2000年度の講義ノート

ここで講義内容を簡単に記録していきたいと思います。「簡単」な記録ですので、もちろん出席する代わりにはなりませんが、欠席しなければならない場合は、ここを見れば授業の流れなどが大体わかると思います。「ノート」なので、論文調で書きます。


4月11日、第1回
 受講生の皆さんとのコミュニケーションがこの授業の成功に欠かせないことを強調した(ドミノを使ったデモンストレーション)。具体的な方法としては、授業中の参加、出席カードの裏のコメント、ホームページ上の掲示板などを考えている。「自己紹介」や「私語について」「『比較文化論』の性格・目的・方法」というスライドで講義を紹介した。特に、私の講義の目的と方法との関係を理解してほしいということを強調した。ビデオはMichael Breckerの演奏であった。

4月14日、第2回
 「文化論の落とし穴や悪用」について講義した。「1. 戦争や排斥の口実」との関連で「Faces of the Enemy」というビデオを見せ、戦争と文化論の関係について解説した。ビデオと同じ主旨の本としてFaces of the Enemyがあり、『敵の顔』という題の日本語訳が図書館にあるので、関心のある方に見ていただきたい。また、ビデオで登場したJohn Dower教授のWar Without Mercyの日本語訳である『人種偏見』も図書館にある。「2. 人をまとめる・従わせる手段 」の関連で「石原都知事の問題発言」を取り上げた。その後「3. 早合点・単純化・個人無視」に移り、その1例として小樽温泉外国人排斥問題をビデオで紹介した。
4月18日、第3回
 「文化論の落とし穴や悪用」に関する講義を続けた。講義の前半において、「2. 人をまとめる・従わせる手段 」や「3. 早合点・単純化・個人無視」に関する説明を補足する例を紹介した。「2. 人をまとめる・従わせる手段 」の関連で小林よしのりの『戦争論』(本学の図書館にはないが、『小林よしのり氏の「戦争論」批判』ならある)を取り上げた。OHPで小林氏がどのように「敵」を描き、どのようにその敵の人間性を否定しているかを指摘した上で、異質な外国人のイメージで日本人としてのアイデンティティーの強化を促す手法を指摘した。「3. 早合点・単純化・個人無視」に関しては「Ana Bortzさんが起こした裁判について」というOHPを使って説明した。ボルツさんの勝訴がNew York Timesで取り上げられ、国際的な出来事に発展した。そのNew York Timesの記事のなかで、熊本県立大学の外国人に対する差別も取り上げられてしたので、その関連で今年3月にRKKが「ビパ!」という番組のなかで放送した特集を見せた。その後、「4.『優越感』の楽しさ」の関連でアメリカのLate Show (David Letterman司会)という番組の中でのMUJIBUR & SIRAJULのコーナーを見せて、問題点について説明した。
4月21日、第4回
 「文化論の落とし穴や悪用」に関する講義を続けた。「4.『優越感』の楽しさ」の関連で「ここがヘンだよ日本人」のビデオの一部を見せ、「『ここがヘンだよ日本人』の催眠術にかかるな!」及び 「『ここがヘンだよ日本人』について」のスライドを使って解説した。アメリカに同様の例として、アメリカのトークショーを批判的に取り上げている討論番組(ABCのNightline)のビデオを見せた。なお、授業では紹介しなかったが、1998年に同じ問題について書いた新聞記事があり、ここにクリックすれば閲覧することができる。
4月25日、第5回
 前回の続きとして、「2000年2月16日放映の『結婚の犠牲者ハーフ達の叫びを聞け』(『ここがヘンだよ日本人』)について」を使って説明した。ビデオは戸田奈津子氏とのインタービューであった。これは次のテーマである言語習得との関連で見せた。また、「Kumamoto International」というML(メーリングリスト)に関するビデオを見せ、利用を勧めた。
4月28日、第6回
 「文化論の落とし穴や悪用」に関する講義を終了した。その後、文化における相違と共通点を考えるため、『We're Different, We're the Same』という絵本を紹介した。ビデオはリビー英雄氏(作家、法政大学第一教養部教授)とのインタービューであった。リビー氏の小説『星条旗の聞こえない部屋』は図書館にある。リビー氏のホームページはないようだが、ここにクリックすれば、「もう一つの往還」というエッセイを読むことができる。また、課題に関する補足説明をした(基本的な説明は「成績評定」にある)。最初にこのような課題を設けたの目的は文化論の氾濫に気付かせることであったことを説明した。その他に、「ここがヘンだよ日本人」のオープニングをより鮮明な画像でゆっきりと流し、更に詳細にそのシンボリズムについて解説した。
5月2日、第7回
 「受験英語はなぜ身につかないのか?」に関する講義をはじめた。今回はレジメの最初の項目である「翻訳主義→英語思考主義」について解説した。なお、思考の言語の関係に関して見せたスライドが見たい場合はここクリックし、greenという単語の日本語の単語との複雑な関係に関するスライドが見たい場合はここクリックしてください。ビデオはBlue's Cluesというアメリカの幼児番組の一部であった。こうした番組がなぜ言語習得に役立つかについて若干解説した。最後に、前回「ここがヘンだよ日本人」のオープニングに関する意見を裏付けるために、一部のオープニングの映像と旭日旗(自衛艦旗)の模様との類似を指摘した。
5月9日、第8回
 「受験英語はなぜ身につかないのか?」に関する講義の続きとして2つ目の項目である「マニュアル主義→生きた英語主義 」を説明した。ビデオは前回のBlue's Cluesの続きであった。
5月12日、第9回
 「受験英語はなぜ身につかないのか?」に関する講義の続きとして3つ目の項目である「見栄っ張り主義→コミュニケーション主義 」を説明した。前回と同様ビデオは前回のBlue's Cluesの続きであった。今日は多くの時間を出席票の裏に書かれた質問やコメントに対する回答に当てた。その課程で「意見の受け止め方」のスライドを使って意見を述べた。また、明治期には自然で格調高い英文を書くことのできる人がいたのに、その後の英語のレベルが全体的に下がった理由な関する仮説を説明した。そのとき使ったイラストを見るにはここをクリックしてください。
5月16日、第10回
 「受験英語はなぜ身につかないのか?」に関する講義を終了した。また、4 回にわたって見せたBlue's Cluesのビデオも終えた。きとして3つ目の項目である「見栄っ張り主義→コミュニケーション主義 」を説明した。前回と同様ビデオは前回のBlue's Cluesの続きであった。出席票のうらに書かれたいくつかのコメントに触れるなかで、「意見の受け止め方」に関する補足説明をした。なお、講義では言及したなかったが、「受験英語」に関する拙著をホームページで読むことができる。読みたい場合はここにクリックしてください。
5月19日、第11回
 森首相の「神の国発言」を取り上げた。その発言は戦前・戦時中の認識と深い関係があるので、森首相のスタンスと比較対照するために熊本在住の浜田知明先生の反戦作品に関するビデオを見せた。浜田先生のように活動こそが日本人として誇りに思うべきもので、けっして「自虐史観」や「恥さらし」ではないという意見を述べた。その後、森首相の発言について「文化論としての『神の国』発言」「一体となった政治と宗教」というスライドを使って解説した。
5月23日、第12回
 講義のはじめに、2とおりの見方ができるイラストをOHPで見せ、見ている対象が一つであっても、「見方」によっては違って見えることを説明した。言語や文化が違えば、同じ「現実」でも違ったように見えてくることの例として、アメリカの「足病医」日本語の「甘え」の概念を取り上げた。ちなみに、「甘え」という概念に興味のある方には、「土居健郎氏の『「甘え」の構造 』をお勧めしたい。ビデオは前回のテーマとの関連で仏教徒とキリスト教徒徒の間の相互理解に関するものであった。
5月30日
 学園創立記念日のため、休講。

5月26日、第13回
 最初に「Political Correctness (PC)」について講義した。その後、マクドナルドのインドへの出店に関するテレビ朝日の「ニュースステーション」の特集を見せた。特集の後に久米宏キャスターの「外人は片言であってほしい」というコメントに対して抗議があったことを説明した。その後のビデオは「ニュースステーション」の「外人」に関する特集であった。(これは「外人は片言であってほしい」というコメントに対する抗議を受けて、企画されたものである。)ビデオで紹介されたISSHO企画のホームページを閲覧したい場合はここにクリックしてください。ビデオを見た後OHPで「外国人」と「外人」という言葉の違いを説明した。説明に使ったスライドが見たい場合はここにクリックしてください。最後に、「共生の論理」というスライドを使って、出席カードに書かれていた意見に答えた。
6月2日、第14回
 前半は「外人」という言葉や概念に関する講議の続きであった。「日米の外国人観」というスライドを使って説明したあとに、NHKで放送された武田鉄矢氏のMichael Latta氏とのインタビューであった。インタビューのなかでLatta氏が「外人」という言葉に関する持論を展開した。その後、原爆投下の是非に関するアメリカの高校生の討論に関するもう一つのビデオを見せて、コメントした。最後に「共生の論理」や「共生と対立の兼ね合い」に関する補足説明をした。
6月6日、第15回
 中間試験
6月9日、第16回
 姜信子先生によるゲスト講義。
6月13日、第17回
 日米における「イジメ」について講議した。イジメは普遍的な現象だが文化によってはその受け止め方などに大きな差がある。今回の講議の中心的なテーマはその受け止め方の違いであった。OHPに映した主なスライドはここにある。日米間のイジメ関連の違いの一つはアメリカではイジメが重要な社会問題とはあまり考えられていない反面、人種差別やセクハラを重視する傾向がある。その例として、「セクハラ」の処分を受けた小学生に関するビデオを見せた。日本では逆にイジメが重要な社会問題であるという見方がしっかりと定着しているため、大人の社会にも「イジメ」が見出されることがある(この現象に関するビデオも見せた)。また、コミュニケーション方式とイジメとの関係にも言及した。その関連で、学校における言葉のかけ方に関するビデオを見せたり、「日米のコミュニケーションにおける責任」というスライドで解説したりした。
6月16日、第18回
 今日は日米の「労働倫理」について講議した。ビデオは1991年ごろにNHKが放送した「日米市民討論」という番組の中の日本人は働きすぎかどうかに関する部分であった。働くことをめぐって日本人とアメリカ人の価値観などが180度違うという通念(固定観念)が番組の前提になっていたが、その「常識」の型にはまらない日米の市民の発言が見事にその前提を崩して行った。ビデオを見せた主な目的は「日本人は働きバチ。アメリカ人はレジャーを大事にする。」という固定観念の問題性、そしてマスメディアを鵜呑みにすることの危険性を認識させることだった。日米などの労働時間などに関するさまざまな統計も紹介した。
6月20日、第19回
 前回の労働に関する講義の続きとして、アメリカの伝統的な「働く倫理」を紹介し、日米の労働情況を比較した。現在のアメリカはけっして「レジャー大国」ではなく、世界的に見て、「働く倫理」にしても、労働時間にしても日本とアメリカは180度違うのではなく、むしろかなり似ている、と主張した。また、1992年の宮沢元首相の働く倫理発言を取り上げ、その発言が引き起こした文化摩擦について、「労働倫理をめぐる日米言動摩擦解」というスライドを使って解説した。大きく分けて、その軋轢の原因は二つあった。一つはアメリカ人が依然として一所懸命働くことが大切だと考えていたことだ。「怠け者」と言われていると思い、アメリカの伝統的な倫理観に基づいてひどく侮辱されたと考え、激しく反発したのだ。もう一つは、アメリカのメディアが宮沢氏の発言の主旨を正確に伝えなかったことだ。講義で説明したように、宮沢氏の発言の主旨はかなり歪曲された形で報道された。ビデオはドイツの労働事情に関するニュース・ステーションの特集であった。ドイツと比較すると、日本とアメリカはむしろ似ている。また、同ビデオは労働の在り方と性的な役割分担の関係の重要さを物語っていることを指摘した。
6月23日、第20回
 男女の役割分担などに関する講義を始めた。実は、男女の役割分担を考えずに「日本人はよく働く」という言葉の意味を十分に理解できないので、このテーマは労働に関する話の延長とも言える。OHPで次のようなことがらに関する統計を紹介した。 ビデオはアメリカで起きる女性に対する差別を隠しカメラで取材したものであった。中古車を買うときに女性が高い値段を吹っ掛けられたり、就職活動で不利な扱いを受けたりする印象的な場面があった。
6月27日、第21回
 「MMMA(米国三菱自動車製造)に対するセクハラ訴訟」について講義した。ビデオはアメリカで起きた別のセクハラ訴訟に関するものであった。
6月30日、第22回
 「男女の役割分担や地位の差はどの程度『自然』か」というスライドを使って講義した。また、「ジェンダー」(「男らしさ」「女らしさ」)という概念を紹介し、「ジェンダー」は「人種」の概念と同様、社会的に構築されたものであることを強調した。つまり、文化によっては「男らしさ」や「女らしさ」の概念が異なる。その関連で見せたスライドはここにある。また、日米の「女らしさ」の違いの例として、Sailor Moonのアニメのアメリカ化に関するビデオを見せた。
7月4日、第23回
 米海兵隊員による少女暴行事件に関するニュース・ステーションの報道(1995年11月8日)にスポットを当てた。まず、ニュース・ステーションでABCの報道に触れていたので、その報道のビデオを見せた。その後、ニュース・ステーションの報道のビデオを流した。ビデオを一度見た後に、その中身を詳細にけんとうするために、番組でなされた解説をOHPに映した。そのスライドはここにある。解説を分析しながら、番組で取り上げられたNew York Timesの記事をOHPに映し、検討した。ニュース・ステーションの報道の問題点を明らかにした上で、同様に誤解を招き、固定観念を広める報道はアメリカでもよく行われることを指摘した。固定観念や先入観に捕らわれないためにはメディアを批判的に見る必要がある。
7月7日、第24回
 「人種」の概念やアメリカにおける人種差別について講義した。最初は「『人種』って何?」というスライドを使って、「人種」という概念の曖昧さと恣意性を指摘した。次に、「『人種』や『民族』の概念について」で「人種」と「民族」の概念の区別などについて説明した。授業の後半はアメリカABCのNightlineという討論番組のビデオを見せた。ビデオでは黒人の警察官が受ける差別を扱ったものである。外見や固定観念で判断することがいかに不当なことかを印象づけるビデオである。
7月11日、第25回
 アメリカにおけるaffirmative action(少数民族や女性の優遇措置)を取り上げた。まず、affirmative actionの背景として、黒人差別が公然と行われていた1960年代の公民権運動以前の状況を大まかに説明した。その例として、「白人用」と「黒人用」に別れている写真を見せた。公民権運動によって、堂々と差別的な制度を運用していくことができなくなったが、進学や就職に際して目に見えない差別が続いた。その重要な対策の一つとして始められたのはaffirmative actionであった。ビデオはアメリカABCのNightlineいう番組で行われたディベートであった。affirmative actionに反対する側は「逆差別」などを訴えているが、テストの限界や多様性の価値などを考慮するとaffirmative actionのメリットが見えてくると主張した。また、affirmative actionと直接関係ないが、Tiger Woods選手の小さいころやゴルフと人種差別に関する短いビデオも見せた。
7月14日、第26(最終)回
 中根千枝著『タテ社会の人間関係』について講議した。利用したOHPスライドは「中根千枝著の『タテ社会の人間関係』の中心的な概念」と「熊本学園大学と『場』」(中根千枝氏の理論と日本的なコミュニケーション様式に関する項目も含まれている)であった。その後、司馬遼太郎氏の「21世紀に生きる君たちへ」を紹介するビデオを見せた。司馬氏は私が26回にわたって伝えたいと思ってきたことを小学生にも理解しやすいことばで、巧みに表現なさったと思う。(このエッセイは司馬遼太郎著の『十六の話』[中央公論社、1997年]に含まれている。本学の図書館の一階にある。[914.6||SH15])最後に、期末試験の論述形式の問題を紹介した。次のとおりである。
下記の事柄から三つ選び、中根千枝著『タテ社会の人間関係』で展開されている理論との関係をできるだけ詳しく説明せよ。(配点=50点)
「下記の事柄」の例は「熊本学園大学と『場』」のスライドの後半にある。本を読みながら、理論の鍵概念である「場」と「資格」と本で取り上げられている事柄との関係について考えるように勧めた。

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