2007/1/19
今では、ごく普通の貯蓄方法となった(らしい)投資について、やっている人が聴いたら「化石時代の人か?」と言われそうな位、ネガティブなイメージを持っている。その理由を書いてみる。ただ、このテーマについては、あくまで私自身の好き、嫌いの問題であり、大上段に振りかぶっての「投資=悪」という事を言おうとしている訳ではない事を、最初に書いておく。
まずは、私が唯一納得できる、ポジティブな面。
・会社、政府などが資金調達を行う事が容易になった。その結果、安定した雇用が創出される。
- お金にお金を産ませる事の不自然さ
反論する側に取っては、非常に反論が容易なテーマだろうと思う。私自身が様々な反論を思いつく。例えば、「あなたがお金に本当に困っている時に借り入れを行い、何ヶ月後に元金と、わずかの利子を払いました。これは、お金がお金(利子)を産んだことになりますが、これは不自然な事でしょうか?悪い事でしょうか」等々。
善悪の問題はとにかくとして、私としてはやはり不自然に感じる。例えば「利子」という概念が入ってくる前の社会では、上記のようなケースでは「互助」の救済システムが働いていた筈だ。(多分、そうした社会は流動性が低く、息苦しかっただろうなとは思うが。。)
このような、「お金にお金を産ませる事の、肯定的な例」を思いつく限り上げていっても、それに対する代替手段がある限りは、「お金がお金を産む事」を認めない方が良いのでは無いかと、個人的には思う。
- 些末的な、大量の情報に身をさらす不快感
これは、ディトレーディングなどの株をやっている人を見て、いつも感じる事。
様々なメディアをチェックして、どの銘柄を買うかを常に気にしている。やっている本人にしたら、苦にならない、あるいは楽しい作業なのかも知れないが、私はとても耐えられない。
情報は、「自分に取って本質的なものだ」と思えない限り、雑音だし、そんなもののために、ぼ〜っとした時間を楽しむ余裕を奪われたくない。
- 投資先でのお金の使われ方についての不安
株を買う人に取っては、多くの場合、会社というのは単なる記号で、その株を買う事が利益につながるのであれば、特に何の不都合も無いように思える。
例えば、平和を訴える映画を見て涙を流した後で、何のためらいも無く、(兵器も当然扱っている)総合商社の株を買う事は、矛盾ではないのだろうか?
もちろん、上記のケースは極端な例だし、「それでは、会社のやっている事を良く吟味して買えば良いのでは?」という事にもなるだろう。最もな話だが、他の人が利益だけを考えて動いている時に、果たして、そんな事を考えていて勝負になるのかな?と、不安に思える。
と、色々ともっともらしい理由をつけてみたが、結局のところは、「自分は技術屋で、生み出したサービスの対価としてお金を受け取っている。お金は、生み出した価値の対価として支払われるのが正しい」という、一種の自負、信仰のようなものが根本にあるような気がする。
結局、人間というのは今まで通ってきた時間と無関係には、自己を構築できないという事だろうかと少々哀しかったりもする。このテーマについては、また、別に書きたい。
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