ボランティアの義務化!?

 以前、ブログでも書いたのだが、何度聞いても強い違和感を感じる政策に、「(高校生に対する)、ボランティアの義務化」がある。今日もニュースでこの言葉を聞き、思うところがあり雑文を書いている。

1.正確な表現を

  このようなイベントを、より正確な言葉で表現すれば、「(強制的)社会奉仕活動」という事になるだろう。そう言えば良い。なぜ、そう言わないのか?
  理由は比較的容易に推測がつく。「(強制的)社会奉仕活動」と言った場合に、犯罪を犯した場合に裁判所から命令される、罪の償いのための作業を連想させるからではないだろうか。
  これは、うがちすぎた見方かも知れないが、政策立案者の中に、『「人の道を踏み外した人々」(犯罪者)も、「人の道を知らない人々」(未成年)も、作業を通して浄化される事によって、社会に参加する事を許される』といった意識があるのではと、ついつい勘ぐってしまう。

 もっとも、国が個と対立するものである以上、個を「教育」して「社会」に統合しようというモーメント自体は不自然なものではなく、謂わばバランスの問題のように思える。私が恐ろしく感じるのは、国が個を「教育」しようとし、その過程で生じる強制が、ソフトな「ボランティア」という言葉でくるまれて、対立点が見えなくなっている事である。

2.ボランティアが成立する要件

 九州では、地域内の岩場を清掃し、「場」を快適に保つと同時に、地元の人にクライミング、ボルダリングというスポーツを理解して貰おうという、Rock the cleanプロジェクト が、トップボルダラーのルーさんを中心として行われている。

 私もたまに参加させていただいているが、前夜祭での酒飲みを含めて間違いなく楽しい
  このイベントを例に取って、私が「ボランティア」と「(強制的)社会奉仕」の間にあると考えている差を書いてみたい。

・自然な動機があり、その動機に従って自発的に参加しているか。

・その行動が、(直接的なものでなくても、最終的には)自分の利益につながるか?

・精神的な満足感があるか?

 辺りが、大まかな指標になるような気がする。

 


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