2005年11月22日

ちょっと長目の雑感

 サッカーが好きで、良くサッカー関係のページを見る。
 最近、あちこちで見かけるのが、難病の赤ちゃんを助けるための募金を呼びかける、このページへのリンク

 親御さんの心情は理解できる。助かれば良いなとも思う。
 ただ、「もしも、この子が他の平凡な(?)重病だったら?」「この病気を発症したのが80才の、どうしようもない老人だったら?」と考えると、考え込んでしまう。

 「人命は地球よりも重い」という。「人の命に値段はつけられない」という。どちらの言葉にも自分は真実味を感じられない。
 実際のところ人間の命には値段がついている。例えば「若さ」を尊ぶ文化の中で人命の二者択一を迫られれば、老人が犠牲になり若者を救う事が当然視されるだろう。(少年誌を良く読むのだが、この手のストリーはあふれかえっている)
 逆に儒教支配下の中国のように、「親が生き残るためには、子は犠牲になって当然」といった考え方をしていた時代、文明もある。
 どちらが「正しい」という結論が出る問題でも無いだろう。それぞれが社会というシステムを維持するために必要な価値観なのだから。

 ただ、自分がひっかかっているのは、「マスコミ的な価値=命の重さ」になる時代というのは、少なくとも自分に取っては息苦しいだろうなという事。

 あえて書く。

 この子が助かったら、きっと新たな美談が創造され、何年かに一度はスペシャルモノが放送され、やがて人々から忘れ去られていく。(それはそれで良いのかも知れない。)
 また、万一の事があれば、情動を煽る報道の波の後に、そういう事があったのかさえ忘れられていく。

 自分の生死が、マスコミを通して人々に消費されるのはやりきれない。
 同じように、他人の生死がマスコミを通して人々に消費されるのはやりきれない。
 自分の生死ぐらい、自分の手の中に握っておきたい。
 激しい登山をやった事がある人だったら、理解して貰える感覚じゃないだろうか。

 私自身は、この募金はしない。
 ただ、この子が助かれば良いなと思う。

 冷たく聞こえると思うし、「他人事としか見ていない」という誹りもあるだろう。ただ、「メディアが伝えているから」「webで見たから」という理由だけで、身近で苦しんでいる誰かよりも、この子の事を親身に考えねばならない理由は無いと思う。
 
 なんともまとまりのない雑感になった。感じた違和感を何となく書いておきたくて、久し振りの書き込みをした。


ynoge1 at 15:49 │Comments(2)TrackBack(1)clip!雑感 

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1. 非難覚悟で・・・  [ ダラダラ生活 日記 ]   2005年11月23日 19:06
あやかちゃんを救う会 この盛り上がりに違和感を覚える。 あやかちゃんは病気で、移植手術が必要だ。 それはわかる。助けてあげたいとも思う。 でも移植手術が必要な子供は、あやかちゃんだけではない! あやかちゃんには、支援してくれる人がいっぱいいる。 募金も着々と...

この記事へのコメント

1. Posted by ふれでりっく    2005年11月23日 10:33
一見過激な意見ですね(笑)
「人命は地球よりも重い」「人の命に値段はつけられない」←こんな戯言を支持する輩には本当の意味での過激な連中が多いから、実社会で本音を言うと攻撃の的にされてしまいます。
似た様な光景では、浜辺に打ち上げられた鯨を見ながら涙を流している連中。
その中に我々より上の世代のばあさんがいて、その場にいたら「ばあさん、アンタそれ食ってただろ(嘲笑)」と言ってしまいそうでした。
まあそんなナイーブ=バカな連中でも戯言を喚きながら生きていられる時代ですから、それに感謝すべきなんでしょうね。
そんな我々も、人類の活動が原因で地球が生活するのに適さない環境になった近い将来、先のことを何も考えずに快楽を追求したバカ共として、自称「進歩的」な人間に糾弾されるのかも知れません。
2. Posted by limestone    2005年11月29日 21:03
単に「リンクありがとうございます」と訪れたのですが、、ちょっと(かなり)同感です。

「なんたらバンド」に乗ったのが出てきたりで、、、辟易。

また来ます。

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