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私が募金をしない理由 私は街頭募金、XXの羽根募金、コンビニなどに置いてある募金箱への募金はしない。理由は以下の通り。 1.「年中行事」、「おつきあい」募金の違和感 「愛は地球を救う」 毎年、夏になると繰り返される番組のキャッチフレーズだ。もう、長いこと番組を見ていないが、その目的は一つ。「善意のお金」を集める事。 ただ、現実を見てみると、少なくとも「愛は地球を救えてはいない」という事は言えると思う。(救って欲しいとは思うが、それが愛という名の押しつけ、独裁にならない保証はない。) 貧困、飢餓、AIDS、紛争 etc。365日、考えなければいけない事は山ほどあるのに、一年に一日か二日だけ、にこにこしながら募金をして、後は無関心で良いんだろうか?(これと同じ事は戦争追悼行事についても言えると思う、が、これは別の機会に。) また、職場などで行われる XXの羽根募金。拒否すれば変わり者扱いにされる。「変わり者扱いされたくない」「人と同じにしていたい」というのが募金の動機というのは、あまりに情けなくないだろうか。 2.用途が見えない事 集まったお金の大まかな流れとしては、以下の二つになると思う。
特に2.のケースの場合、集められたお金がどのように使われているかを知るのは難しい。もちろん、お金を支給された側の団体が、何らかの報告書を提出はする事と思う。ただ、「そのプロジェクトがどのような問題に直面したか?」「社会に対して、マイナス効果が無かったか?」などの客観的な評価を含んだものにはならないと思う。 これは、私も含めた人間の一般的な傾向だと思うが、一度得た利益、権益は手放したくないもの。増して「善意でプロジェクトを行っている」「私達の活動が途絶えたら、この人達はどうなるんだろうか?」という感覚を持った人が報告書を書く時に、その内容に客観性を期待できるのだろうか? 3.募金先の社会への悪影響 呼び名は様々だが、海外でプロジェクトを行っている団体は、無数と言って良いほどある。当然、それらの団体の間では得意/不得意分野もあるし、また、蓄積されている経験の多寡もある。 ここで注意したいのは、経験の不足している団体が社会に与える悪影響である。(もちろん、経験を積んだ団体についてもその危険性はあるが、何らかの内省、チェック機構を持っているために、相対的にはリスクが低いと思われる。) たとえ、その団体の人が100%の善意で動いているとしても、扱っているのはお金。「可愛そうな人のフリをすれば、お金が得られる。」と思う人、「とりあえず、日本人とコネを持っておけば後々有利」と思う人、いろんな人を引き寄せる力がある。そういう人達に対して「善意でやっていれば、善意が返ってくる筈」という思いこみは通用しない。 日本円に対して通貨の価値が弱い国ほどこの傾向は顕著になる。例えばネパールなどでは「NGO成金」が存在する。善意が人々にウソに走らせ、貧富の格差を広げてしまった例である。 4.本当に必要だと思うのならば。。 これは、「あくまで私はこうしている」という事で、万人に奨められる方法と思っている訳ではない。ただ、「お金を人に施す」という特殊な行動をする以上は、できれば、「どうすれば最上の結果が得らるか」、「どうすれば、迷惑な善意にならずに済むか?」という事を考えて欲しい。
以上、堅苦しい文章を長々と読んで頂き、有り難うございました。
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