2008年02月26日
さくらの二七日
明日でサクラが行ってからちょうど二週間になる。
10代後半から20代にかけて、危なっかしく登っていた頃には、(それが観念的なものだったにしても)、自分の時間が近いうちに終わるかもしれないという張り詰めた気持ちと、どこまで行けるか試してみたい、無駄にする時間は無いという思いからくる、輪郭のはっきりした生活があったように思う。
40を過ぎ、やっかいな病気にかかった時でさえ、どこかに、「この生活がいつまでも続くんじゃ。。」と思っている部分があった。
雪の降る日に、強ばっていくサクラの体を車から抱き下ろしながら、否応なく「時間がとぎれる瞬間」を意識した。
何気なく繰り返す日常の、皮一枚の向う側には、手を伸ばせない深淵がある。
真面目に生きたいと思った。
10代後半から20代にかけて、危なっかしく登っていた頃には、(それが観念的なものだったにしても)、自分の時間が近いうちに終わるかもしれないという張り詰めた気持ちと、どこまで行けるか試してみたい、無駄にする時間は無いという思いからくる、輪郭のはっきりした生活があったように思う。
40を過ぎ、やっかいな病気にかかった時でさえ、どこかに、「この生活がいつまでも続くんじゃ。。」と思っている部分があった。
雪の降る日に、強ばっていくサクラの体を車から抱き下ろしながら、否応なく「時間がとぎれる瞬間」を意識した。
何気なく繰り返す日常の、皮一枚の向う側には、手を伸ばせない深淵がある。
真面目に生きたいと思った。