サッカー

2006年07月20日

サッカー・「日本代表批判」批判

 ワールドカップが終わり、サッカー関係のウェブページでは好成績を残せなかった日本代表への、批判や分析記事が多く見られる。
 その中で、もっともだなと思えるサッカー専門紙、エルゴラの総括がある一方、う〜ん、それは違うんじゃない?と思える記事もちらほら目に付く。

 その中で、一番ピントが外れていると感じたのが、毎日新聞の「代表に特権意識持たせた=篠原成行(社会部)」

 要約すると、「選手の取材陣に対する対応の悪さ=プロ意識の欠如は、TVや活字メディアが、(日本サッカー協会からの取材証発行停止を怖れて)批判的な情報を流さなかったから」という事になるだろうか。

 文章の個々の部分について違和感を感じた部分を書く。

(1)中田選手の引退に関する部分
 引退記者会見を開かなかった事が「サポーターと向き合っていない」と糾弾されているが、他の選手の記者会見で繰り返される愚にも付かない質問の山を見ていると、本当に「記者会見を開く事 = サポーターと向き合う事」なのだろうかと疑問に感じてしまう。
 また、日本代表のキャプテンは中田選手ではなく、宮本選手である。惨敗に対する質問に堂々と、チームを代表して答えるべきなのは、多分、中田選手ではなく宮本選手の筈。

(2)結果論
 イチローと中田、ともにチームの中心的な選手で一方は栄光をつかみ、他方はそうはならなかった。記者が比較したくなる気持ちは分かるが中田がウォームアップの時に孤立していたからと言って、それがチーム内でのコミュニケーション不足を、即、意味する事にはならない。
 野球とサッカーというスポーツの特性を無視した、ずいぶんと乱暴な比較に思える。

(3)そして、批判は存在しない。
 この記事の文頭で、記者は『批判を恐れずに言う。』と書いている。しかし、この記事が批判、反論される事はまず無いだろう。なぜなら、記者は『すべての関係者がそれぞれの「甘さ」を捨てることが、日本サッカーの強化につながると考える。』と結んでいるからだ。
 この記事は結局、誰の責任を追及したものでもなく、責任は「すべての(サッカー)関係者」に、的外れに拡散されてしまっている。(記事の大部分は、取材の権利を奪う(?)、選手と協会、フリーランス記者への怨嗟に充てられているが。。)


 本当にサッカー、日本代表の強化を考えるのであれば、今回の敗因を明確に挙げ、それに優先順位をつけて対処していくべきなのは明らかだ。
 なのに、ジーコ監督の戦略面での無能さにも、その監督を選んだ協会の責任にも、一言の言及も無い。

 結局は従来の報道姿勢から、一歩も踏み出していないように感じるのは私だけだろうか。


 


ynoge1 at 08:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!