2005年05月02日

脱線事故報道に思う

 今回の脱線事故報道について感じた事を。。

(1)なぜ、監督省庁の責任は問われないのか?
 事故の直接的な原因は、運転手のスピードの出し過ぎという事らしい。その背後にあるJRの非人間的な再教育方針、殺人的なスケジュールが問題の根元として取り上げられている。
 ただ、それが本当に根本的な原因なのだろうか?
 JR西がそのような行為に走った背景には、鉄道を含めた周りの交通機関との過激な競争があったと聞く。そのような過当競争を抑止するのは監督省庁の責任ではないのだろうか?
 「官」の存在意義は「民」で調整がつかない事を上から調整する事だと思うのだが。そうでなければ、ただ単に「上に乗っかって威張っているだけのお上」になってしまう。

(2)報道のワイドショー化
 少なくとも建前上は、「人の命は平等に尊い」ものの筈だ。
 なのになぜ、「働き者の若い女性」だった犠牲者は報道の対象になり、「偏屈な老人」「日々、恐喝を生業としていたチンピラ」は報道の対象になり得ないのだろうか?「外から突然やってきた、不合理な死」という現実にかわりはないのに。
 報道の受け手の理性ではなく感情に訴えるための道具として、これらの人々の死が使われるのが残念でならない。(念のために書いておくが、これは報道姿勢への批判であって亡くなられた方々への非難ではない。)

 最後に、、亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。



ynoge1 at 06:38 │Comments(0)TrackBack(0)clip!雑感 

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