ちょっと硬い話

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 発端

 どういう理由でそうなったのか覚えていないが、10代後半の頃から、妙に現代中国史に興味を持っていた気がする。「大躍進政策」「百花斉放百家争鳴政策」反右派闘争」「文化大革命」など、<皇帝>毛沢東の意のままに、左に右に大きく揺れる政治路線、そのたびに発生するおびただしい数の政治家の死、一般民の死。

 たとえば明治以降の日本では、政治闘争に敗れても、それが直接の原因になって政治家が死に追いやられる事はない。一方、毛沢東<治世>下の中国では、政治的敗北は即、死を意味していた。No2でありながら獄死した劉少奇、亡命の途中に墜死した林彪、毛沢東という後ろ盾を失った後に逮捕、死刑を宣告された「四人組」など、枚挙にいとまがない。一般民の死者についても「大躍進政策」失敗による餓死者、文化大革命期の、魔女狩り的な熱狂による死者、これまた凄まじい数にのぼる。

 これによって、中国を政治的に劣った国だと即断するつもりは、もちろん無い。(この時期の中国に住んでいなくて良かったとは、正直、思うが)。どのような国も歴史的、地理的な背景を持ち、ある時代のある事象だけを取って「国」「民族」の優劣を論ずる事に意味は無いと思う。

 ただ、その当時から漠然と感じていたのは、「騙されやすい民衆、自分の利益に敏感なメディア、民衆の力を吸い上げて自分のものにしたい政治家の思惑が絡むと、惨事が発生しやすいのでは?」という漠然としたアイデアだった。後に、「クメールルージュによる虐殺」、「ルワンダ内戦」などのケースを見ていくうちに、そのアイデアが固まって行ったたように思う。

 さて、自分自身の立ち位置だが、当然、政治家ではないし、また、メディアの一部ではない。多分、一般人の一人として一生を終える事は確定しているし、それも悪く無いと思える。ただ、できれば「メディアや、政治的な熱狂に動かされない一般人」になりたい。

 このページでは、やや硬めの政治、外交、メディア論的な事を書いてく予定でいる。


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