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国民投票とポピュリズムの危険 先日、自分のblogに、「郵政民営化に思う」という文を書いた。その中で、 「こういう時は他の国が行っているように、ある法案についての国民投票を行い、その結果によって議会解散か内閣総辞職が行われるのが、より優れたシステムに思える。」と書いたが、この部分について、反省、補足しなければ、、と思わされる記事があったため、ここに紹介しておく。 確かに、国民投票にはポピュリストに利用されやすい側面を持つ。その点についての認識が足りなかったように思う。
ポピュリズムの危険性は、その破壊のエネルギーにある。 たとえば、既存の体制の中に、あるいは富裕層の中に、はたまた、国の外に、明確な「敵のイメージ」を作り出し、人々の憎悪をかき立て、それを自己の拠り所にするのがポピュリズム政治の手法である。 このような憎悪は、安定した経済、官僚システムの破壊し、激しい民族対立や戦争を生む。ポピュリストが言うように、「xxさえ無くなれば、社会が良くなる」という事は、長期的な目で見れば、ほとんどは真実でない事が多い。 例えば、今は「水に落ちた犬」として、どれだけ批判しても構わない事になっているヒットラー(ナチスドイツ)について見てみよう。ご存知のように「ユダヤ人さえ居なくなれば社会は良くなる」と、「ユダヤ人」いう明確な敵を設定し、同時に「アーリア民族の優越性」という、自己愛をくすぐる論理で武装。一つのスローガンを、メディアを通して繰り返し浸透させる手法で憎悪を増幅し、その力を背景に一党独裁を確立した。 その結果、ユダヤ民族、ドイツ自身が被った被害の大きさはご存知の通りである。 (余談ではあるが、「サダム・フセインさえ居なくなれば」と言ったアメリカの例も、ポピュリズムの一種であると言えるのではないだろうか?) それでは、第二次大戦時のドイツ人は、とりわけ愚かだったのだろうか?今の時代を生きている私たちは、当時の人達よりも、より多くの情報に触れ、常に正しい合理的な選択ができると断言できるだろうか。 私は、そうは思わない。理由は以下の通り。
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