「新書365冊」を読んで、久しぶりに読んでみたい本が増えた。ぼちぼちとamazon.co.jpへ注文を出し、読んでいる。このページに簡単な記録と読後感を書き、突っ込んでみたいテーマがあれば、別ページへリンクしたいと思う。
blogにも書いたが、田舎に住んでいる本好きには大変有り難い一冊。 ただ、部分的に非常に受け入れがたい意見も散在する。
例えば、ある本への批評に「天皇家の血の聖性を証明するのに、西洋科学などを持ち出すのはいかがなものか」というコメントがあったが、「血の聖性」という概念自体が有害無益な虚構としか思えない私に取っては、このコメント自体が非常にナンセンスに感じられた。
そのような違和感を差し引いても、著者の誠実、かつ緻密さを求める読書姿勢には共感を覚える部分がある。
マスコミをペテンにかける事で、社会に警鐘を鳴らす「マスコミ騙し屋」の存在や、「憶測報道と警鐘報道の違い」など、興味深いトピックが多かった。 中でも一番、興味をそそられたのは、「クローン技術と呼ばないで」の一章。
メディアを巻き込んで研究資金を集めたい企業の思惑が空転し、非常に不正確、グロテスクな「人間複製」のイメージが出来上がる過程を描いている。
いわゆる「クローン技術」を考える際、技術や倫理的な側面の他にも、こういったメディア論的な視点からの分析も有意義ではないだろうか。
洒脱な語り口。タブーが発生するメカニズムが、非常に面白く読めた。
中島義道著
この人の著作には、すんなりと飲み込める部分が多数ある。幸運に助けられながらではあるが、「一人で働ける形」を探して来た身としては、読んでいてほっとする本の一つ
ジョン・クラカワー著 左宗鈴夫訳 1992年春、一人でアラスカの荒野に分け入り、4ヶ月後に餓死遺体として発見された若者(クリス・マッカンドレス)の生涯を、ノンフィクションの書き手として定評のあるクラカワーが記したもの。 途中、作者自身のアラスカ体験の記録が挿入される。この部分が批評家からは「無駄な尻尾」とこき下ろされているようだが、逆に私は、クラカワーが、なぜ、批判に曝されたこの若者のために本を書きたくなったのかが分かる、貴重な部分に思える。 もし、私に他人の生涯をかけるだけの筆力があったなら、多分、自分も同じ事をしたくなったに違いないと感じる。
かなりの回数、繰り返して読んでいる。