥の口実」との関連で「Faces of the Enemy」というビデオを見せ、戦争と文化論の関係について解説した。ビデオと同じ主旨の本としてFaces of the Enemyがあり、『敵の顔』という題の日本語訳が図書館にあるので、関心のある方に見ていただきたい。また、ビデオで登場したJohn Dower教授のWar Without Mercyの日本語訳である『人種偏見』も図書館にある。「2. 人をまとめる・従わせる手段 」の関連で「石原都知事の問題発言」を取り上げた。また、小林よしのりの『戦争論』(本学の図書館にはないが、『小林よしのり氏の「戦争論」批判』ならある)を取り上げた。OHPで小林氏がどのように「敵」を描き、どのようにその敵の人間性を否定しているかを指摘した上で、異質な外国人のイメージで日本人としてのアイデンティティーの強化を促す手法を指摘した。
4月28日、第3回
 「文化論の落とし穴や悪用」の「3. 早合点・単純化・個人無視」を取り上げた。その1例として小樽温泉外国人排斥問題をビデオで紹介した。
5月12日、第4回
 前回の続きとして「3. 早合点・単純化・個人無視」に関しては「Ana Bortzさんが起こした裁判について」というOHPを使って説明した。ボルツさんの勝訴がNew York Timesで取り上げられ、国際的な出来事に発展した。そのNew York Timesの記事のなかで、熊本県立大学の外国人に対する差別も取り上げられてしたので、その関連で今年3月にRKKが「ビパ!」という番組のなかで放送した特集を見せた。
5月19日、第5回
 「文化論の落とし穴や悪用」の「4.『優越感』の楽しさ」の関連でアメリカのLate Show (David Letterman司会)という番組の中でのMUJIBUR & SIRAJULのコーナーを見せて、問題点について説明した。また、日本の例として「ここがヘンだよ日本人」のビデオの一部を見せ、「『ここがヘンだよ日本人』の催眠術にかかるな!」というスライドで持論を展開した。最後に、森首相の発言について「文化論としての『神の国』発言」「一体となった政治と宗教」というスライドを使って森首相の「神の国発言」について話した。 
5月26日、第6回
 「文化論の落とし穴や悪用」に関する講議を終えた。今回もメディアの問題を考えるためのビデオを利用した。「ここがヘンだよ日本人」に似たアメリカの番組としてアメリカのトークショーがある。トークショーを批判的に取り上げている討論番組(ABCのNightline)のビデオを見せた。なお、授業では紹介しなかったが、1998年に同じ問題について書いた新聞記事があり、ここにクリックすれば閲覧することができる。
6月2日、第7回
 「受験英語はなぜ身につかないのか?」に関する講義をはじめた。今回はレジメの最初の項目である「翻訳主義→英語思考主義」について解説した。なお、思考の言語の関係に関して見せたスライドが見たい場合はここクリックし、greenという単語の日本語の単語との複雑な関係に関するスライドが見たい場合はここクリックしてください。ビデオは戸田奈津子氏とのインタービューであった。
6月9日、第8回
 前回の「受験英語はなぜ身につかないのか?」に関する講議の続きをした。ビデオはリビー英雄氏(作家、法政大学第一教養部教授)とのインタービューであった。リビー氏の小説『星条旗の聞こえない部屋』は図書館にある。リビー氏のホームページはないようだが、ここにクリックすれば、「もう一つの往還」というエッセイを読むことができる。
6月16日、第9回
 「受験英語はなぜ身につかないのか?」の中の「マニュアル主義→生きた英語主義」や「見栄っ張り主義→コミュニケーション主義 」について講議した。ビデオは私自身の幼少年期のホームムービーであった。 
6月23日、第10回
  「受験英語はなぜ身につかないのか?」に関する講議を終了した。  明治期には自然で格調高い英文を書くことのできる人がいたのに、その後の英語のレベルが全体的に下がった理由に関する仮説を説明した。そのとき使ったイラストを見るにはここをクリックしてください。 なお、講義では言及したなかったが、「受験英語」に関する拙著をホームページで読むことができる。読みたい場合はここにクリックしてください。次に、2とおりの見方ができるイラストをOHPで見せ、見ている対象が一つであっても、「見方」によっては違って見えることを説明した。言語や文化が違えば、同じ「現実」でも違ったように見えてくることの例として、アメリカの「足病医」日本語の「甘え」の概念を取り上げた。ちなみに、「甘え」という概念に興味のある方には、「土居健郎氏の『「甘え」の構造 』をお勧めしたい。 ビデオはマクドナルドのインドへの出店に関するテレビ朝日の「ニュースステーション」の特集であった。特集の後に久米宏キャスターの「外人は片言であってほしい」というコメントに対して抗議があったことを説明した。 
6月30日、第11回
 最初に「Political Correctness (PC)」について話した。ビデオは「ニュースステーション」の「外人」に関する特集であった。(これは「外人は片言であってほしい」というコメントに対する抗議を受けて、企画されたものである。)ビデオで紹介されたISSHO企画のホームページを閲覧したい場合はここにクリックしてください。ビデオを見た後OHPで「外国人」と「外人」という言葉の違いを説明した。説明に使ったスライドが見たい場合はここにクリックしてください。「外人」の用途の例の一つとして「男はつらいよ」からの場面も見せた。
7月7日、第12回
 「人種」の概念やアメリカにおける人種差別について講義した。最初は「『人種』って何?」というスライドを使って、「人種」という概念の曖昧さと恣意性を指摘した。次に、「『人種』や『民族』の概念について」で「人種」と「民族」の概念の区別などについて説明した。授業の後半はアメリカABCのNightlineという討論番組のビデオを見せた。ビデオでは黒人の警察官が受ける差別を扱ったものである。外見や固定観念で判断することがいかに不当なことかを印象づけるビデオである。
7月14日、第13回
 まず、前回の続きとして、黒人がデパートなどで不当に万引きの疑いをかけられることに関するビデオを見せた。その後、アメリカにおけるaffirmative action(少数民族や女性の優遇措置)を取り上げた。まず、affirmative actionの背景として、黒人差別が公然と行われていた1960年代の公民権運動以前の状況を大まかに説明した。その例として、「白人用」と「黒人用」に別れている写真を見せた。公民権運動によって、堂々と差別的な制度を運用していくことができなくなったが、進学や就職に際して目に見えない差別が続いた。その重要な対策の一つとして始められたのはaffirmative actionであった。ビデオはアメリカABCのNightlineいう番組で行われたディベートであった。affirmative actionに反対する側は「逆差別」などを訴えているが、テストの限界や多様性の価値などを考慮するとaffirmative actionのメリットが見えてくると主張した。中間試験については、講議内容に関する部分とテキストの一つである『ごく普通の在日韓国人』に関する部分(配点はそれぞれ50点)から成る。講議に関する部分は五つの簡潔に答える問題で構成され、テキストに関する部分は『ごく普通の在日韓国人』に関する論述形式の問題となる。
9月22日、第14回
 日米の「労働倫理」について講議した。ビデオは1991年ごろにNHKが放送した「日米市民討論」という番組の中の日本人は働きすぎかどうかに関する部分であった。働くことをめぐって日本人とアメリカ人の価値観などが180度違うという通念(固定観念)が番組の前 提になっていたが、その「常識」の型にはまらない日米の市民の発言が見事にその前提を崩して行った。ビデオを見せた主な目的は「日本人は働きバチ。アメリカ人はレジャーを大事にする。」という固定観念の問題性、そしてマスメディアを鵜呑みにすることの危険性を認識させることだった。日米などの労働時間などに関するさまざまな統計も紹介した。
9月29日、第15回
 講議の前半では中間試験を返し、採点基準などについてコメントした。後半では前回の講議の続きとして1992年の宮沢元首相の働く倫理発言を取り上げ、その発言が引き起こした文化摩擦について、「労働倫理をめぐる日米言動摩擦解」というスライドを使って解説した。大きく分けて、その軋轢の原因は二つあった。一つはアメリカ人が依然として一所懸命働くことが大切だと考えていたことだ。「怠け者」と言われていると思い、アメリカの伝統的な倫理観に基づいてひどく侮辱されたと考え、激しく反発したのだ。もう一つは、アメリカのメディアが宮沢氏の発言の主旨を正確に伝えなかったことだ。講義で説明したように、宮沢氏の発言の主旨はかなり歪曲された形で報道された。
10月6日、第16回
 今回は2本のビデオを見せた。一本目はドイツの労働事情に関するニュース・ステーションの特集であった。ドイツと比較すると、日本とアメリカはむしろ似ている。また、同ビデオは労働の在り方と性的な役割分担の関係の重要さを物語っていることを指摘した。男女の役割分担を考えずに「日本人はよく働く」という言葉の意味を十分に理解できないので、このテーマは労働に関する話の延長とも言える。OHPで次のようなことがらに関する統計を紹介した。  二本目のビデオはアメリカで起きる女性に対する差別を隠しカメラで取材したものであった。中古車を買うときに女性が高い値段を吹っ掛けられたり、就職活動で不利な扱いを受けたりする印象的な場面があった。アメリカでは男女平等を求める運動が日本より進んではいるが、依然としてさまざまな差別が続いている。
10月13日、第17回
 「MMMA(米国三菱自動車製造)に対するセクハラ訴訟」について講義した。最初のビデオはアメリカで起きた別のセクハラ訴訟に関するものであった。訴訟社会と言われるアメリカでも、セクハラを訴えることは容易でないことを示すものであった。また、会社でセクハラが起きた場合、個人の責任と考えるべきか、会社の責任と考えるべきかに関する当時の日米世論調査の結果を紹介した。個人主義と言われるアメリカだが、実は日本よりも会社の責任を認める傾向が強かった。その後、日米の「女らしさ」(ジェンダー)の違いの例として、Sailor Moonのアニメのアメリカ化に関するビデオを見せた。
10月20日、第18回
 前半は「男女の役割分担や地位の差はどの程度『自然』か」というスライドを使って講義した。また、「ジェンダー」(「男らしさ」「女らしさ」)という概念を紹介し、「ジェンダー」は「人種」の概念と同様、社会的に構築されたものであることを強調した。つまり、文化によっては「男らしさ」や「女らしさ」の概念が異なる。その関連で見せたスライドはここにある。後半は日米における「イジメ」に関する講議を始めた。
10月27日、第19回
 前回に関する講議の続きをした。イジメは普遍的な現象だが文化によってはその受け止め方などに大きな差がある。今回の講議の中心的なテーマはその受け止め方の違いであった。OHPに映した主なスライドはここにある。日米間のイジメ関連の違いの一つはアメリカではイジメが重要な社会問題とはあまり考えられていない反面、人種差別やセクハラを重視する傾向がある。その例として、「セクハラ」の処分を受けた小学生に関するビデオを見せた。日本では逆にイジメが重要な社会問題であるという見方がしっかりと定着しているため、大人の社会にも「イジメ」が見出されることがある(この現象に関するビデオも見せた)。また、コミュニケーション方式とイジメとの関係にも言及した。その関連で、「日米のコミュニケーションにおける責任」というスライドで解説したりした。
11月10日、第20回
 アメリカで問題となっていた大統領選挙の関連で、「アメリカの大統領選挙制度」というスライドでアメリカの選挙人制度を説明した。イジメに関する補足説明もした。
11月17日、第21回
 「アメリカの大統領選挙制度」に関する講議を続けた。
11月24日、第22回
 フロリダ州の選挙をめぐる争いは法廷で展開していたので、「日米の法文化」について講議した。
12月1日、第23回
  前回の「日米の法文化」に関する講議を続けた。
12月8日、第24回
 法文化に関する講議の延長として、ルールの解釈をめぐる日米の文化的な違いを取り上げた。その例として日本における「建て前としての」交通ルールについて持論を展開した。また、少年法改正を受けて、拙著の「子どもを『大人として』裁かないで」を配り、「少年法と『厳罰』」という簡単なスライドでその矛盾を指摘した。
12月15日、第25回
 中根千枝著『タテ社会の人間関係』について講議した。利用したOHPスライドは「中根千枝著の『タテ社会の人間関係』の中心的な概念」と「熊本学園大学と『場』」(中根千枝氏の理論と日本的なコミュニケーション様式に関する項目も含まれている)であった。その後、司馬遼太郎氏の「21世紀に生きる君たちへ」を紹介するビデオを見せた。司馬氏は私が26回にわたって伝えたいと思ってきたことを小学生にも理解しやすいことばで、巧みに表現なさったと思う。(このエッセイは司馬遼太郎著の『十六の話』[中央公論社、1997年]に含まれている。本学の図書館の一階にある。[914.6||SH15])最後に、期末試験の論述形式の問題を紹介した。
1月12日、第26回(最終回)
 今日は『ごく普通の在日韓国人』の著者でいらっしゃる姜信子先生のゲスト講議であった。音楽、写真、ビデオ映像などを使ったすばらしい内容であった。近い内容の文を姜先生のホームページの中の「『故郷』について、あるいは『旅』について」で読むことができる。なお、最終回の講議であったので、テストなどに関する基本的な情報などを「連絡事項」と題のプリントで配付した。  
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